30.書庫にいたのは
「あー!!」
書庫に入るやいなや、抑えていたものを全て吐き出すかのように大きな叫び声をあげた。静かな書庫に私の大声が反響する。
もう!! アナベルのせいで、また思い出しちゃったじゃない。
昨夜の事を思い出して、頭の中にボッと火が燃えあがった。もう思い出すのも恥ずかしいのに、どうしてこうも思い出してしまうのだろう。
夜更けに私の部屋へやって来たウィルはとてもラフな格好だった。いつもとは違い、広くあいたシャツの間から見える首元が気になって仕方がない。しかも入浴後のせいだろうか、いつもの香水とは違う、オレンジのような爽やかな香りを纏っている。
ウィルは昼間買った本を読みに来ただけ。そう分かっているのに、いつもと違う雰囲気のウィルと寝室で二人きりというのはなんだか落ちつかない。
「アリスはまずどちらを読みたいかな?」
ウィルがテーブルに置いたのは、もちろん例の官能小説だ。どちらを読みたいかと聞かれましても……できればどちらもご遠慮したい。
自分がモデルにされてる小説、しかも、その、なんていうか大人向け? みたいな話を自分で読みたいわけがない。
そう思う私とは反対に、同じくモデルにされているはずのウィルは読む気満々なのだから不思議なものだ。
「アリスが選べないなら、私が選んであげるよ」
そう言って二冊を見比べているウィルを慌てて止めた。
「私は他のを読みますので。ウィルが両方とも読んでください」
不満そうなウィルを無視して新しい本棚から本を選ぶ。もうこの際、官能小説じゃないなら何でもいいやっと、選び出した本を持ってストップしてしまう。
えっと……どこで読もう?
いつもなら眠くなったらそのまま眠れるようにベッドの中で読むんだけど……さすがにどうだろう? ウィルの前で寝落ちするのは失礼な気がする。
じゃあこのソファーに二人で座って? いやいや、これはいくらなんでも小さすぎるだろう。無理すれば座れないことはないけれど、ぴったりくっつくのもリラックスできない。
普段私が一人で過ごす寝室なのだから、全てがお一人様用だ。来客が来る家具配置になってないという当たり前のことに、今になって気がついた。
結局ウィルがソファー、私がベッドでということで話がついた。ベッドでっと言っても、ウィルの前でいつもみたいにうつ伏せで読むのはやはり抵抗がある。ベッドの上で足を伸ばして座り、枕を背もたれにしながら、できる限り綺麗な座り方を心がける。
ウィルが本を読み始めたのを確認して、私も本を開いた。ページをめくって、まず1番にすることは……もちろん本の匂いを嗅ぐこと。あんまり鼻を近づけるのは下品なので、鼻からは少し離して思い切り空気を吸い込んだ。
うん、間違いない。新しい紙と印刷したてのインクの香り……はぁ、たまらない。古本のちょっと甘いような匂いもいいけれど、やっぱり新しい本の香りは最高だ。
いつもなら本を開けばすぐ物語の世界に入り込めるのに、今日はストーリーが全く頭に入ってこない。
本から目をはなし、チラッとウィルへと視線を向けた。リラックスした様子でソファーに深く腰掛けているウィルの綺麗な横顔は、見ているだけでも幸福を感じる。
おっといけない。これじゃあウィルの顔ばかり見てることがばれてしまう。ウィルに気づかれる前に再び本に目を落とした。
本を見てウィルを見る。そしてまた本を見てウィルを見る……それを何度繰り返しただろうか。何度目かに顔を上げた瞬間、ウィルとバッチリ目があってしまった。
あっ、やばい。
パッと下を向き、いかにも本に集中してますという雰囲気を醸し出した。これでウィルの顔をチラチラ見ていたことには気づかれないはず。真剣な顔を作り、本に目を落とす私を見てウィルバートが小さく笑った。
「やはりアリスはこの本が気になるのかな?」
顔を上げると、柔らかな笑顔を浮かべたウィルバートが私を見つめていた。
「そんな事は……」
ウィルバートは読みかけのページに指を挟んだまま静かに本を閉じた。そして本を持ったまま立ち上がると、ゆっくりと私の横まで歩いて来る。
「じゃあ君が見ていたのは、わたしなのかな?」
私を見つめたままウィルバートがベッドの端に腰掛け、あいている手で私の髪に触れた。
見ているのがバレちゃったっと恥ずかしく思う気持ちもあるけれど、それよりも何よりも、ウィルの少しはだけたシャツから見える胸元が気になって仕方がない。
って胸元ばかり見てたら、私はただのすけべみたいじゃない。慌てて視線をずらすとウィルはクスリと笑った。
「アリスも興味があるだろうから、わたしが読んであげよう」
そう言うとウィルは本を開いて読み始めた。
私だってお年頃。もちろんこういう男女間の話に興味が全くないとは言えないけれど、ウィル口から聞くのはなんだか気まずい。一体どんな顔をして聞けばいいものやら。真顔で聞くのも変だけど、ニヤニヤしながら聞くのも気持ち悪い。
無難な表情について考えていたせいもあり、ウィルバートの読み上げる本の内容はあまり頭に入ってはこなかった。
「せっかくだから本の内容を真似してみようか」
本を閉じたウィルバートが、私に戸惑う時間すら与えず近づいてくる。
そこから先は、思い出すだけで立っていられないくらい恥ずかしい。顔から火が出るとはまさにこういう状態を言うのだろう。
といっても、二人の間に何か特別な事があったわけではない。ないからこその恥ずかしさなのだ。
私に体を近づけたウィルは、私の頭をポンポンッと軽く叩いた。そして「じゃあ続きを読もうか」と言ってソファーに戻ってしまったのだ。
てっきりキスされるとばかり思っていたのに……これは全く予想外だ。
「えっ? これだけ?」
ウィルの驚いた顔を見て、自分が何を口走ったのかに気付いた。慌てて手で口を覆ったけれど、すでに手遅れだという事は分かっている。
やだ。これじゃもっと刺激的な事を期待してたみたいじゃない。
驚いたように私の顔を見ていたウィルが嬉しそうに顔を緩ませた。
「そんな顔されたら期待に応えなきゃね」
そんな顔ってどんな顔? 自分でも気付いてないだけで、私ってば物欲しそうな顔をしているのだろうか?
