20.自分の気持ちが分からない
「はぅ」
ため息とも吐息とも分からない何かが口から漏れる。時間は遅いし体は疲れているのに、頭の中は煮えたぎっているかのように熱くて眠れそうもない。
私……ウィルとキスしたんだよね……
指でそっとなぞるように唇に触れる。
「はぅぅ」
恥ずかしさで体が小刻みに震えてしまう。ウィルとのキスを思い出すだけで、自然と顔がにやけてくるのをとめられない。
恥ずかしい、でも嬉しい、だけどやっぱり照れくさい……フリルのついた枕を思い切り抱きしめ、大きなベッドの上で身悶える。
あぁ……ウィルってばとっても素敵だったなぁ……
ウィルに抱きしめられた腕の感触がまだ体に残っている。抱きしめられると心臓が破裂しそうなくらいドキドキするのに、なんであんなに気持ちがいいんだろう。ウィルの大きな腕の中は温かく、なんだかとても幸せな気分だった。
枕を握り締めたまま瞳を閉じる。
それでも頭の中はウィルのことしか考えられない。何度も何度もウィルとのキスを思い出しては悶えてしまう。
もう一度指先で軽く唇に触れた。
はぁ……もう一度キスしてほしかったなぁ……
「って、私ってば何考えてるのよ!!」
自分の欲望に自分で驚き、バチっと目を開けた。
「わあっ」
目を開けるとあきれたような顔で私を見下ろしている小さな瞳があった。
「ノ、ノック!? いつからいたんですか?」
「10分くらい前からだな」
私が飛び起きると、ノックはベッドの上にあぐらをかいて座った。
「……いたんなら、早く声かけてくれればよかったのに」
「お前があんまり面白い顔してたから見てたんだ。何考えてたらあんな百面相になるんだよ?」
ううっ。
一人で悶えてるところを見られるなんて恥ずかしすぎる。
「別にたいしたことでは……そ、それよりノックが来るのは久しぶりですね」
何もこんなタイミングで現れなくてもいいのに。ウィルとキスしたなんて、ノックに知られたら何言われるか分かったもんじゃない。
「俺も色々忙しいんだよ」
ノックがはぁっと大きなため息をついた。そのノックの姿になんだか違和感を覚える。
「ねぇノック……もしかして小さくなりましたか?」
「はぁ? そんなわけねーだろ」
怒ったように立ち上がったノックは、やっぱり前よりも小さく感じた。
うーん……大きさは変わってないのかしら? だとしたら萎んだとか?
ノックがはぁっと再び大きなため息をついた。
やっぱり変だ。いつもは軽快に飛んでくるノックの口撃が今日は少ない。それにいつもより私に対する口調が緩やかな気がする。
忙しいって言ってたから、疲れてるのだろうか? まぁいつものフルパワーで文句を言われるより、これくらいペースダウンしてくれてる方が私的には気楽ではあるが。
正直このままでもいいんだけど、しょぼくれているノックが可哀想にも見え、テーブルに置いてあった箱を手にとった。
「これ食べませんか?」
箱の中にはロッククッキーが沢山入っている。その一枚を取り出してノックに渡した。
「お、これ美味いな。」
そう言ってクッキーを頬張るノックに胸がキュンとする。
なにこれ。ノックが可愛いいんですけど。
まるでリスに餌をあげてる時みたいな気分だ。
「あいたっ」
微笑ましい気持ちで眺めてるいると、クッキーを頬張ったままのノックに足をけられた。
「いきなり何するんですか?」
「お前今無礼なこと考えてたろ。」
「えっ? 何のことかしら?」
内心ギクっとしてノックから目をそらした。
「お前はすぐ顔に出るから丸わかりなんだよ!」
ノックはふんっと鼻を鳴らすと、再び胡座をかいてクッキーをかじり始めた。
「ふぅ食った食った」
満足そうな顔をしているノックにお茶の用意をする。さすがにノックが使えるコップはないので、私のコップにストローをさした。
「おっ。気が利くじゃねーか」
こんな風にノックに褒められると何だか変な感じだ。
「あ〜、生き返ったぁ」
冷たいお茶をストローで一気に飲み干したノックがふぅっと息をつく。神様の口から生き返ったなんて言葉が出るなんて、不思議なもんだ。
「神様も疲れるんですね」
「仕方ねーだろ。神ったって俺はまだ下っ端なんだから、上の命令には逆らえねーんだよ。だいたい毎年毎年ノルマノルマうるせえんだよ」
ノックがいまいましそうに愚痴を吐く。
ノックの話によると、この世界では読書の冬という言葉があるらしく、寒い冬の日には暖かい部屋でゆっくり本を読もうと言われているらしい。
ノック達本の神にとってこの時期は、本好きの人間を増やせるチャンスで、毎年寒くなると人間に本を読みたくなるよう働きかけているようだ。人間に何冊本を読ませたかというのは、営業成績のように表にして張り出され、ノルマ達成できないとペナルティもあるというのだ。
「へぇ〜。神様の世界も意外にブラックなんですね」
どうりで最近私の前に姿を現さなかったわけだ。
「来年までには絶対こんなノルマ地獄から脱出してやる」
神様が地獄から脱出したいって……
思わず笑ってしまいそうになりながら、頑張ってと声をかけた。
「何を人ごとみたいに言ってんだよ。お前も頑張るんだよ」
「へ?」
なんで私が?
