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29.新たな婚約


 マルグリートがシュティーフェル邸にルイーゼを見舞ってから、数日が経ち、ルイーゼの身体は徐々に、回復の傾向が見られるようになってきた。


 結婚前のルイーゼが、いつまでもシュティーフェル邸にいるのも世間体が悪い。体調が回復してきた頃を見計らい、ルイーゼはメーベルト伯長男ジェヒュー・メーベルトが暮らす別邸へと移されることになった。


 すぐそばで体調を確認できないこと、そしてソフィアがいるメーベルト邸の敷地内にある屋敷ということで、エルウィンはかなりの不安を覚えたが、逆にルイーゼに説得されてしまった。

 ジェヒューに、毎日見舞いに訪れることについての許可をもらい、エルウィンはようやく納得した。もちろん、ソフィアには内密に。




 ジェヒューの屋敷に移り数日、マルグリートが置いていった品のおかげか、ルイーゼの体調は万全ではないけれども、落ち着いてくるようになった。

 走り回ることはできないが、日中歩いても問題ないくらいには回復していた。

 ジェヒューは、呪術の対処ができるような特殊技能を習得しているわけではない。別邸にいればソフィアの意識がルイーゼから外れるからだろうかと、彼は推察している。


 そして、エルウィンはマルグリートと共に毎日、ルイーゼの下を訪れた。

 マルグリートが同行を了承したのは、彼女も個人的にルイーゼの体調を心配していたせいもあるが、今回の番い関係の帰結を見届けたいというのが一番の理由だった。自分がどのような結末を望んでいるのか、マルグリート自身もまだ分かってはいないのだが。




 そんな日々の中、とうとうメーベルト伯夫人の我慢が限度を超えた。


「あの子を、これ以上卑しい者達のために損なうのは耐えられないわ!」

 と、勝手にルイーゼに新しい婚約者をあてがおうとしているのだ。

 ソフィアがそれを知ると、ルイーゼの体調は更に快方へと向かった。


「娘と()の婚約を、正式なものにしましょう。そうすれば、あの子(ソフィア)の気も済むでしょう。シュティーフェルの息子も、ルイーゼが大事ならば受け入れるでしょう」

「しかし……」

 躊躇を見せるメーベルト伯のことなど、夫人は意に介さずに続ける。

「あの二人ならば無理に社交界に顔を出す必要も無いでしょう。メーベルトの名も、シュティーフェルの名も、名乗らせなければよいではありませんか。一生、教会の奥深くにでもいてもらいましょう」

「お前はなんということを!」

 あんまりと言えばあんまりな物言いに、ルイーゼもソフィアも平等に愛している()()()のメーベルト伯は声を荒らげるが、彼女ももう限界だったのだ。


「あなたは娘が可愛くないのですか?! あんな卑しい血を引く小娘のために、わたくしの高貴な娘が! なんたること!」


 メーベルト伯夫人はもう、完全に拒絶していた。

 あの小娘も小僧も排除したかったのだ。高貴なる己の血を引く娘のために。

 メーベルト伯はそんな夫人を説得することはできない。

 ルイーゼを救うのに、それ以上の妙案など浮かばなかったのだから。


 シュティーフェル伯とメーベルト伯は、先日のソフィアの立ち居振る舞いに、彼女は貴族社会で表立って過ごすのは無理だろうと結論づけていた。

 だから、ルイーゼを正妻に、ソフィアを愛人にと話は進められそうだったのだ。



 メーベルト伯夫人をどうにか説得できれば、という前提ではあったのだが。





 ◇◆◇ ◇◆◇



 その日、ルイーゼは朝から体調が安定していた。良好とさえ言えた。

 ソフィアが、メーベルト伯が何のために別邸へ向かったのかを、知っていたからだ。

 ルイーゼが別邸へ移されてから、メーベルト伯も毎日見舞いに訪れていたのだ。()()に忙しい夫人の分も。夫人は別邸へエルウィンが通っていることを知っていた。彼に対して、申し訳ない気持ちが全くないと言えば嘘になる。

