表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/14

<陸´>

 犬上は全てを語った。何故語ったかと言えば、それは私を引き留めるためだったのであろうし、何を語ったかと言えばそれは、七月初旬に県立東柳童高校で起こった怪事件の全てを、語ったのである。


 その告白の中には、当然のことながら、我が校の校庭に無数の穴が穿たれたことや、我がクラス、二年五組のホームルームの窓ガラスが悉く打ち砕かれた事件の犯人が、犬上祐であったという事実も含まれていたのである。


 その件に、伊瀬丙という人物が如何に関わったのか、犬上祐という人物が何に不満を持ち、何を犠牲にしようとしていたのか、そしてどんな信仰を復活させてしまったのか、その一切を洗いざらいに、包み隠さず、惜しげも恥ずかしげもなく、私の突っかかりにも一々応対しながら、彼は語り尽した。


 伊瀬と犬上が何故唐突に仲良くなったのか、という長らくの疑問も、予期せずしてここでようやく解消されたのだった――。


 犬上は成功と輝きに満ちた人生に不満を持っていた。そしてその不満を解消するために、犬神という古い信仰を独力で現代に甦らせ、でっち上げ、自らを犠牲にするという形で、利用しようとしていた。彼は、罪には罰が与えられなければならないという建前を、頑固に貫くつもりでいたのである。


 犬上の回想は私にとってはあまり聞いていて気持ちの良いものではなかった。いや、いつもながらに、遠慮なく言ってしまえば、かなり不快な話だったのである。


 他ならぬ私にとっては、全く不快極まりない話だった。


 ――成功ばかりの人生が、失敗のない人生が退屈で、つまらなかった? ふざけた話だ。そんな人生は、ただ幸せなだけじゃないか。そこに何の不満があると言うのだ。


 私には、犬上が何故悩み、結果として犬神などという、俄かには信じ難い呪いを生み出してしまったのか理解できない。


 共感することも同感することも、同情することも、全く出来なかった。


 当たり前かもしれないが、私と犬上とでは、根本的な価値観が異なっている――。


 そう、異なっているのである。


 私が犬上の理由を理解できないように、多分犬上も、私が神にまで為ってしまった理由を理解できない。私にとって犬上の悩みが贅沢なものであるのと同じに、犬上にとって、嘗て私の抱えていた、そして恐らく今も抱え続いているであろう悩みなど、ほんの些細なこと、なのである。


 いや、その意味で、私たちは同じなのかもしれない。私たちは、全く別な動機に始まって、しかし結果として、似たような事象を引き起こした。


 一人は神を生み出し、一人は神に為った。


 不理解も不快感も、そう考えると些か和らいだように感じられた――。


 同じという話をすれば、何より、私たち二人を救ったのも同一の人物だ。


 伊瀬丙。彼が身を挺してくれていなければ、犬上は自らが生み出した犬神に喰い殺され、私の魂と呼ぶべきものは、我らが母校に通う生徒たちの信仰心によって押し潰されていたことだろう――。


 私は犬上に全てを白状した。七月の終わり、祠の噂が学校中を席巻していたあの時期に、何が起こっていたのかを、また私が何故あの場所で、常人から見れば普通ではない行動を取っていたのかを、である――。


 犬上が語ったのは、自らの愚かな失敗であり、恥ずかしい失態だったのである。それは本来誰にも告げず、永遠に秘匿すべき、秘密であるはずだった。犬上本人と、伊瀬だけが知っているだけで良い事実だった。


 それを全て聞かされたのである。そうまでして犬上は、今現在私の身の回りで起きている不可解な出来事について、話がしたい、と言ったのである。端的に言って犬上は、私に協力を申し出てくれたのだ。


 だから私は、話した。これもまた秘匿すべき、恥ずかしい私の過去を、その思いまでをも隠し立てすることなく真正直に。


 そうすることがせめてもの誠意だと思ったから――。


 「――そうか。まあ、でも、俺がお前に声を掛けたのと、あいつがお前を助けたのとじゃあ、やっぱり理由が丸っきり違うんだろうけどな。俺は伊瀬ほどに、お前のことを大切には思ってないんだろうし」


