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遥かな牧場

作者: 張 継錬

「遥かな牧場」は中国内モンゴル自治区阿拉善盟文聯の中国一級作家の張継錬氏の環境破壊に関する小説である。この砂漠化が進み、家畜などの放牧の場所がなくなった、小説の対象地は、中国西部のアラシャン盟エジナ地域である。エジナという名前は、西夏のタングート(6世紀-14世紀の中国西北部の民族)語の「亦集乃(黒河の意味)」に発する。

 エジナ河流域には悠久なる歴史があり、原始時代にも人類が活動していたと言われる。中国の考古学者は、エジナ河流域周辺から大昔の住民の遺跡と遺物を発見した。遺跡と遺物には中国東北、内モンゴル、青海省、寧夏省、甘粛省などの大昔の住民に使われていた細石器の特徴がある。それで、エジナ河流域は原始時代にも人類が活動した豊かな所と考古学者たちは推測した。

 エジナ河地域は夏、商、周時代には烏孫(中国漢代から南北朝期にかけて、天山山脈の北方に住んでいたトルコ系とみられる遊牧民族)の牧地であり、秦朝の時は大月氏の領地であり、西漢の始め頃に匈奴の牧地であった。

 秦朝の時は「流砂」、「弱水流砂」と呼ばれ、秦漢の後(西漢武帝時代)に「居延」と呼ばれた。「居延」は昔の匈奴語、「深遠」の意味である。

西漢と東漢の三百年間は、居延地区の発展時期だった。1930年に漢代の遺跡から発見された有名な「居延漢簡」には、多数の漢昭帝時代(前94年-前74年)の屯田関係が含まれていた。それで、漢代の居延における開墾状況が明らかになった。

 前111年に漢政府は、上郡と西河及び河西などの郡で相次いで田官を開き,約60万人が耕田していた。そして武帝の末年に漢簡から発見された新農法により、フフホト平原からエジナ河流域まで開墾が普及していたという記載がある。こうして漢代の武帝の時に朔方、西河、酒泉、河西などの郡(ほぼ今のオルドス高原、河套地区とアラシャン盟地区にあたる地域)では、すでに漑田が完全に設備された。

 昔は、エジナ地域では樹木が密生し、牧草が繁茂し、美しい河の流れがゆったりした、人が入れない神秘な所だった。その頃の人間はこの美しい所に入り、生活を営むと放火をし、火炎で野生動物を追い出し、住める場所を造った。放火して数年後この所に来てみたら、火がまだ燃えていた。それから火を止めて、住むようになったという伝説がある。

また、後漢時代は前漢時代と同じく前漢昭帝の「屯田政策」が再び実施された。

 明洪武五年(紀元1372年)から紀元1731年の350年間、エジナ地域は遊牧民の牧地になっていたが、殆んど人が住んでいなかった。東方と西方の商人及び旅行者の駱駝や馬の休憩所になり、通り道だった。紀元1698年にヴォルガ川流域のトルグ-トの500人(5000人とも言っている)は東遷し、アラボジョルと共に、エジナ河流域に居住し、遊牧するようになった。

 人為的破壊と水不足問題で、50年代から90年代にかけて植物が非常に減少した。この中、潅漑できる牧草地は46700 km2から16700 km2にまで減少した。東、西河沿いの面積500 km2(75万ムー)の胡楊の78%が老齢林になった。90年代には胡楊面積は200km2(30万ムー)になり、毎年4%の速度で枯れている。そして、胡楊林を保護するため、生態移民政策が次々出され、強制的に実施された。

 

      遥かな牧場

        中国内モンゴル自治区阿拉善盟文聯* 張 継錬

       岐阜大学大学院連合農学研究科* * オウスチンビリゴ(訳)


 太陽が昇り、手綱のように高くなった。また、ウブゲ(お祖父さん)は、羊の糞を貼りつけたような模様のある、駱駝の赤ん坊ぐらいある大きさの奇怪な石に座ったまま、お茶を飲んでいる。出がらしで、その上ミルクも入っていないスーティー(ミルクティ)を。

 ウブゲは、燃え上がった牢糞(しっかりしている羊の糞)のような太陽に強くあぶられ、汗をかいている。ウブゲはキセルに次々にタバコを詰め、お茶を一杯、また一杯とどんどん飲む。出がらしで、ミルクも入っていないスーティー茶を。

ウブゲは、遥か遠くに見える干上がったノール(湖)を、じっと見詰めている。ウブゲの目の前に、突然青空や高い葦、羊の群れや駱駝が現れた。ウブゲはたばこを置き、お茶も置いて、キセルの雁首と茶碗を怪石の上に静かに置き、遥か遠くのノール付近に見える水や葦、駱駝や羊を見詰めた。しかし、次の瞬間、我に返った。以前は、蒼茫なゴビ(砂漠、砂礫が広がる草原)に見られる蜃気楼だったが、今は水も葦も、駱駝も羊も見えない……ウブゲは長いため息をつき、我に返った。そしてまた、キセルの雁首やお茶碗を取り、座っている怪石を見た。

