前編
「お義母さま。わたくし、今日で14才になりました」
ボロボロの服を着たシンデレラが普段は現れない居間の真ん中に堂々と立ち、華美に着飾った義母とその連れ子である義姉たちと対峙する。
「あらそうなの。でも、この家では誰も貴女の誕生日を祝ったりはしないわ。
誕生日などというものは上品で身奇麗な人たちだけが祝ってもらえるものなのよ。貴女のような汚い女の子には無縁のもの。
分かったならさっさとお行きなさいな。その薄汚れた身体で立たれると居間の絨毯が汚れてしまうじゃないの」
義母の嘲笑に義姉たちも便乗して意地悪い笑みを浮かべる。
「おお。嫌だわ。ゴミの臭いが漂ってまいりましたわ。お洋服に染み付いちゃうわ」
「美しくないものは目障りね。折檻されないうちにさっさとお勝手で掃除でもしてきないさいな。シンデレラ」
「……」
いつもは素直に従うシンデレラがどうしたことか言うことを聞かない。それどころか冷たい双眸でジットリと三人を見つめ続ける。
「なに。反抗するの。シンデレラ。
今すぐ出ていかないと中庭のポンプに縛り付けて鞭で打つわよ」
2番目の義姉が金切り声を上げ、1番うえの義姉が卓にあったペーパーナイフを握る。
だが、シンデレラは動じない。傲然とした態度で腕を組む。
「お義母さま。そしてお義姉さま方。
貴女方はわずか数年前に我が家に入り込んだ、いわば新参者。ボスコーノ家の生粋の生え抜きであるわたくしがもの知らぬ新参者にボスコーノ家の伝統をお教え致しますわ。
それは実力主義。
ボスコーノ家では14才になるまでの子女たちは大人たちの保護の対象で、目上の人の言いつけには絶対服従ですが、14才からは実力に見合った地位が強制されるのです。つまり、適材適所。家の発展のため一切の無駄を省くシステムがとられているのです。
先ほど申し上げたようにわたくしは14才になりました。そこで、わたくしは実力に見合った地位を貴女方に要求します!」
3人はシンデレラの言葉に絶句する。
「わたくしはこの数年間、貴女方を観察してきました。
お義母さま。
貴女は家政にも領地経営にも向いておられませんわね。そのうえ贅沢好きで見栄っ張り。散々美食をし使いもしない装飾品を買い漁り、おかげで我が家の財政は火の車。領民たちの一部にすら借金をこしらえているというではありませんか。
おまけに娘たちの教育すらも満足にできず、甘やかし放題。
ご覧なさい。ご自分の娘たちを。我が儘いっぱいのペラペラで、なんの努力もしようとしない怠惰な甘ちゃんたち。こんなのでは素敵な殿方を一生涯かかっても獲得することは無理ですわね」
「何が言いたいの?」
「お義母さまでは家が立ち行きません。家長として失格ですわ。
地位をわたくしにお譲りなさい」
「……」
黙り込む母親を見て娘達が騒ぎ出す。
「シンデレラ。なんて生意気な!」「家長になるですって!痛い目に合わないとその妄想、頭から払えないのかしら」
これに対してシンデレラはニコリとする。
「なるほど。実力の一端をお見せしないと納得してもらえませんか。
お義姉さま方。先ほど、中庭で云々と囀っておられましたが、よろしい。僭越ながらわたくしが世間の荒波というものを実地で教えて差し上げますわ。中庭にお出になってくださいな。汚れてもいい格好で」
シンデレラが軽く首を回すとゴキリと音がした。
3人が震え上がったのは言うまでもない……。
+
「ボンジョルノ。シショリーナ」
丘の坂道で羊たちを追う牧童たちが一斉に帽子を脱いでシンデレラに挨拶をする。これに対して、たくましい黒の牝馬に乗ったシンデレラが軽く頷き返す。
わずか4年でボスコーノ家は近隣の地主たちの中でも指折りの豊かな家となった。
