それは今は亡き王国の物語
これは昔々で始まるよくある物語よ。
貴方が生まれる、ずうっと前のお話よ。
昔々のことでした。
この国ができる前のこと、ここは小さな小さな王国がありました。この国の王都より、もっともっと小さな王国でした。農業が出来る土地がない分、食料などの生活必需品は輸入に頼りきりでした。そんな国がどうにかやってこられたのは、宝石がたくさん採れる山があったおかげでした。宝石と、それを加工する技術によって、お金を稼いでいたのでした。
その王国の、とある王の御時に宝石のような、あるいは宝石よりも価値のある子供が産まれました。馬車の事故により、命を落とした女の腹から産まれたその嬰児は、オパールの眼を持っていたのです。
その国では、瞳の色が重要視されていました。赤ならば炎の魔法を、青ならば水の魔法を、緑ならば植物の魔法を、黄色ならば風の魔法を、茶色ならば土の魔法を、黒ならば闇の魔法を、白ならば光の魔法を。それぞれ使えたからでした。ええ、驚きでしょう、昔々には魔法という摩訶不思議な力があったのです。どうして使えていたのか、今となっては理由も分からずじまいですが、そんな力があったということは事実なのです。そんな王国の歴史上、二つの色を持つ人間はおりました。両目で違う色を持つ者は極々稀なことで、皆国の英雄となりました。多い色ほど力があると考えられたのです。その嬰児は、オパールの眼を持っていました。その眼は、時によって様々な光を湛えます。時に赤、時に青、時に緑、時に黄色、時に茶色、時に黒、時に白。そう、全ての色を宿していたのです。
そのことを聞きつけた王は、孤児となった嬰児を引き取った神殿に、嬰児を売るよう命令しました。いくらでも、金は払う、と。しかし、神殿にて祈りを捧げる神官たちは、それをよしとはしませんでした。あの嬰児は、一国の王が所有するには、あまりにも大きな力である、といいました。王がいくら金を積もうとも、いくら命令しようとも、神官の誰もが首を縦に振りません。そこで王は考えました。縦に振らぬ首ならいらないと。その神殿の神官たちを皆殺しにしてしまいました。もとより、その神殿は力をつけすぎていて、いい感情は抱いていませんでした。これで一つ悩みが減ったと、王は自分の判断に満足しています。そんな王の脇で、首輪をつけられた子供が燃え上がる神殿を見つめていました。ルビーのような炎は、瞬く間に神殿を消し炭にします。それは、嬰児が3歳の冬のことでした。
嬰児は王に連れられ、住処を変えることとなりました。それは、高い高い塔の上です。そこは醜い駆け引きに負けた、王族が終の棲家とする場所でした。そこに居を構えることとなったとき、嬰児は名前を得ました。王が嬰児のことを『アルム』と呼んだからです。名前をつけられていないと知った王が、そのままの名をつけたのでした。その名に恥じぬよう学べといい、王は塔を立ち去りました。アルムはその名の意味を知りませんでしたが、取り敢えず首を縦に振りました。まだ、首がなくなってほしくなかったからです。
その日から、アルムの自由はなくなりました。日が昇ると同時に、塔に人が訪れます。それぞれの色を瞳に持つ、老人やら若者やらが二時間おきに塔を訪れました。まだ満足に言葉も喋れぬ子供に、一方的に知識を披露したのです。アルムが分からないことを聞ければ、馬鹿にしたように自分で調べろといいます。アルムには書物などの調べる手段がないため、途方にくれました。しかし、類稀な理解力により、一方的に話し続ける『教師』から、自分にとって必要となる言葉だけを抜き出すコツを身につけました。彼らはアルムという存在を低く見過ぎていました。所詮は餓鬼だと、普段は語れないような機密にすべき事まで、ありありと話してしまったのです。アルムは、幼いながらも国有数の魔術師が保有する、数多の魔法を会得しました。
