5.プロポーズの返事は
「さすがに私とウィルバート様の結婚はあり得ないでしょう」
一人で盛り上がっていたアナベルにそう告げると、アナベルは目玉が落ちやしないかと心配になるほどに目を見開いた。
「何故ですか?」
アナベルの顔には信じられないと書いてある。
「だってウィルバート様はこの国の王太子なのよ。私なんかより、もっとふさわしい方と結婚するべきよ」
昨日は初めての告白に舞い上がってしまったけれど、さすがに結婚というのは無理がある。
どう頑張ってもあんなに素敵な人と私なんかが釣り合うわけがない。
「残念です……」
先程までの元気がどこかへ行ってしまったかのように、アナベルはしょぼんとしてしまった。
「私は両親が前女王陛下にお仕えさせていただいている関係で、ウィルバート様のことは幼い頃からよく知っています。でもウィルバート様が結婚という言葉を口にされたのは初めてなんですよ」
「そうなの?」
あれだけイケメンなんだから、いくらでも女性が寄ってきそうなもんなのに……
「そうなんです。もちろん王太子なので縁談の話は今までに幾度もありました。でも乗り気になられたことは一度もなく、全て断ってらっしゃいます」
「縁談って……キャロライン バトラーさんとか?」
アナベルが、えっ? という顔をする。
「キャロライン様のことご存知なんですか?」
「な、名前だけ……」
どうして知っているのか深く追求されたら困るところだったが、アナベルは特に気にしている様子はない。
「たしかにキャロライン様は最有力のお妃候補ですね」
ほぉ……その話が本当なら、私は意外と早く元の世界に帰ることになりそうだ。
「そのキャロラインっていうのはどんな人なの?」
「キャロライン様はですね……」
アナベルの情報をまとめると、キャロラインはざっと次のような感じの女性だ。
キャロライン バトラー
公爵家の長女でウィルバートの一つ年下の15歳。父親は現宰相であり、国王とプライベートでも親しくしている。そのため幼少の頃から王宮に出入りしていた。ウィルバートとはいわゆる幼馴染だ。
「キャロライン様の一番上のお兄様は王立騎士団の団長、一つ年上の兄であるアーノルド様は、ウィルバート様付きの第三小隊の隊長なんですよ」
アーノルドはウィルバートの親友でもあることから、キャロラインをウィルバートの妃にと推す声が多いのだとアナベルは言う。
「家柄は問題ないし、親同士も友達、しかも親友の妹なんて完璧じゃない。それなのにウィルバート様がその気にならないってのは……その……キャロライン様ってのは……」
ブサイクなのかとは、さすがに聞きにくい。
まぁこの私に向かって好きだと言うくらいなんだから、ウィルバート様は面食いではないだろうが。
私の言いたいことを察したのだろう、アナベルが即座に否定した。
「キャロライン様の美しさは当代一と言われるほどです」
じゃあなんでウィルバート様はキャロラインと結婚しないのよ!?
まぁ美人が苦手だっていうマニアックな人もいないわけじゃないけど……
「あんなに素晴らしいキャロライン様にも全く心を動かされないウィルバート様が、どのような女性をお選びになるのかずっと知りたかったんです。ウィルバート様はアリス様のような方が好みだったんですね」
「私みたいな子でがっかりさせちゃったわよね。ごめんなさい」
別に私が悪いわけでも何でもないけど、何だか申し訳ない気分になってしまう。
「ガッカリなんてしませんよ。そりゃちょっと驚きましたけど。まさかウィルバート様がロリ……じゃなくて……若い女性が好きだなんて知りませんでしたので」
今ロリコンって言おうとしたわよね?
って本当に、アナベルには私がそんなに子供に見えてるのかしら?
えっ!? ちょっと待って!!
もしかしてウィルバート様の目にも私が子供のように見えてるの?
