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紫苑

作者: なつかげ

「夕陽先輩、聞いてます?」

 不満げに後輩の牧野が私の顔を覗き込む。バイト帰りにシフトがかぶっていた牧野とカフェを訪れ、ガールズトークに興じていた最中だった。牧野の話がバイトの同僚の噂話に流れたところで少し興味が薄れ、少しぼんやりしながら話を聞いていたのだった。えっと―

「ごめん。なんだったっけ。」

 もう、とつぶやくと、牧野は神妙な顔つきで告げた。

「ナルが狙った女子と同じシフト入れて、バイト終わりに『夜のホームセンター』に連れて行くって話ですよ。やばいでしょう?」

 そんなにパンチのある話だったっけ。

 ナルとは、私と牧野のアルバイト先の先輩だ。勤続年数が長く、見た目も悪くないので皆に尊敬されていると思いきや、自慢話やマウントが鬱陶しい、仕事が遅い、バンドを組んでいるとか資格を取るために勉強中とかいうわけでもなく「20代後半でファーストフード店のアルバイト」というステータスのため、プライベートで関わりたくないと思っているバイト仲間がほとんどだが、本人はあまり好感をもたれていないことに気づいていないようだ。勿論、影で呼ばれているナルというあだ名はナルシストが由来である。

 牧野の夜のホームセンターという言葉も、ナルが狙った女性と仲良くなるために選んだ場所が夜のホームセンターというハイセンスな発想もおかしく、私は人目も憚らず大爆笑してしまった。牧野自身は自分の言葉の選び方が面白いと思っていないようで、首をかしげている。

「もう。夕陽先輩、笑ってないで。本当にやばいんですから。」

 牧野はそういうが、めちゃめちゃおかしい。逆に興味がわく。下手をするとバイト先に悪い噂が立ってしまうかもしれないというリスクを犯してバイト終わりに女性を誘って出かけているのに、何故わざわざ蛍光灯の明かりが煌々と灯っているホームセンターに行くのか。二人で工具を見て回って会話が続くのか。「この大小ずらりと並んだネジはロマンチックだね」とでも言うのか。それとも女性に延々と工具の使い方の説明をするのか。

「いい感じに眠くなりそうだよねえ、仕事終わりだし。安眠効果があるのかなあ。」

「何言ってるんですか、先輩。寝たら終わりですよ。」


*************************************

 

「夕陽ちゃん、僕の話聞いてる?」

 いきなりちゃん付けで呼ばれたことにイラっとし、我に返った。えっと―

「あぁ、すみません。今日忙しかったからか、ボーっとしちゃって。」

「ごめんごめん。今日は忙しかったもんね。夕陽ちゃんいい動き方してたよ。」

 実際のところ、ナルの話が退屈であったため、「はあ」とか「ふむ」とか適当な返事をしていたのであった。何とかその場を取り繕えたことにほっとする。

 私はあの後、夜のホームセンターについてのオモシロ妄想が止まらず、わざとホームセンターに連れて行かれるように仕組んだのだ。面倒見のいい牧野は能天気な私の提案に反対していたが、同僚たちが本当に危ない目に遭っていないのか、という点については心配である。きちんと防犯グッズは身に着けることを条件に、牧野も協力してくれることになった。

まず、ナルとバイト終わりの時間をかぶせる。そして、ほかの女性スタッフにはナルと終わり時間をかぶせないこと、バイト中はナルに冷たく接してもらうように呼びかけた。夜のホームセンターの噂は女性スタッフの間で怪談の如く広まっており不安に感じている者も多かったため、ナルに危険性があると判断した場合は遠慮なく警察に突き出すと聞いた女性スタッフたちは快く協力してくれた。

 そんな女性スタッフたちの策略を露知らず、なんとなく私以外の女性スタッフが自分に冷たいことを察したナルはまんまとバイト終わりに誘ってきた。今、私はナルの車に乗っている。実際好きでもない男性の車に乗るのは少し怖かったが、カバンにはサボテン型のストラップを装ったクソデカブザーの防犯グッズ、右ポケットにはスマホと万全の体制をとっている。

 期待通り、車はバイト先で一番近くのホームセンターに到着した。店に入り何の変哲もない工具を見ていると、「俺、実は工学部だったんだよ。この工具は前使ったことがあってさー。」と聞いてもいない大学時代の話を始める。ナルにとって、ホームセンターはかつての栄光である工学部時代のアピールができる格好の場所だったのだ。そしてたまたま最初に来た女性スタッフが「すごい」とか「さすが」とかと褒めてしまったがためにナルの承認欲求を満たし味を占めたのだろう。褒めて褒めてといわんばかりの工学部エピソードに「はあ」とか「ふむ」とか言いながら回っていた。そのとき、

