第47話 蛮族伯の過去
ディルクと王太子、カーティスとの付き合いは王立学院時代に遡る。
領主科に通う傍ら、密かに魔法科の受講のために、自習室に入り浸っていたところで、カーティスに声をかけられた。
「そなたがロストークの黒竜か、ちょうど良い休憩に付き合え」
当時はまだ蛮族などとは呼ばれておらず、家紋の竜と称されていた。
一時期、自分がカーティスを呼びつけ脅しているという噂が立ったこともあったが、逆だ。
カーティスが一方的にディルクを探し出して、話しかけてくるのだ。
はじめは次期辺境伯たる自分を自陣に引き入れるためか、と考えていたが、自習室に来ては普通の学生のような他愛もない話をしたり、昼寝をしたりする。
むしろくつろぐ、という単語がお似合いの占領ぶりだった。
なぜわざわざ来るのか、と聞くと、こう返された。
「お前といれば、うるさい者がこない。お前も同じだろう?」
その通りだった。
王太子ともなれば交友関係にも政治が関わる。
ひとときも息が抜けることはない。
それはディルクも似たようなものだが、自分の場合は元の評判から勝手に周囲が遠巻きにしてくれる。
現に自習室の個室は、本来なら誰もが利用して良いのだが、ディルクと鉢合わせたくない学生達によって、ディルク専用という不文律ができていた。
その上次期辺境伯と王太子という組み合わせは、周囲は勝手に勘ぐり遠慮する。
その結果、自習室はカーティスとディルクの唯一の安息地となっていた。
ディルクは、領主科と魔法科を平行して受講する激務の中、容貌の強さも相まって交友関係を広げるどころではなかった。カーティスは数少ない話す相手だったと思う。
カーティスも、息が抜ける場所がないのかと思ったら少しだけ気構えがなくなったものだ。もちろん自分たちにも利害が絡むが、立場としては劣らない。
ただ、自習室にティーセットや菓子まで持ち込むのはどうなのかと思う。
そうして、猫のように気まぐれに来るカーティスに、ディルクの思惑に気づかれるのも当然だった。
「ほう、お前はロストークに魔法を復活させようとしていたのか。ただ宝物を守るだけのでくの坊かと思えば、野心があったんだな」
「別に野心というほどのことでもないだろう」
敬語なんて、この頃には使うことはなくなっていた。
ロストークには未来がない。一次産業は乏しく、収益は貿易に依存している。領地の配下の家門はそれぞれの土地で安穏とし金を稼ぐことにしか興味がない。領民たちは魔獣達におびえながら、日々の生活で手一杯だ。どうあがいても衰退しようとしている。
過酷な地に住み続ける誇りはある。
しかし精霊に見捨てられた、というその一点はロストークの民にとって、一生涯抱える黒い染みだった。だから、思ったのだ。
「俺は、ロストークに誇りを取り戻したいだけだ」
「本音は?」
カーティスはだらしなく長椅子に寝そべりながら、にやついた顔で催促する。
閉口したディルクは腕にある精晶石の腕輪を無意識に撫でた。
「自分の好きに、胸を張りたい」
ロストークで魔法は禁忌に近い。
王都で自在に使えていた魔法が、帰郷したとたん一筋も使えなかったときに、ディルクはこの問題の根深さを痛感した。
土地で使えなければ、恩恵などわかるわけがない。
だが、ディルクがはじめて魔法を使ったときの感動が胸に焼き付いてもいる。
精霊に触れ、彼らが引き起こす神秘に魅せられた。
ディルクは領主になることが決まっていて、魔法のない地に生涯縛り付けられる。
ロストークに居る限り、魔法への興味を隠して生きるしかない。杖とわからないように作った腕輪が象徴だった。
ならば、ロストークを変えるしかないのだ。
「まともかと思えば、存外お前も魔法使いだな」
「なんだそれ」
「魔法を極める者は、大抵魔法と精霊に取り憑かれている」
苦笑するカーティスの意味がよくわからなかったが、彼に続けられた言葉に気をとられる。
「なら、私につけ」
「?」
長椅子から身を起こしたカーティスは、先ほどまでのけだるさなど一切なくディルクに向き合った。
「精霊を呼び戻す研究をするなら、必要な人材があるだろう。お前が望むものを送ってやる」
暗に示される者が、聖女、聖人のことだとディルクにはわかった。
極めた魔法使いでもなかなか見ることのできない精霊を肉眼で見て意思の疎通ができる。
精霊に好かれ、研鑽を積んだ魔法使いなど敵わない存在。
彼らが好かれる理由がわかれば、ロストークに精霊を招けるかもしれない。
だが聖女達は全員王家が管理、もとい保護しており、容易には手を出せない。
それをカーティスが解決してくれるのであれば願ってもなかった。
しかし、ディルクは己の立場を忘れていなかった。
カーティスに向き直ったディルクは、悠然と指を組んだ。
「俺に協力を願わなければならないのは、あなた様のほうでは? ロストークはそう安くはない」
「言うじゃないか」
王としての資質は申し分ないカーティスだが、第二王子エミリアンを担ごうとする派閥にはずる賢い者が多いと聞く。足を掬われる可能性はゼロではない。
北を守るロストークを味方につければ、勢力図は大きく変わるだろう。
だからこそロストークは今まで一切王位争いに関与してこなかった。
ディルクの一存でどうにかできるものでもない。
それはカーティスも同じなはずだ。今の彼に聖女を動かす力はない。
じっと睨むと、カーティスはかえって闘志が焚き付けられたようだ。
「ならば、今はお前が魔法使いになれるよう、私が便宜を計らおう。ロストークの名では、論文を出すのもままならないだろう?」
「……」
「そして私が聖女を送り込めたときは、私の味方になれ」
そんな一方的な約束を取り付けられたのだ。
実際、カーティスの口利きで、ディルクはロストークではなく「アウルズ」として魔法使いの試験に合格した。
そして、彼は約束を守り「嫁」という形で聖女、ルベルをロストークへ送り込んできたのだ。
ロストークと王家のつながりなどみじんも匂わせずに、さりとてディルクには真意がわかる。本気だったのだと少々驚いた。
だがこれ以上ないほどのチャンスで、だからディルクも腹をくくった。
己が「魔法使い」でいるために。なんでも利用しようと覚悟した。
……そこに、後悔はない。
なのに、ルベルを見るたびに、言葉を交わすたびに、思う。
彼女に隠さず、真正面から、己の望みを語れなかったのかと。




