3.本気ですか?
「夢じゃなかったんだ……」
目が覚めたら元の世界に戻ってるかも……なんてことを考えていたけれど、フリフリの可愛い天蓋カーテン付きのベッドが、ここはまだ本の世界だという事を教えてくれる。
それにしても眠った眠った。時計はすでに7時をまわっている。昨夜は8時前には寝たはずだから、ほぼ半日は眠っていたということか。
ベッドから抜け出して窓を開けると、秋の心地よい風が吹き込んでくる。涼しい風を思い切り吸い込むと、まだ覚醒しきっていない寝起きの頭がしゃきっとしてくる。
「おはようございます、アリス様」
名前を呼ばれて振り向くと、私より少し年上かなっと思われる少女がにっこりと微笑んでいる。彼女は私付きの侍女で、名前はアナベルと言うらしい。
私に専属の侍女がつくなんて、なんだか畏れ多いんですけど……
「アリス様のお世話ができるなんて光栄です」
恐縮する私をよそに、アナベルは嬉しそうに笑った。
「アリス様は『異世界からの客人』なんですよね? 私、『異世界からの客人』なんて御伽噺かと思ってました」
この世界では私のような異世界から飛ばされて来たものを総称して、『異世界からの客人』と言うそうだ。
普通に考えたら、昨日の私のようにいきなり現れたら怪しまれるに決まっている。それなのにすんなりと受け入れられ、手厚くもてなされているのは、きっと『異世界からの客人』という存在がこの国で受け入れられているからだろう。
とは言っても、実際に『異世界からの客人』というものがいたのかどうか分かってはいないようだ。いわゆる伝説や伝承として広く知られているだけなのかもしれない。
そのせいもあってか、アナベルは興味深そうな顔をして私を上から下までじっくり眺めている。
「あら、私ったら、つい手が止まってましたね。ウィルバート様がおいでになると伺ってますので、急いで準備いたしましょう」
さすが王太子が直々に任命したというだけあって、アナベルの手際は非常によい。
あっと言う間に着ていたパジャマは剥ぎ取られ、風呂に入れられたかと思うと、一息つく間も無くドレスを着せられる。
アナベルが慌しく動いてくれたおかげで、ウィルバートが部屋のドアをノックする時には、髪のセットやメイクまで全てが終わっていた。
「昨日はよく眠れたかい?」
「はい。ぐっすり眠れました」
「それは良かった」
微笑むウィルバートにつられて私も自然と笑顔になる。
……っと、ウィルバートの後ろから、私を睨むような目つきで見つめる男がいることに気づいた。
なにか怒ってるのかしら?
その刺さるような視線が気になり笑顔が引きつってくる。
「アリス、彼はわたしの直属の側近、ルーカスだよ」
ウィルバートに紹介されてもなお、ルーカスは非常に不愉快そうな顔を隠そうともしない。
「よ、よろしくおねがいします」
ルーカスに頭を下げると同時に、ぐぐぅっと私のお腹が盛大な音をたてた。
ううっ。恥ずかしい……
不機嫌だったルーカスの顔が、今度は信じられないものを見るような私への蔑みへと変わっている。そりゃさすがにこの大音量はないなぁと自分でも思ったけど、せめて笑うとかしてくれればまだマシなのに。いたたまれない気持ちでお腹を押さえた。
おかしいなぁ。昨夜、あんなにたくさんご馳走をいただいたのに。
「お腹がすいてるみたいだね」
ウィルバートは笑うでもなく、蔑むわけでもなく、ただ穏やかに食事の用意をするようアナベルに命じた。
すぐにパンケーキが運ばれて来たのを見て、喜びのあまり私のお腹が再び大きな音をたてる。
「いただきまーす」
5センチくらいある分厚いパンケーキをナイフで切り分けパクっと口にいれる。
「んー、美味しい」
外は少しかりっとしていて中はふわっふわだ。しかもかかっているメープルシロップが最高に美味しい。
アナベルがウィルバートのためにコーヒーを用意している間に、3枚ものパンケーキを平らげてしまった。
「ご馳走さまでした」
「すごい食欲だね」
相変わらずニコニコと楽しそうに笑いながらウィルバートが言った。
「だってとっても美味しかったんですもの」
あまりのおいしさに本当はもう一枚食べたかったけれど、残念ながらお腹の方はいっぱいでこれ以上の食べ物を受け付けてくれそうもなかった。
「成長期なのかもしれないね」
そう言ってウィルバートはブラックのままコーヒーを口に運ぶ。そのカップを持つ手の動きはとても優雅だ。
成長期かぁ……
小学生の頃にはぐんっと伸びた身長も、ここ数年変化していない。きっとこれから先は、食べたら食べた分、肉へと変わるだけだろう。
「身長がもう少し伸びると嬉しいんですけど。でももう私も17歳ですから、あまり期待できませんね」
ガチャン!!