だとしたら、ウィルバート様が本当にロリコンの可能性もあるじゃない。
「ねぇアナベル! アナベルは、ウィルバート様はロリコンだと思う?」
「十中八九そうでしょうね」
アナベルは全く躊躇うことなく言い切った。
「わー、めちゃくちゃショックなんだけど。あんなにカッコいいんだからどんな女性でも選び放題だろうに……でもあれだけ素敵なんだから、ロリコンくらいオッケーな気も……いや、やっぱりダメでしょ」
ウィルバート様がロリコンかもしれないという衝撃で頭の機能が低下したのか、心の声が次から次へと口から溢れ出てしまう。
そんな私の心の声に触発されたのか、アナベルの口までも軽くなっちゃったみたいだ。
「王宮内は今、ウィルバート様のロリコン疑惑と、アリス様の話で持ちきりなんですよ」
「えっ、どういう事? ウィルバート様だけじゃなく、私まで噂のネタになってるの?」
アナベルはもちろんですと大きく頷いた。
「アリス様は、ただでさえ伝説的存在の異世界からの客人ですからね。皆興味津々だったところに、あのウィルバート様からの求婚ですよ。王宮勤めをしている者全員がアリス様を一目見たいと思ってますよ」
「へ、へー……」
「給仕係が毎回違うことにお気づきでしたか? 皆がアリス様のお姿を見たいがために、じゃんけんで順番を決めて交代で役についているんです」
「そうなの!? なんか……ごめんなさい」
それにしても、皆が私の事を見に来てるなんて全く気がつかなかった。そんなあからさまな視線は感じたことなかったし。
まぁ私が運ばれてくる食事の方に夢中で、給仕係の視線に気付かなかった可能性はゼロじゃないけど。
トントントン。
「あら? どなたでしょう?」
ドアを開けたアナベルの嬉しそうな顔が見えた。
「アリス様、ウィルバート様がいらっしゃいましたよ」
アナベルの嬉しそうな声に続いて、ウィルバートの弾んだ声が響く。
「おはよう、アリス。今日も元気そうだね」
ああ、なんて素敵な笑顔なの。この笑顔を見れただけで、今日は一日いい日だったと思えるくらいに最高の微笑みだわ。
……っと、ウィルバートの斜め後ろから私を監視するようなルーカスの視線を感じて一気に現実に引き戻された。なんだかめちゃくちゃ警戒されてるみたいだ。
「お茶の時間だったみたいだね。ちょうどよかった」
ウィルバートから渡された箱の中には大きなスイートポテトが一本入っていた。
「料理長に作ってもらって来たんだよ」
あっ、私が好きだって言ったから……
昨日の書庫で、もう秋だね……秋と言えば、みたいな話を二人でしたんだった。その時に確かスイートポテトが好きだという話もした気がする。
さらっとしただけの話を覚えていてくれるなんてとても嬉しい。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、ウィルバートは少し照れたようにはにかんで笑った。
どうしよう……素敵すぎて胸が痛いわ。
「早速切り分けますね」
アナベルにお茶の用意をお願いし、二人でソファーに腰掛けた。
「あの、ウィルバート様!!」
結婚はできないって早く伝えなきゃ。
焦ったせいか、思ったより声が大きくなりすぎてさらに焦ってしまう。
「なんだい?」
クスクスと楽しそうに笑いながらウィルバートが私を見た。
うっ。このソファーに座ったのは間違いだった。こんな至近距離で見つめられたら、ドキドキしすぎて言葉が出なくなっちゃうじゃない。
コホンっ。
少し離れた場所からルーカスのわざとらしい咳払いが聞こえた。
あぶないあぶない。
キラキラパワーにあやうく負けてしまうところだった。よし、言うぞっと、再び気合いをいれなおす。
「ウィルバート様、昨日のお話ですが……」
途端にウィルバートが身を固くしたのが分かった。
ウィルバートほどの人でも私なんかに対して緊張するのだと思うと、私の方まで緊張してくる。
「ウィルバート様のお気持ちはとても嬉しいんですけど、私結婚は……」
そこまで言って言葉が続かなくなった。はっきり言わなくても私の意図することが分かったのだろう。ウィルバートの悲しそうな表情が切なくて胸がきゅっと苦しくなった。
「……理由を聞いてもいいかな?」
「理由ですか?」
私がウィルバートと結婚できない理由は……
1. 私がこの世界に来たのは、ウィルバートとキャロラインを結婚させる手伝いをするためだから。
2. そもそも、ウィルバートと私では釣り合わない。見た目も身分も、私がウィルバートに相応しいと思うところは一つもない。
3. ウィルバートがロリコンだから。
