50.疵痕2
◇◆◇
ルイーゼ、エルウィン、マルグリート、そして例の男の四人は売り場から離れ、大聖堂内にある食堂へ移動することになった。
男はマルグリートに話をしたそうにしていたし、マルグリートもそれに応えようとしていた。
ルイーゼは、マルグリートと男を二人きりにすることに不安を覚えた。男は、武器を携帯していたり、殺傷沙汰に発展しそうな雰囲気を醸し出していたりしたわけではない。漠然とした不安が、ルイーゼを動かした。そんなルイーゼを一人にできるはずもなく、エルウィンもついてくる結果となった。
男と一緒にいた女性は男の妻で、子供たちと共にバザーを見て回るようだ。「身は貧しくとも、心まで貧しくはない」を体現するような、明朗快活な子供たち。心根の優しさと美しさが表に出ているような、明るく美しい面立ちの中にどこか影を潜ませている女性。
彼女もマルグリートに見覚えがあるようで、複雑な表情を見せていたが、最終的に子供たちの世話に戻った。
去り際の瞳に、強い後悔が見て取れ、何か言葉をかけたくなったが、ルイーゼはかけるべき言葉を持ち合わせてはいなかった。
時間のせいか、バザーという催しのせいか、食堂に人影はまばらだ。男性陣と女性陣に別れ、向かい合うようにして席に着く。
ルイーゼの向かいには男が座った。マルグリートの向かいに男を座らせることを、ルイーゼが躊躇ったからだ。当然、その判断にエルウィンは若干の懸念を匂わせていたけれど。
「ルイーゼ様、エルウィン様、彼は私の……元・婚約者の親戚にあたる方です」
マルグリートにそう紹介をされるが――エルウィンは記憶を失っているのでピンと来ないし、ルイーゼはマルグリートの夫の話自体が初耳だ。聖女という響きと、若くして修道女になったことから、結婚とは無縁の存在だと思っていた。
しかし、それは変な話だ。もし聖女が生涯独身というのが普通なのだとしたら、ソフィアのあの振る舞いはありえない。なぜ、自分はそんな思い込みをしたのだろう?
驚いているルイーゼとエルウィンに、マルグリートは自分の生い立ちと、『番い持ち』の男と出会い恋に堕ちて、当時の婚約者を捨て聖女になった過去を話した。
『神の奇跡』について、当時も今も、教会は何一つ理解していなかった。だから、女性であるマルグリートが神の力を持っている聖女だとされた。マルグリートを番いにした男は、時の王から叙爵され、それなりの地位と権力を得た。そんな男に愛されて、マルグリートは確かに幸せを感じていた。……男が死ぬまで。
男が、元・婚約者に、故郷に、何をしたのかとなど知る由もなかった。番いを失った彼女に残されたものは、罪の証だけだった。
衝撃の告白に、ルイーゼは言葉が出ない。
マルグリートが後悔している。後悔しかしていない! 神に愛された人間に、『運命の恋人』となるよう洗脳されて、大事なものを……家族さえ全て焼き捨てられた。
――じゃあ、エルウィンは……エルウィンは……大丈夫なの?!
今、まさに番い持ちの少女から『運命の恋人』にされているエルウィンはどうなる?
なぜ、そんなことをする人間が神に愛されているのか。それはまるで邪神じゃないか。神はこの世界を滅ぼしたいのか。
ルイーゼは隣に座るエルウィンの表情を窺うが、彼の表情に変化は見えない。自己への興味がないのか、心配そうに彼を覗き見るルイーゼの様子を窺うほどだ。
「どうした?」
「なんでもないです……」
「……」
逆に問いかけられ、「あなたの今後を心配してます」なんて言えるはずもないルイーゼは、彼から目をそらしテーブルに視線を落とす。
「……本当に、申し訳ありませんでした。私は、何も知らずに豪華なお屋敷で多くのものを享受していました」
全てを語り終えると、マルグリートが立ち上がり男に頭を下げた。
「いえ、止めて下さい、俺は貴女を責めるために声をかけたわけじゃない!」
男が慌ててマルグリートを止める。
静かな食堂に二人の大声はやけに響いたが、それを咎めるような者もいなかった。今日は本当に人がいない。
「謝りたかったのは、俺たちの方だ。俺たちなんだ……諦めようとしなかったあいつに、貴女を諦めるよう仕向けたのは――」
男は机に手をつき、項垂れる。ぽつりぽつりと、雨のように懺悔の言葉がこの場を冷たく浸食する。
「貴女たちが、どれだけ愛し合っていたのか、知っていたはずなのに……困惑していた貴女のことも、ちゃんと見ていたはずなのに……受け入れようとしないあいつを、俺たちは力尽くで諦めさせようとさえしたんだ……」
それが、ある日いきなり、歪められていた認識が元の正常な状態に戻った。何が起こったのか、最初は意味が分からなかった。突然正気に戻ったと言ってもいい。
「あの時は、それがおかしいことだなんて思わなかったんだ! 貴女とあの男は、出会うべくして出会って、愛し合うべくして愛し合ったんだって! それは当たり前のことで、邪魔をしているあいつが悪いと思ったんだ、だから――」
男の言葉は、ルイーゼにも覚えのあるものだった。