 私の要領を得ない語りを、それでも犬上は一回で呑み込んで、そんな繕いのない感想を溢した。


 犬神の顛末を聞いた今となっては、それがどういう意味での発言なのか、人情というものに疎い私でも、大体は推察できる。


 理由。それを犬上に尋ねれば、『そうすることが正しいことだから』と答えるのだろうし、伊瀬に訊けば『自分のためだ』と返答するのだろう。


 勝手な決め付けかもしれないが、犬上が言わんとしたのは、きっとそういうことだ――。


 「お前には謝らなくちゃならない」


 「そうか? もう既に、そっきから謝られてばかりの気もするが」


 「大丈夫だ。さっきまでのはそんなに悪いとは思っていない。社交辞令だ」


 犬上はさらりと言いのける。流石は世渡り上手と言ったところだろうか。


 「どうしてお前が、社交辞令ではなく、本心から、私に謝らなければならない」


 「うちの学校で祠の噂が流行ったのは、俺の所為、だからだ。俺が犬神の証拠を探して校庭に穴なんて掘らなかったら、犬神に願って教室の窓を割っていなかったら、その事実を公表してさえいれば、学校の皆が不安になることもなかった」


 犬上は表情を崩さなかった。それは、反省の色が見られない、ということでは決してない。彼は深く反省しているからこそ、表情を変えなかったのだと、私は思う。そんな外面上の謝意で済むような話ではないと、彼自身が自覚しているのではないかと、感じられたのである――。


 「お前が犬神を生まなければ、私も、伊瀬を傷付けることがなかったはずだと?」


 祠の信仰を生んだのは、生徒たちの不安感である、と犬上は推測した。それを知っていて、私のことに手を出さなかったのは、またぞろ自分が、おかしな信仰を生み出してしまわないとも限らない、と考えたからだそうだ。


 だから、責任を感じながらも、自分から積極的に動こうとはしなかった。


 「しかし、それは違うな。確かに、お前のしたことは反省すべきことなのだろう」


 ――私が言うのも、本当に何だが……。


 「私が伊瀬を傷付けたことと、関係していると言えばそうだ。だけど、お前の責任ではない」


 これは、犬上を庇うための言葉ではない。ただ事実として、厳しい現実としてそうなのだ。


 「伊瀬を傷付けたのは私だ」


 ――それは私だけの責任で、私だけの所為なのだ。だから他の誰の所為でもない。


 「あいつが傷付いたのは、私が馬鹿で、弱かったからだ。それを誰かに押し付ける気はない」


 ――でなければ、私はまた同じ失敗を繰り返す。


 「勝手に責任など感じるな。お前はキャプテンで、人より多くの責任を負っているのかもしれないが、それは男子バスケ部だけの話だろう?」


 「……ああ。そうだった」


 母親と同じ目をして、犬上ははにかんだ。


 ――あの親にしてこの子あり。笑った顔を見て初めて気付いたが、性格のみならず、顔の造りもよく似ている。


 「それで、犬上。お前には、『あれ』が見えていなかった、んだよな」


 犬上は、私がまるで見えない『何か』と話しているように見えた、と言った。私の周囲に、人影は見なかった、と。


 「ああ。少なくとも俺の目には、お前以外の何者も映ってなかった」


 「ん? 私は今、告白されているのか?」


 ――もう俺の瞳にはお前しか映らない、みたいなことを言われた気がした。


 「ごめん。お前の女子からの評判の良さは知っているが、残念ながら私の好みではない。全く」


 「いや、告白したつもりなんて全くないけどな」


 ……うーん。


 真面目なイメージがあったので勝手に思い込んでいたが、この男、ツッコミを得意とする硬派キャラ、ということではないらしい。犬上はやはり、天然なのだ。


 天然と馬鹿。語感からして、馬は合いそうだが、相性は悪そうだ。


 冗談の通じない相手でもないのだろうが、比べる相手が悪いのか……?


