42.ただいま
「アリス……帰って来てくれて嬉しいよ」
大きな箱を抱えたウィルが、私を見て嬉しそうに笑った。
あぁ、やっぱりウィルの笑顔は最高だわ。
ウィルが視察から帰り、私を迎えに来てくれたのはもう3日も前のことだ。帰り支度ができ次第王宮に帰ると言うメイシー様を待っていたら、あっというまに時間が過ぎてしまった。
でもメイシー様が帰り支度に手間どってくれたおかげで、キャロラインにはしっかりとお別れとお礼を言うことができた。
そういうわけで、本日やっと王宮に帰ってくる事ができたのだが、久しぶりのせいか、ウィルと二人きりだとなんだかとっても照れくさい。
「わたしが視察で留守の間、寂しくはなかったかい?」
「はい、大丈夫でした。メイシー様がデンバー家に連れて行ってくださったおかげで、毎日充実していましたから」
本当に毎日が慌しく過ぎていき、ウィルがいないことを寂しがる余裕さえなかった。まぁほとんどが夜会に向けての特訓だったので楽しくはなかったけれど、毎日が充実していたのは本当だ。
「そうなんだ……それはよかった」
よかったと言いながらも、あまり良さそうな表情をしていないウィルの様子が気にかかる。
「あの……視察はどうでしたか? たしか遠い村まで行かれたんでしたよね?」
「そうなんだ。国境付近まで行ってきたんだよ」
私のいるアイゼンボルトという国は、いくつもの領地を抱える強国だと前にアナベルから聞いたことがある。その分国土も広大なので、国境も王都からだいぶ離れている。視察先の村は遠く、移動だけでも大変だっただろう。
「とても有意義な視察だったよ。それで、これはアリスに」
ウィルがお土産だと言って、抱えていた白い箱をテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます。今あけてみてもいいですか?」
「もちろんだよ。開けてみて」
すっごく大きな箱だけど、何が入ってるのかしら?
ワクワクしながら箱をあけると、中にはやや小さいサイズの箱がいくつも入っていた。とりあえず一番上にある箱を取り出してみる。今度の箱には可愛らしいリボンがついている。
「わぁ、可愛い」
小さい箱の中にあったのは、ピンク色の香水ボトルだった。ダイヤの形をしたキャップがキラキラと輝いてとても綺麗だ。続いてもう一つ箱を取り出しすと、今度はお花のモチーフがたくさんついたボトルが入っていた。
「たくさんありますが、これ全部いただいてもいいんですか?」
ウィルのくれた大きな箱の中には、計10本のボトルが入っていた。
「もちろん。アリスのために選んだものだから、使ってくれたら嬉しいよ」
「ありがとうございます。全部可愛らしいボトルで嬉しいです。こんなにいっぱいだと、どれから使うか迷っちゃいますね」
もちろんお土産自体も嬉しいけれど、忙しい視察の合間に、ウィルが私を思ってお土産を選んでくれたことが何より嬉しかった。
「よかったら、今ここでつけてくれたら嬉しいんだけどな」
「今……ですか?」
頷いたウィルが期待に満ちた顔で私を見ている。
うーん、困った。つけてって言われても……どうしたらいいんだろ?
テーブルの上に一列に並べたボトルを見つめたまま動けない。もらったボトルは香水、ヘアコロン、バスオイル……など種類がバラバラだ。
多分香水の蓋をとって、プシュッてやればいいんだろうけど……
なんせ自分でやったことがないから適量ってものが分からない。
香水は、「身だしなみには香りも大切です」と言って、いつもアナベルがつけてくれているのだ。こんなことなら、香水の上手なつけ方も習っておけばよかった。
「気に入ったものがなかったかな?」
なかなかボトルを手にとらない私を見てウィルの表情が雲った。
「そ、そうじゃないんです。ただ自分で香水をつけたことがないので、どうすればいいのか分からなくって……」
こんな告白をしなくてはならない、自分の女子力のなさにため息が出てしまう。
「じゃあ、わたしがつけてあげよう」
そう言うと、ウィルは並んだボトルから悩むことなく一本を選び取った。
「おいで」
そう言って差し出されたウィルの手に、そっと手を重ねた。そのまま手を引かれ、ソファーへと導かれる。
「さぁここに腰掛けてごらん」
言われた通り、ウィルの隣にちょこんと腰掛けた。
「わたしはこの香りが一番好きなんだ」
そう言ってウィルはボトルの蓋をとり、シュッと自分の指にコロンをつけた。シトラスの爽やかでフルーティな香りが微かに漂ってくる。うん、ウィルが好きって言うだけあって、素敵な香りだ。