起伏の激しい乾燥した領地ではあるが、そこかしこにオレンジとオリーブの木々が植えられており緑でいっぱいである。丘の水はけの悪い斜面にはぶどう畑があり、それ以外の場所はパッチワークのように麦畑が広がっている。
すべて農民たちとシンデレラの努力の成果である。
シンデレラは真面目な農民に土地と資金を提供した。シンデレラは井戸を掘り風車小屋を立てた。シンデレラは水路を網の目のように広げた。シンデレラは季節の寒暑を読み、ふさわしい作物を植え、穀物市場で投機をした。シンデレラは谷川沿いに紙漉き工場を建てた。シンデレラは南の湿地帯でうなぎの養殖に投資した……。
やることすべてが成功した。運ではない。冷たい双眸がすべてを読み切っていたのだ。
家に戻り黒革のブーツをメイドに脱がせたシンデレラは義母に声をかける。
「お義母さま。わたくしも18才になりました。
宣言通り、今日から貴女にこの家の財布を任せますわ。もっとも、月に一回はわたくしが監察に入りますが」
「……大丈夫かしら?わたしで」
「大丈夫ですわよ。お義母さま。
困ったことがあれば家令のサルヴァトーレに相談なさってくださいな。彼の言うことをよく聞いておれば間違いは起こりませんわ」
「……」
困った顔をする義母にシンデレラは微笑みかける。
「サルヴァトーレは『尊敬すべき男』ですよ」
その言葉を聞いた義母の顔が引き攣った。『尊敬すべき男』とは地元で通ずるマフィオーゾの顔役を指す隠語であったからである。
義理の娘は裏社会の人間とも通じている……。なんという化物だろう!
「王都でのお仕事は2年ほどかかる見通しですわ。随分と家を空けることになりますけど、頑張ってくださいね。お義母さま。
ああ。そうそう。その間に行き遅れたお義姉様方には必ずお嫁に行ってもらってくださいね。お二人には持参金として年5分の固定利回りの国債100万リラ分をすでに用意しておりますから。
高望みさえしなければ、まず大丈夫じゃないかしら。少し年上の近隣の地主様とかロマンスグレーの商家の旦那様とか、候補はいっぱいいらっしゃいますわよ」
たしかに今では飛ぶ鳥を落とす勢いのボスコーノ家の名前と国債100万リラの持参金があれば大抵の殿方は諸手を挙げて歓迎するであろう。しかし、この提案を受け入れることはシンデレラの軍門に完全に降るということであり、娘たちに残された最後のプライドまで踏みづけにされるということである。
自分はもう年老いて魅力が半減しているから諦めもつく。でも、娘たちは……。
義母の苦り切った顔を一瞥してからシンデレラは部屋を出ていく。
「あくまで挑戦し続けたいというのならわたくしも止めは致しませんわ。挑戦し続ける精神とはどんなものでも尊いものですから」
ひとり残った部屋の中で少し白いものが混じった頭を垂れた婦人が涙をこぼした……。
+
「殿下!すぐお逃げください。早く!早く!」
頭から血を流した近習が転がるようにして中庭のあずまやに駆け込んできた。
「な、なんですか。いったい!?」
王太子が紅茶の入ったカップを皿ごと持ったまま固まってしまう。
そんな王太子の前を腰に細剣を佩き軍服姿の女性が立った。
「案内ご苦労様。近習さん。
でも、そこにいられるとわたくしの王太子殿下への挨拶の邪魔になるわ。おどきになってくださいな」
「殿下!こいつは狂犬です。危害を加えられないうちに早くお逃げく……」
ドガッ
黒革のブーツに蹴られた近習がボールのように転がり飛んでいく。
「殿下。お初にお目見え致します。
わたくしはシンデレラ・デ・ボスコーノ。南部で小さな領地を持つもと伯爵の娘でございます。
殿下が広く剣術指南役を求めていると聞き及び、自薦しに参ったものでございます」
「はあ?僕、そんなこと求めたことあったっけ?