ある時、王が様子を見に来ました。学んだ術を使ってみよ、と王が言ったので、アルムは様々な術を使いました。彼らが自慢げに語った、自分以外は会得しないであろう術達でした。それを見ていた、『教師』の連中は目を白黒させます。その上、アルムはそれぞれの術を組み合わせ、独自の術も作りました。これほどまで、複雑怪奇な術など、魔術師たちは知りませんでした。その上、同時に7つの魔法を使いこなせる人など、歴史上誰もいません。アルムの力に驚くと同時に、彼らの目は嫉妬に暗く燃えました。それまで、それぞれの分野で一番とされてきた、天才たちです。一人で彼ら7人に勝る力を持つ、幼い子供へ強い殺気が向けられます。王はそれに気付かず、アルムは興味がなさそうに空を眺めるのでした。
それから、アルムのもとへ『教師』たちは続々と訪れました。時に毒入りの菓子を手に持ち、時には麻薬入りの飲み物を腰に下げ、時には爆発する魔法陣を書いた本を脇に抱え、時には嗅げば体が動かなくなる香を胸元に潜め、時には靴には短剣を隠していました。しかし、どれもアルムには通じませんでした。毒物や麻薬、香は効き目をなさず、魔法陣は見ただけで解除してしまい、物理的な武器に関しては、簡単な魔法で防いでしまうのです。殺しに来る『教師』とのやり取りで、アルムは自己防衛の方法と、戦い方を学びました。
アルムが塔で暮らし始めて1年と少し経ったころ、王が戦争を始めました。その頃アルムは、鳥に意識を委ね、外を見て回る術を覚えました。まずは王宮をぐるぐる見て回りました。すると、王が様々な女に囲まれ笑っているのが見えました。その脇に控えるには、王によく似た子供です。どうやら、アルムよりも数年早く生まれた子達のようでありました。一人は馬鹿にした様に王を眺め、もう一人はつまらなそうに足元を見ています。王が年下であろう少年を、つまらなそうに足元を見ていた彼を呼びます。好きな女を貸してやろう、と。少年はにんまりと笑い、一番年若そうな女を連れ、部屋を出て行きました。残った方の少年に、笑顔を引っ込めた王は言います。初戦をお前が指揮しろ、勝つ事が出来たのなら王位について考えてやる。馬鹿にした様に吐き捨てる王に、少年はただ首を縦に振りました。
その少年は、剣の様な美しさを持つ子でした。すらりとした体はバランスよく筋肉がつき、使える体だということがよく分かります。鋭い視線は猛禽類様で、強い意志を秘めていました。アルムは少年を見つめ続けました。
その日から、アルムは様々な生き物に意識を託し、色んなものを見始めました。国中を見て回り、様々な書物を他人の体を借りて読みました。この国の民の生活を観察し、人々の話を聞いて回りました。
それから数日がたち、少年が戦場に行く日がやってきました。その日は清々しい程の快晴で、彼の出陣を祝っているようです。アルムは空を見上げ、見えぬ星々へ祈りを捧げました。どうか、彼が生きて願いを叶えますように、と。
少年が戦場に行くと、アルムは意識を鳥に託し、ついて回りました。どうやら少年は、軍の中でも浮いた存在の様です。陰で色々囁く言葉を聞いてみれば、少年は死んでも構わないのだそうです。曰く、側室が正妃よりも先に産んでしまった、危険因子であるとか、国の乗っ取りを画策している、だとか。王はどうやらここにはいない、年下の少年を次の王にしたいようです。その際に、年上である少年が邪魔なのだそうで、出来れば死んでもらいたいと思っているようでした。そのため、誰も積極的に少年を助けようとはしません。王子であるのに。
