第50話 余韻を味わえたら十分だ
あれからパーティーは賑やかに終わった。
「はーすごかったねえ! 酒入ったら最後は総当たりの腕相撲大会になるなんて!」
私が爽快な気持ちで部屋に戻ってくると、王都からの客人ってことで出席していて見ていたエルヴァが苦笑する。
「まさか全員に勝ってしまわれるとは思いませんでした」
「だって身体強化アリじゃなきゃ意味がないって言われたし。なら全力で相手しないと失礼でしょ。エルヴァだってかなりいい線いってたじゃない」
そう、魔法に難癖つけていたおじさん家臣達、それだけ言うなら証明してみせろ、魔法がどんなもんじゃい! っていうので、腕相撲大会に持ち込まれたんだ。
昔は相撲だったらしいけど、それだと興奮した観客と対戦者で会場がめちゃくちゃになるので、場所を限定できる腕相撲になったらしい。
そのための専用台も用意されてるし、妙に使い込まれているしで笑ってしまった。
もちろん踊りとかも演目であったんだけど、村にお邪魔した踊りをちょっと整えたみたいなもので私でも楽しく踊れた。
最後には家臣のおじさん達からもやんややんやと応援してくれて、「次は魔法対策してみせますからな!」と楽しそうに捨て台詞吐かれて解散になった。
ちなみにディルクさんも挑まれていたけれど、最終ボス的な扱いらしく勝ち抜いた人だけが挑戦権をもらえるらしい。
つまり私だったんだけど、ディルクさんに挑戦する前にお開きの時間になっちゃったんだよね。
ちょっとだけ不満だったけど、それ以外は私は今までになく心地よい気分でパーティを終えたのだ。こんなの騎士団での宴会くらいだった。
楽しかったなあと余韻に浸っていると、こんこんと扉を叩かれる。
目顔でエルヴァにどうするか問われて、予感があった私はいいよってうなずく。
予想通り、開いた扉の先にいたのはディルクさんだった。
ディルクさんは、髪だけが少し崩れている以外は正装のままだ。
ただ片手には液体が入った瓶とグラスを、もう片方にはふきんをかぶせたかごを下げている。
「疲れているところすまない、いいか」
「……いいですよ」
たぶん私は、この人と話さなきゃいけないのだ。
エルヴァが退出したあと、テーブルをはす向かいに挟んで座り込む。
ディルクさんが持ってきてくれたのは、ワインと肉が挟まれたサンドイッチが四切れだ。
はんぶんこしようぜ、という数である。
ちょうど小腹が空いていたからすごく助かる!
「酒は飲めるのか?」
「ちょっとはいけますよ」
じゃあ、とディルクさんはグラスにワインを注ぎ入れてくれた。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
ちんと、ワインのグラスを打ち付けて私はワインを傾ける。酸味の強めで疲れた体に染みる気がする。
挟まれている肉はホーンボアのハムみたいだ。噛みしめるほど塩味とうまみが出てきてとてもおいしい。
ディルクさんはあっという間にサンドイッチを食べ切っていた。確かに人と話してばかりで全然食べてなかったもんね。
なら二きれだけじゃ足りないんじゃないかなあ?
と思った私は一きれ食べたあとは、そそとかごをディルクさんのほうに押しやった。
「私は一通りパーティのご飯食べたのでディルクさんがどうぞ」
「ではありがたくいただこう」
ちょっと嬉しそうにしたディルクさんは、残り三きれも変わらないペースで平らげた。
ここのサンドイッチって一つが手のひらぐらいはあるどでかいサイズだから、やっぱりお腹が空いていたらしい。
(なのに、私のところに話しに来たんだ)
なんでそんなことをしたのかは鈍い私にだってわかっている。
「私、ディルクさんに幸せになってほしいんですよ」
ワインを飲むところだったディルクさんは、ちょっとむせた。
ほんのりと頬が染まっているのはお酒のせいだろうか。
でも、ディルクさん普段の食事中でも結構飲んでてけろっとしているから別の理由かな?
まじまじと見ていると、ディルクさんはこほんと、咳払いをした。
「俺も少しは王都で暮らした身だ。君がどうして愛人などを持ち込んだかは、わからなくもない。だが……」
そこで言葉を切ったディルクさんは体ごと、私に向き直った。
「以前君は、俺と家族になることを喜んでくれただろう。俺も、君だから良いと思ったんだ。君以外を妻に迎える気はない」
厳かに、厳然と、聞き間違えることすらないほど明確に言われてしまった。
うろたえて落ち着かない気分で私は視線を泳がせる。
「でも、それだめじゃないんですか?」
「なぜ」
「私、聖女だけど平民だし、跡継ぎとか……」
ごにょごにょと言うと、視界のはしでディルクさんの顔が赤くなった。
えっ?
