到着
・・・一回目の回想終了。
先程までのようなやり取りが終わった後に、緋色の取った行動はどこまでも早かった。
まずはシャワーを浴びて身支度を整えると、数着の衣服をボストンバックに詰め込んで部屋から出てきた。一方俺は現実逃避のために皿洗いを敢行していた訳であったが、緋色の手によって俺の荷物を詰め込まれたバックを渡されると、返事をする間もなく引きずられ始めた。
着いた先は屋上。なぜかヘリポートがあるのは永遠の謎。んでもって、そこには先客。待機状態のヘリコプターとパイロット一人。それにスーツ姿の男が一人だ。
そして、嫌がる俺の意見など聞き入れられるはずもなく、強引に着席させられた。
遊覧飛行を楽しむこと四時間。辿り着いたのはとある無人島だ。まあ、正確に言うなら、無人島に建設された大型リゾートホテルといったところか。
外界から完全に隔離された絶海の孤島。しかし、気候は温暖で天候も崩れにくいことから、気軽な海外旅行気分を味わえるというのが歌い文句らしい。しかも、透き通った水質が有名な海岸は女性の心と、その水着を見に来た男性の心を鷲掴みにするはず……だったのだが、まだ海には早い季節だし、プレオープンのため、各界の暇な著名人が来ている程度であった。
そして、なにより、
「大地震か・・・」
緋色の言葉に俺は頷く。
深度六強。絶海の孤島だからこそ、有線の電話でしか連絡がつかないような場所だったからこそ、連絡が遅れ、気がつけば全てが致命的な状況になっていた。
浜辺は確かに綺麗だろう。眩い日差しは目に染みるし、波音が心に清涼感を与えてくれる。しかしだ。しかし、それでも日に背を向け視線を前にやってみれば、そこは地獄だ。
「くっ・・・」
倒壊したホテルだったらしきもの。うず高く積もった瓦礫の隙間から上る黒煙。
このリゾートホテル嘉保に招待されたのは推定二百人前後。部屋数からすれば少なく聞こえるけど、プレオープンな仕方のないことだ。とはいえ、この浜辺にいる人数はどう多く見積もっても、五十人もいないだろう。勿論、救出に狩り出された緋色と俺、そして、救出班の十二人を含めた数字だから、実際の救助者は三十人いるかいないか。
そして、残った全員はあの瓦礫の下。というわけだ。ましてや、緋色の前では言いづらいが、全員死んでいるだろう。きっと残らず圧殺か焼殺されていておかしくない。
「助けに行かなきゃ!」
待てよ。
俺は全力を持って止めるぞ。お前一人行ってどうなるってんだよ。ましてや瓦礫を動かそうにも大量の一酸化炭素が発生してるんだ。迂闊に近寄っただけで死にかねない状況だ。こういった状況に頼ってこその自衛隊と警察消防だろう。
「離すんだ優」
いいや離さないね。こんな場所で死なれて溜まるか。言った通りこんな状況では個人の持てる力なんて微々たるものだ。正義の味方は人間であってブルドーザーじゃない。そして、お前に腕力があっても瓦礫を退かすのに一人で撤去できるわけがない。
この場合に必要なのは、運良く救助できた人達の世話と心の支えになるための言葉なんだ。
どうしても救助をしたいというなら、応援が来てからでも遅くないだろ?
「でも、あの中に誰かが助けを求めているかもしれないじゃないか! ボクは可能性があるなら誰だって見捨てない!」
世の中がそんな綺麗事で回るなら誰も死なないし事件も起きない。そして、緋色、君も死なないだろうね。だけどこれは現実だ。この状況で誰かが生きているなんてありえないし、君が突っ込めば確実に怪我は負うだろう。場合によっては死ぬよ? 君の正義は自分が死んでも良しとするのかな? ああ、それは大したヒーローだ。
馬鹿は死ななきゃ直らない。だけど馬鹿は死んだら笑われるだけなんだよ。
「でも!」
緋色の気持ちはわかるよ? とは言っておく。まあ、まったく理解できないが、そういうことにしておく。
「あそこで泣いてる女の子が見えないの? 彼女はたまたま救出されたが両親はここにいない。あんな女の子を一人にするはずがない、彼女の両親も近くで救出を待っているかもしれないじゃないか!」
間違いなく火に巻かれて死んでるよ。
俺達が到着するまでは火災がひどい状態だったのを忘れたのか? 消防署のヘリが空中からの放水で鎮火しただけで、炎の柱が上っていたのを俺達も空から見たはずだ。
少女が生きてたから近くにいる? 寝言は寝て言え。生きていたとしても放水の衝撃で潰されているに決まってる。
「優!」
俺だって助けたくないわけじゃない。状況を見ろって言ってんだよ。
「っ」
今、お前にできるのは、あそこで泣いてる女の子を抱きしめてやることだ。ヒーロー、まずはそこから始めようぜ?