「―いた。」

 確かに、聞こえた。ナルの声ではない。もっと落ち着いた気だるげな声。声がする方向へ目を向けると、ペットコーナーの黒猫と目が合った。美しい金色の目をしている。私は黒猫のほうへ吸い寄せられるように歩いていく。

「夕陽ちゃんどうし」

 突然ペットコーナーへ向かっていく私の様子がおかしいと思ったのか、工学部エピソードを中断したナルが話しかけてきたが、その声が突然途切れた。振り向くと、ナルの身体が、ペラペラになって浮かんでいた。

「探したぞ。ずっと待っていた。」

 ふわりと、端正な顔立ちをした黒衣の青年が降り立った。先ほどの黒猫と同じ、美しい金色の目をしていた。


****************************************


「おい、お前。俺の話を聞いているのか。」

 思っても見なかった展開に固まっていたらしい。おそらく人間ではないであろう青年が苛立ちのこもった声で我に返る。えっと―

「あの、これは、どういう仕組みで…?」

といって、ペラペラ音を立てて中を浮いているナルのほうを指差す。

「あぁ、邪念を払っただけなのだがな。」

「邪念ですか。」

「邪念しかなかったんじゃないか。」

「なんてこと言うんですか。」

ぺらり。青年がナルをつつくと、ナルは視界外に流れていく。

「あの男からお前の匂いがしたから、邪念を利用したのだ。女をここに連れてこいと、術をかけていた。」

 術!?夜のホームセンターの謎にとんでもない真実があったことに混乱する。これじゃ本当に怪談じゃないか。

「あの、というか、何故私を…?」

「覚えていないのか、お前。」

 ため息をつきながら、「まあ、人の世は時間の流れが速いというからな。」とつぶやくと、ハンカチをこちらに突き出してくる。

「返しにきた。要らぬというのに、傷口に押し当ててきただろう。」

記憶の隅々まで呼び起こしてみるが、青年のことも誰かの傷口にハンカチを当てた記憶もまったくない。出会ったばかりの彼は人間でなくても、どこか気だるげでつっけんどんな物言いをしていても、なんだか好感を持っていたため、期待にこたえられずなんだか申し訳ない気分になる。

「いえ…、私のものではないですし、本当に覚えがないんです…。ごめんなさい…。」

 神妙な口調に青年も嘘をついていたり、忘れてしまったわけではないのだと思ったようだった。しばらくじっと私の顔を見つめていたが、やがて「そうか、本当に早いな。」とつぶやくと、美しい金色の目を細めて悲しそうに笑った。彼は私の手を取ると、ハンカチを握らせた。

「そうか。人違いをして悪かったな。だが、それは俺には必要のないものなんだ。お前が持っていてくれ。」

 先ほどまでの気だるげな口調とは違う、とても優しい声であった。


*****************************


「シーオーンー。聞いてる?」

 私は飼い猫のシオンに話しかけていた。聞いてないな、と顔を覗き込むと、シオンはもう眠っている。

 あの後気がつくと、黒衣の青年はいなくなっていた。夢を見ていたのかと、自分の記憶が信じられなかったが、渡されたハンカチは掌の中にあった。

 すこし古めかしい柄のハンカチはうっすらと血液のあとのような茶色いシミがあったが、大事に預かっていてくれたのだろう。とても綺麗だった。ハンカチには「SHINOBU」と刺繍が入っていた。しのぶは、亡くなった祖母の名だ。

 ナルは身体は元通りになっていたが、なんだか呆けた様子ですぐに解散となった。次の日バイトに来たナルはとても様子がおかしかったと、牧野が言っていた。その日を最後にバイトを辞めてしまい、ナルの近状は誰も知らない。仲間内では私がこっぴどく説教をして改心させたということになっているらしいが、青年が邪念を払ったことで彼の中のバランスが崩れてしまったのかもしれないと思っている。

 翌日私はあのホームセンターを訪れた。もともと動物好きであった母から快諾されたため、私はあの黒猫を家族として迎えた。間違いなく同じ猫ではあるが、金色の目の輝きが違うような気がして、もう青年はこの黒猫の中にはいないのかなと思った。でも、それでもよかった。「シオン」と名づけた彼はとてもよく懐いたし、私も母もシオンを溺愛していて二人の会話はシオンのことばかりだ。

 シオンは毎夜、私と同じベッドで眠る。眠くなるまでの間、今日あった出来事や、祖母の話をするのが日課だ。シオンは大抵すぐに眠ってしまうが、時折金色の目を細めて笑っているような顔をする。

 私も今日はもう寝ようと、電気を消した。眠りに落ちる直前に「聞いているさ。」と、優しさに満ちたあの声が聞こえたような気がした。

 

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