 ウブゲの話では、かつて、この辺りに石はなかったという。石を拾い、羊や駱駝の群れを大声で呼んで追おうとしても、石は見あたらなかった。また、この辺りはかつてノールの中心だった。ウブゲが、ここを掃除して整頓し、パオを建てて生活をするようになった時には、ノールの底に死んだ魚や鳥、枯れてしまった葦がぼんやり見える程度だった。それに、ノールの湖畔には胡楊が、ノールの底には泥濘・乾裂などがぼんやりと見えていたが、石は全く見えなかったという。ウブゲがパオを建てるときには、石で杭を打つ小石さえなかった。仕方がないので、ジャゴ(梭梭Haloxylon ammodendron)で杭を打ったという。その後、風が年々強くなり、頻繁に吹くようになったという。そのため、ノールの泥土は遠くに飛ばされるようになった。泥土はどこに行ったか分からず、遠くに飛ばされたままであった。その後、石は雨後の筍のようにたくさん現れた。ウブゲは、この怪石がどのように現れたかはっきり分からない。まるで一夜のうちに天上の風に乗って、パオの隣に生まれたかのようだ。その時、羊や駱駝、犬や子供たちはみな、大勢の敵が攻めてくると思って警戒し、怪石から離れていった。しかし、その数日後、怪石に近づいて齧っても、怪石は砕けず、蹴っても怪石は動かなかった。また、みなが小便をかけたり、悪態をついたりしても、怪石は怒ったり避けたりしなかった。それでウブゲはこの怪石が好きになり、いつも座ったり、休んだり、涼んだり、日光浴をしたり、気晴らしをしたり、物思いにふけったりするようになった。ウブゲが、怪石に座り始めたら、誰も邪魔をしなかった。羊や駱駝、犬や子供たちはみな、遠くを通った。

 太陽が昇り、手綱の高さより高くなった。とても暑いので、サウナに入っているようだ。ウブゲは玉のような汗をかき、その汗は怪石に流れ落ち、まるで灼けついた火かきシャベルに流れ落ちたように瞬く間に蒸発してしまった。靄の片りんも見えなかった。牧羊犬の黄黄(名前)は舌を長く伸ばし、喘息は10,000m走った競馬より多いそうだ。パオとパオの隣に積んであった燃料用のジャゴは不思議な青色の幽光を放っていて、まるで火事が起きる前の煙のようだ。天気予報では、今日の気温は29~43度だ。

 ウブゲは、また、色のないスーティー茶を飲み始めた。

 ウブゲは色のない、ミルクなしのお茶を飲まない。この地域にすむ人たちはみな、旗長(群長)までも、ウブゲが色のついてないお茶を飲まないことを知っている。ウブゲはアイラ(近所)に入ると、アイラのエジン(主人)からスーティー茶を一杯もらうだけで満足して、自分が賓客になったと嬉しそうな顔でスーティー茶を一気に飲んでしまう。それからご機嫌になって、「今年の雨はどう?」「牧草地はどう?」「牧畜はどう?」とにぎやかに談笑する。もし、ウブゲに無色のお茶を持ってきたら、顔をそむけて一言も言わずに行ってしまうのだ。その後おきまりのように、ウブゲはいつも他の人に「人を見くびるな!」と言う。ある時ウブゲは、おばさん(お父さんの娘)に見合いにアイラへ行った。おばさんの夫になる、この若者は、ウブゲの習慣や性格を知らないので、無色のお茶を持ってきてウブゲに勧めた。ウブゲは何も言わずに、すぐ駱駝に乗って帰ってしまった。その後、ウブゲは今年の乾燥がひどくて牧草の育ちが悪く、羊の乳の出が悪いことが分かったが、おばさんをこのアイラに嫁がせなかった。

 ウブゲはスーティー茶を作る方法など茶道をとても重んじる。お茶に使う水や牛乳やお茶の量などに気を配るのだ。水の量が多かったら、ノールの水のように味が薄くなるのでまずい。牛乳が多いと生臭く、口に合わず、お腹がよく痛くなるのだ。お茶が多いと渋く、ミルクの色と味がしなくなり、味気ない。牧畜業大会やモンゴルナダム(祭り)では、誰でもウブゲが作るスーテイ茶が大好きだ。すがすがしい香りは口当たりが良く、渇きを癒し、気持ちを和ませてくれる。ミルクは香ばしくておいしく、濃厚である。ウブゲは水、お茶、牛乳の割合がコンピュータの計算より正確だ。ウブゲは誰もできないことができるので、自治区、市町からやってくる賓客や外国人の賓客の誰もがしきりにほめる。ウブゲのスーテイー茶は砂糖を入れなくても、香ばしくてさわやかだ。ウブゲのスーテイー茶は、石炭で沸かしても、竈の火でたいたジャゴの柴の香りが出る。それに飲んだときに出るげっぷから、エブゲのスーテイ茶とわかる人が多い。