体中傷だらけになりながら、返り血か己の血か定かでないもので体を赤く染めながら、少年は進んで行きます。アルムは首を傾げました。こんな大変な事をしてまで、欲しい王位とは何なのだろうと。一人猛然と進んで行く少年の力量は、知識が不足しているアルムでも分かりました。明らかに、周りの大人よりも動きまわり、鋭い一閃を敵に浴びせています。その戦う姿は、市井で見た踊り子の様に美しく、アルムは見惚れました。単身、敵の本拠地に乗り込んで行った少年は、一撃で敵将の首を刎ねました。虚ろな視線が、少年を見つめます。少年は肩で息をしながら、その顔を見つめていました。そのせいなのでしょう。少年は、背後から近付く影に気付きませんでした。アルムは思わず、その影を燃やしてしまいました。轟々と燃える人間に、振り向いた少年は驚いたように目を見開きます。火が消えてみると、それは味方の兵でした。アルムは首を傾げます。確かに、その人間は少年を殺そうとしていた筈なのに、と。
敵将の首を掲げ持つ少年の帰還に、王都の人々は歓喜の声を上げました。この国は小国です。周り全てが強敵と言えます。その国の敵将を亡きものにしたのです。それは、国民にとって素晴らしい事でした。
少年は、王の前に跪きます。王は、苦々しい顔をして、少年を見つめていました。形だけの賞賛をし、祝賀会の準備をせよと、家来に命じました。その背を追い、少年は王宮へと入って行きました。
玉座に座る王へ、約束は果たしてもらうと少年は言います。王は、にやにやと厭らしい笑みを浮かべ、はてと首を傾げました。王位を考えるとは言ったが、王位をやるとは言っていないと。怒りに目を吊り上げる少年に、王はまあ待てと声を掛けます。お前がこの戦を含め、100の首を得たのならば、次の王位はお前にやろう。少年は、王に嘘偽りはないかと尋ねました。王は、その名をかけて誓いました。
敵将を打ち取った少年は、祝賀会での主役でした。それを妬ましげに睨みつけているのは、年下の少年です。戦に行く勇気も意地もないのに、ただ穢れた血と馬鹿にする兄王子へ恨みを述べるしかありませんでした。
華やかで煌びやかな雰囲気に、他の生物経由で観察していたアルムも疲れてしまいます。暫く少年を眺めていると、アルムの暮らす塔の近くまで少年が歩いてきました。どうやら、少し休憩をしたいようです。アルムは、鉄格子の嵌った窓をこっそりと壊し、一年ぶりに塔の外へと出たのでした。
がさりと音を立て、草の上に降り立ったアルムに、少年は警戒したように剣を構えます。アルムはにこやかに笑いながら、敵ではないと告げました。ここの塔に、住んでいるのだと。少年は怪訝な顔をします。今、この塔に幽閉されている王族はいません。しかし、あの王のことです。何かしら後ろ暗いことをしていても、何ら不思議ではありません。娼婦との間に作った子だろうかと、年の割にはシビアな予想をたてました。多少警戒を解いた少年に、アルムは尋ねました。王位が欲しいの、と。少年は数秒悩みました。王位を求める考えを誰かに告げる事は、王国のバランスを崩しかねないことです。しかし、少年は頷きました。この子供は塔に住んでいる。それは、外の世界と隔離されているということです。それならば、他人に漏れる心配はないだろうと判断しました。その根底には、どうしてかアルムへ話したいという思いがあったかもしれません。アルムは首を傾げつつ、再び質問を投げかけました。王位って何、どうして欲しいのと。少年は答えます。王位とは、王の位のことである。王の位にいることが王なのだと。私はこの国を変えたい。王族のみが幸せでいるような、不平等な国を変えたいのだと。アルムは続けて尋ねます。貴方も王族なのに幸せではないのに、どうして他の人まで考えるのかな。少年はにやりと笑いながら、アルムの頭を撫でました。その髪はさらさらとしていて、どうしてか撫でていると癒されるようでした。私は必要とされて産まれた訳ではない。彼らにとっては王族ではないのだ。だから、私が幸せになるための大義名分として、平等にしたいと言っているんだ。王族でない私も、幸せになれる様に、な。アルムは少年をくりくりとした目で見上げました。そして、その夢が叶うことを自分の夢にすると言いました。その時、少年はその眼が独特な色彩を持つ事に気付きました。そして、数年前流れた噂を思い出したのです。少年がその事を尋ねようとした時、急にアルムは立ち上がりました。貴方はきっと幸せになれる。そう言って笑った顔は、透明感溢れるものでした。アルムの瞳が黒く輝いたと思った次の瞬間、少年は塔より少し離れた場所に座っていました。そこは庭園の中で、背後からがちゃがちゃという鎧のぶつかる音がします。振り返れば、近衛兵が近づいてきていました。どうやら、少年を探していたようです。少年はちらりと塔を一瞥し、煩わしい祝賀会へと戻って行きました。
