第87話 自覚(後編)
中庭にいたのは、レオンとセシリアで間違いなかった。
そのレオンが跪いてセシリアの手の甲にキスしているは、まるでおとぎ話の王子がお姫様に愛を囁くワンシーンを切り取ったようだ。
そんな光景を見て、マリアは激高した。
「ちょっと、何アレ!?」
そのまま鼻息荒く、二人に向って行こうとするマリア。
私は慌てて彼女を止める。
そして、抵抗する彼女の手を引っ張るようにして、その場から離れた。
*
レオンとセシリアからずいぶん離れたところで、マリアが私の手を振りほどいた。
私の背に向って、彼女は大声で抗議する。
「ねぇ!どうして逃げるの?レオン様のこと、放っておいて良いの?」
「今、彼らと接触するのは良くないです」
「でも、レオン様があの女にっ!!」
「レオン様が魅了されているなら、なおのこと。彼に接触するのは危険です。私たちが敵う相手ではありませんから」
「なんで、そう冷静でいられるのよ!」
マリアはさらに声を荒げた。
「あなた、レオン様のこと心配じゃない――」
彼女は私の顔を覗き込み、ハッとした表情で押し黙る。
それから、ポツリとこう言った。
「その……ごめんなさい」
「どうして、マリアさんが謝るんですか?」
「だって、あなた……泣きそうな顔しているじゃない……」
マリアの指摘に、「そんなことないですよ」と私は強がりを言えなかった。
おそらく、酷い顔をしているだろうと、自分でも分かっている。
まるで胸が潰されそうな気持ちだった。
頭の中が真っ白になって、目の前の現実を拒否しようとしている――それを少し残った理性が押しとどめていた。
ショックを受けている場合ではない。
私は自分にそう言い聞かせ、冷静を保とうとする。
「とにかく、ルネさんのところへ行きましょう」
まだ頭を殴られたようなショックが尾を引いていたが、私はなんとか第二会議室にやって来た。都合の良いことに、その部屋ではルネが一人で書類作業をしている。
彼は突然現れた私とマリアに、目を見開いて驚いた。
「どうして、あなたたちがここにっ!?」
「そんなの、どうでもいいです!レオン様のこと、いったいどうなっているんですか!?」
マリアが問い詰めると、ルネは戸惑った表情を見せ、それからしばらく黙り込んだ。
やがて彼は眉をひそめて言った。
「見ての通りですよ……」
「それって、レオン様まであの女に操られているっていうの?どうして?レオン様は耐性が高いんじゃ……」
「それ以上に向こうの術が上手だったということです」
ルネの表情は深刻だった
「今の騎士団は危険です。お恥ずかしい話ですが、どれくらいの団員がセシリアさんに取り込まれているのかも把握できていません」
「とりあえず、私がレオン様を白魔法で治すというのはどうです?」
「マリアさん、それはダメです。今の状態のレオン様に接触すること自体、危険なんですから」
「じゃあ、レオン様をあのまま放っておくって言うの!?」
私が思っていた以上に、事態は重大な問題に発展しているようだ。
もしかしたら、これは騎士団だけで解決できないのでは――そんな疑問がよぎった。
私はルネとマリアの会話に口をはさむ。
「このこと、レオン様の御父上――つまり、領主さまはご存知なのですか?」
私の問いかけにルネは頷いた。
「はい。すでに領主さまには報告済みです。レオン様は実のご子息でもありますから、迅速に対応していただけるかと」
「そうですか……」
それは不幸中の幸いだった。
まだ安心はできないが、領主が介入してくれるのなら問題解決の望みはあるだろう。
「どうかレオン様のことは、領主さまと私たちに任せておいてください。繰り返しますが、今の騎士団は危険なんです。どこにセシリアさんの配下の者がいるか分かりませんからね。ジャンヌさんとマリアさんは、騎士団にはくれぐれも来ないように――」
「あ、あのっ!……それで、ウィルの件はどうなってますか?」
緊張した面持ちでマリアがルネに尋ねる。
