022:プロポーズ
迷宮都市の中はロイの働きによってすっかりまとまりを見せていた。彼の面倒見の良さがよかったのか、迷宮都市の空気がもともとよかったのかは不明だ。
おじいちゃんは相変わらず同じ場所で辻占の真似事をしていて、ロイの家にはこない。
迷宮を展開したまま外には出られないらしい。前を通ると占ってくれて、先日はアカネが探していたジャムの瓶がおじいちゃんの占いによって出てきたのだ。
「なあ、おじいちゃん」
「なんですかな?魔王様」
洋介は、迷宮の奥へ続く岩肌の場所に今日も辻占として座るおじいちゃんに声をかけた。占いをしてもらうわけではないが、ここへきたら向かいに座って話すのがすっかり2人の日常だ。
「おじいちゃんは何歳くらいなの?」
「ふむ……さぁてのう。魔王様の数十倍は生きてますかな」
「その間にさ?誰の眷属にもならなかったの?」
洋介の問いにおじいちゃんは不思議そうに、目を数回瞬いた。
「ありえませんな。私の魔王様はあなただと心に決めていましたから、魔王様がここに来られたのも必然なのです。あなた様がゲートをくぐった時はこの老体もビシビシとしびれました。眷属とはなるべくしてなるもので、互いに引き寄せあうものですから」
おじいちゃんは満足そうな顔で、ゆっくりと何度もうなずいた。満ち足りた心の内を表すように。
「じゃあアカネやウグイスの迷宮に行ったのも、ヤマブキの迷宮も、マホガニーに会ったのも全部道筋通りってこと?」
少しだけ不愉快そうに眉を下げた洋介に、おじいちゃんはまたゆったりと首を横に振った。
「違いますな。縁は惹かれあっているだけに過ぎません。そこに決められた手順も、導きもなく、ただ惹かれあっている。だからこそ縁は必ず繋がり、眷属は唯一無二の主人に忠誠を誓うのです」
「……10年以上こっちに居て、眷属のいない友康はどうなるんだよ」
「勇者はよっぽどでなければ、眷属を持ちません。これは理であり、どうする事も出来ない事象……ですな」
おじいちゃんの微笑みに、どこか誤魔化された気になった。迷宮だけが眷属になるわけでもないことは、マホガニーが証明済みだ。迷宮に出入りしていなくても、そういう機会はあるはず。
「最近名付けスキルがキレッキレな気がするんだよね」
はぁ、と頬杖をついて目を伏せる洋介に、おじいちゃんは「ほほっ」と軽い調子で笑った。
「スキルの練度が上がったのでしょう。今だと本来眷属になる縁のないものまで、お身内に抱き込んでしまいますから、くれぐれもお気をつけくださいね」
おじいちゃんの警告に洋介は押し黙った。意図せず名付けたおじいちゃんのように、名前らしいものを呼ぶだけで眷属にしてしまうのでは、気を付けようもない。おい、とか、おまえ、とかで眷属にしてしまう可能性もある。
世界一恐ろしいスキルではなかろうか。
洋介がそうしておじいちゃんと話し込んでいると、マホガニーが伝言をもってきた。
客が来ているので戻ってきて欲しいと。
客に心当たりはなかったが、戻ってきて欲しいといわれれば戻る。肩書き魔王様なのだから。
「いつから伝書鳩の仕事を?」
からかう洋介に、マホガニーがフンと鼻を鳴らした。不本意ながら眷属は洋介の居場所が分かるので、1人だけ暇なマホガニーは伝言に打ってつけだ。
「あの女、相当キレてやがるぞ。ああやってふつふつと顔だけ笑ってるやつは1番やばい」
マホガニーが言うあいつ、が誰か検討もつかない。ここへ訪ねてこられるような人間が居ただろうか。今はただでさえヤマブキのスキルで隠されているのに。
ロイの家に戻ったとき、馴染みのテーブルでアカネの入れたお茶を飲む客を見たとき、洋介は顎が外れたんじゃないかと思うほどポカンと口を開いた。そこに座っていたのは、王国ギルドのマスター、アミタ・マルタだったのだ。