ウィルバートのカップがソーサーとぶつかり大きな音を立てた。
「えっと……」
な、なんで皆そんなに驚いてるの?
ウィルバートだけでなく、後ろに控えていたルーカスとアナベルも同様に驚きの表情を浮かべている。
「アリス、君は17歳なのかい?」
ウィルバートの青く澄んだ瞳が私を捉えて離さない。
「は、はい。そうですけど……」
皆の表情に戸惑いと不安を感じる私とは対照的に、なぜだかウィルバートは「良かった」と呟いて嬉しそうに笑った。
「アリス……君はまさに理想の女性だ。私と結婚してくれないかい?」
「はい??」
予期せぬ言葉に変な声が出てしまった。
けっこん!? けっこんって血痕……じゃなくて結婚の事!?
人間は驚きすぎると何も言えなくなる、というのは本当らしい。ウィルバートの言葉に固まってしまった私は、さぞやマヌケな顔をしていただろう。ポカンと口を開けてウィルバートを見つめることしか出来なかったのだから。
ウィルバートのプロポーズ(?)に、私より先に反応したのはルーカスだった。
「殿下、一体どうされたというのです。このような素性も知れぬ怪しい女性に突然求婚するなど、冷静な殿下らしくないではありませんか」
「アリスのどこが怪しいんだい? 異世界からの客人だと言っているだろう」
「それは本人が言っているだけで、実際に違う世界から来たという証拠はありません」
まだまだ言い足りない様子のルーカスを振り払い、ウィルバートが私を連れて来たのは昨日初めて出会ったあの書庫だった。
「ルーカスがうるさくてすまないね」
カチリっと全ての内鍵を閉め終えたウィルバートが私を振り向いた。
「ルーカスはわたしが幼い頃から付き従ってくれているせいか、少し過保護なところがあるんだよ」
そりゃ口うるさくもなると思うわ。だって自分の仕える王太子が昨日現れたばかりの女にいきなりプロポーズしたんだもの。
はっきり言って、ルーカスの言っていることは正しい。いきなり現れた私をすんなり受け入れた事に対しては感謝しかないが、昨日出会ったばかりでいきなり結婚話をするほど信用するのはどうかと思う。
しかもその女性が絶世の美女とかならまだしも、私みたいに冴えないんだから文句だっていくら言っても足りないはずだ。
残念なことに、私は見た目がすごくいいわけでもスタイルが最高ってわけでもない。頭はまぁ人並みだけど天才ってわけでもないし、何か特技があるわけでもない。良いのは性格だけかな……って、自分で考えてて悲しくなってくる。
私なんかが、こんな素敵な人からプロポーズされるなんて……
プロポーズ……ウィルバートの言葉を思い出すだけで、動悸がして体が火照ってくる。
本気なのかしら? いやいや……こんなステキな人が私に本気でプロポーズするはずがないわよ。
「座って話そうか」
ウィルバートに促され、書庫の中央に置かれている長机の椅子に向かいあって腰掛けた。
ふぅっ。やっぱりこの匂いはとっても落ちつくわ。
私のよく知る図書室と規模や豪華さは比べものにならなくても、書庫を漂う香りは大して変わらない。日常を思い出させる本の香りで、何とか落ちつきを取り戻した。
「あの、ウィルバート様……ウィルバート様には急いで結婚しなければいけない事情があるんですか?」
「特別急がないといけない理由はないかな。今はまだ王太子という気楽な立場だしね」
「そうなんですか……」
どうやら私の予想は外れたらしい。
てっきり急いで結婚しなきゃいけない事情でもあるのかと思っていた。いわゆる、偽装結婚とか契約結婚のためのプロポーズかと思ったのだけど……違うということか。
となると、どうしてウィルバートは私に結婚してくれなんて言ったのかしら?