このうち、1は言ってはダメだとノックから禁止されてるから言えないでしょ。でも3もウィルバートを否定しているようでやはり言えない。
となると、自然と言うべき言葉が決まってくる。
「ウィルバート様はこの国の王太子で、私はただの高校生だからです。身分が違いすぎて結婚なんて無理に決まってます」
「わたしと結婚できない理由はそれだけなのかい?」
ウィルバートがほっとしたような顔をした。
そんな安心したみたいな顔されても困るんだけど……
「もし君が私と結婚できない理由が身分の差だけなら、身分の問題は解決してあげるよ」
「身分の問題って簡単に解決できるんですか?」
確かに少しくらいの身分の差ならば何とかなるのかもしれない。でも私とウィルバートの場合は差がありすぎる。私みたいな庶民は普通なら王族と口すらきけないんだから。
「うーん……まぁ簡単ではないかもしれないけど、よい方法を考えてみるよ」
隣に座るウィルバートがそっと私の手をとった。心臓がドキっと大きな音を立てる。
「身分の問題が解決したら、わたしと結婚してくれるってことでいいね」
優しく握られた手が熱い。
まっすぐに私を見つめる青い瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「……」
口を開きかけた瞬間、ハックショーンという豪快なくしゃみが部屋に響いた。
「失礼いたしました」
ルーカスが深々と頭を下げている。
あっぶなかったぁ。
つい流されてイエスと言ってしまうところだった。
さすがルーカス!
私を警戒してるだけあって、いつも絶妙なタイミングで現実に引き戻してくれる。
「それでもやっぱり結婚は無理です」
「どうしてだい?」
「たとえ身分の問題がなくなっても、私じゃウィルバート様に釣り合わないですから」
「私達のどこが釣り合わないって言うんだい?」
ウィルバートが優しい口調で問いかける。
「全部です!! 私は背だって低いし、スタイルだって微妙だし、顔も普通ですから。キラキラのウィルバート様には似合いません」
「何言ってるんだい。アリスは私が今までに出会ったどんな女性よりも可愛らしくて魅力的だよ」
ウィルバートみたいな素敵な人にこんな言葉を言われて嬉しくないわけがない。お世辞だと分かっていても嬉しくて顔が自然とニヤけてしまう。
でもダメよ。ウィルバートが私を魅力的だと思うのは、私が幼く見えるからだもの。
「でもウィルバート様、幼く見えても私はあなたより年上です」
「そうだね。17だって言ってたから、私よりは一つ年上だね」
いきなり年齢の話を始めた私の意図が分からないようでウィルバートは微妙な表情をしている。
ダイレクトにロリコンなんて単語使えないから、かなり遠回しな言い方をしたんだけど、やっぱり伝わらないかぁ……
「そうです17歳です。ウィルバート様は年下の少女がお好きなんですよね? ですから私よりもっと……」
「ちょ、ちょっと待ってもらえるかな。わたしが年下が好きって、一体なんでそんな風に思ったんだい?」
明らかに困惑した様子のウィルバートがわたしの言葉を遮った。
「それは……」
こんな場合なんと説明するのが正解なのかしら? 遠回しだと伝わりにくいけど、ロリコンですよね? なんて聞きにくいし。
口ごもる私の代わりに口を開いたのは、まさかのルーカスだった。
「殿下、アリス様は殿下の事をロリコンだと思ってらっしゃるんですよ」
「何だって!?」
驚きの声を上げたウィルバートだったが、すぐさまクスリと笑った。
「まさか!! そんな事思っているわけないじゃないか。ねぇ、アリス……」
おっと。
そう思ってる事がバレないようウィルバートの視線から顔を背けた。そんな私を見て何かを悟ったウィルバートは、眉間に皺を寄せた。
「……思ってるんだね」
「えっと……ごめんなさい」
無意識に謝ってしまう。
こんな時になんだけど、険しい顔をしていてもやっぱりイケメンはイケメンだ。ため息をつく姿すらも様になる。
「さてアナベル、どうしてアリスはわたしの事をロリコンだなんて思ったんだろうね?」
なぜだかウィルバートは、私ではなくアナベルに説明を求めた。
そしてアナベルはと言うと、なんの躊躇もなくペラペラと語り出してしまった。普通なら本人には言いにくい話題を、いとも簡単にペロッと喋れてしまうアナベルはある意味大物だ。
「どうりで王宮内の雰囲気がおかしかったわけだね……そうか、皆わたしの事をロリコンだと思っているのか……」
あっ……どうしよう……
皆に噂されてるなんて、嫌だったわよね。
口元に手を当て俯きかげんのウィルバートにかける言葉が思いつかない。
「くっ」
ん?