女神と見まごうような美しい人が、雑多なこの家に居るだけでもアンバランスだ。
「こ、こんにちは……。そ、その、お久しぶりですマスター……」
差しあたっては挨拶。
たじろぐ洋介に、アミタは微笑みを深めた。マホガニーの言っていた事が痛いほどわかる、笑顔が怖すぎる。
「君の活躍は聞いていたよ。ヨースケ」
笑顔をやめてください、そう懇願したくなるほどに恐ろしい。なまじ美しい顔をしている事もあり、その笑顔から放たれる威圧感がすごい、並ではないのだ。
「しかし今回は本当にやってくれたね、依頼も出ていない老舗の迷宮都市を……こんな形で消し去ってしまうとは」
アミタの笑みは、熱した鉄板に落とした水のように、一瞬でじゅわっと消え失せた。スッと通った鼻筋と、表情を変えた目元が彫刻のように美しいが、こちらに伝わる怒りも、彼女の表情に比例して大きくなる。
「粗方はレオンとマクシムに聞いた。だがどうにも解せないな。千里眼で一応は見ていたんだけどね、迷宮の中は不鮮明だし、我々が生まれるより前からある迷宮が、魔王の眷属になったと言うのも度し難くてね……」
額を押さえるアミタは、説明してくれ、と洋介をみつめた。スキルに表示されていた千里眼とは、まんま遠くを見られるものらしい。どのような感覚なのか是非とも自分も体験してみたい、と洋介は密かに胸の内で考えていた。
真剣な目をされると、質問とはちがうことを考えてしまうのは悪い癖だ。
「それ以上の事はないですよ……。あ、納得できなければおじいちゃんに会いに行きますか?」
たじろぐ洋介だったが、説明するより見る方が早いと提案した。しかしアミタは首を振る。
「我々の種族は訳あって迷宮には立ち入れない。迷宮が移動していることは確認している……中の住民はどうしたのだ?」
「彼らはロイがまとめてくれてて、一応みんな俺の家臣って事になりますかね?」
「馬鹿なことを言うもんじゃないよ。王都までとは言わないが、都市内にはかなりの人間がいたはずだ。それもならず者だらけなんだから、その全員をまとめるなどできるわけがない」
「そのあたりの事は私から報告させてください」
話に割って入ってきたのは、洋介の後ろに立っていたロイだった。
「君がロイだね?どうぞ」
アミタはコクリと頷いて、視線をロイに向けた。
「迷宮内にいたのは約二万五千人、そのうちのおおよそ千人は迷宮を去ったと思われます。兵士として魔王軍所属になったのは一万人。その他治安部隊や医療部隊、孤児院の所属、または店舗の経営などでさらに一万人。残る四千の民は病気で戦力外であったり、子供であったり……働き手としては難しい者らでした」
「わかってはいたが、凄まじい偏り方だな。軍に入れる者が半数近くも居るとは」
眉間のシワも、不愉快な顔もアミタは隠すつもりがないようだ。やれやれと大袈裟に肩を竦める。
「彼らは、腐ってはいなかったようです。なんせ活躍の場を欲していましたから。不思議ですが、迷宮の雰囲気がそれほど殺伐としていなかった事も関係していたのではないかと」
「迷宮の雰囲気?」
訝しげにこちらを見るアミタは、ロイにその意味をたずねた。
「迷宮の恋人がとても穏やかな老人ですので、その柔らかな雰囲気が都市内にも影響を及ぼしていると思われますね」
確かな確信を持ってそう言ったロイに、洋介も全力で同意した。確かにおじいちゃんのあの和やかな雰囲気には話をするだけで、いや、迷宮に入るだけで心地の良いものを感じるのだ。迷宮都市に住んでいたら、その影響を強く受けるのは間違いないだろう。
「無法地帯だったにも関わらず、思っていたほどの事はありませんでした。なんなら王都のスラムの方がひどいですよ」
レオンもそこに同意した。出入りをしていれば必ず感じるだろう。入る前と入った後では心の持ちようがかわる。長らく迷宮からでない住民には、それがまるでメンタルセラピーのように作用している事だろう。