誰にそうするよう指示を受けたわけでもないのに、ソフィアの望みを全肯定するのは当然のことだと、そう思っていた。朝が来れば日が昇るように、日が沈めば夜になるように……。
「村が焼き討ちされた後も、聖女であるマルグリート様の邪魔をするから……当然の罰だと思った。あの村にはあいつだけじゃなくて、マルグリート様のご家族も住んでいたのに……分かっていたはずなのに……誰も、助けに行こうともしなかった。俺は……あの時……」
そこから先、男は言葉を続けることができなかったが、ルイーゼには彼が何を言おうとしていたのかが分かった。きっと、満足していたのだろう。正義がなされたと、 神の意向に従ったのだと、そんな錯覚さえ覚えながら。
エルウィンの記憶が消えて、寂しさと同時に、ルイーゼは安堵を覚えていた。その安堵は、彼の身の安全が保障されたことに対してでもあったが、間違っていたものがようやく正されたような、そんなものも含まれていたに違いない。
男の口からは、マルグリートを責めるような言葉は一切出て来ず、ルイーゼの心配は杞憂に終わった。代わりに、彼の口から出てくるのは謝罪と後悔の言葉ばかり。彼女の夫が亡くなってから何年経ったのかは分からないが、たとえ長い年月が経過していたとしても、彼らの心の傷は全く癒えていない。もしかしたら死ぬまで、否、死んでもその傷は消えないのかもしれない。
「もう、やめましょうその話は。今更、誰にもどうすることもできない話なのですから」
マルグリートは、深く沈みながらも落ち着いた口調でそう締めくくった。
会話は終わり、食堂を出て行く男をマルグリートが見送りに出て、食堂にはルイーゼとエルウィンが残された。
これから聖女の夫となるエルウィンに、こんな話を聞かせるべきではなかった。聞いた後で悔やんでも、もう遅い。
「大丈夫か?」
こんな時でさえ、エルウィンはルイーゼの心配をしている。ソフィアを愛してなどいないと口にした彼。彼が自分だけを愛するようになるまで、ソフィアは何度でもエルウィンから奪い続けるだろう。
「エルウィン……様は――」
「その心配は不要だ。俺には失って困るものなど初めからない」
売り場に戻ると、子供の大きな泣き声が聞こえてきた。
この手の催しで、子供の泣き声が聞こえてくるのは珍しいことではない。伯爵令嬢であるルイーゼには聞き慣れない声ではあったが、焦燥を覚えるほどのものではない。
そんな中で、その声の主にルイーゼが関心を抱いたのは、その子供たちが先ほど話をしていた男の家族だったからだ。
「あの、怪我でもされましたか?」
この人込みだ、可能性はゼロじゃない。そういった時のために救護所も設置されている。ルイーゼは直感の赴くままに男たちの方に動くその後を、エルウィンが慣れた様子でついていく。
「パレード見たいぃ」
「聖女様見たいぃ」
そう言って少年と少女がぐずっている。
両親への反発心が子供たちに芽生えているのか、泣きながらも両親には抱きつこうとせずに、子供二人はお互いの手を強くつなぎ、両親を可愛らしく睨み付けていた。
「あの、なんでこんなことに?」
「さっき、近所の子供たちにお披露目式の話を聞いたみたいで」
ルイーゼの問いに、母親が少し困ったような顔をして答えた。情報交換だけでなくちょっとした自慢話も入っていたのだろう。子供たちがぐずるワケだ。
両親が渋る気持ちは分かる。近づけば何かに巻き込まれてしまうかもしれない。あのような話をした後だから、尚更そう思ってしまうのかも知れない。
「おい、余計なことに首を突っ込むなよ」
背後から耳打ちをされる。低い声と吐息が耳にかかり、そんな場合じゃないのに顔に熱が籠もりそうになる。
「そんなことしません」
「さっきからの君を見ていると……今ひとつ、信用に欠けるな」
「それは心外です!」
子供たちは怪我をしているわけではなさそうだ。それを確認すると、用はすんだだろうと言わんばかりの勢いで、エルウィンはルイーゼをこの場から離そうとする。
そうこうしていると、なぜか子供たちの視線が自分たちに向けられていることに、ルイーゼとエルウィンは気づいた。今の彼は、自分から子供に優しく語りかけるような性格ではなくなっているので、ルイーゼが子供たちに問いかける。
「どうしたの?」
「お姉さんたちは恋人なの? 夫婦なの?」
「……ッ?!」
子供は空気を読んだり声を落としたりしない。
思いついた疑問は隠すことなく問いかける。周囲の喧噪にかき消されて、無邪気な問いが広まることはなかった。
――どこをどう見たらそう思うのかしら?! 私、変なことしてないわよね?!
「俺は不審者と内通する趣味はない」
――そんな身も蓋もない言い方しなくても……。
多方面に向かって言いたいことは山のようにあったが、ひとまず。
「当日はかなりの人出になるだろうから、行ったところでちびっ子には見えないかもしれないわ? あなたたち、ご両親の肩車が出来る年齢はもう過ぎているみたいだし」
ルイーゼの発言で、子供たちは即諦めた――ように見えた。
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