第39話 一触即発にも意味がある
そういうわけで、ネージュ城にエルヴァが滞在することになった。
「カーティス殿下の思惑はわからないが、君が領地経営にまつわる知識を学べるのであれば、願ってもないことだろう」
と言ったディルクさんの苦笑いには、なんとなく親しみがこもっている気がする。
もしかしてカーティス殿下とそこそこ面識があったりしたのかなぁ。
そんな感じで首をひねっていた私だったが、翌日からそれどころじゃなくなったのだ。
「ルベル様、目下の者の挨拶に応じるときはどうなさいますか」
「え、えっと、同じだけ頭を下げる?」
「いいえ、答えはうなずく程度、むしろ目だけで応じるだけで良いのです。以前から思っておりましたが、ルベル様は聖女であるだけでなく、ロストーク辺境伯夫人、そしてカルブンクス子爵であられます。そうそう頭を下げる場面はございません」
今日もきっちりと騎士服であるジャケットとズボンをまとったエルヴァは、きりりとした姿勢で、実際にしてみせてくれる。
えっそんなつれないお嬢さんみたいな態度で良いの!? それが「礼儀に適う」なら、第二王子とか顎突き上げるみたいな感じなの、間違いじゃなかったんだ。
いやでもあれするのは嫌だな……。
「では次です、従者に案内される際のあなた様の立ち位置は?」
「えっと横?」
「違います。従者の利き手……つまり右手と反対の二歩下がった位置で歩くことです。特にルベル様は、貴婦人としての立ち居振る舞いはほとんど授業を受けていらっしゃいませんでしたね? 実践で覚えましょう。まずは歩行訓練から!」
「はい!」
私は最敬礼で、エルヴァの言うとおりに歩き出した。
そう、今、私は貴婦人教育というものを受けていた。
頭の下げ方や歩き方に会釈の仕方、ご飯の食べ方やら、ティーカップの持ち方まで多岐にわたっていた。
今までのんびりしていた日々からは考えられないほどめまぐるしくみっちり、エルヴァがつきっきりで私の立ち居振る舞いを見守っている。
「聖女として必要なことでしたが、任務ばかりで時間をとれませんでしたから。時間はありませんが、私のできるすべてをかけて、あなたをどこに出しても恥ずかしくない貴婦人に仕立ててみせます! ルベル様、歩幅が大きいですよ!」
「はい、先生!」
「声は張らなくてよろしい! それからキビキビしすぎです。もっとたおやかにしてください」
たおやかってなに!? と思いながらも、私は一生懸命たおやかっぽい歩き方で勉強室としてしつらえられた応接間の端から端まで頑張ってみる。
私も結構体力あるほうだと思っていたけれど、淑女の仕草ってものすごく繊細で細かくて難しいよ……!
赤髪をきっちり結い上げた私が、唸りながらもきれいな所作を再現していると、サリアが声をかけてきた。
「ルベル様、旦那様がいらしておいでです」
「ディルクさんが!?」
少しだけ困惑の色が強いサリアの言葉に、私はぴょんっと反応しかけて、頭に乗せていた本が落ちかけて慌てた。
なんとか落とさずに済んだあと入り口を向くと、確かにディルクさんが紫のまなざしでこちらを見ている。
「休憩の時間にして良いのではないか、と思って迎えに来た」
「えっ?」
私が驚いて時計を見ると、おやつの時間だ。
わあ!? お昼ご飯終わったあとからぶっ続けだったんだ!
自覚するとぐう、とおなかが鳴るのが部屋に響いてちょっぴり決まり悪い。
「別室にお茶の準備をしております」
「行く行く! ……あエルヴァ、いい?」
私が伺うと、エルヴァはディルクさんに視線をやっていた。
ちりり、となにか殺気に似た圧を感じる。
けど私を向いたときにはいつも通りだ。
「ええよろしいでしょう。ではティータイム時の作法の訓練にいたしましょうか」
うっやっぱり続くのか。でも、お茶とお菓子が食べられるのならよし!