「なるほど、ではひとまず迷宮都市の住民らが暴れだすような事はないという事だな」
アミタが胸を撫で下ろした姿を見て、洋介はこれだけは言わないといけないと、ある事柄が浮かんだ。友康の事も絡むので、うまく伝えられる自信がないが、ギルドマスターの憂いが迷宮都市の住民の事ならば必ず言わなければならない。
「マスター、ロイが指揮しているので無謀な暴れ方はしないでしょうけど、自分ら今は勇者と戦ってる最中で、何か事が起こる可能性はありますから」
洋介の言葉に、迷宮姉妹がうっとりしているのを端に捉えながら、彼は唖然とするアミタに言葉を続けた。
「もちろんこっちは、できないことを強いるわけじゃないですよ?彼らが俺を魔王と崇めついてくる以上は、共に戦う戦力ですから。迷宮の外に出て暴れます。なんなら今も行軍練習とかしてますよ、裏の山利用してね」
ロイが満足そうに頷いている。彼らを鍛えている真っ最中で、魔王軍であることに誇りを持てと尻を叩いている。洋介のための戦力を、秩序のないゴロツキにするつもりなど初めからない。
「頭が痛くなる話だ。君がギルドに登録している以上は王都ギルドに籍があり、私の管轄、私の部下ということになる」
じろりとマルタがこちらを睨んで、洋介はピンときた。
「責任をとらされると困るってことですね?」
「ちがう、アホか。なぜ私が責任を持たねばならん。ギルドは仲介人でしかない……部下は例えだ、すまない」
……ようするに俺たちギルド員は、個人事業主ってことか。一応ギルドって組織はあるけど、責任や給料、勤務の管理は個々だもんな。
「まあ、ギルドが一応組織として名乗っている以上は、俺たちの行動を時には諌めないといけないってこと?」
「……諫めるほどでもないが、文句は言いたい。ギルド員の所業である事は間違いがないので、問い合わせがこちらに来るからな」
ムゥ、と少しふくれたマルタに、洋介は驚いた。神様と言われたらそうですか、と頷けるほど美しい顔が人間らしい表情でこちらを少し睨むのだから。
「まあなんだ、週に一度は報告書をあげてくれると助かる。他国のギルドに問い合わせされて、知りませんではちょっとな……」
「報告書……ですか」
うーんと洋介が首を傾け、顔をしかめた。それにマルタは訝しげな視線を向け、言葉の続きを待つ。
「めんどくさいのでギルドやめます」
洋介が言うその言葉に驚いたものなど誰もおらず、マルタはわかっていたと言わんばかりに頷いていたし、レオンとマクシムもやっぱそうなるよな、と苦笑いしている。
「一万人の軍隊を持ってんだぜ? ギルドに所属する意味もないだろ。妙なしがらみで駆り出される前に、抜けた方がいいと思ってた」
マクシムはにやりと微笑み、洋介の肩に手を置いた。
「活動資金はどうする?」
アミタの指摘にはレオンが答えた。
「今のところ、ロイにならい自給自足という形でどうにかなりそうですね。これから冬の蓄えをどれだけできるか心配していたのですが、この山は冬の方が食べ物が多いようです」
「つまり君ら3人を引き止める事はできないってことか……」
アミタは残念そうに眉を下げる。洋介はその顔になぜかソワソワと心が落ち着かない。そればかりか、理由もわからずアミタを仲間にしたいと思っていた。
初めて会った時からそうだったが、今はそれをさらに強く感じる。スカーフを返せば、彼女と自分は関係など無くなってしまう。迷宮姉妹に、茶の礼を言って帰り支度をする彼女を、どうにか引き留めたくてたまらない。
「マスター!」
洋介は「ではな」と腰を上げたアミタの手を握っていた。驚きに動きを止めた彼女は、不思議なものを見るかのようにこちらを見ている。
「よかったら魔王の嫁になってください!」