「少しじっとしていてね」
ウィルが体をぐいっと私の方へと乗り出し、私の髪の毛に触れた。首の付け根から髪の毛を上へと持ち上げると、うなじが露わになる。そのうなじに、コロンをつけた指でウィルが触れた。
「うひゃあ」
首筋を撫でるような、ゆっくりとしたウィルの指の動きに、くすぐったいような気持ちいいような、ゾワゾワした感覚が体をかけめぐる。
思わず変な声を出してしまった事が恥ずかしくて、ばっと片手で口を押さえた。
今の声、絶対聞こえちゃったわよね……
恥ずかしくて隣に座るウィルが見れない。そんな私の膝に手を置き、ウィルが私の顔を覗きこんだ。
「今の可愛らしい声、もう一度聞かせてほしいな」
「む、無理です。絶対無理」
はっきり言って可愛くもなんともない、自分でもひいちゃうくらいの変な声だったもん。
「絶対無理なの?」
「絶対無理です」
力強く言い切ると、ウィルはおかしそうに笑った。そんな風に瞳を輝かせて見つめられても、できないものはできないもん。
「これでも無理かな?」
再びウィルの指先が私の首筋に触れた。そのままゆっくりと下から上へと何度も撫でるように指が動く。
う、うぅ。
ザワザワっとした感覚が背中あたりからわきあがってくる。なんなの、この感覚。くすぐったいようで気持ちよくて、もう嫌だと思うのにもっとしてほしいような……とても複雑な感覚だ。
思わず声が漏れそうになるが、必死で歯を食いしばった。意地でも声なんて出さないんだから。
「そっか、じゃあこれならどうかな?」
首筋を優しく撫でていた指先が今度は私の耳へと移動した。すーっと耳山を軽いタッチで触られると思わず体がよじれてしまう。
「んふがっ」
我慢の限界を越えた私を見て、ウィルがクスクスとおかしそうに笑った。
「ひどい……」
なんだか負けてしまったような悔しさと、恥ずかしさで涙がにじんできた。
「ごめんね。あんまりアリスが可愛いらしいから、ついやり過ぎてしまったね」
そう言って白いハンカチを私の目尻に当てた。謝りながらもまだおかしそうに口元を緩めているウィルが何だか腹立たしい。
「もう知りません」
ぷいっとそっぽを向いた。
「アリス、ごめんね。本当に悪かったよ」
座ったままウィルに背を向けているので表情は見えないが、声の感じからすると反省しているように聞こえなくもない。
「アリス……わたしが悪かったから、こっちを向いてくれないかい?」
「……!!」
そっぽを向いたままの私の体を、ウィルが背中から優しく抱きしめた。
「アリス……」
耳元で囁くように名前を呼ばれ、体中に電流が走る。背中にウィルの体温を感じて、急激に体が火照ってくる。
「アリス、こっちを向いて」
そんなこと言われても……ウィルの腕の中でカチコチに固まって身動きがとれない。
私の緊張を察したのか、ウィルが小さくふっと笑った。
「アリス……わたしはね、アリスに会えなくてとても寂しかったんだよ。きっとアリスも同じ気持ちでいてくれると思ってたのに、全く平気そうなんで、つい意地悪をしちゃったんだ」
耳元に低く穏やかなウィルの声が響く。かすかに耳にかかる吐息にドキドキが増してくる。
ウィルは私に会えなくて寂しかったんだ……
そう思うと胸がきゅんと痛んだ。ウィルの事がなんだかとても愛おしい。
寂しかったかと聞かれて、正直に答えてしまったのは失敗だった。でも実際そこまで寂しくなかったのだから仕方ない。本当は寂しかったんですなんて、今更言っても嘘くさいだけだ。
「ごめんなさい」
結局私の口から出たのは謝罪の言葉だった。
「……デンバーの屋敷にはエドワードもいたから、わたしがいなくても寂しくないのは当然だろうね」
「エドワード様ですか?」
なぜここでエドワードの名前が?
たしかに屋敷にはエドワード様もいたけれど……
私は別に、エドワードの多重人格ばりの変貌ぶりに振り回されたおかげで寂しくなかったわけではない。
私を抱きしめるウィルの腕に力が入った。
「エドワードはあの通り素敵な男だろう? だからアリスが心を奪われても仕方ないのは分かってるんだ」
その声は苦しそうに掠れている。
私がエドワード様に心奪われる?
ないない、そんなの絶対あり得ない。黙って気取ってる時は確かに素敵かもしれないけど、中身は最強最悪なのよ。あんな悪魔に惹かれるなんてあり得るわけがない。
でもどうやらウィルは、エドワードがいたから私が寂しくなかったと思っているらしい。勘違いにも程がある。あまりのことにおかしさがこみあげ、思わずクスクスと声を出して笑ってしまった。