聞き違えじゃないの?うちにはグイド師範がいるし」
14才の王太子は目をぱちくりする。
「グイド・デ・ラフォンティーヌ殿なら先ほど職を辞されましたわ。殿下。
わたくしがコテパンに倒してしまいましたから」
「へっ!?」
「ときに殿下。
殿下は女性の社会進出についてどういった感想をお持ちなのでしょうか?やはり旧態然として女性は家で夫を助け子を育てるのが天職であり、社会進出などもってのほかとお考えなのでしょうか?それとも男女の区別なくその能力に見合った職に就くことは当然であるとお考えなのでしょうか?社会の効率性からいって後者の考え方が理にかなってますから、聡明な殿下におかれましては当然、後者ですわね。ね!ね!ね!」
「やだー。なんか、このひと怖い。誰かいない?誰か来て僕を助けて!王宮警護隊!近衛騎士団!」
「やれやれ情けない。
殿下。殿下。
ボスコーノ家では14才ともなれば大人の仲間入り。こんな淑やかな少女を前に狼狽えるなど王太子としての威厳もあったものではないですわね。
仕方ありませんわね。やはりわたくしが剣術指南役兼家庭教師兼側近兼軍事顧問としてお助け申し上げねば」
「なんか要求が増えてる!しかも恩着せがましい!?」
「ちなみに先ほど槍を持った兵卒や騎士の格好をした連中を2個中隊ほど平定しておきましたから、どれだけお叫びになられましてもだれもいらっしゃいませんわよ。
それにしてもなんて弱い連中なんでしょう。いずれわたくしが元帥として国軍の中枢を担うとしてもあんな役立たずな部下はいりませんわ。今のうちに全員解雇なさってくださいな。殿下。税金の無駄使いですわ」
「!?」
王宮秘史には、この時、厚かましい少女の登場に後に賢帝と呼ばれることになる少年は口を半開きにして呆けるほかなかったと記されている。
+
王太子16才の誕生日。
現国王が国の内外を問わず上は27才から下は14才までの令嬢を集め王宮でパーティを開いた。国内の3つの派閥からの突き上げに嫌気を催した国王が王太子自身に嫁選びを丸投げしたのである。
パーティには王太子妃候補の令嬢たちばかりでなく国内外の紳士貴顕が呼び集められきらびやかな王宮内部は一層華やいだ。
「これ。娘たち。
常時、冷静沈着でありなさい。一部の見落としなく観察し(候補の)誰を強制排除し誰を恫喝し誰を懐柔するかを見極めるのです。
遠慮することはありません。貴賎の上下を問わずすべての候補を蹴落としておあげなさい。貴女たちはそのために今まで苦しい思いをして精進してきたのです。さあ。胸を張って堂々と戦いに勝利なさい。頂点を目指すのです!」
「王宮へ一歩踏み入れた瞬間から戦いはもう始まっているのです」と娘たちにハッパをかけているのは言わずと知れたシンデレラの義母である。2年前、シンデレラから屈辱の宣告をうけた彼女たちは発奮し人生の大逆転を賭けて今日まで努力を続けてきたのである。
「あの。お母様。シンデレラが候補にいないようですわよ。おかしいですわ」
2番目の娘が周りを見回して不審気な声を出す。
「そう。でも、そんなことに気を回さず、あなたは勝負に集中しなさい」
「で、でも、あの子、ちょっとは見られた顔をしていたからてっきりわたしは……」
「あれは骨の髄からの力の信奉者。女でありながら女を捨てたもの。他人の権力には見向きもしない。
わたしたち女が自身に磨きをかけ殿方を手玉に取るというやり方はあれにとっては少々頼りないらしいわ。
権力は利用するものではなく自身が掴み取るもの。それがあれのポリシーなの。
フン。でも、男社会はあれが思っているほどやわではないわ。そのポリシーがどこまで貫けるやら」
義母は持っていた長扇子をピシリと自分の左の甲へと打ち付けた。
「今日、あなた方が勝利するということは忌々しいあれに女のトラディショナルなやり方の凄さを存分に見せつけることにもなるのよ。
さあ。わたしたちの屈辱を雪いでおくれ。娘たち!」
義母たちが闘志をみなぎらせていると突然、音楽が止みファンファーレが鳴り響く。
「国王陛下並びに王太子殿下の御成り!」
年老いた公爵がひとり、開けた扉の前で杖を響かせ声を上げる。
入場した国王と王太子に対して紳士淑女が一斉に腰をかがめる。
「余がアルフォンソ14世である。
遠路はるばる我が愚息のために集まってくれたことを嬉しく思う。
みな。大儀である。今宵は大いに楽しむが良い」
華やかな音楽が再び奏でられ男女の舞踏がはじまった。