探検開始
そして、三時間後。言うまでもなく台風の接近のおかげで避難キャンプは海辺からホテルの残骸がそびえ立つ崖下へと移動していた。とはいえ、地震の直後だ。余震の危険性を考慮しそのすぐ下は避けた上で無数のテントを張っている。
一つのテントにつき約八名が鮨詰め。そのテントが七つ。当然のことながら足が出てします。その中に含まれるのは体力のあるであろう救助隊の男性達と、
「いやー、いい風だよね優」
ご意見無用で引きずり出された俺と若干名。
「風が強いのは苦手です。匂いが消えてしまうので」
知ったことか。
「寒いねお兄ちゃん」
つーかなんで渚ちゃんがここにいる? おい、緋色。子供は避難させるべきじゃないのか?
「だって渚ちゃんがボク達から離れないんだよ。それに、早くお母さん達に会わせてあげたいしね」
もうぶん殴っていいか?
「あはは、優に殴られるボクじゃないよ」
現在俺達がいるのはもろ崖下。時折上から土の破片が落ちてくるのがご愛嬌だ。つーか、場合によっては速攻死ねる。
だけど、同時に目の前にあるのは暗闇だ。
周囲が薄闇に包まれつつあるというのに、それは完全に漆黒。崖下の壁面にあった巨大な亀裂。
「鍾乳洞探検ツアーの入り口ですね」
と犬子さん。
「元々は鹿児島にも似た火山地帯だったらしく、見られる鍾乳洞は立派なものらしいですね。とはいえ、今日の地震で根こそぎ崩れているでしょうけど」
あの、俺達はそんな場所に入る予定なのらしいですが?
「ここの大地は粘土質ですから簡単には崩れないはずです。まあ、鍾乳洞は除くので串刺しになる可能性も無ではありませんけど」
そんな可能性はいらねぇ。
とはいえどんなことがあるかもわからない。俺は携帯電話を取り出し充電を確認する。
「地下では携帯電話は使えませんよ?」
知ってますよ犬子さん。とはいえ、最近の携帯は色々便利なんです。ましてや俺のは緋色対策で色々改造してありますから電力は必要なものなのです。
「なるほど」
「ボク対策ってどういうこと?」
自分の胸に聞いてみろ、この迷惑呼び込み体質め。
そんなことよりこの鍾乳洞ツアー観光するに至って装備は整え終わったのか?
「当然さ! カロリーメイトとチョコレートは完備済みさ!」
俺は問答無用で拳骨を落とす。
「痛い! なにするのさ君は!」
というか常識で考えてください。人類なら文明の利器の準備は当然のことだよ緋色。
つまりは懐中電灯くらい準備しろバカ!
「そ、そんなものは君が用意すると思っていたからボクは必要としなかっただけさ」
ああそうだな。おかげさまで人数分用意してるさ。勿論渚ちゃんの分は除いている。なんせ、彼女は予想外の参加者だ。というか置いていくべきだろ。
「外の台風っていか低気圧、十分危険なレベルだよ。それならボクの近くのほうが安心さ」
今の内に言っとくぞ緋色、思い上がるのもいい加減にしろ。
「そうは言うけどね優。ボクは外に渚ちゃんを置いておく方が危険だと思う。正直言うなら、外の人達全員この洞窟に入るべきだと思ってる。細かい数字は理解できないから言わないけど、今来ている低気圧は爆弾低気圧って呼ばれる自然災害一歩手前なんだよ。場合によっては地盤の弱った場所に設置したテントなんか焼け石に水だよ」
そんなことは知ってるよ。だから、補強工事を行った鍾乳洞の洞窟のほうが安心だって言いたいんだろ? だけどそれは地震が起こってなかったらの話だ。
「なら、状況は変らないよ。どこにいたって変わらない」
まあ、そこまで言うなら従うさ。とはいえ納得なんかしないからな。だってそうだろ? 被害に被害を並べて品評するようなものだ。どっちが危ないかなんてこの際関係ないんだ。重要なのは、いかに被害を負わないかだ。
この場合なら、風が強くなる前にヘリで本島に戻るということだ。とっくに手遅れではあったけど。
そして、今からの五分後、俺達は洞窟の中を歩いている。歩く順番は懐中電灯を持った俺を先頭に、緋色とそこにしがみつく渚ちゃん、その後ろに犬子さんだ。
