人を恐れる国
聳え立つ山岳の中を、一台の車が駆け抜けていた。小柄な車には、一人の少女と灰色の猫がいた。
「サクラっ、よくこんなルート選んだねー…。しくじったら死ぬよ?」
猫が言うと、サクラと呼ばれた少女が返した。
「大丈夫よシロ。人間と戦うのは無理だけど、自然と戦うことぐらいできるわよ」
「人間相手でも粉砕できる癖に…」
シロは小さく呟いた。
その後、彼らは山岳の上についた。その先には盆地が見えており、街が見えた。
サクラとシロは拍子抜けした。何故なら、入国審査が行われなかったからである。
「山岳に囲まれているから気にしてないのかなー?だからって入国審査しないのは危ないのにさー」
「そうよね。別に私は悪いことしたりしないけど…」
そして、彼らは驚いた。国内で、外出している人が全然いなかったのである。疎らにいる人達も、誰とも会話せず目を合わせることも無く移動している。サクラを見た途端にダッシュで逃げる人すらいた。
「ここは…対人恐怖症の国なのかな」
「皆恐れてるもんねー。サクラに対してでもなく、全てに対して恐れてるから不思議だよねー」
「でも…対人恐怖症だらけなら子孫が残らず直ぐに滅びている筈よ。でも、建物はかなり年季が入っているわ。空き地だった国に他の人達が入ったとか…?」
「何にせよ、聞いた方が分かるよー」
シロが指し示す先には、地面に倒れている男性がいた。その人だけは、他人を気にすることも無さそうであった。
サクラが近づいても、その男性は逃げる様子を見せなかった。サクラが声をかける。
「あの…こんにちは。この国の方ですよね?」
男性は黙って頷いた。
「この国は少し不思議で…質問しても宜しいですか?」
「…………あぁ。」
男性が初めて声を出した。
「この国は何故、国民が他人との交流を避けようとするのでしょう?それと、何故そんな中貴方はそうなっていないのですか?」
「…………」
「言ってちょーだいよー」
「………あぁ。いいさ」
男性が重い口を開く。
「皆物語を書き続けた結果さ」
男性の話を聞いて、サクラは首を傾げ、シロは
「え〜?どういうこと?」
説明を促した。
「言ったままだ。この国の国民は何百年も前から本を読むのが大好きだったのさ。だから当然、本を書く人間も多かった。最近は技術の発達で、手元の機械から物語を書けるようになった」
「いいことじゃーん。才能ある人が発掘されるからさ」
シロが言うと、男性は複雑そうに続けた。
「ああ。それは良いことさ。…だが、暫くすると四六時中機械とにらめっこして物語を書く奴が出始めた。しかも、そんな奴に限って名作を出すもんだから、それに憧れた奴らがどんどんそうやって書くようになり、そんな奴が増えてった」
「…では、まさか」
「勘がいいな、お嬢ちゃん。そうさ、気がつけば皆機械にしか顔を向けられなくなっていた。機械の中でしか、他人と話すことも出来なくなったのさ。間もなく、子供から大人まで誰も彼も家族とすら、一緒に生活出来なくなった」
「皆が目を反らしたのはそういうことかー」
「この国に入って来る時、入国審査されなかっただろ?それは、旅人と会うことに耐えられない奴ばっかだからさ。家族とすら顔を合わせられないのに、見知らぬ旅人と話が出来る訳がねー」
「…では、貴方は?貴方は何故、私を見てもなんともならないのですか?」
「………」
男性は少し黙ったが、やがて言った。
「見えないからさ」
「見えない?どういうこと?」
「俺はちょっと前まで、売れっ子の小説家だったんだ。さっき言った、四六時中機械とにらめっこしてたっていうのは俺さ」
「へー。良かったじゃん」
「売れっ子作家になった後も、俺はずっと書き続けた。そしてある時…
視力が急低下して、ほとんど見えなくなったんだよ」
「しかし、貴方は先程私をお嬢ちゃんと…」
「全く見えない訳じゃない。ぼんやりとは見えるのさ。それに、あんたの発言で年齢を何となく予測してたのさ。当たってて何よりだ」
サクラは文字通り絶句した。発言から年齢や性別を予測されていたのだから。
「皮肉なことに、そうなって俺は目が覚めたのさ。そんなことになってまで、本を書く必要なんか無いってな。後の祭りだったが」
「…そう、でしたか…」
「最初は死のうかと思ったさ。だが、何故か死ぬことは出来なかった。心の何処かで、まだ死にたくないと思ってたのさ。なんでなのか、良く分からんが…」
「………」
「それで、こうなってるのさ。まさに死に生きるって感じなのさ。情けねえが」
サクラとシロは間もなく出国した。
「サクラ、あそこまで他人と触れ合えないなら、間違いなく子孫が作れないよねー」
「数年すればもう滅びるでしょうね。でも…
彼らは子孫より物語を書くことが大事なのよ」
その頃、物語のサイトに1つの作品が出された。少女と猫の話だった。出したのは嘗て一世を風靡し、その後活動を辞めた小説家だった。そして、タイトルには短く「遺作」とだけ書かれていたが、国の誰もがそれの正確な意味を汲み取れていなかった。亡くなるのは彼ではなく…