と、私が思っているとディルクさんがすいと近づいてくると、黒髪に彩られる紫の目で、エルヴァを見下ろした。こんなに大柄なのに相変わらず動くのが静かだ。
「あまり根を詰めすぎても成果は上がるものではないだろう。お茶の時間くらいはゆっくりしないか?」
サリアも控えめに、でもしっかりうなずいている。
そういえばここ数日ご飯の時間もお茶の時間もマナーの練習だったな。
前はエルヴァと居るのがあたり前だったから、全然気付かなかった。
ディルクさんとエルヴァがまともに顔を合わせて話をするのはこれが初めてかもしれない。
声自体は穏やかでも悪人面で圧を覚えるだろうディルクさんの言に、エルヴァは全くひるまず、むしろ眉を寄せて睨みあげた。
なぜか火花が散った気がした。えっ。
「むしろ私が伺いたく存じます。ルベル様に辺境伯夫人としての教育を行っていないご様子なのはどういうことでしょうか」
ディルクさんは少し怪訝そうにする。
「どういうこと、とは」
「なんでもネージュ城では、秋の収穫が終わるころに臣下達を招き、結束を高める夜会が開かれるそうですね。順当に行けば、婚約者としてお披露目をする場としては最適でしょう。もう二週間後に迫っているにもかかわらず、リハーサルの相談や作法などの教師をつけず放置されていらっしゃるのは、ロストーク辺境伯様のご意向でしょうか、と聞いております」
そういえば、エルヴァが来る前に、サリアに寸法と衣装について相談されたな?
流行なんてわからないから、動きやすければなんでもいいよ! ってたのんだきりだったけど。もしかしてそれ以外にも準備が必要だったのか?
私がえって顔をしたのに、エルヴァのまなざしがさらに険しくなった。
「夜会の準備は本来なら女主人の役割です。未だ婚約者であるルベル様に任せられないとされるのはまだわかりますが、ロストークの流儀を教えないまま夜会に出すなど、ルベル様を正式な婚約者として扱う気がないという意思表示ともとれます」
エルヴァの口調はちゃんとたおやかだったけど、表情は赤々と燃えさかる炎のような激しさを宿していた。
すごいそうすればいいのかと思わず感心しちゃったけど、すぐに我に返った。
今さらだけど、エルヴァが怒っていることが、よーくわかったからだ。
「エルヴァが突貫で教えようとしているな、って思っていたけど、私が馬鹿にされないようにするためだったんだね?」
「ええ、宮廷の作法を完璧に身につけていれば、どのような夜会でも礼儀に適った振る舞いとなりますから」
ディルクさんも、面と向かって喧嘩を売られていることを理解しただろう、少し戸惑いがちながらも目を細めた。
「そのような意図はなかった。ルベル殿にはきちんと時間をとって教育をと考えていたが、彼女の厚意に甘えて領地の巡回を優先していただいたのだ」
「そうだよエルヴァ、大丈夫! 収穫期だから、精霊達を村に招待してたの!」
夜会も顔を出して、挨拶するだけって聞いてたし、春の結婚式がお披露目の本番だからって別に頓着なかったからいいよって言ったのは私なんだよ!
これはけしてディルクさんが悪いわけじゃないと、私が弁護するとさらにエルヴァの顔が険しくなる。
「“聖女”を利用されているということですね」
あっだめだ、エルヴァの一番許せない部分を踏んでしまった。
昔から、エルヴァは私が馬鹿にされるのをすごく嫌っていて、私よりも怒っていた。
今の私はエルヴァにとって「大切にされていない」判定になったのだろう。
このままじゃいけない。
サリアが言い返したいのを堪えて震えているし、ディルクさんを取り巻く空気も重いものになり始めてる!
さすがにこの不穏さがわかった私は、急いでディルクさんの腕をとった。
「あー! 私お腹空いたなあ疲れたなあ! お茶にしますしましょう! サリア、お茶どこ!」
「こ、こちらです!」
「じゃあエルヴァ三十分だけ休憩してくるね。じゃっ!」
私は早口でエルヴァにそう言うと、ディルクさんの腕を引っ張って急いで待避したのだ。
あまりに必死だったものだから、エルヴァが酷く驚いた顔で見送る視線には気づかなかった。




