第4章 三日目 002
二階でノックの音と呼びかける声が聞こえたが、そう時間もたたずに、彼女は一人、小走りで戻ってきた。
「どうしたんですか?」
食堂入り口の一番近くに座っていた僕は、その青い顔に驚いてしまう。
「部屋に誰もいないの」
「部屋に?藤田さんの部屋の中にですか?」
一瞬、彼女の言っていることが理解できなかった。藤田さんは昨夜から「ずっと自室で寝ている……」そう思い込んでいたからだ。
「鍵が開いてたから、中を覗いたんだけど」
「じゃあ洗面所で歯でも磨いてるんじゃ」
村上さんが軽く言うが、
「男性用場も、もちろん覗いたけれど、誰もいなかったわ」
あっさりと否定された。食堂の中の空気が一気に張り詰め、照明の明るさが一段階暗くなったように思われた。この場の全員が、一刻のうちにギュッと、緊張したのがわかる。
「もう一度、部屋に行ってみましょう」厨房への入口から心配そうに伺っていた竜二さんが、エプロンを外しこちらに出て来た。
「そうですね、行きましょう」
返事を返すことができない海洋大の面々に代わり、三輪さんが答え立ち上がった。
皆でゾロゾロと二階へ向かう。胸騒ぎがするのは気のせいだと思いたい。藤田さんの部屋は階段の正面だ。今はドアは閉まっている。
「アオイ、洗面所を見てこい! あと高遠さん、女性用を」三輪さんの指示に僕と高遠さんが同時に頷き、洗面場へ駆け込んだ。しかし中には誰もいない。用具入れの中も覗いてみるが何も見つけることはできなかった。背後で竜二さんの大きな声が聞こえる。
「藤田さん? ドアを開けますよ!」
ドンドンとドアを叩き、室内の確認を取る。ペンションのオーナーとして、宿泊客がいる部屋の扉を、勝手に開けるのは気を使うのだろう。僕が洗面場から出ると、ちょうど隣の女性用場から高遠さんも出て来た。お互いに顔を見合わせ首を横に振る。
「これはおかしいですね。ドアを開けます」
竜二さんの宣言に、三輪さんが代表して頷いた。やはり、鍵は掛かっていなかったようで、ノブを軽く捻るだけでドアは開かれた。
「誰も、いない」
竜二さんに続いて、三輪さん、そして僕や村上さんが中へと入る。ベッドの上に寝た痕跡はあるが、藤田さんの姿はない。三輪さんが部屋の奥まで行き、カーテンをザッと開いた。部屋の中が少し明るくなる。竜二さんがトイレを確かめるが人の気配はない。村上さんがクローゼットを開き、僕はベッドの下を覗いてみるが、そんなところに人がいるわけもない。部屋の中には誰もいなかった。
「伊藤くんのことで、落ち込んでいたから」
ドアの外で、飯畑さんの絶望したような声が聞こえた。
「とにかく探しましょう」
三輪さんが窓辺から、こちらを振り返る。
「どこを?」
「まずは自転車置き場?」
僕と村上さんが言葉を交わす。やはり、昨日のことが頭をよぎった。昨日は伊藤さんを探して自転車置き場へ向かい、自転車が一台無いことを発見した。今回はどうであろうか。
「一台減ったから、今自転車は七台のはず」
階段を降り玄関を出たところで高遠さんが呟く。雨の中、駐輪場へと小走りで向かう。建物の角を曲がると自転車置き場が見えた。
「全部……あるわ!」素早く数えたのだろう、水戸さんが嬉しそうな声を出すが、全部あったところで、藤田さんの行方は不明のままだ。
「確かに全部ありますね」
「竜二さんの車は?」
僕の質問に竜二さんが指差す先、ガレージには、ワンボックスカーが停まっている。
「とすると、藤田さんはどこに……」
「とにかく、探さないと!」
「いやダメです。少し落ち着きましょう」皆が一斉に駆け出そうとするのを、三輪さんが手で制した。
「どうして、なぜ落ち着くのよ! 藤田くんにもしものことがあったら!」
緊迫した面持ちで飯畑さんが、三輪さんに食いかかる。
「わかります。わかりますが、落ち着いてください。この雨です。台風も近づいている。全員で無闇に動くと危なすぎます」
「じゃあ、どうしろって言うのよ」
苛立たしげに声を荒げる飯畑さんを、先輩は精一杯の冷静さで宥めようとした。しかし昨日の事故に続いての、このトラブルに彼女の精神は疲れ果てていた。
「今は、藤田くんを探すのが大切なんじゃないの。彼は伊藤くんのことで心を痛めていた。こんな雨の中、どこにいるのか……」
苛立ちと不安に押し潰され、ついに彼女はその場で泣き崩れてしまった。
「すぐに、すぐに探しに出ます。ただいったん中に戻りましょう。みんな濡れすぎや」
「そうですね。一度、食堂へ戻りましょう」
竜二さんも三輪さんに同調する。雨脚は明らかに激しくなっていた。全員が当てもなく方々へ探しに出るのは確かに危険すぎる。