「ウィルバート様は私のこと好きなんですか?」
「えっ?」
ウィルバートが短く驚いたような声を出した。
しまったぁぁぁ。
私ってば、なんでこんな直球の質問しちゃったのよ。
「さっきのプロポーズは本気なんですか?」とか、「どうして私にプロポーズしたんですか?」とか、もっと無難な聞き方があるのに!! 色々考えてたら、ついはっきり言ってしまった。
「私のこと好きなの?」 なんて台詞を使っていいのは、とびっきりいい女だけよ。間違っても私みたいな普通の女子高生が、見目麗しい王子様に聞いていい言葉なんかじゃないわ。
かと言って、今のナシで……なんて言うわけにもいかず、ウィルバートの視線から逃れるように俯いた。そんな私を見てウィルバートがくすりっと小さく笑う。
「わたしはアリスの事が好きだよ」
ウィルバートの言葉に胸の動悸が激しくなるのを感じた。
やだ……そんな返事がくるなんて想定外よ。
体が熱を帯びて、顔が火照ってくる。
「ねぇアリス……こっちを向いてごらん」
ウィルバートのハスキーな声はとても色気があって、名前を呼ばれるだけでゾクゾクしてしまう。
ゆっくりと顔をあげると、目を細めて優しく私を見つめているウィルバートと目があった。
そのカッコ良さに息が止まってしまう。あぁ、ドキドキしすぎて胸が痛い。
「ふっ。りんごみたいに真っ赤で可愛い」
ウィルバートの手が私の頰に触れた。
「あまりに可愛すぎて食べてしまいたいよ」
ウィルバートの長い指先が頬に触れた瞬間、体にビリっと電気が走ったような衝撃を感じる。思わず体がビクっと動いた。
「ごめんね。嫌だったかな?」
パッと指を引っこめて、悲しそうな顔をするウィルバートに慌てて嫌じゃないと伝えた。
「嫌じゃないんですけど、なんだか恥ずかしくって……その……男の人に触れられるの初めてなんで……」
向かい合わせで座っていたウィルバートは立ち上がり、私の隣に腰をおろした。
私の手にウィルバートの温かい手が重ねられる。
「突然結婚してほしいなんて言ってびっくりさせてしまったね」
「はい……びっくりしました」
びっくりしたなんて言葉じゃ全然足りないやしない。驚愕、唖然、青天の霹靂……どの言葉でも表せないくらいに驚いてしまった。
「あの……ウィルバート様……結婚してほしいって、その……本気ですか?」
「もちろん本気だよ。わたしが冗談で求婚するような男に見えるかい?」
それは見えないけど……じゅあホントのホントに本気って事!?
「わたしは君のような女性に出会えるのをずっと待っていたんだ」
私を見つめるウィルバートの瞳に熱がこもる。
「わたしとの結婚を考えておいてくれるかな?」
青く輝くサファイアのような瞳に捉えられて、私はただ「はい」と頷く事しかできなかった。
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