周囲は暗いけど懐中電灯の光が凹凸の大きい地面を浮かび上がらせ、時折落ちてくる水滴の音が天井の高さを教えてくれた。
無論、言うまでもなく気温は低い。外気温はともかくとして放射冷却と呼ばれる現象だ。被災者を収容しなかったのもこれが理由の一つだ。吐く息が白い時点で相当な寒さだとわかる。ましてやそんな地面に腰を下ろせば体温の低下は相当なもの。だからこそ、多少の危険には目をつぶってのテント生活だ。
「それじゃあ、優は外の方が良かったの?」
少なくともこの島に残るって選択肢だけは選んでないはずだから、本来の俺は本土の家で眠ってるはずだよ。
「そういう皮肉を聞きたいわけじゃないんだけど?」
半眼の緋色をシカトしつつ、懐中電灯の明かりを更に前へと飛ばしてみる。結果として浮かび上がるのは右側に進むよう書かれた指示板と通行禁止を促す看板を地面に置いた左の通路だ。
なにやら通行できるように整備がされていないため工事中のようだ。まあ、確かにここプレオープンだもんな。
「ワンコちゃん、どちらかから匂いはする?」
緋色の言葉に犬子さんは首を横に振ったようだ。
「まだわかりません。しかし、左の通路はどこかに繋がっているようですね」
そんな含みを持った言葉に緋色がピクリと肩を揺らすが、犬子さんの続ける言葉の方が早い。
「火災現場に繋がっているようです。一酸化炭素とガスの匂いがしますね」
ちなみに一酸化炭素は無臭だ。何でんなもんがわかるんだか。というか視界がないのにこんな足場の悪いところを良く歩けるものだと感心してしまう。
「脂肪燃焼の匂いはないので何にしろ人がいないところに繋がっています。一酸化炭素の影響もありますし、進むなら右ですね」
それと、と付け加えたかと思えば、
「視力がなかったとしても嗅覚と聴覚が優れていれば匂いの残留、物の反響音によって脳内で擬似的な視覚を持つ事だってできます。私がしているのはそういうことです」
………俺、何も言ってませんけど?
「ええ、ですから人間というのは匂いの塊です。何らかの思考をすることによって、行動を起こすことによって微量の汗をかきます。その匂いを嗅ぎ取ることによって大体の思考は予測できるんです」
まるで超能力者だな。あ、これは言葉にしてませんよ?
「似たようなものかもしれませんね」
・・・もうエロイ事とか迂闊に考えられないじゃないか。
「便利だよね。ボクなんかはそういう特殊能力何もないから羨ましいよ」
代わりに超財力持ってるけどな。
「私は緋色さんのように一人で何でもできる方になりたいですけどね」
と犬子さんは苦笑。まあ、確かに素直に喜べるような事情でもないもんな。緋色みたいなちびっこ思考でないと、そうは思えないのかもしれない。
「おねーちゃん、渚もワンコちゃんみたいになれるー?」
「ふふふ、ちょっと難しいかもしれませんね」
つーか、目指すなここの二人は。
人間誰しもが俺のような凡人であるがゆえに、些細なことで幸せを感じられるようになりなさい。
ともあれ、俺は先行して右の通路を進んでいく。
相変わらず天井は高いままで人が二人並んで歩ける程度の広さしかない。微妙に道がうねっているので奥まで明らかになっていないのだ。とはいえ、犬子さんの警告はないのでそのまま進んでも問題はないだろう。
それからしばらく無言の時間は続く。寒さのためか、渚ちゃんが時折鼻をすするくらいで、音らしい音は反響する靴音くらいだろうか。
とはいえ、俺としてはここの情報なんて丸でわからないから、うるさくない程度の説明くらいは欲しいものだ。今ならパンフレットだって読んでも良い。
「鍾乳洞探検ツアーの出口はホテルの地下に繋がってます。本来だったら職員がお疲れ様の一言と、温かい飲み物を持ってきてくれるはずなんですけどね」
あれ、そんなことまで言わずともわかってしまうのか。そこまで行くと便利というより知りたくもない心理状態知って鬱になりそうだ。
「平気です。それに辛くなった時は魔法の呪文を心の中で呟くようにしています」
ほう、参考程度に聞くとして、一体どんな言葉ですか?
