環状を抱く夜 — 若い光 —
夜を抱くように、コアラは環状を走っていた。
久しぶりの環状は、思っていたよりも静かだった。
空は高架に切り取られ、街の灯りは遠い。
耳に届くのは風とエンジンの息づかいだけ。
古いシビックのステアリングは、昔よりも重かった。
それでも、懐かしかった。
路面のざらつきを指先が拾い、体が思い出す。
まだ、走れる。まだ、終わっていない。
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ハンドルを握るたびに、遠い声が蘇る。
笑い声、怒鳴り声、アクセルの匂い。
——もっと踏め、コアラ。
誰が言ったかはもう思い出せない。
けれど、その声だけが、この夜を縫い留めてくれる。
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かつて、コアラは速さを求めなかった。
群れと笑い、煙草を回し、
誰かの背中を眺めるだけでよかった。
けれど、心の奥にはいつも棘があった。
——あの先へ行きたい。
一番の光を追い越したい。
それを、押し隠していた。
笑いながら、しがみついていた。
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タコメーターの針が跳ねる。
夜の息吹がシートを抜けて、背中にまとわりつく。
古い鉄の箱は、まだ走れる。
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ふと、バックミラーに光が滲んだ。
街の灯りとは違った。
真新しい、尖った光。
一瞬で近づく。
空気が張り詰め、ハンドルに汗が滲む。
ドアミラーに、低いボンネットと、赤い目が映った。
新しいシビック。
タイプR。
Rが白い牙を剥いて、環状の奥を裂いていく。
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抜かれる。
すれ違う。
一瞬だけ、視線が交わる。
若い顔。
何も恐れていない目。
何かを失くす前の目。
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コアラの胸の奥で、古い棘が疼く。
まだ死んでいない。
まだ、走れる。
シフトを叩き込む。
エンジンが咳き込むように叫び、
古い足回りが悲鳴を上げる。
それでも、アクセルは戻さない。
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前を行く赤いテールが、環状の暗がりに吸い込まれていく。
遠い背中が、また目の前に現れた。
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——誰かの後ろを走るだけの夜は、もういらない。
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笑いが漏れた。
遠い昔に置いてきた笑い声だった。
時代遅れの翼が、若い光を追いかける。