少年を離れた所へ移動させたアルムは、無邪気そうに草の上を歩きました。がさがさと音を立てて、王と魔術師が近寄ってきます。どうやって塔から出たと、王は尋ねました。鉄格子が壊れたんだと、アルムはしらを切ります。ばしんと鈍い音を立て、アルムの体は横に吹っ飛びました。王にぶたれたようです。王は口端から唾を飛ばしつつ、アルムに言葉を吐き捨てました。だいたいは、アルムは王のものであるので、勝手な事をしてはいけないという内容でした。ほとんど聞いていないアルムの様子に堪忍袋の緒が切れたのか、首輪の魔法を発動させました。首回りが焼けつくような熱さに包まれます。アルムは、それを不思議そうに眺めました。首が焼けただれていく様に、アルム本人よりも王が焦りました。アルムは貴重な武器なのです。そう簡単に殺すわけにはいきません。まだまだ幼いので、戦場に出すわけにはいかないが、使える武器になってもらわねば困るのです。アルムに考える頭がないと思っているのか、王は魔術師たちとどうやってアルムを使うかについて、話し始めました。首輪の隷属の魔法はきかない、仕置きなど意味もなさそうだ。アルムはぼうっと光溢れる王宮を見ながら、その会話を聞き流していました。
魔術師の一人が、ぽんっと掌を叩きました。いい考えがありますぞ、と意地の悪そうな顔で笑います。大まかに言えば、攻撃する場所を決め、そこに敵を追い込み、アルムがまとめて殺すというものでした。アルムはどうやって場所を知らせるつもりなのだろうと、詰めの甘い大人達を見ています。植物の魔法が使えるのなら、動物の目を借りられるだろうと、暫くしてやっと一人が思いつきました。アルムはそれを見ながら、一つお願いをしてみました。一人ぼっちは寂しいから、1年に一人人間をください、と。王は怪訝そうな顔をします。そして、悪い事を考えている大人の顔をしました。いいだろう、褒美にお前にペットをやろうと言いました。王の考えなど、アルムには易々と考えつきました。
王が立ち去った後、アルムは自分の髪を撫でつけました。まだ、そこには暖かな手のひらの感触が残っています。神殿でも、塔でも、誰かがアルムに優しく触れた事がなかったのだと、今更ながら思いだしたのです。アルムは、その感触を思い出してはにまにまと笑うのでした。
それから、アルムと少年の戦に身を捧げる日々が始まったのです。少年が敵を追い立て、指定された場所へ誘導します。そして、アルムの魔法で一気に兵士たちを片付けました。その後、少年が敵将の首を狩る。それがパターンとなりました。度々、王の策略なのか、少年がアルムの魔法の範囲内に入る様な事がありましたが、上手い具合に誤魔化し、少年は今日も戦場を走り回ります。
返り血を浴びながら走る姿を、人々は『血塗れ王子』と呼ぶようになりました。国内からは賛辞として、国外からは恐れの対象として。様々な魔法で相手を屠っていく作戦は、王おかかえの魔術師たちが遂行していると、王は言っていました。誰もが、アルムの存在を知らなかったです。アルムは今日も自由に羽ばたく鳥の目を借り、戦場を見渡し、少年を見守り続けるのでした。
