僕はこの家族の中で最弱です
目が覚めた時にはすでに夕暮れになっていた。
時計を見ると午後6時を過ぎだった。
部屋から出て居間に行くと真衣姉さんはすでに帰宅していた。
靴下は脱ぎ捨てられ、居間でくつろいでいた。
おそらく日課のランニングもすでに終えたのだろう。ジャージが上下ともに脱ぎ散らかしている。
脱ぎっぱなしになっている靴下とジャージを回収して、洗濯籠に入れておく。
あとで紅葉さんが激怒しないためには、必要な処理だ。
———真衣姉さんと紅葉さんの攻防で何度この豪勢な邸宅が半壊したことか。
「お帰り、早かったね」
下着姿の姉一号は、タオルで肌にまとわりつく汗を処理していた。
服の上からだとわからないが、改めて姉の体をみると鍛え抜かれた筋肉が伺える。
そして、痛々しい傷も散在していた。
防衛局に所属する以上、怪我といのは切っても切れないものだ。
「ただいま。明日、早出する要件ができたから早く帰ってきたのよ」
要するに、イレギュラーが発生した。早く対応しないといけない案件だから急ぐ、とのことだ。
「ふーん。なら、紅葉さんに連絡しておいた方がよくない? 今日休暇でいないから明日の朝すぐ用意してって言ってもさすがに無理でしょ?」
「もう連絡したから、あと2時間くらいで帰ってくるわよ」
甲斐田紅葉。
最恐のメイド。
真衣姉さんと紅葉さんの関係は長いもので、前々当主だった四乃宮静氏の代までさかのぼる。
真衣姉さんが生まれてからは、四乃宮静さんのメイドから姉一号である真衣姉さん専属となったと聞いている。
それから理奈姉さん、僕の順でこの邸宅に入り、今ではこの3人の世話役となってくれている。僕にとっても頭の上がらない人だ。なるべく手間をかけないようにしてきたが、それでも申し訳なさを感じることは多々あった。
本人曰く、もう少し自由にしても問題ありません、と言われているが難しい。
自由にした結果、真衣姉さんみたいな惨事にはなりたくない。
主に物理でオシオキされたくない。
実例をあげよう。
姉一号が、起床時間に起きなかったため、我が家のメイドが殴り込みをかけたことがある。
姉一号と紅葉さんが当時のことをこう語っていた。
『——昔、反抗期だったころ言いつけを守らず寝坊を繰り返して………』
『あの頃はお嬢様が目に余るほど学業に集中していませんでした』
『だからって、ショットガン片手に部屋に押し入ってくる⁉』
『仕方がありませんでした。扉のドアに開けられないように魔法で強化付与と施錠までかけて入れなかったので』
『いや、ドアぶち破ってきて、すぐ私にも発砲したよね!?』
『授業内容をしっかり聞いていればすぐに防衛できて当然です』
ここでは、ショットガンがマスターキーだったか。
昔の銃にドアブリーチング用の散弾銃があったらしいけど………。
『………あの時から家で命の危機を感じるようになったわ………』
『私の教育の賜物ですね』
誇らしげに胸を張る紅葉さんに僕と真衣姉さんもドン引きである。
本気で言っているところがさらに怖かった。
『一回逃げようと思って屋敷から脱走したら、ミニガンを構えて追いかけてきたときは今でもトラウマものよ』
『屋敷の主人が夜逃げなど前代未聞ですので』
主な原因はメイドです。
『そうはいっても、さすがに怖かったわ。100kgを超える弾薬・バッテリー機器を背中に抱えながら、平然と私に接近してきてリコイル(反動)無視しているかの如く、私にしか弾を当ててこないところとか、入り組んだ地形を選んで逃げたら、壁を突き破って突貫してくるし、メイド服を着ているだけなのにこっちの反撃をものともせず一定の速度を維持したまま迫ってくる恐怖をまだ覚えているわ………』
『メイドたるもの、どのような状況でも即応しなければなりません』
ゲーム好きの理奈姉さんからこの事件以降、裏で紅葉さんを巨人もしくは追跡者とネーミングしていた。
理奈姉さん、そのネタを知っている人は、この時代に少ないと思うよ………。
さらに言えば真衣姉さんだけでなく理奈姉さんも朝に弱かったため寝坊することがあった。
理奈姉さんは、仕事のストレスで一時期夜更かしを繰り返してゲームをしていたからだ。
紅葉さんが起こしに来た時、起きなかったため顔面に塩をぶちまけられたそうだ。
塩を撒いた本人曰く、
『ナメクジかと思ったので』
とのことだった。
塩を被った本人は紅葉さんのことを『塩対応メイド』と改めていた。
ただ、僕は早起きすることは苦ではないため、そういったことをされた記憶があまりない。
拳骨をくらった程度だ。
紅葉さんと同じくらいに起きて朝食の準備や、掃除の手伝いを行っていた。
紅葉さんからは、手がかかないのはいいけど思春期における反抗期が来ないことが怖いと言われた記憶ならある。
いや、反抗期にガトリングで制圧射撃されることの方が怖いが………。
実際、真衣姉さんはトラウマなのか、お説教部屋にガタガタ歯を鳴らしながら入っていくところを何度も見たし、理奈姉さんは猫のように首元を掴まれて、お説教部屋に連行される姿を見てきた。
この屋敷の当主たちより使用人の立場が上であることが怖い。
でも僕にだって反抗期はあった………と思う。
むしゃくしゃしていた時期に、姉一号にトレーニングをさせられそうになって拒否した記憶がある。
顔面パンチされた。
それ以降の記憶がない。
気がついたら病院のベッドの上だった。
それと姉二号に理不尽な命令をよくされたので口を利かない日を三日続けた。
顔面パンチされた。
気がついたら病院のベッドの上だった。
二人とも僕の顔面をサンドバックと思っているのではないだろうか。
理不尽だ。
「それで、何時に家を出るの?」
「早朝の5時集合だから4時過ぎかな」
「なるほどね、じゃあ今日は早く寝ないとね」
「そうね。でもわたしトキ君と違ってすぐ寝られないからなぁ………」
確かに。
寝たいときに寝られないのには苦労する。
しかし、ここ3年で身に着けた体内リズムによって寝たいときに寝ることができるようになった。
仕事柄、身につけなければいけないスキルだったが意外と習得するのは難しい。
決められた時間が毎回ずれるため、体がまだ休まない時がある。
瞼が閉じないのだ。
だからこそ体内リズムをずらしながら寝るのは技術がいる。
「まあね。でも、どうせ姉さん夜更かしするから変わらなくない?」
「いいじゃない? 夜は静かだから好きなの」
そうは言っても、この邸宅は閑静なところである。日中でも静かなものだが………。
それよりも気がかりなことがある。
「………で、この荷物は何?」
それはテーブルの上に並べられた珍物だ。
しかもパッケージが異常に赤々しい。
「見ればわかるじゃない。焼きそばよ?」
その時の姉の表情はいたずらを楽しむ子供のような表情だった。