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死にたい風  作者: 野良丸
2/5

颯大




 今日は死にたい風が吹く日だ。この日が来るたびに、死にたい風で死んだ者は天国にも地獄にもいけない、なんて噂を思い出す。

 河川敷の橋の下。芝生に寝転がって空を見上げる。天気予報士の中年男性が言っていた通り、空は晴れている。雲一つない……あ、薄い雲見っけた。

 まぁ、どうでもいい、と思いながら目を瞑ると、昨晩眠れなかったせいか、すぐに睡魔が襲ってきた。


「ねぇ、お父さん、お母さんは?」

「あぁ、大丈夫だったよ。お母さんは頑張ってる。颯大も頑張ろうな」


『今回の死にたい風による死者は日本全国で十万人を超えるとされており――――』

「……お父さん」

「あ、あぁ。お母さんも、風に連れていかれてしまったんだ」

「お母さんも、死にたいって思ってたの? 頑張ってたんじゃないの?」


 幼い頃の自分の言葉に、目を覚ました。腕時計を見ると、二時間程度しか寝ていなかった。

 あの時の父親の顔は、今でも忘れられない。そして、それから一年後に吹いた死にたい風は、父をも連れ去っていった。

 死にたい風が吹くようになって、日本の人口はとうとう全盛期の半分以下となった。日本人の数だけなら、更に少ないだろう。そう考えれば、生きている方が少数派なのだ。父が死んでも、母が死んでも、何も不思議じゃない。学校の友人にも死にたい風によって親無し、あるいは片親のやつだって何人もいる。クラスメイトが連れて行かれたことだって、ある。

 そんな中でしぶとく生きてきたが、きっと今回の死にたい風で、俺は死ぬ。

 病気が見つかったのだ。母が死にたいと思うほどに苦しんだ病気に、俺は罹っていた。もともと遺伝性のある病だが、発症率は低く、俺も、今お世話になっている祖父母もそれほど心配はしていなかった。しかし、一月前の検査で、そのことが発覚した。ゆっくりと進行していく病なので、急な入院などは必要ないが、治療法もないのが現状らしい。

 三十歳まで生きることは、不可能だという。

 三十といえば、なんだろう。まだ十八の俺には想像がつかないけど、そうだな。初婚の平均年齢通りにいけば、そろそろ子供がいるよな。お腹にいるか、ハイハイしてるかくらいか? とりあえずまだ小さいよな。赤ん坊だ。結婚していないにしても、大学を卒業して就職して、うまくいけば仕事に慣れて大きな仕事とか任されるようになって部下が出来始める頃だよな。

 そんな、これからって時に、あるいはこれからって時を前にして、俺は死ぬ。

 なら今死んだって同じじゃねえか。そう考えて、何が悪い。勉強するのも、大学に行くのも、働いて金を稼ぐのも、全部将来のためだ。その将来がない俺に生きろというやつは、一体何の権利があってそれを口にするんだ。


 死にたい風がまだ吹いていなかった頃、自殺は良くないこととされていたらしい。今でも良い事とは言われないが、仕方のない事とはされている。何故なら、現代で起こる自殺の九分九厘が死にたい風によるものだからだ。死にたい風は、自殺志願者達にとって自己の限界を教えてくれる目安となっている節がある。死にたい風が吹いても死ななければ、あぁまだ自分は大丈夫なんだ、となる。もっとも、そう考えられるものだからこそ生き残るのだろうが。

 死にたい奴は死ねばいい。現代じゃほとんど聞かなくなった言葉だ。だって、死にたい人は死ぬんだ。当然のことだ。

 だから、俺は死ぬ。今回の死にたい風で何万人、十何万人死ぬのかは知らないが、俺もその中の一人になるってわけだ。

 当然、学校だってサボる。当たり前だ。わざわざ同級生に死に顔なんて見せてたまるか。車両通行禁止のここなら昼間はあまり人が通らないし、橋の下なんてますます気づきにくい場所だ。見つけても、寝てると思われるだけだろう。

 もっとも、死にたい風に操られた俺が入水自殺でもしようとしたら、流石に気付かれるだろうが。

 河川敷に吹く涼しい風で、黒い髪が顔に掛かる。大分伸びたよな。髪を切りに行こう行こうと思って、早一ヶ月は経っている。最近、図書室で本を読むときはヘアゴムで前髪を縛らなければ邪魔でならない。

待てよ。このボサボサ頭で入水自殺したら男版貞子みたいになるんじゃないか?

 そんなことを、考えていた時だった。

「こんにちは」

 突然聞こえた声に、俺は斜め後ろを見る。そこには、幼稚園か小学校低学年ほどの女の子がいた。スカートでしゃがんでいるから綿のパンツが丸見えだ。それに欲情するような変態ではないが。

「こん……いや、おは……? まぁいいや。こんにちは」

「こんにちは」と女の子は再度言うと、長い小豆色の髪をなびかせながら、河川敷の緩い坂をズダダッと勢いよく駆け下りてきた。その手には、いちごミルク飴の袋が握られている。懐かしいなぁ。俺も小さい頃好きだった。いや、多分、今でも美味しいと感じるんだろうけど、何故か食べなくなっちゃったな。いちごとミルクってのが子供っぽいからかな。