10年と少しの時間が過ぎ、青年となった王子はいよいよ100戦目の戦に勝利しました。小さな小さな王国の、周りの国々ももう虫の息です。青年はすり減った精神をなんとか奮い立たせ、王の元へと向かいました。10年前よりも凛々しく凄惨な顔立ちになった青年に、王は憎々しげに溜息をつきます。かれこれ10年、幾度暗殺をしようとしたことか。どの作戦も失敗に終わり、王は王子の悪運の強さに腹立たしさを覚えます。青年は言いました。これが最後の首であると。どうしたものかと、王はない頭で考えます。いつか死んでくれる、殺せると思っていた、間違いで生まれた子供を王にする気などさらさらありません。自分の有利になるよう、慈しみ大切に育てた人形を王にしたいからです。王は思い付きました。何を言っている、と青年に尋ねます。これまでの戦、始めを除けば全て、我が魔術師の功績あるぞと。青年はカッと頭に血が上りました。首を刈ってきたのは全て私である、よって王は約束を守らねばならぬと。ただ敵将の首を刈るだけしか出来ぬ無能めと、王は吐き捨てます。
精神がすり減り、疲労によって理性がうまく働かない青年は、思わず剣を抜いてしまいました。王はしめしめと思い、衛兵を呼びます。地に叩きつけられた青年は、目の前が真っ赤に染まりました。全てはこの時のため、その身を血で染め上げてきたのです。それを、この王はなかったことにしたのです。
青年は、反逆者として牢に繋がれました。
それを見ていたアルムは、そっと息を吐きました。あの王がそう簡単に王位など渡す筈がないと思っていましたが、まさかその通りになるとは。サイドテーブルに置かれた紅茶を呑みながら、優雅に笑みを浮かべました。
あれから10年がたち、アルムの暮らす塔の賑やかになりました。王は一応、約束を守っていました。
敵国の子供を助けた罪で片腕を落とされた騎士団長、隠密活動中に仲間を助けその存在をばらしてしまった罪で両目をくり抜かれたスパイ、近隣諸国で有名であったが王の政治を批判したため耳を削ぎ落されてしまった吟遊詩人、第二王子の嫌いなものを知らず知らずのうちに使ってしまい舌を抜かれた料理人、正妃が庭でつまずき転んだのはお前の責任だと足の健を切られた庭師、あまりに酷い財政状況に苦言を呈し口を縫いつけられた宰相、戦争孤児たちに治療を施した罪で顔を焼かれた医師、捕虜の扱いが酷過ぎると同僚を諌めた事が反逆の罪だとされ喉を潰された近衛兵、王の不利になる判決をしようとし不敬だと鼻を削がれた裁判長、人を殺す武器を作ることを拒否した指を切られた研究員。
10年の間に彼らが生活に加わることとなりました。彼らは優しい笑みを浮かべ、アルムに接します。どうしてかは分かりませんでしたが、アルムは嫌な気分ではありませんでした。じめじめとしていた塔も、彼らのお陰で住みよい場所となっています。美味しい料理も食べられ、清潔な場所で眠りにつくことができます。これが幸せなのかなと、アルムは思いました。ここに青年が来ればいい、とも。しかし、アルムは決して青年がここには来ないことを知っていました。王はアルムと青年が接する事をよしとしないでしょう。それに、青年は幸せになることだけが目標ではないのです。
アルムは片手間に戦をしながら、意識を様々に飛ばしました。この10年で張り巡らせた糸を辿りながら、繋がりを巡って行きました。
夜も更け、皆が寝静まった頃。アルムは小動物の意識に潜り込み、牢へ侵入しました。そこでは青年が、らんらんとした目を見開き、瞬きせずに虚空を見つめています。アルムは、その隣に擦り寄り、青年の体の脇に置かれた手をぺろぺろと舐めました。青年の視線は少しも動きません。剣を握り続けた事で堅くなった手を、ひたすら舐め続けました。
数年がたち、間もなく戦も終わるであろうという局面を迎えました。周りに力を持つ国はほとんどなく、あとは小さな小さな王国に吸収されるのを待つばかり。アルムは意識を離散させ、最終調整に入りました。
次の戦でこの王国が大陸を統一できると言われて、王は酷くご機嫌でした。数年前に拾った宝石は、やはり輝かしい宝石だったのです。自分の玉座に飾るべき、宝石だったのです。隣には自分によく似、上手い具合に傀儡となりそうな次期王である第二王子がいます。邪魔な存在であるあの青年は、あれ以来壊れた様に虚空を見つめ続けています。きっと、もう立ち直れまい。王は自分の策略に満足気でした。
