6.ウィルバートの企み
「おい、ロリコン王子!」
ドアから顔を覗かせたアーノルドが揶揄うような声でわたしを呼ぶ。
どうやらアーノルド達騎士団の所にもわたしの噂が広まっているようだ。王宮内では皆がわたしをロリコンだと噂していると言ったアナベルの言葉は、大袈裟ではないのかもしれない。
ここで「なんだい」と笑って返事をすると、ただでさえイラついているルーカスに火をつけてしまう。とりあえず無視して作業を続けるのがベストだ。
私の友であるアーノルドはいつものように勝手に部屋へ入ってきた。そしてこれまたいつものように一人で飲み始めるだろう。
想像通り、わたしが山積みの書類全てに目を通し終えた時には、アーノルドの前にワインの空瓶が2本並んでいた。
アーノルドの向かいに腰掛けると、わたしのグラスにも赤ワインが注がれていく。
結構な勢いで飲んではいるが、アーノルドは全く酔いがまわっている様子はない。
「今日も一日お疲れさんでした」
アーノルドのかけ声で、二人同時にグラスに口をつけた。軽い口当たりのワインが疲れた体に染み込んでいく。思わずほぅっと息を吐き出した。
「ウィルバート、お前プロポーズして断られたんだってな」
わたしが振られた事が、そんなにもおかしいのか!
アーノルドは腹立たしいほど楽しそうに声を出して笑っている。
「お前のプロポーズを断る女なんていたんだな。異世界からの客人なんだろ? どんな女なんだ?」
異世界からこの世界に迷い込んだとされる人物は『異世界からの客人』と呼ばれている。
今までにも何人かの客人がいたとかいないとか。異世界からの客人という存在が事実なのか作り話なのかすら分からない。わたし自身、アリスと出会うまで異世界なんて全く信じてもいなかった。
「とっても可愛らしい子だよ」
アリスの恥ずかしそうに笑う愛らしい顔を思い出すだけで、心に光が差し込んでくる。
今までに見たことのない漆黒のストレートヘアは何とも言えず艶っぽい。それなのに色気よりも可愛らしさを感じるのは、眉上で短めに切りそろえられた前髪のせいだろう。
アリスから年齢を聞くまでは、だいぶ年下かと思っていたけれど、まさかわたしより年上だったとはね。ふっと口元に笑みが浮かんだ。
「あれは可愛らしいというより、ちんちくりんと言った方が正しいのではありませんか?」
それまで黙っていたルーカスが口を挟んだ。相変わらずアリスのことが気に入らないらしい。
特に今のルーカスは、アリスのせいでわたしが皆からロリコン扱いされたとひどく憤っている。
本人であるわたしが全く気にしていないにも関わらず、ルーカスの怒りはおさまる気配すらない。
「この国にはキャロライン様をはじめ、王太子妃にふさわしい教養と外見を備えた方がたくさんいらっしゃいます。それなのに、なんだってあんな小娘を……」
ルーカスは納得いかないというように首を横に振った。こうやって独り言をわたしに聞こえるように言うのはやめてほしいものだ。
わたしだってルーカスの言うことは分かる。たしかに王太子妃候補として紹介されてきた女性達は皆美しく、教養が備わっていた。それでも彼女らには全く心惹かれないのだから仕方ないじゃないか。彼女達の愛想笑いや猫撫で声、わたしの機嫌をとるような態度にはうんざりだ。
「きっとアリスはわたしの運命の女性なんだよ」
小説で『出会った瞬間にビビっときた』っという言葉を見かけるたび、出会った瞬間に相手の何が分かるんだと思っていたが……
素性も何も分からなくても、強烈に惹かれることは本当にあるものなのだな。
しかも相手は異世界からの客人だ。突然現れた女性と運命的な出会いをするなんて、まるで恋愛小説の主人公にでもなったみたいで興奮するじゃないか。
「運命ねぇ……」
さっぱり分からないという風にアーノルドは肩をすくめた。
そんなアーノルドに、アリスとの素晴らしき出会いを語ってあげようではないか。
「アリスがこの世界に飛ばされて来た時、わたしは書庫に閉じこもって本を読んでいたんだ。そんなわたしを見て、アリスは笑いもしなければ冷たい目も向けなかった。もちろん王太子がそんなものを読むなんて……といった小言もなかったよ」
いつも恋愛小説を読むことについて小言ばかりのルーカスがきまりの悪い顔をした。
「それどころか、その本は自分も好きだと言って話し始めたんだよ。信じられるかい? あんな風に他人が楽しそうに恋愛小説の感想を話しているのを、わたしは初めて見たよ」
「まぁキャロライン達が恋愛小説の話をする所は全く想像つかねーもんな」
アーノルドの妹であるキャロラインは、王太子妃候補として名前があがっている令嬢の中でも特別美しく優秀な令嬢だ。
だがわたしが恋愛小説を読んでいることを一番蔑む令嬢もキャロラインだろう。キャロライン自身が恋愛小説なんてくだらないと思っている上に、そんな物を読む人間は低俗だと思っているからだ。