「・・・わかった」
言うなり緋色は走っていく。そして、少し離れた女の子の前に辿り着くと、一言二言話すなり、彼女は膝を着いて女の子を抱きしめた。そして、続くのはさっきまで聞こえていたのとは別の嗚咽。見れば緋色も泣いていた。
俺はそこで視線を瓦礫に向け直し、
「こんにちは」
うぉっ!
気がつけば、先程までいなかったはずの空間に知らない誰かが立っていた。つーか、気配もなんもなかっだぞ。言うまでもないけど気だって抜いてなかった。
「忍び足でしたから」
はあ、そうですか。
まあ、そんな気にすることでもないし。とはいえ誰だ? とりあえず感想を言うならちっこい。緋色よりも小さいだろう。身長百四十あるかないかだ。
眼を隠すようにして伸ばされた髪は灰色がかった黒だ。降り注いだススというわけではあるまい。
着ているのはややサイズの大きいグレーのパンツスーツ。きっと合うサイズがないのだろう。年齢は二十代前半くらいだろうか? 子犬のようなつぶらな瞳が愛らしい。ダボダボなスーツもその印象に拍車をかけていた。
「私は犬神犬子。紅家に救助要請を受けた探偵です」
突っ込みどころ満載過ぎてどこから突っ込めばいいんでしょうかね?
「突っ込むなんてヒワイな人ですね」
しかも駄目出しされたよ!
というか犬神で犬子て偽名ですか? 偽名ですよね? 偽名でしたよね? 三段活用。
「間違ってます。ちなみに本名です」
さいですか。んで紅家から要請って、外部の人なんですか? あの家が外に依頼するなんて珍しい。
「そうですね。私はフリーの探偵です。場合によってはこういった状況に依頼を受ける何でも屋でもあります。ちなみに女です」
いや、見ればわかります。
ちなみに紅家というのは緋色の実家だ。表向きは医療関係から農家まで手中に収め、裏では軍事産業すらもシェアを占めるとんでもない複合企業。ちなみに年間の純利益はGDPの5パーセントにも及ぶというのだからシャレにならない。
の次女である緋色はとにかく金を持っている。そして、影響力を持っている。
昨日の強盗事件の介入は勿論、被災地に自衛隊よりも速く来ることだって可能だ。本来なら空路すらも規制されて入ることはできないはずなのに、紅家の力がそれを良しとさせてしまう。
つまり、緋色の正義は誰にも止められないということなのだ。
「あなたは真 優さんですね?」
違います。
「嘘です」
速攻の断言。何でそんなことができるのだろう? あらかじめ俺の顔写真でも見ていたのだろうか?
「あなたの発言には嘘の匂いがしました」
奇妙な表現だ。とはいえ、嘘は嘘だけど名前を知られているのはいい気がしない。
「不愉快な思いをさせたようですね、すみません」
まるで心を読まれているかのようだ。
とはいえ、緋色はともかくとして、俺の名前は知られていないはずだ。なんせ、一般人と緋色が交際している時点で紅家としては面白くないはずだ。だからこそ逆に俺の存在は空白として存在しているはず。
「いえ、以前緋色さんにお会いしたお話いただけです」
あのアマ個人情報バラしやがって。
「なんとお呼びいたしましょう?」
真でも優でも、お好きにどーぞ。なんならマユたんでもいいですよ?