最後の戦が始まる前の晩、牢屋がにわかに騒がしくなりました。大規模な脱走があったそうです。その中にあの青年がいましたが、他の脱走者が囮用に逃がしたものだと王は考えました。あの青年は、もう正気ではないのです。問題はない。それよりも、今は大陸の覇者になることが王にとっては重要でした。
王は日の出とともに、最後の戦へ兵士を送りだしました。
戦はあっという間に終わりました。意気揚々と凱旋した兵士たち。王は惜しげもなく賛辞を贈りました。
そこで話が終われば、王はめでたしめでたしの世界にいることが出来たでしょう。しかし、これは王の物語ではないのです。
戦が終わり、祝賀会で皆が酒池肉林を味わい、意識が朦朧とし始めたころ、突如警鐘が鳴り響きました。王を含め、王都にいる人々は、慌てふためきます。王は歪む視界に舌打ちをしながら、急いでアルムのいる塔へと向かいました。
塔は、酷く静かでした。遠くで人々の叫び声、金属がぶつかり合う音が聞こえます。アルムは寝ているのかと、最上階の扉を開けました。
アルムは、窓の向こうを見つめていました。その横顔が大人びいているのを見た時、王は時の流れを感じました。アルムを買ったのは、まだまだアルムが小さい頃です。塔の外を見つめるアルムの瞳は、今も変わらず様々な色に輝いているのでした。
王は尋ねました、何が起こっているのかと。アルムは答えます。この王国が敵勢力に囲まれているのだと。王は馬鹿にした様に笑い飛ばします。この大陸は今日から私のものとなったのだぞ。どこに敵などいるのかと。アルムは何の感情も浮かばない目で、王を見つめました。隠れていたのです。この王国が、勝利を確信した時。それが、一番の隙になると知っていたから。敵は、今まで征服してきた国々全ての人々ですと言いました。その数は、この王国の軍隊を優に上回り、小さな小さな王国は四方八方を囲まれてしまっているとも。
大陸を統一してたった一日での、反乱軍でした。王は尋ねます。軍隊を率いているものは誰かと。アルムはその時、にっこりと笑みを浮かべました。貴方の、一番上の息子さんですよと言いながら。
王は顔を真っ青にしました。彼の剣の腕は知っています。そして、人望も。いつも勝利の証として闊歩させていたのです。国民の中には、青年の反逆罪を疑う者までいました。
アルムは言います。統率者が彼だからなのか、形成が不利だからなのか、国民や兵士がどんどんあちらに投降しています。どうしましょうか、と。王の顔は真っ赤になり、次いで赤黒くなりました。わなわなと体は震え、目が血走ります。殺せ! 全員殺すのだ! 王の言葉に、アルムはゆるゆると首を振りました。この広範囲にいる敵を一度に倒すのは不可能です。一か所攻撃すれば、他の場所から襲われるでしょう。
王は目をぎょろぎょろとさせ、ぶつぶつと呪詛を吐きます。口端からは泡となった唾が飛びました。
いい考えがありますよ、とアルムはいいました。敵がいない王国を作ればいいのです、と王に笑いかけます。王は、歪な笑みを浮かべ、そうだなと言いました。して、どうするのかと。
お好きな場所を指定してください。王宮でも山でも何処でも構いません。場所の限りはありますが、その土地ごと皆さんを空中へ浮かせましょう。さすれば、敵も手を出せません。
王は震える膝を叱咤し、ばたばたと塔を駆け降りて行きました。恐らく、自分の財産と力になりうる、耳に気持ち良い言葉を喋る人間を集めるつもりなのでしょう。アルムは笑顔を消し、空を見つめました。
数々の星を繋ぎ星座を作る様に、小さな王国でばらばらにされた国の人々が、一つの光の元へと集まり、理想を形成しています。王国を包むように、責めるように、赤々と輝く松明の炎がゆらめきました。