「おにいちゃん、こんなとこでなにしてんの? がっこうは?」

「サボり」

「ワルだね」

 ニヤリと笑う女の子。なんか変な子だ。

「そっちこそ何してんだよ。学校は?」

「わたし、こう見えてまだ五歳ですぅー」

「そうかい。で、五歳のレディがこんなとこで何してんだ? どっか行く途中か?」

「いまから帰るところ。ナンパはおとこわり」

「あぁ、もしかして杉下商店に行ってたのか?」

 いちごミルク飴を見て何気なく口にした問いに、女の子はギクッと肩を跳ね上げて、石のように固まった。

「な、なんで知ってるの?」

 図星だったらしい。ただ驚いた反応にしちゃあ大袈裟だった気がしたけど。

「俺も子供の頃にあそこでソレ買ってたから、なんとなく」

「あ、そうなんだ……。もう。びっくりさせないでよね」

 ぷんすかと怒り出した女の子。この年頃の子はどんな顔もいちいち可愛らしい。だが、長い割には手入れもしていないらしい髪が、その表情を隠してしまう。

 くいくいと手招きをすると、女の子は首を傾げてから近寄ってきた。変な子だけど、素直な子だ。誘拐とかされないか心配になりながら、枕にしていた鞄についたポケットからヘアゴムを取り出した。櫛とかがあれば完璧なんだけど、流石にそれは持っていない。

「回れー右」

「うん? みぎ?」

「クルッて後ろを向いてください、ってことだ」

「りょうかいです。まわれーみぎ」

 後ろを向いた女の子の髪を手櫛である程度梳かしてから、後ろで縛る。女の子の髪を構ったことなんかなかったけど、母親がよく同じように髪を縛っていたため、見様見真似で何とかなった。

「よし、完成。ポニーテール颯大バージョンだ」

 その言葉に、女の子はくるっと反転してこちらを向いた。その際、一つにまとめた髪が動きを追うように宙を舞い、女の子は「わぁ」と目を輝かせた。

「動きやすい! 見やすい!」

クルクル回りながら言う女の子に「そうだろうそうだろう」と数回頷く。今から死ぬ奴からのプレゼントなんか縁起が悪いかもしれないけど。

「……うえ。気持ち悪くなった。そうたバージョン最悪」

 ひどい言い掛かりだ。

「まぁ、あれだけ回ればそうだろうなぁ」

 なんというか、自分の尻尾を追いかけてくるくる回る近所の犬を思い出した。

 犬といえば、死にたい風で、人間以外の動物が死ぬことはない。少なくとも、今まで確認されてはいない。人間にしか効かないのでは、と唱える者もいるが、死にたいと思いながら生きている生物が人間だけなのだ、という意見が大半だ。まぁ、これに関しては俺も多数派の意見に賛成している。

 早くも回復したらしい女の子は、両手を後頭部に回して、髪をまとめているヘアゴムをしきりに触っている。

「あんまり触るなよ。髪型崩れるぞ」

「おにいちゃん! これもらっていいの!?」

「あぁ、やるやる」

「プレゼント?」

「そんな大層なもんでもないけど、一応プレゼントだな」

 女の子は今日一番に笑顔を輝かせると、すっとヘアゴムを解いた。

「あぁ!? 外すなって言っただろ!」

「だって、わたし、付け方わかんないし! おにいちゃん、おしえてよ!」

「俺も結構曖昧なんだけどな……。はい回れ右」

「みぎー」

 えーと、母さん、一人でやるとき、どうやってたっけ。

「じゃあまずは自分で髪を後ろにまとめてみ。こんな感じで……」

 それから数十分、もしかしたら一時間くらいは経ったかもしれない。結局、簡単な結び方など色々と調べて、女の子に教えた。

「どう? どう?」

「完璧だ」

 顔を左右に振って縛った髪を揺らす女の子に、親指を立てて見せる。本当にこれ以上教えることはないし……、それに、これ以上一緒にいて、自分が死ぬところを見せるのも嫌だった。

「じゃあ解散だな。俺もそろそろ帰る」

「えー」

「悪いな。俺は忙しい身なんだ」

「そうはみえないんですけどー」

 その通りで悔しい。でも、軽口を叩きながらも女の子の表情は本当に残念そうだった。そんな表情で別れるのは、少し寂しい。俺は何とか笑わせようと、女の子が胸に抱えたいちごミルク飴に手を伸ばした。

「まぁ、ヘアゴムのお礼は飴玉で勘弁してや――――」

 封の空いた端っこから手を入れた瞬間、明らかに飴玉の包装紙とは違う紙が指先に触れた。

「悪い。ちょっと、これ貸してくれ」

 女の子から袋ごと受け取り、不思議に思いながらそれを掴んで出すと、真っ先に遺書、という文字が目に入った。

 何でこんなものを、こんな小さな子が、と思うが、女の子は不思議そうな表情をしていた。どうやら、この紙については知らないらしい。

 しっかりとした封筒に入っているわけでもない。授業で使うようなノートの紙に、ボールペンで綺麗とは言えない字で書いてある。

 そして、その遺書をすべて読み終え、目の前の女の子を見た瞬間、十年以上前の、今まで完全に忘れていた記憶が、鮮明に蘇ってきた。

 橋の下から飛び出て、南西の方角に目を向ける。遠くに見えるのは、低い建物ばかり立ち並ぶ中、明らかに飛びぬけて高いビル。既に取り壊されることが決定していると耳にしたことがある、廃ビルだった。

 いや、まさか、だってあれは何年も――――――。

「おにいちゃん?」

 その声に振り返る。心配そうな表情をする女の子。

 乱れた服装で、廃ビルの屋上に座り込んでいた女の子。

 死にたいと口にしていた女の子。

『死にたい風で死んだ者は天国にも地獄にもいけない、なんて噂を――――』

 俺は、気付けば駆け出していた。





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