 けれど、夫人は生粋の貴族でしかなかったのだ。



「お前の新しい婚約について、話が進んでいる」

「はあっ?!」

 無駄に体力が戻ってきたルイーゼは、全力で否を返そうとしたが、そこまで体力は戻ってなかったらしく、膝から崩れ落ちた。

 そんな娘を心配し、メーベルト伯が駆け寄る。


「お母様ですね、そんな話を進めているのは!」

 ルイーゼは体力はなくとも、己の意志を貫く気力を失ってはいなかった。


 彼女の予想は当たっていた。

 先陣を切って話を進めているのはメーベルト伯夫人だ。相手は夫人の母方の親戚である、隣国・公爵家の次男坊――表向きは。その実、彼は王と公爵夫人との間に出来た不義の証しだ。

 継承権の関係で、自国内では良い縁談を見つけることができずにいた彼に、メーベルト伯夫人が目を付けた。

 隣国の醜聞など、情報過多とはいえないこの国ではマイナス要因にはならない。

 しかも隣国の王族とコネクションができるのであれば、それに超したことはないと、メーベルト伯夫人は考えたのだ。


 というようなことを、メーベルト伯はルイーゼに告げた。


「近いうちに、顔合わせのために相手が来ることになっている。お前も心を決めておけ」

 そうメーベルト伯は締めくくったが、「はい分かりました」と納得できるほど、ルイーゼは物わかりのいい娘ではないし、そう演じる気もない。

 ルイーゼが大人しく言うことを聞くとは、メーベルト伯も考えていない。

 だから、ルイーゼから了承の返事を聞く前に、別邸を後にしたのだ。


 二階の窓から、本邸へ戻る父親を見下ろしながら、ルイーゼは決意を固める。


 ――他国の王族とか出てきたら、手遅れになってしまう。こうなったら、駆け落ちするしかないわ! 


 固くそう決意したルイーゼだったが、帰宅したメーベルト伯の様子を見て、夫人はそのことに勘付いた。それはある意味、母としての勘ともいえる。


 そのため、エルウィンが帰宅した後、今後の身の振り方を言って聞かせようと、夫人はルイーゼの下を訪れた。

 彼女の中で、それは既に決定事項だった。ルイーゼが反発することは分かりきっていたが、それが娘のためになると、彼女は彼女なりに最善の方法を選んだのだ。

 ルイーゼが望み幸せになれるのであればと、最善ではないけれどエルウィンとの婚約も認めた。けれど、今回の番い騒動で全ては水泡に帰した。


「お断りします! 今更どこの誰とも分からない人と婚姻を結ぶくらいなら、修道院に行ったほうがマシよ!」

「お前は貴族に生まれた娘としての……」

 声を荒らげるルイーゼに対し、夫人はあくまで冷静に言葉を返そうと努める。

「私がどこかの貴族と結婚したからといって、領民に寄与されるものなんか何一つないでしょう! そういう台詞は、返せるものを提示できるようになってから言うものです!」

「なんてこと――!」


 かっとなった夫人が、ルイーゼの頬を打つ。


「図星だから叩くのでしょう? お母様の思い通りにならないから。(しん)に領民のことを思うのなら、いかんともしがたい貧富の差を少しは埋めてはいかがです? する気がないなら、貴族階級にしがみつく道具にしたいだけだと言い切られた方が()()だわ!」


 ルイーゼも夫人も、お互い一歩も譲らないまま話は平行線で終わる結果となった。


 夫人は本邸へ戻る直前、ジェヒューの嫁にルイーゼを部屋から出さないようにと、強く言って聞かせる始末だ。別邸を実質仕切っているのは長男ジェヒューの嫁であり、彼女はメーベルト伯夫人の忠実な下僕だった。





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