 「これをお前に言ってしまうのも何だが、しかしどうも伊瀬ばかりと常日頃から会話をしていると、他の人間のツッコミでは満足できなくなってしまうなあ。私はもう、あいつなしでは生きられない体になってしまったのか……」


 「伊瀬が聞いたら発狂して喜びそうな台詞だな」


 ついでに調子にも乗りそうなので、本人に聞かせるのはよそう。


 「――真面目な話、どうしてその伊瀬に、相談しないんだ? 俺は犬神のことならあれこれ調べもしたから、ある程度知識はあるし、俺みたいな例があることを伝えることでお前の助けになるかと思ってそうしたわけだけど、はっきり言ってその他の事なんて、全く以て素人なんだぜ? お前だって、そうなんだろ?」


 それはそうだ。私は神にこそ為ったが、それであちらの世界、彼岸の世界のことに関する専門家になったわけではない。それどころか私自身が為り代わった神のことさえも、私はその詳細を知らないのだ。


 知っていたのは伊瀬であり、縁ちゃんであり、それに加えるならばあの魔女である。


 「第一に助力を仰ぐべき相手は伊瀬だろう? こんなことに素人が、それも一人で対処しようとするなんて、普通じゃない」


 尤もだ。犬上の意見は、常識的に考えれば正しい。今起きている事態を早く解消したいのならば、何に先んじても伊瀬丙を巻き込むことが妥当な判断だろう――。


 「別に今更遠慮する必要なんてないと思うけどな。お前は伊瀬にとって、命を懸けるほど、大切な人間なんだから」


 そうだ。だから私は生きている。私に誇れるものがあるとすれば、それはあいつに、自分の命と同等程度の価値があると思われていることだけだ。驕った言い方かもしれないが、ここで謙遜しては、伊瀬があの夜、学校の校庭で私にしてくれた行いを穢すことになる。


 「私は遠慮をしているわけではない。あの日伊瀬は、私にとっても、命を懸けられる……いや、自分の命以上に大切な人間になったのだ」


 それに、竜と交わした約束がある。


 縁ちゃんには、伊瀬がまた無茶をしないようにしてくれと、頼まれている。そういう約束で、私は彼女に赦されたはずなのである。


 その寛大な罰則を反故にはできない。


 「相手の危険度が分からない以上、私はこの件をあいつに話すつもりはない。伊瀬は、あいつは友達のためなら、世界の全てを敵に回しても構わない、なんて馬鹿なことを言う奴なのだ。私の窮地など知ったら、何をするか分かったものではない」


 ――実際、頭蓋骨を複雑骨折した、なんて冗談を言っただけで、慌てて飛んで来ようとしたくらいだ。


 もし私がまた命の危機に陥れば、あいつもまた命を懸けてそれを防ごうとしてくれるだろう。だから、絶大に信頼しているからこそ、あいつに今回のことは伝えられない。命懸けのシチュエーションになる可能性があるというだけで、たとえそれがどんなに僅かな可能性であろうと、伊瀬を事件に絡ませる選択肢は除外されるのである――。


 「お前にあれが見えていなかったというのであれば、これはどうしようもなく、私の問題だ」


 犬上にあれは見えていなかった。それは他の誰にも、私以外の全員に、感知できないということでもある。


 思えば焼け焦げた私の家の周りに集まった人々の中にだって、あれの存在に気付いている者はいなかった。いくら誰も彼もが野次馬に夢中だったからと言って、あんな尻尾と耳なんてものを生やしたコスプレ女子高生に、一人も気付かないなんてことはあり得ないだろう――。


 「さて、本当にもう、行かなければ」


 雨はまだ強く降っている。どころか、先ほどより更に激しさを増している。雷鳴ももう間近にまで迫ってきている。


 ――だからこそ、いい加減、ここを離れなければ。


 「かなり降ってるぞ?」


 「ああ。飛び出してきてしまったのでな。流石にいつまでも雷の落ちた自宅を放置するわけにもいかない。――ありがとう。お前の話は参考になった……かは分からんが、考える材料にはしてみるつもりだ」


 「そうか。まあそこまで言うなら止めはしないけど、せめて傘くらいは、って……あー、それよりまずは着替え、だな」


 親切なクラスメイトは、また私を一人残して、恐らく自分の箪笥がある部屋へと去った。


 私は縁側まで足を運んで、雨の降る、鳴る神の外を眺めた。


 相変わらず酷い雨である。バケツをひっくり返したような、とはよく言うが、まさにそんな、ザーザーと言うよりも、轟々と、と表現した方が正しい雨が稲妻と共に降っている。


 この驟雨が昨今の都市化や地球温暖化の影響で極端化した、ただの気象現象なのか、それとも私と生き写しの姿をした『あれ』の引き起こしている現象なのかは定かではないが、前者であると断定出来ないというだけで、不吉な予兆であるかのように思えた。