そうだ。そもそもレオンとの約束を破ってまで騎士団に来た一番の目的は、ウィリアムの安否について続報がないか、確かめるためであった。
しかし、ルネは首を横に振った。
「相変わらず、行方不明のままです」
それを聞いて、マリアはがっくりと肩を落とす。
「ウィリアムのことも我々に任せてください。何かあれば、こちらから連絡します」
「でも……」
「もしどうしても、私に連絡したい場合は……そうですね。大衆食堂『バイザウェイ』の女将に伝言を頼んでください。女将には、こちらから話を通しておきますから」
これ以上、この件に関わらないこと。騎士団には近づかないこと。
そうルネから何度も念押しされ、私とマリアはそっと騎士団を後にした。
*
店に帰ってきた私とマリアを見て、母やニナは大いに驚いた。
「どうしたの?あなたたち、酷い顔よ。いったい何があったの?」
けれども、私は母の質問に答えられなかった。
母たちが心配してくれているのは分かるが、まだ自分の口から説明できそうな気分じゃない。頭の中がこんがらがっているのだ。
とにかく休みなさい――その母の言葉に、私は大人しく従うことにした。
今の精神状態で仕事をしても、ロクなことにならないだろう。
私は一人で自室に戻り、ベッドの上に腰を掛けた。
レオンがセシリアの手の甲にキスしているところ――その光景が嫌でも頭の中で繰り返し浮かぶ。
それだけ私にとってショッキングなことだったのだろう。
そして、どうしてこんなにも動揺しているのか……恋愛経験値ゼロの私でもさすがに分かった。
私はレオンが好きなのだ。
いったい、いつの間にこんな事になってしまったのか。それとも、以前から好きだったが、ソレに気付かなかっただけなのか。
どちらかは不明だが、こんなタイミングで自分の気持ちに気付くとは……。
「最低最悪の気分だ」
私は自嘲気味に笑った。
ショックを受けている一方で、私の中ではドロドロとした感情が渦巻いている。
たぶん、きっと……いいや、間違いなく。
これは嫉妬という感情なのだろう。
以前、私はレオンの才能に嫉妬していたわけだが、ソレと今回のモノは似て非なるようだ。
前の嫉妬には羨望の感情が込められていたが、今回のは違う。もっと暗く、ネガティブなものだ。
こんな感情、気付かずに済むのなら一生そのままでいたかったと心底思う。
そしてもしも、レオンの魅了と洗脳がこのまま解けなかったら……。そう想像すると、私の胸は潰れそうになり、黒い感情はどんどん膨らんでいった。
さらには、
――たとえレオンの洗脳が解けたとしても、セシリアはあれだけ美人なのだから……。レオンが本当に彼女を愛してしまう可能性もあるのでは……?
そんな考えまで頭の中にわいてきた。
まさに負のループといった感じで、どんどん自分の感情がネガティブな方向へ引きずられていく。
そんな風に私がどんより落ち込んでいたとき、ノックの音がした。
「私だけれど」
マリアの声だ。私はどうぞ、と彼女に応える。
部屋に入って来たマリアは、少し神妙な顔をしていた。
「大丈夫なの?」
「うん。心配してくれてありがとう」
「別に心配なんかしてないけれど」
そう、言って口を尖らせるマリア。
どうやら彼女は私を気にかけてくれているようだ。自分だって、ウィリアムのことで気が気じゃないだろうに。
「あのさ。心配することないわよ。ルネさんや領主さまが何とかしてくれるわ。ウィリアムは無事だし、レオン様の洗脳も解ける。そしたら全部元通りよ」
「うん……」
そうなれば、どんなに良いだろうか。
しかし、今の私はあまり楽観的な気持ちにはなれない。
そんな私の胸の内を読み取ったのか、マリアは焦れたように声を上げた。
「言っておくけれどね。私はあなただからレオン様を諦めたの。あんな女のために諦めたんじゃないわ」
「えっ…」
「だから、しっかりしなさいよね!」
それだけ言ってしまうと、マリアは乱暴にドアを閉めて、部屋を出て行った。
残された私はポカンとする。
ただ、マリアの激励に少し心が救われた気がした。