素っ頓狂な願いだっただろうか。洋介の言葉で、周りの空気が一変した。迷宮姉妹は怒りで今にも飛び込んで来そうだし、レオンは顔を真っ赤にしていた。面白そうに笑うマクシムとマホガニーに、ロイは頭を抱えてうずくまる。
それを楽しそうに微笑んで、ヤマブキがこちらを見ていた。
真剣な視線でこちらを見つめ続ける洋介に、ただただ驚いて動きを止めていたアミタは、何を言われたのかやっと理解し、火が吹き出そうなくらい頬を赤らめた。
「き、きみは馬鹿なのか?! 私がいくつか知っているのか!?」
「知ってますよ、68歳でしょ?」
「女性の年齢をそんなあけすけに言うものではない!」
「聞いたのはマスターじゃないですか」
ああ、とアミタは眉間を押さえてため息をついた。軽く振り払う手を、まだ洋介は離さない。
「一体どう言う意味で言ってるんだ」
「そのままの意味ですよ。俺の妻になってほしいってことです」
「……君からしたら私はおばあさんだろうが」
「誰から見てもそうだと思いますけど、俺から見てもあなたは美しい女性ですけど」
アミタはさすがにたじろいだ。真剣に見つめる洋介が、冗談を言っている訳ではないようだ。
「私はラルヴァの民だ。君らより多少長生きで、不老だ。死ぬまでこの姿はかわらん。けれど68歳の私は、君らで言う45歳くらいか……どの道年上すぎるだろう、子は望めぬし滅多な事をいうな」
「45歳全然守備範囲ですね」
ニカッと笑う洋介に、アミタは一歩引かざるおえなかった。恐怖さえ感じる。
最初にも仲間に誘われたが、伴侶にと言われるほど彼と関わった記憶はない。なぜこんなにも執着されるのか、まったく、心当たりがない。
「マスターの仕事をどうするかとか、いろいろあると思うのですぐに返事をくれなくてもいいです。また俺から聞きにいくんで、それまでに考えてもらえませんか?」
至極あたりまえ、とでも言いたげな洋介に、彼女はもはやため息すら出ない。
「目的がわからん。何のつもりで私を引き抜くのだ」
「引き抜くつもりなんてないですよ、ただあなたが俺の隣で魔王業を支えてくれたらいいなって」
あっけらかんとした彼の言葉は嘘ではないだろう。アミタはこれ以上の問答は無駄だ、と帰っていった。
「どう言うつもりか説明してくれませんか?」
アミタを見送った後。青筋を浮かべたレオンは、洋介ににじり寄る。当の本人はキョトンと首を傾げるばかりだ。
「だってマスターがあんまり綺麗だからさ」
「だからなんだよクソヨースケ!」
後頭部に手刀をお見舞いしてくるマクシムに、洋介は苦笑いを返す。
「いくら何でも無茶苦茶すぎます。ギルドマスターがどれだけ大変な仕事か……彼女の代わりは少なくとも王都にはいませんよ」
「レオン……それは彼女がヨースケの嫁になるのをよしとしているように聞こえるぞ」
ロイが吐くため息は深い。洋介が頭をかいて微笑むが、迷宮姉妹は心穏やかにはいられず、ついに彼の前に飛び出した。
「あんまりですわ! 主様ァ! 妾達がおりますのにィ!」
「そうでございまする! 嫁を娶れば我らは主様の寝所に出入りできぬのですよ!? 主様に添い寝出来ぬのです!」
「ううん?」
眉を下げ困ったな、と洋介は微笑んでいるだけで、発言を撤回する様子もなく、迷宮姉妹は2人揃って首を垂れた。夕食の支度をします、とキッチンへ引っ込んでしまった。
「意味はないよ。マスターのことは綺麗だなって思ってたし、そばにいてくれたら心強いなーって」
「そりゃ、心強いどころの騒ぎじゃねぇぜ。マスターはもう30年マスターやってんだ。他国のギルドよりも発言権もあるし、何より強いからな」
頷きながらマクシムが言った。それにはレオンも同意するようだ。洋介の言い分にレオンもマクシムも、それとこれとは話がつながらないとボヤいたが、洋介が気になるのは最早、アミタからの返事だけだった。