「周りなんて所詮有象無象。背景なんかの思いなんて………」
もういい黙れ。
「あっ、優。それワンコちゃんに失礼だよ?」
それ以前に今の発言、周りの人間の人権否定してんぞそれ。
「緋色さんみたいな裏表のない人の匂いは好ましいですけどね」
言外に俺のこと皮肉ってるようにしか聞こえないけど、そこは突っ込まないようにしておく。まっ、筒抜けだろうけど。
「それで、その出口まではどれくらいなのかな?」
「大人の足で三十分あれば終わるはずです。とはいえ、渚さんの疲れもあるでしょうし、その倍は見積もった方がいいと思います」
足場が固いこともあるのだろう。実際、柔らかな大地と違い、凹凸の激しい岩場の歩行は思ったよりも神経と体力を使うものだ。ましてや子供は子ども自身が思っているよりも元気であり体力がないものだ。実際、緋色と手をつないでいる女の子は息が上がってきているようで肩の上下も激しい。
さてさて、一旦場所を見つけて休むとしますか。
「賛成だね。ボクもちょっと疲れたし」
嘘つけ。とは言わない。渚ちゃんを気遣っての発言だろう。
「優しいんですね?」
苦笑しながらの言葉に返事はしない。考えのある程度は伝わってしまうかもしれないけど、それくらいが唯一の抵抗だ。
そして、また少しの間の沈黙が続き、休憩所らしきものを発見する。
「ふうん、だいぶ広いんだね」
といっても十畳程度の広場だ。壁際には簡素なベンチが左右あわせて五個ずつ設置されており、喫煙者用に灰皿まで設置されていた。ついでに言うならジュースの自動販売機もある。
「優、ボクあっつい緑茶ぁ―」
「なぎさ、ミルクティーがいい」
「私は飲むプリンで」
いや、最後のぜってぇ無いから。
・・・って、あるし。
「ありがとー」
最初に渡したのは渚ちゃんだ。ちなみに俺はキンキンに冷えたコーラだ。
「おなか壊すよ?」
そのリスクのうまさがたまらないんだよ。それに体が冷えたら緋色に抱きつけばいい。
「こ、こんなとこじゃダメ!」
ふふふ、それは人がいないところならいくらでもオッケーって事だな? って拳握るな、渚ちゃんに怖がられるぞ!
その言葉もあってか、緋色は顔を真っ赤に染めたまま握り締めた拳を下におろす。ふふ、このスリルもたまらないね?