「い、や、うん。それは正式な結婚後にいずれお願いできたらと思うんだが……いや、なぜ急にそこを気にするんだ?」
なんか、ディルクさん本当に不思議そうだ
もしかしたら私が引っかかっていることがわかっていないのか、とようやく気づいた。
「えと、貴族の男性は女性を複数養う甲斐性が必要で、平民は貴族の跡継ぎを生むもんじゃないって昔聞いたんで、そういうものなのかなって思ってた――んですけどディルクさんは違うんですね」
一国ぐらい粉砕してきたみたいな凶悪な顔になったディルクさんの反応で、私は自分の思い違いに気づいた。
ちょっと待ってグラスが軋んでる軋んでる!
私がうろたえていると、ディルクさんは自分で気づいてくれて空のグラスをテーブルに置いたが、矛先が私に向かう。
「君はどこでそんなことを吹き込まれたんだ」
「え、えっと、昔求婚してきたお貴族サマに……?」
ディルクさんは驚いたようで、目を見開かれる。紫色が綺麗だなあと思いながら、当時の記憶を思い出す。
まだ私が聖女候補だった頃だ。右も左もわからず、ひたすら任務をこなしていたけれど、宮廷作法なんてからっきしだった。
「そんなときに、その人が声をかけてくれたんです。優しくしてもらって、わからないことを教えてもらって、嬉しくて、結婚しようと言われたんですよ。まだ私も子供で、家族がほしいなあと思っていたから良いかなって思うくらいで」
「それは、いくつの頃だ」
「ええと、十四、五歳?」
あ、この話をはじめてエルヴァにしたときと同じ、ドン引きの顔をしている。
いやあ、だってわからなかったんだって。スラムだと私より若くても内縁の夫やら妻やらって当たり前だったから。
十五歳で親を通さず結婚を申し込まれるっていうのが、あり得ないことだって気付けなかったんだ。
「でも、その人の愛人が私のところに乗り込んできて、別れるように迫ってきたんですよ。でその野郎が愛人をなだめてくれたんですけど、そのときに私にこう言ったんです『これからは彼女と仲良くしてやってくれ。だって平民の君ではなく彼女に跡継ぎを設けてもらうのだから』って。要はその野郎は、聖女になるだろう女を飾りの妻にして箔をつけ、実際の妻に産ませるつもりだったみたいなんですよ」
「……は?」
今まで聞いたことがないほど低い声が響いた。さすがに私も驚いて、ディルクさんの顔を見返すと、彼は怒りをみなぎらせて拳を握っている。
「なんだその同じ男とも置けんクズは」
「今は私もそう思います。ちゃんと顔にグーパンして別れました。それがきっかけでまだ訓練終えてなかったのに実戦に投入されたんですよね」
そこそこ有力な貴族の息子だったらしくて、国の保護下にある聖女に粉をかけたのがばれる前に口封じしようとしたのだ。
「まあもちろん聖女になったあとに、また近づいてこようとしたときには、股間を蹴り上げてやったんですけどね」
そのあとに私は第二王子の婚約者になったのだ。
そこで少しだけディルクさんを取り巻く空気が和らぐ。
「自分の手で報復をしたのだな」
「そうです。ただ、私がこれから生きていかなきゃいけない場所は、私がほしいものは手に入らないんだって気づいた出来事だったんです」
優しい言葉が薄っぺらいことに目をつぶったのは、私の中にあった願望のせいだった。
私が遭遇した野郎は極端だったけど、ほかの貴族達も似たようなものだと知ったから、諦めた。
「温かい料理がなくてもいい、お金がなくてもいい。ただ、私が帰って来るのを待ってくれて、怖いところに一緒に行ってくれる。そういう家族が作りたかったんです。だめだとわかっても、だからせめて帰るおうちだけでも欲しいなって」
ちっぽけで、みんなに笑われてしまいそうな。
でもそれが私が一つだけ諦められない望みなんだ。
まだまだ未熟だった頃の失敗だから気恥ずかしくてもぞもぞしていると、ディルクさんと視線が合ってしまった。
なんだか呆れと感心ともつかない顔をしていた。
「……つまり、ルベル殿は、王太子殿下の密約を飲み込んで、たった一人で未知の土地に来て、夫が愛妾を迎えるとわかっていて嫁いできたということか。覚悟が決まり過ぎてないか?」