暫くして、王が再び塔を駆け上がってきました。宝石の採れる、山を浮かす事は可能かと。アルムは答えます。それくらいならば出来ます。王はアルムの首輪を引き、ずるずると塔から出しました。アルムは抵抗せず、運ばれていきます。王族が管理する鉱山に着いた時、アルムの首筋は真っ赤に擦り切れていました。そこには、王宮にあるだけ持ってきたであろう、宝と食物の山がありました。周りには、王へごまをすることしか能のない貴族と、幾度もアルムを殺そうとして失敗した魔術師がいます。徐々に近づいてくる松明の光に、王は慌てて命令しました。早く、我々の敵のいない王国を作るのだと。
アルムは小さく息を吐きました。目を瞑り、瞼を開きます。そこには、様々に光り輝く瞳がありました。土の力で大地から鉱山や周辺を剥がし、風の力で持ち上げます。炎と力で山を押し上げ、ぐんぐんと空へ昇って行きました。薄くなる空気を風の魔法で補い、渇く空気を水の魔法で湿らせます。闇の力で地上から目視出来ない様隠し、光の力で小さな小さな小さな王国を照らしました。
でかしたぞ、と王が嬉しそうに言います。アルムは、天の空を見上げました。
この王国は、二度と地上に降りる事はできません。アルムは静かに言いました。喜びで騒いでいた王たちが、沈黙します。風の魔術師が言いました。風の力があれば、それくらい可能だと。
そ の時、アルムを見た全員気がつきました。その眼にある色がぐるぐると凄い勢いで回っていることに。その光景はどうしてか胸をざわつかせました。
これより、この世界にある魔法全てをこの王国の維持に使います。アルムの瞳に共鳴するように、あちらこちらに赤、青、緑、茶色、黄色、白、黒の光が集まってきました。ぐるぐると小さな小さな小さな王国の周りを回ります。これは全ての魔法の素であると、アルムは言いました。王が連れてきた魔術師たちは、焦って魔法を使おうとしましたが、全く発動しません。魔術師は全員、膝から崩れ落ちました。
何が目的だと、王は震えながら尋ねました。アルムは興味がなさそうに、全て目的は達成しましたと言います。再び、王が目的を尋ねれば、しょうがないと言いながら、口を開きました。第一王子を王にする事だ、と。そして、ちょっとした悪巧みを教えてあげました。
第一王子と王が約束したその時、アルムは約束が守られる事はないだろうと直感しました。しかし、あの素晴らしい王子以外のものが王になるなど、幼いながらも許せないと思ったのです。そこでアルムは、戦争で出来る限り人を殺さない事にしました。ほとんどの兵士を仮死状態や気絶にとどめ、地下に作った隠れ家にかくまいました。そこで、自分に協力をすれば命を助けてやるという、取引を持ちかけたのです。
アルムが殺した者の家族もいました。恨みごとも呪いの言葉も聞きました。それでもアルムは、協力してほしいとお願いしたのです。全ては、不平等を作りだす王を倒すためだと。
王の侵略に合わせ、アルムは着々と反乱軍を増やしていきました。いずれ、王に裏切られるであろう、第一王子を将軍とした反乱軍を。
そしてあの時、予測通りに王は第一王子を裏切りました。壊れかけた王子の心を、アルムはひたすら寄り添うことでちょっとずつちょっとずつ癒したのです。王の侵略が完了するちょっと前に、やっと王子の心は持ち直しました。王子は、計画に乗ってくれました。アルムの魔法を使い、反乱軍と連絡を取り合い、意思の疎通を図りました。脱獄した後、すんなりと反乱軍を率いられたのはそのためです。
国内の事に詳しく、一番王の被害を受けていながら、国民の人望が厚い王子は、格好の反乱軍の目印となりました。このまま反乱軍に王を殺させても良かったのですが、もう王子に人殺しはしてほしくなったのです。また、心が壊れかけてしまったらと心配してしまいました。だからアルムは、王達が誰にも手を出す事が出来ない場所に隔離することにしたのです。それと同時に、戦争の武器とされてしまった、魔法をなくすことにしました。