首を傾げる私を見てノックが大きなため息をつく。
「分かってないのかよ。俺がこのノルマ地獄から脱出するには昇格するのが一番早いんだよ」
「あっ……」
ノックの昇格試験の合格条件……それはこの本の世界を決められた結末に導くこと。すなわちウィルバートがキャロラインと結婚するってこと。
「来年までに……っていうのは、ちょっと難しいかもしれない……ですね」
なんせ私とウィルバートの関係が、今日一歩前進してしまったのだ。キャロラインとの結婚までは依然遠いままだろう。
「まぁ期待はしてなかったが、今日の様子じゃいい話は聞けそうにないな」
ノックがはぁっと再び大きなため息をつく。
「もし、もしもですけど……ウィルがキャロラインと結婚しなかったらどうなるんですか?」
「……」
ノックが真面目な顔でじっと私を見つめる。その鋭い視線に、まるで頭の中をのぞかれているような恐怖を感じた。
「それはお前があの王子と結婚するという意味か?」
いつになく真面目な顔で私を見つめるノックの口調は静かだった。
「それはまだ分かりませんけど……」
「まだ分からないということは、結婚するつもりがあるって意味だよな?」
「それも分かりません」
「分からないってなんだよ? 自分のことだろ」
自分のことだけど、分からないものは分からない。
そもそも結婚というものが正直よく分からない。そりゃもちろん、私だって人並みの結婚願望くらい持ち合わせている。だからって今すぐ結婚したいっていうほど願望が強いわけでもない。
だいたいついこの間まで、恋愛とは無縁の生活をしてきたんだから。私が結婚をイメージできなくても当然だ。
今だってウィルと結婚するのは難しいと思っている。だってウィルは王太子で私は何もできないただの女子高生で……釣り合わない事を挙げてたらキリがない。
だからといって、ウィルと他の誰かが結婚する事を考えるのは嫌だ。いつかはそんな日がくる……仕方ない事だと頭では分かっても考える事を心が拒絶してしまう。
どうしよう……
私このままじゃウィルの事好きになっちゃうんじゃない?
「仕方ねーな……」
てっきり暴言が飛んでくるかと思いきや、ノックは私をバカにすることも責めることもしなかった。その態度がいつもと違いすぎて心配になってくる。
「やっぱり具合が悪いんじゃないですか?」
「はぁ?」
「いつもなら『お前は馬鹿か!!』って怒鳴ってるじゃないですか」
「なんだそりゃ」
ノックは鼻でふっと笑った。
やっぱりおかしいよ。
怒鳴られるのは嫌だけど、怒鳴られないのもなんだか調子が狂ってしまう。
「まぁ、どっちにしろ俺はこのノルマ生活が終わるまでは会いに来てやれないからな。お前が今後どうしたいのか、ゆっくり考えとけよ」
ただそれだけ言い残すと、いつものようにあっというまに消えてしまった。
今後どうしたいかなんて考えてもいいの?
いつかウィルとキャロラインが結婚して私は元の世界に帰る。それ以外の未来を考えてもいいんだろうか……
あーあ……さっきまであんなに浮かれてたのに、一気にもやもやしてきちゃったわ。
自分の気持ちも、これからのことも、何も分からない。ただぼんやりと天井を見つめながら、眠れぬ夜を過ごした。