「では優と」
呼び捨てかよ。礼節はどこに行った社会人。
とはいえ、呼び名なんか所詮記号だし余り俺は気にしないから関係ないか。
「私のことはワンコとお呼びください」
いや、それはちょっと。
「ですが、皆さんにはそう呼ばれているので」
まあ努力しますよ犬子さん。
とりあえず意趣返しに呼んでみる。
「あら、大胆」
照れられてしまった。頬を染めるところがなんか可愛い。
と、その時、後ろから腕を掴まれ俺は鼓動が跳ね上がる。
「やあワンコちゃん久しぶり」
おい緋色、なんか腕がギシギシと音を立ててるんだが? いや、しかし、この胸の感触は至福! だが、このままでは腕が折れかねない。くぅ、この選択は難しい。
「緋色さんもお元気そうで。それに胸も育っているようで」
「あはは、成長期だからね。正義のヒーローはどんなことだってとまらないのさ♪」
おーい緋色さん、さすがに腕の感覚なくなってきましたよー。
「ワンコちゃんが来たなら百人力だね。これでこの子の両親も探せるよ」
この子? 視線を落とせば、俺の腕にしがみつく緋色の左足にしがみつくツインテールの女の子の存在に気づく。
というかそろそろ血流がいい感じで止まってやばい兆候なんだけど?
「・・・・・」
ツインテールの女の子・・・ああ、緋色が抱きしめていた少女か。は俺のことを戸惑いの感情を浮かべた視線で見上げてきている。その瞳にある感情は、戸惑い、または恐怖といったところだろう。
いや、しかし先に言っておくなら、この頃の年代の少女は、えてして大人というものを怖がるものだ。特に俺のように自分より背の高い大人は尚更ということを言わせていただく。
「渚ちゃんだよ」
代わりの自己紹介どうもありがとう。だけど話しがつながってないぞ緋色。
「苗字は港。港で渚、いい感じだね」
うん、だからどうだってんだよ。
「ボクは渚ちゃんにお父さんとお母さんを見つける約束をしたのさ!」
良し、今の内に言っとく。
・・・ざけんな。
というか俺達は一般人であってブルドーザーでも人探しでもない。こんな被災地でどうしろと? 救助を待った上で救助隊にその役目を譲れ。
「ふっ、甘いよ優」
甘くて結構、んでどんな奇言を吐くつもりだ?
「台風が近づいているらしくてね、ここに救助隊は来ないんだよ」
ざけんじゃねぇ! というか俺らはどうすれば良いというんだ? 言っとくけどここには何にもないぞ? 仮設テントはある程度あるとはいえ、絶対数が足りていないし、場合によっては断固とした態度で、俺は誰かを見捨てるぞ?
「テントに関してはわからないけど、人探しに関してはワンコちゃんがいるから大丈夫!」
俺は言われて犬子さんへと視線を移す。まあ、相変わらずの直立不動で、髪に隠れた視線は見えはしないが、まあそんなもんだと納得し直す。そして、得た結論は、
・・・まったく意味わからん。
「世界一の名探偵でもあるワンコちゃんは、匂いを嗅ぎ分けることによって全てを推理できる天才なんだよ」
すまん、緋色。俺は君が何を言っているのかまったく理解できないんだけど?
「つまり」
横から聞こえた声は犬子さんのものだ。俺は疑わしげな視線を彼女に向ければ、髪の下の小さな唇が苦笑を形作る。
「つまりですね。私の鼻は匂いを嗅ぎ分けます。ここまではいいですか?」
ええまあ、その程度なら理解できますとも。というか緋色の場合は主語が足りない場合が多すぎるのでお気になさらず。
「例えば犬という生物は人間の一万倍の嗅覚を持っています。それは五感の中で明らかに突出しすぎだ能力ではありますけど、それでも言語と一定水準の知能しか持たないからこその能力でもあります。つまり犬は犬という生物だからこそ、そんな異能を持っていることを許されているのです」
麻薬犬しかり災害救助犬しかりということか。とはいえ、それがどうしたと思ってしまう俺である。しかも、異能って言いすぎだろ? だって、犬にとって嗅覚というのは視覚にも近い作用を持つ五感の一つだ。だけど、それは生物として生き延びる上で進化の中で手に入れた本能のようなものである。
「犬の嗅覚は人間では気づけないような匂いの酵素、ようは体臭を嗅ぎ分けて識別することが可能です。実際、犬種の視力はあまりよくありません、姿形よりも匂いによっての嗅ぎ分けのほうが得意なくらいです。例を挙げるなら戦争で数年帰ってこなかった上に姿がまるで変ってしまった飼い主すらも、犬は尻尾を振って駆け寄った報告事例すらもあるほどです」
あの、だから、それが何だと?