我が国の貴族社会において、恋愛小説というものは小説の中でも低俗なものとして位置づけられている。若い娘、とくに平民の娯楽という認識でしかないものを、いい年をした男が読むというのはなかなか受け入れてもらえない。
わたしはこの国の王太子で、未来の国王としてふさわしい行動をとるよう常に監視されている身だ。そのわたしが恋愛小説好きだなんて世間に知れようものなら、変人扱いか愚か者扱いか……どちらにせよ貴族連中からの冷たい批判にさらされるのは間違いない。
それが分かっていても、恋愛小説を読むことはやめられない。どうしたって好きなものは好きなのだ。もちろん我慢して読むのをやめようとしたことは幾度もある。でも結局はいつの間にか手にとってしまっているのだ。
王宮の書庫に鍵をかけ、一人で恋愛小説を楽しむ。この世にこれ以上楽しいことなんてきっとない。
今までアーノルドやルーカスのような身近な者にしか、わたしのこの秘密の趣味は知られたことはなかった。
アーノルドはわたしの趣味を理解できないと言うが、わたしを馬鹿にしたことはない。もちろん人に言いふらしたりもしない。だからこそ、彼がわたしの一番の友なのだろう。
そんなわたしの趣味を理解してくれる人物が現れたのだ。
アリスと恋愛小説について話すのはこの上なく楽しい。共通の趣味を持つ者との語らいが、あんなにも楽しいとは今まで知らなかった。
「だからといって、何も結婚を申し込まなくても……」
ため息をつくルーカスに、確かにプロポーズは早すぎないかとアーノルドも同意する。
「『告白されたら好きになってしまう理論』を試してみたかったんだよ」
「告白されたら……なんだって?」
「ほら、よくあるだろう? 全然興味なかったはずなのに、告白されたら急に気になり始めて、いつの間にか好きになってたっていう話だよ」
わたしの話に二人はぽかんとした顔をした。
あー、そうか……わたしの中ではよくある話だが、恋愛小説を読まない二人にとってはピンとこないのかもしれない。
「何だかよく分からないが、告白だけならプロポーズじゃなくて、愛してるって言えば済む話じゃねぇ? それなら断られることもないんだからよ」
「それはそうなんだけれど……」
まぁ正直言うと、プロポーズはオッケーされると思ってはいなかった。さすがに出会ったばかりで結婚を決めるのは難しいだろう。
それなら何故プロポーズしたのかと問われたら、それはわたしと恋人関係になることを断らせないためだ。
アリスはわたしのプロポーズを断るのにひどく申し訳なさそうな顔をしていた。その罪悪感から、わたしとの交際を断ることはできないだろうと踏んでいたのだ。
「下手に友人関係をはじめてしまったら、そのままダラダラする可能性もあると思わないかい? とりあえず恋人という立場になっておけば、これから口説きやすいからね」
アリスは流されやすい性格なのだろう。あのプロポーズの時もアリスは流れで結婚の承諾をしてくれそうな雰囲気はあった。
ルーカスの間抜けなくしゃみさえなければ……
ルーカスは有能な男だけあって本当に厄介だ。邪魔するポイントが絶妙すぎる。
「とにかくわたしはアリスを手に入れたいんだ。今は仮の恋人関係だけれど、押して口説いて……わたしに夢中にしてみせるつもりだよ」
「お前って本当、計算高いっていうかなんていうか……見た目がそんだけ爽やかなのにギャップがあるよな」
アーノルドが呆れたような顔を見せた。
「立場上爽やかに見せといた方がなにかと便利だからね」
別に誰かを騙しているわけでも、悪いことをしているわけでもない。人前では皆が望むような王太子としての顔を見せているだけだ。
「それで、爽やかな王子様はどうやって異国からの客人を夢中にさせるつもりなのですか?」
ちゃかすような口調でアーノルドが問いかけてくる。
「そうだね……まずは『名前呼び捨てドッキドキ大作戦』を試そうかな」
「お前……それ言ってて自分で恥ずかしくないのかよ?」
ため息をつきながらも、どんな作戦なんだとアーノルドが尋ねる。
「いつまでもウィルバート様じゃ堅苦しいだろう? だから次のデートではウィルって呼んでもらおうと……」
おっと危ない。ルーカスの前でいらないことを話す所だった。
デートの計画がルーカスに知られたら、また巧みな妨害にあうのが目に見えている。デートの計画を立てるよりも、ルーカスの目をデートからそらす方法を考える方が大変だ。
「へー。そんなんで距離が縮まるもんかね?」
いまいちよく分からない、そんな顔をしてアーノルドはグラスに残っていたワインを飲み干した。
「まぁお前のその黒い部分がバレて振られないよう祈っておくよ」
誰がそんな失敗するもんか。やっと見つけたんだ……
きっとこんな風にわたしの心を動かしてくれる女性は他にいない。何が何でもアリスの心を絶対手に入れてみせる。改めてそう心に誓った。