この世界の魔法は有限です。限界が決まっていて、それぞれ魔術師はそこから力を借りるという形でした。そこで、その魔法の素を全て使ってしまえば、他の魔術師には魔法が使えないと考えたのです。
現在、魔法の素は浮島の維持に使われています。アルムよりも力のある魔術師でも生まれない限り、この浮島は浮いたままでしょう。
地上の生活には、庶民が困る事がないよう、研究員に便利な道具をこの10年と少しの間に発明させています。暫くは慌ただしくなるかもしれませんが、それもその内おさまるでしょう。困るのは、ここにいる人々だけなのです。
これが、アルムを塔のてっぺんに閉じ込めた、王への復讐でした。
アルムはにこにこと笑いながらふわりと浮きあがります。その眼は微かに緑を帯びているものの、ほとんど灰色に塗りつぶされていました。どれぐらい魔法が持つか分からないが、数十年は浮き続けるとアルムは言います。魔法の使い方が記憶が存在しなくなるまで。それまで、食料が持つといいけどと続けました。その言葉に王は顔を白くさせます。確かに、食物は持ってきました。それでも、一年持つか分かりません。鉱山の宝石を使い、買えばいいと楽観視していたのですが、浮いたままでいるならば買い物もできません。ここに、幽閉されると言う事です。そのことにやっと気付いた面々は、アルムに縋り付こうとしました。アルムは浮島から距離をとり、徐々に降下していきます。間もなく、私が使える魔法の素もなくなるでしょうといいながら、ふらふらと下へ降りていきます。必死な形相でアルムに手を伸ばす王を見ながら、アルムは清々したように笑ったのでした。
ふわり、ふわりと落ちながら、アルムは自分の終わりを感じていました。もう、浮遊させる力が残っていません。木々より少し高いくらいで漂うアルムは、浮力がなくなれば真っ逆さまに落ちてしまいます。きっと、助からないでしょう。しかし、アルムは夢を叶えました。復讐も果たしました。思い残すことなど何もありません。
青年は、きっといい王になるでしょう。塔で共に暮らした、仲間たちはそれぞれの分野で素晴らしい能力を持っています。きっと、いい王国にしてくれる筈です。彼らと生活して、それは確信していました。そのために、王がいらぬと言った優秀な人材を集めたのです。
ひゅっと体から力が抜けました。すぐさま、ぞくっとした浮遊感に包まれます。アルムは、真っ逆さまに落ちて行きました。
アルムが目を開けると、鋭い眼光の青年がいました。どうやら、何か怒っているようです。アルムは慌てました。何か、まだやっていないことでもあっただろうかと。目を開けたアルムに、青年は一発平手を食らわせ、きつく抱き締めました。少し筋肉が衰えた体はなお、しっかりと堅い感触がしました。生きている鼓動の音がします。青年は言いました。夢を変えようと思うと。アルムは首を傾げます。そして、青年に言いました。どんな夢でも、貴方の夢が、私の夢だと。
青年は意地悪そうな、泣きそうな笑みで、アルムの唇に口付けを落としました。
その後、その大陸に王国が出来る事はありませんでした。公共事業として必要な各分野を担当する、それぞれの機関が出来ました。各機関の初代長には、どうしてか皆体の一部分がかけた人々がなったそうです。そして、各機関を纏める議会の初代議長として、鋭い顔つきの青年が着任しました。彼には、美しい灰色の目を持つ妻が、いつまでもいつまでも寄り添ったそうです。その世界には、武器という名を持つ、宝石のような少女はいませんでした。
めでたしめでたし。
ええ、空に浮いた浮島がどうなったか、知りたいの?
そうね、数年前に地震があったでしょう。
それってね、空から何か降ってきたんですって。
そこには瓦礫に紛れて金銀財宝に宝石と、血にまみれたナイフが落ちていたそうよ。
2015/4/25 訂正