「私の説明です」
良くわからないけどそうらしい。
「だけど、犬の嗅覚は高くとも知能は人間レベルまではありません。正確に言うなら、情報の並列処理なんですが、まあそれは他の人に聞いてください」
ええまあ、聞く気もありませんが。
「まあ言うなればつまり、私は犬並み、または以上の嗅覚を保持してます」
俺は犬子さんを見下ろしながら情報を整理する。そして、得た結論は・・・
あんたはキチガイですか? というものだった。
後頭部に衝撃。
「優、ワンコちゃんに失礼だよ!」
「緋色さん気にしなくていいですよ、慣れてますから」
そういう唇は薄い笑みを称えていた。・・・うわ、ちょっと可愛いかも。って、痛い! 緋色腕に力を込めるんじゃない!
「先に言っておくと私は目が見えません。だけど代わりに嗅覚が異常に秀でているのです。代償天才……みたいなものですね。とはいえ、人間の脳で犬並みの嗅覚というのは人探しの中で大層役に立つわけです」
なるほど、先程の緋色の言葉はそういう意味だったのか。
「そして私には人間の脳があります。思考能力も一般人レベルです。つまりそれはどういうことだと思いますか?」
ああ、なるほど。そういうことか。
「ええ」
犬というのは利口な生物だ。しかし、言語というものがない。まあ当然といえば当然だけどそういうことだ。
「私は言語を話せます。そして、思考能力も持っているのです。なら、犬にはできないことができるのです」
それは探索の際緻密な情報を与えることができるということ以外に、犬にはできない想像……つまりは状況の推測すらできるということだ。
犬なら血の匂いを嗅いだとしても、そこに怪我人がいるとしか認識できないかもしれない。だが、それが人ならば? そこに何かがあると疑うこともできるだろう。そして、何かがいた場合、疑った上で対応を回りにも伝えることができると、そういうことなのだ。
犬は嗅ぐことしかできない。だけど、犬子さんは匂いから推理もできるということか。それは確かにすごいかもしれない。視覚がないのはなんとなく辛い気もするが。
「そんな不便でもないですよ。人体には常に微量の匂いが付着しています。それを脳内で再変換すれば視覚に近い状態で再現することも可能です。現に私はあなたの後ろに回り込むこともできましたしね」
なるほど。とはいえ、そんな犬子さんがいるなら人探しはできるだろうね。だけど、犬子さんは非常に小柄だ。そんな人に災害救助をさせるわけには行かない気もするけど。
「そのためにボクと優がいるんじゃないか」
言っとくが俺の身体能力はあくまで常識の範囲内だぞ。
「大丈夫。安全なルート見つけてるから」
おい、そういうのは救助隊に教えてやれ。あくまで俺達は闖入者に過ぎないんだからな? というか変に首突っ込んで二次被害はゴメンだぞ。
「だけどボクはこの渚ちゃんと約束したんだよ。彼女の両親を見つけるって!」
俺としては約束してない。
だけど、その時、足元の裾を引かれる感触に気がついて、視線を下に向ければ、そこにはその渚ちゃんが不安げな表情で俺を見上げていた。
「おとーさんとママみつけてくれる?」
俺は正義のヒーローなんかじゃない。厄介ごとなんてごめんなんだよ。だからこそ、渚ちゃんのお願いなんて知ったことではない。
………おい、でもさ、ここには居るんだよ。正義のヒーローがね。だからこそ、俺が否定したところで彼女の願いは聞き届けられるのだろう。それは俺の中での矛盾。知ったことかと思いつつも、叶えられてしまう願いでもあるのかもしれない。だからこそ、俺は首を振る。
当然、縦に。
ああ、そうだろうさ。
俺は願わない。だけど、俺の隣にいるのはヒーローだ。だからこそ、君の願いは届けられるだろう渚ちゃん。だから断言しよう。緋色のヒーローとその相方は君の願いを叶えて見せると。
次の瞬間、渚ちゃんは俺の脚にしがみついていた。その行為に少し驚いてしまう。
「ふふ、優もヒーローとしての自覚が出てきたみたいだね」
いや、それだけはないから。
「おにいちゃんたちはオメンライダーとおなじ?」
まったく違うよ渚ちゃん。だけど、子供の夢くらいは守っておこう。俺は胸に息を吸って言葉を口にする。
三分が過ぎたから帰っていい?
そして、横から緋色にぶん殴られた。