 まあ、豪雨などと言うものを、吉兆と取るポジティブな思考回路の持ち主がいるとも到底思えないが、今回の場合、相手が雷を誘発する力を秘めている可能性があるだけに、余計に不安に思えてならないのである。


 積乱雲の中心は、もうすぐそこまで来ている。稲光と雷鳴の時差は、最早感じられなくなっていた――。


 犬上は数十秒もしないで戻ってきた。


 彼が襖を開けたのと同じタイミングで、また一つ、しかし今度は目も眩む明るさで光り、網の目のような稲妻が空を駈け廻った。文字通り間もなく、一瞬の間も置かず、轟音が鳴り響く。


 近くに落ちたかもしれない。そう思うと、焦りは一層増した――。


 犬上はやはり私のことを気遣い、家に戻る気なら母親に頼んで車を出そうかと提案したが、その申し出は断らなければならなかった。この常軌を逸して善良な家族までをも、私のことに巻き込むわけにはいかなかったのである。


 魔女は言った。あれを解決できるのは、私だけだと。得体の知れない彼女の言葉をそのまま信じるわけではないが、私自身がそうだと今はもう確信してしまっている――。


 ここに来てからどれくらいが経っただろう。靴を借りてすぐに引き返す予定が、随分と長居をしてしまった。


 この雷雨の中、出立することに犬上はまだ賛同しきれない様子だが、かと言ってこれ以上引き留めるつもりもないようだった。私の焦燥を悟ったからなのかもしれない――。


 私は善良なる部活仲間から借り受けた練習着に急ぎ着替えた。


 Tシャツとショートパンツ。当然ながら残念なことに上下ともに私には大き過ぎて、だらしない見た目になってしまったが、ズボンの紐さえきつく結んでおけば、特段問題はない。私の場合、走れればそれで良い。


 着替えた制服やら靴下やら下着やら、それから壊れた革靴などは、後日引き取りに来る手筈となった。あの変に堅物な伊瀬に言わせれば、交際相手でもない男の家に下着を、それも使用済みの下着を預けるなんて言語道断なのだろうが、そこは犬上家の善良さと厚意に甘えさせてもらうことにした。


 私たちは互いの連絡先を交換しあった。言わずもがな、荷物引き取りの際のことを考えてのことである。


 私のスマートフォンの連絡先一覧に、二人目が加えられた瞬間だった。


 部活動の連絡も、前日のミーティングで済ませている私にとっては、伊瀬に続いての二件目だったのである。勿論、両親の連絡先は登録されていない。あの人たちは、私に携帯を買い与えた時点で、私の連絡先を聞かなかったし、私もまた教えなかった。両親が私に連絡手段を持たせたのは、単に、健全な学生生活、交友関係を行わせるためだったのである――。


 連絡先交換の後、犬上は頼まれずとも私を玄関まで案内した。彼が気の利かない男だったなら、私から案内を頼んでいたことだろう。この家は、先導がいなければ迷ってしまうほどに広い――。


 たたきに降りて、用意してもらった新品のランニングシューズに足を入れる。


 「どうだ? 靴のサイズ大丈夫か?」


 「ああ。ほとんどぴったりだ」


 引き戸越しに、雨の地面を打つ衝撃が伝わってくる。


 門まで送ると言う犬上を、濡れるからと制止して、私は靴の紐を固く結んだ。


 「この傘持ってけよ」


 言って、犬上は脇の傘立てから紳士用の黒い傘を一本引き抜いた。柄の部分を見てみると、門で見たのと同じ家紋が入っている。この家は、傘一本を取ってみても、何と言うべきか、世界観が違う。


 「あー、これなあ。成金っぽくて、俺はあんまり好きじゃないんだけど、これが一番でっかいんだよ。他に良いのは……」


 犬上が再び傘立ての中を物色し始める。


 「いや、傘はやっぱり良い」


 「良いって、お前、濡れるぞ?」


 至極当たり前のことを言う犬上に


 「避けて行くさ――」


 と啖呵を切って、玄関の戸を空け放ち、私は雨に駆け出した。


 ……一秒後、愚かな私がどうなったかは、最早語るべくもないだろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