「まあ、ろくな死に方しないと思いますけどね」
ほっといてください。
とはいえ、両手で缶を持ってミルクティーを飲む渚ちゃんは笑顔だ。そして、その隣にいる緋色も当然微笑している。
だけど、このまま進んだとしてもどうしたものか。実際問題ここは被災地でしかない。満足な物資も無ければ救助とて低気圧が抜けるまでありえないと見ていいだろう。それにこのまま進むのも正しいのかという疑問もある。
「それでも行くしかないと思うよ? 外も変わらないなら中で渚ちゃんの両親探したほうがいいと思うし」
二次災害が起こらないならな。でも、それも今更かもしれないし、進むことに賛成したのを覆すつもりも無い。だけど、可能性の提議くらいはしておく必要だってある。
「そうですね。私達はあくまで人間です。できることとできないことの線引きは必要ですからね」
当然危険を感じたらここに戻ってキャンプするのは当然のことだ。強烈な余震が続くなら外に戻るのもやぶさかではない。
「できることなら渚ちゃんのご両親見つけたいけどね。なおかつ、被災者の数とかもわかれば救出もはかどるだろうし」
それは最上級の理想論だけどあえて俺は何も言わない。聡明な俺は俺の言葉による未来の展開を予想できる頭脳があるのだ。
とりあえず飲みきったコーラの缶をやや離れたゴミ箱へ投擲。………はずす。
「優、マナー悪いよ」
そうっすね。俺は跳ね返って足元に転がってきた缶を拾いなおすと、今度は足を使ってゴミ箱の前まで進み、落とす。当然入ります。
さて、小休止としてはこんなところか? とはいえ無理に急ぐ必要もないのでのんびりしてても構わないんだけどな。
「ここ、ちょっと寒いから、急げるようだったら急いだ方が良いと思うけどね」
「そうですね。私達はともかくとして、渚さんの体調にも影響が出るでしょうし」
「?」
渚ちゃんはわかっていないようだけど、ブルルと身体を震わせたことから多少寒さを感じているようだ。
というわけで、各自が飲み終えた缶をゴミ箱に入れた上で数本のペップボトルジュースを購入。なんせ、進んだ先に水があるとは限らないからだ。
緋色の持っていた軍用リュックを受け取り、購入した飲み物を入れて俺が背負う。これでも一応男だからな、良いところを見せるには越したことはない。
「随分と即物的なんですね」
ほっといてください。
「また天井も低くなったし、道も狭くなってくるねぇ」
歩き出した俺達の順番は俺、犬子さん、渚ちゃんと手をつないだ緋色といった感じだ。
緋色の言ったとおり、道は最初のように狭まってきている。なおかつ、洞窟特有の湿り気を帯びた空気も肌に張り付き不快感も見事に復活。さっきの広場は換気口でもあったのかもしれない。
そして、進むこと約一時間基本的には無言であったけど、時折、話す振りをして渚ちゃんのために歩くペースを抑えてみたりしてやった。
まあ、その度に犬子さんが意味ありげに笑うのがなんとなく気に食わなかったが。
「匂いが変ってきましたね」
唐突に言ったのは犬子さんだ。俺はペースを落としつつ頭だけ振り返らせれば、
「そのまま歩いて結構です。それよりも先からの匂いが感知できました」
ガス探知機みたいな人だ。
「壁紙に含まれる化学成分と粉末状のコンクリートの匂いですね。湿気がすごいのでなかなか気づけませんでしたけど、後五分といったところですね」
行き止まりであることを祈るよ。俺としてはさっさと帰りたい。
しかし、それでもゴールの一つは見えてきたのだ。俺はそのまま前に向き直って歩を進め続ける。
「渚ちゃん、もうちょっとだからがんばろうねぇ」
「うん!」
微笑ましいことだ。とはいえ、少し楽観視しすぎな気がしないでもない。ましてや渚ちゃんの両親が見つかるとは限らないのだから。まあ、思っても言わないけどな。
そして、進み続けた結果、俺にも確かな変化が感じられるようになって来た。一歩進むごとに空気が乾いていくのだ。少し、粉っぽくなってきていると言っても良いだろう。つまり、ガレキの匂いだ。砕けたコンクリートと土の匂い。俺達の目的地は近いということである。
「危険性は?」
一酸化炭素の危険あるからな。あれは基本的に無臭なので気づかず中毒になっている場合もあるので、犬子さんに聞くのは当然のことだ。
「特にないですね。注意が必要なのは突然の落盤です。それを除けば私の鼻は安全を証明しています」
というわけで俺は懐中電灯で先を照らしたまま前進、やがて、ゴツゴツしていたはずの足場が、うちっぱなしのコンクリートに変化したかと思えば、左右の壁も加工された様相を呈していく。
「安全灯がついてるね」
言われて見れば十メートル前方斜め上に、緑色の光のようなものが点いていることに気づいた。
こちらがゴールですと描かれたそれは、思わず苦笑を誘ってしまう。
ゴール? それは大きな間違いだ。ここは入り口なんだよ。そう入り口なのだ。被災地最奥というどうしようもないほどの地獄。
さあ、何が待っているんだろうね?