「くくっ」
肩を小刻みに震わせていたウィルバートが「ふはははは」っと声を出して笑った。
「いや、まさか、このわたしがロリコンだと噂される日がくるなんて夢にも思わなかったよ」
「殿下、笑い声ではありません!!」
まだ笑い足りない様子のウィルバートに、ルーカスは厳しい目を向ける。
「このように殿下を愚弄するような噂を許して良いはずがありません」
明らかに不機嫌そうなルーカスが、キッと鋭い視線を私に向けた。
うん、めちゃくちゃ怒ってるみたいね。
「私達使用人は噂話をしましたが、別にウィルバート様を愚弄なんてしていません。実際、完璧だと思われていたウィルバート様にも人には言えない性癖があるんだって、ある意味好感触でしたから」
アナベル、それってフォローになってないんじゃ……
どうやらルーカスの怒りは増してしまったようで、赤い顔をしてワナワナと震え始めた。
「その発言自体が愚弄しているんです!! とにかく私はこのように殿下の名誉を著しく傷つけた者を許すわけにはいきません。アリス様、アナベルを始め、噂を流した者全てを炙り出し、この手で……」
「炙り出すなんて大袈裟に言わなくても大丈夫ですよ。噂してたのは、王宮の使用人ほぼ全員ですから」
ルーカスの凄まじい怒りもアナベルにはさほど響いてないようだ。平気な顔をして言い返している。それがまたルーカスの怒りを買うようで、これではキリがない。
そんな二人のやりとりを、笑いながら見ていたウィルバートが私に向かって微笑んだ。
「わたしはロリコンではないよ。それにアリスの事が好きなのは、アリスの見た目が幼いからという理由ではないしね」
ウィルバートの口からそう言われてホッとした。と同時に、じゃあなぜ私のこと好きなの? っと疑問に思ってしまう。
「ではウィルバート様は、私のどこを気に入ってくれたんですか?」
「それはアリスが……やっぱり内緒だよ」
えぇっ!! 言いかけたのにやめちゃうの?
「知りたいかい?」
「もちろんです!!」
ウィルバートはいたずらっ子のような顔でニヤリと笑った。
「じゃあわたしと結婚してくれたら教えてあげよう」
「そんな……」
「アリスはまだわたしのことをよく知らないだろう? だからプロポーズの答えを出す前に、わたしのことをきちんと知ってほしいな。もしそれで無理だと思ったらその時は断ってくれて構わないから」
「……分かりました」
結局断ることにはなるけど、ウィルバート様がそれで納得できるならそうしよう。
「じゃあこれからお付き合い開始ということで」
ん? お付き合い?
「えっと……それはお友達としてのお付き合いですよね?」
ウィルバートがクスリと笑って、私の頬に口付けた。ちゅっという軽快な音が耳に響く。
「もちろんこういう意味だよ」
頭が真っ白になってしまった私は、もうそれ以上何も考えられなかった。