「えっ、そうですか? でもそういうものだと思ってましたし、領主のディルクさんには跡継ぎが必要だから、なら、いいかーって」
きょとんとした私は、あれっと思った。
深いため息を吐いたディルクさんの顔が赤い。それも真っ赤だ。
「しかも、君にずいぶんな告白をされた」
「?」
「……俺が愛人を持っても、この地にいたいと思ってくれたのだろう? 俺にとっては一番の褒め言葉だ」
指摘された意味がわからなくて、私は一瞬頭が真っ白になった。
次いで勝手に顔が真っ赤になる。
なにも言えなくなっていると、ディルクさんが私のほうへ身を乗り出してくる。
「だが、ロストークの男は一途だ。愛人などいらん。君だけを大事にする」
短い間だけど、ディルクさんが言った言葉は守る人だとよく知っていた。
だから本当にそのつもりなんだとわかる。
「えっとえっといいんですか」
「むしろ俺が君に懇願しなければならないんだ。確実に君には勉学の負担をかけるし、嫌な思いをさせてしまうだろう。それでもこの地になにがなんでも居てもらいたいのだから」
あっそうか、ディルクさんは、精霊の研究と誘致のために私にここに居てもらう必要があるんだよね。
すごく納得しかけてたら、ふと手がなにかに包まれた。
ディルクさんに手を握られたのだ。
剣を日常的に振るってる人特有の硬い手のひらをしていた。
そのまま持ち上げられて、手の甲に温かいものが触れる。
身をかがめたディルクさんの紫の瞳に射貫かれた。
「俺は君がいいんだ。君でなければ嫌だと、思った」
一目で死にそうな殺気だって、魔力の威圧だって何度も浴びてきた。
なのに、まなざしだけのディルクさんにたじろいだ。
「君に隠していることも謝らなければいけないことも多くある。許してくれるかわからないとひるんでいたがもうやめだ。俺は君に泣いてすがってでも家族でいてほしいんだ」
ぐっと握られた手と頬が燃えるように熱い。
ディルクさんが泣いて縋る姿なんて想像つかない、なんてとてもじゃないけど言える雰囲気じゃなかった。
無性に逃げ出したい気分になって反射的に手を引いても、びっくりするほど動かない。
こんなのはじめてだ。
確かにカルブンクスのお屋敷で、私はディルクさんが家族になるんだなって考えて、嬉しいと思った。
でも、ディルクさん自身から望まれて願われてるのは、なにかが違う。
なんだか、そう。
はじめて「家族」というのは、相手がいるって意味なんだと実感が湧いたのだ。
「俺が君の家族になる。だからそんな悲しいことを言わないでくれ」
「う、あ……」
こんな都合のいいことがあるわけない。
だってスラムでなんだかんだ楽しく暮らしていても、無理矢理連れて行かれたみたいに。
聖女騎士団という安心できる場所を手に入れても、最前線へ送り込まれたみたいに。
私が望んでもどうせみんな去って行くんだから、手の届く範囲で満足する癖がついた。
なのに今、ロストークの人達にも受け入れてもらえて、私が帰れる場所ができて、ディルクさんが家族になりたいと言ってくれる。
そんな今までで一番幸せなことがあるのならきっと、壊れるんだ。
固まった私にディルクさんがさらに身を乗り出してくる。なにされるんだろうって思うのに動けなくて。
そのときどんどん! と慌ただしく扉が叩かれる。
体がびくっとなって私はとっさにディルクさんの手を振り払った。
今度は簡単に手をほどけて寂しさとあっけなさに戸惑う。
けれどすぐに気づく。
ここは私の私室で、城の主であるディルクさんがいる中ならめったなことでは誰も割り込んでこないはず。
なのに来たってことは、よほどのことがあるんだ。
立ち上がったディルクさんが自ら扉を開ける。
そこに居たのは真っ青な顔をしたマルクさんだった。
「お、王宮より緊急伝令です。グランナリー地方にて発生した魔獣、人食い樹が天災級に認定! 聖女ルベル・セイント・カルブンクスへの召還命令が出たとのことです!」
ほら、と奇妙な安心感を覚える。
ほら、やっぱり終わるんだ。