それはそれで問題だけど、今一番の問題は再び立ちあがろうとするウィルを止めなきゃいけないことだ。このままではウィルは間違いなく私にキスしに来てしまう。
「き、期待なんて全然してないです。ウィ、ウィルとキスしたいなんて、全然思ってませんから!!」
我ながらなんて不様なんだろう。こんなに動揺していたら、よっぽどキスしたかったみたいじゃない。
「そ、それより本です、本。私、本が読みたくてたまりません」
動揺が動揺を生み、もう何を言ってるのか分からない。
はぁー。
もう忘れようと思っても、結局こうやって昨日のことを考えてしまうのだ。うずくまったまま、瞳を閉じて頭を抱えた。
ウィルは笑ってくれたけど、私のこと軽蔑してないかしら? キスして欲しがってるなんて、ふしだらな女だと思われてたらどうしよう。
はぁー。
思い切りため息をついて、目をあけると視界に何か黒いものが入ってくる。目を開けたばかりでぼんやりとした視界でも、それが人の靴であることが分かった。
何だ、足か……って足!?
一体誰の足なのか? 視線を上に向けて驚いた。そこには満足そうな笑みを浮かべ私を見下ろすように立っているロバート様の姿があったのだ。
「うーんいいねぇ。悩める乙女、まさに青春って感じじゃないか」
ロバート様の前でいつまでもうずくまっているわけにはいかないと、ドレスを軽くはたきながら立ち上がった。
「いやぁ、アリス。会えて嬉しいよ」
そう言って私に微笑みかけてくれるロバート様は、相変わらず渋くていいおじ様感丸出しだ。
それに比べて私ときたら……
「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません」
もう頭を下げるしかない。滅多に人がいない書庫なのに、なんでこんな時に限って人がいるんだろう。しかも普段は会う事のないロバート様が。
「ロバート様と書庫でお会いするのは初めてですね」
「わたしはほとんど書庫には来ないからね。ウィルバートがここを誰でも使える書庫にしたいと言っていたから、今日は様子を見に来たんだよ」
ロバート様が読書好きではないことは前に聞いたことがある。私の勝手な想像だが、書庫が誰にも管理されず現在のような状態になってしまったのは、ロバート様が本に興味がなさすぎたせいだろう。ウィルが書庫を改装すると言い出すまで、書庫の存在すら忘れていたんじゃなかろうか。
今日珍しく書庫に立ち寄ったのは、改装前の状況を見ておかなければと思ったからだそうだ。こんなタイミングでロバート様と鉢合わせるなんて。本当にアンラッキーとしか言いようがない。
「それで……アリスがそんなに悩んでるのは、ウィルバートと一夜を共にしたのが原因なのかな?」
「なっ!?」
何を言ってるんですか? そう言おうとしてむせてしまった。
「いやぁ、可愛いらしい反応だねぇ」
ロバート様は楽しそうに笑っているが、私は全く笑えない。
「今朝から王宮内は君達の関係が進展した、してない等の話題でもちきりだからね。メイシーとウィルバートの様子を見に行かなければと言っていたんだよ」
ロバート様とメイシー様にいらない事を吹き込んだおしゃべりは一体どこのどいつだ!!
でもこれは完全に私のミスだろう。ウィルの恋愛小説好きを隠す事ばかり考えて、寝室で二人きりで過ごす事の意味を考えてなかったんだから。
一応仮とはいえ、私とウィルは今恋人同士なのだ。実際にはキスすらしていなくとも、周りからはそういう誤解をされても無理はない。
この世界に来て学んだ事だが、例え事実であろうと慌てながら説明すると嘘くさく聞こえてしまう。動揺している時は余計な事は言わず、話題を変えるのが一番だ。
「そんな事よりロバート様、書庫に来られたのが久しぶりなんでしたら、一緒に読書しませんか?」
「せっかくだけど、わたしはウィルバートと違って恋愛小説には興味ないんだよ」
ロバートは気乗りしない様子で近くの本棚を見上げた。
「そんなことおっしゃらずに。恋愛小説以外もたくさんありますから。今は読書の冬ですし」
読書の冬という言葉がよかったのか、ロバートの心は少しだけだが本を読んでもいいという方に傾いたようだ。
後は一気に落とすのみ!
ロバートが興味を持ちそうな本を片っ端から紹介していく。
私がこの時勧めた本が原因で後日厄介な問題が起こるのだが……真剣に本選びをする私は想像もしていなかった。




