戻りたい居場所
「スミレちゃん」
そういって、私のパパはよく頭を撫でてくれた。
パパの手は、少しゴツゴツしていて力強かったから撫でられる身としては痛かった。
でも、不思議と不快とは思えなかった。
パパは、力が強い。
他の人とは地力が違った。
だからその分、私を撫でる力を加減しようとしているのがわかる。
繊細に。
丁寧に。
愛おしく。
私を軽々持ち上げて片腕で抱え上げて見せた。
私の体重からして、普通の人たちは両腕で抱えようとする。
でも、パパにとって大した重さではない。
パパと一緒にいる時間こそが、私には得難い幸福だった。
パパからは、土のような素朴な臭いがした。
汗の匂いではない。
香水の匂いではない。
かといって不快なにおいではない。
まるで日向ぼっこをしているときに嗅ぐ温かな日差しの香り。
だからこそ、パパの匂いは私を安心させた。
パパ自身は不器用だけれど、確かに私への愛情がそこにあった。
この前も、私のためにお花の種をくれた。
よくパパのおうちに忍び込んでは、一緒にガーデニングをするようになったからだ。
そのうち、私の名前もお花の名前だと気がついた。
「誠実で謙虚に生きてほしい。そして幸福が訪れるよう願って付けたんだ」
そっか。
でも、どうしてパパはそっぽを向いて汗をかいているのだろうか?
ま、いっか!
お花にもいろいろな意味があることを知った。
だから、パパからもらった種にも意味はあるはず。
あとで調べてみよう。
私のママは、しゃべることができず、パパとはすれ違っていた。
正確には、言語を発することができなかった。
言葉を発した瞬間に、この世界を歪める力だから。
テレパシーだと、すごく饒舌なのにかわいそう。
………大概は、パパへの惚気話だが。
だから、パパに好きだと伝えることすらできなかった。
でも、それでもいいと思えた。
だって、ママに向けたパパからの愛情がそこにあったのだから。
それは恋愛感情ではなく家族愛だったけれど———。
本当に、幸せだった。
だからこそこんな時間がもっと続けばいいのにと思ってしまった。
不幸で理不尽な結末にならないように、と。
誰もが幸せでいられるように、と。
みんなが笑って過ごせる世界になるように。
———なら、その代償が存在するのも必然だった。
この世界は、そんなに甘くない。
私は愚かだった。
そんな簡単な回答に気がつかないなんて。
一の願い叶えるためには十以上の苦行を要求される。
だから私に与えられた苦しみは当然の帰結だ。
それでも私はパパの娘として恥ずかしくないように、胸を張れる子でいようと頑張った。
どんなに無謀なことだとしても。
根本を正すために。
過去の清算をするために。
友達の力も借りて。
でも、その過程は更なる矛盾を生み出した。
両の手を伸ばしてパパへ伸ばし———。
頭にノイズが走る。
また、夢を見ていた。
無意識のうちの伸ばしていた手は空を切っていた。
もっとも、すでにこの体には片腕しか残されていないが。
過去の記憶が呼び起されていた。
人間は救いようのない生き物だと知らなかった。
助けたはずの人々は、私を………。
信じていた友達から見放された。
パパのような温かさは一ミリもなくそこには人間の生き汚い醜さがあっただけだった。
愚かしい私を友達は、蔑むように去っていった。
あれだけ、忠告されたのに私が無視したのだから当たり前だが。
結果、私は何もすることができず死を待つだけとなった。
悲しくて、憎くて、もどかしくて。
なにより———。
悲しさのあまり涙が止まらない。
血の涙が止まらない。
「パパに、もう一度会いたい」
何度口にしたかわからない言葉。
叶わない願いを口にし、私は今日も眠りにつく。
長い月日は、私から時間という枷を外していた。
友達さえ犠牲にして得た結果がこれだ。
ああ、これが私の結末か。
やるせない。
できることなら、今からでもすべてを投げ出してしまいたい。
私は、ただもう一度パパに会いたかっただけなのに。
そして私はまた夢の中でパパを夢想する。
この世界にありえざる温もりを求めて。