 今朝、ウブゲはなぜか、古い銅のつぼや青花の模様がついた陶磁器の茶碗とキセルの雁首を持って、昼までずっと怪石に座っていた。眼は、近くの山のレーダーのように、遠くから近くへ、また近くから遠くへとパオを見たり、浜にいるやせっぽちな羊を見たり、毛がまだらに残るやせたラクダを眺めたりしている。そしてまた、ウブゲは怪石の隣の枯れた井戸を見張ったり、ヒツジ小屋の上に縛られている少しの草に目を配ったり、楊木で作られた羊の飼葉桶の中にあまり残ってない小粒トウモロコシに目を向けたりしている。また、半年間雨が降らないので赤土の広場と化した牧場を見て神様を罵り、また、おとなしい牧羊犬の黄黄の酷いあえぎ声を罵るのだ。

 ウブゲは怪石には目もくれず、ひたすらお茶を飲む。まるで一生分のお茶を飲み干すようだ。お茶はとてもおいしくて、悪酔いしない「砂漠王」白酒(中国の酒)というよりも、賀蘭山(阿拉善盟の山)の清水のようだ。ウブゲは、時々頭の中がいっぱいになったり、神経を集中させてじっとしていたり、悲しみの長いため息をついたり、無性に懇願する人のようである。私は、何回もウブゲの近くに寄って話かけたかったが、静かに去った。話しかけたら、ウブゲの神聖で純潔な魂を驚かすと思ったからだ。

 ウブゲは私のことを気にも留めていない。自分がこれからどのように生活していったらよいのか、という重大な問題を前に葛藤しているのである。

 ウブゲは、数十人の孫の中で、私のことを最もかわいがってくれる。ウブゲは私が生まれた時、この果てしないノール(湖)を見て、私をイヘウソ(大水)と呼んだ。大きくなってから、私は、イヘウソには莫大な水という意味があると知った。ノールの水が少なくなるにつれて、私はイヘウソという名前が嫌になって名前を変えた。だが、ウブゲはまた私の名前をイヘウソに変えた。ウブゲは「ある日、水がたくさん流れてくるだろう」と言う。私の名前はウブゲの期待と慰めになった。私は夏休みになると、ウブゲのところへはるばる見舞いに行く。私の姿を見ると、ウブゲは子供のように躍り上がって喜び、長く白いひげをなで、自分を70歳過ぎとは思えない様子で斧を振り回し、まきを割り、スーテイー茶を作り始めた。私のために、ミルクを120kmもの遠くの町へわざわざ買いに行ってくれたという。

 スーテイー茶が出来上がる前、強風が吹き始めた。ひとしきり風に舞う砂が黄色になったり、灰色になったり、黒色になったり、赤になったりしても、風は弱まらず、パオは引っ繰り返されるようだ。パオの中の砂ぼこりは煙霧のように漂い、用具の上にたくさん集まった。強風でも、羊の群れと駱駝は倒れない木のように見え、互いに頭を体に差し入れて砂塵暴を避けている。羊と駱駝の鼻孔と目の周りには、砂粒と涙がくっついて、沙湖の形になった。

 ウブゲは、この頃の天気を意気地がない鬼天気だと叱る。北京からきた客のイヘウソはあらしに遭い、二度とウブゲのところに見舞いに来れないと心配になった。スーティー茶が出来上がり、ウブゲは茶碗を両手に捧げて持ってきた。スーティー茶は砂嵐でほこりだらけになった。ウブゲはお詫びの気持ちで、「明日は、町から買ってきたミネラル・ウォーターを飲んでください」と言った。私は眉もしかめず、瞬きもしないで、茶碗に浮かぶ砂ぼこりも吹かずに、一気にお茶を飲んでしまった。しかし、スーティー茶を飲み終わらないうちに鼻血が流れ始め、気絶して倒れてしまった。私はウブゲがあわてている様子のウブゲを感じて意識を失った。私の意識は夜中に戻ったが、強風がまだ外で吹いていた。ウブゲはわきにある机の隣で地面にしゃがみこみ、私の手をしっかり持ち、ミネラル・ウォーターを飲ませてくれた。また、ウブゲの隣に、ウブゲより年の若いお爺さんがいた。この人は蒙医(モンゴルのお医者さん)だった。評判が高いお医者さんだ。ウブゲは翌朝夜明け頃、私をフフホトの家(内モンゴル自治区政府所在地)に送る準備をし、駱駝を連れてきたが、私は乗りたくなかった。オートバイを探してきたが、私はまた、乗りたくなかった。この夏休みがウブゲと一緒にいる最後だと思うので、最後までウゲに付き添い、いろいろなことをしたからだ。私は、現地調査を行って、2600km2ある豊かなエジナ河(黒河の下流域)がどのようにして枯渇しまったのか、胡楊がなぜ減ってしまったのかまた、怪林はどのようにして造られたのかということを明らかにするつもりだ。砂塵暴がどのようにして発生したのか、ウゲはなぜスーティー茶ではなく、清茶(普通のお茶)を飲むようになったのかを知りたい。これが、私の卒業論文の題材となる。私は、ウブゲにフフホトに戻りたくない理由を話し、帰らなくてもよいという許しをもらい、ここに残ることになった。

 ウブゲは「私はずっと原因を探したが、分からなくなった。この鬼天気!」といった。ウブゲはノールを一番愛しているし、生まれ故郷を愛している。ウブゲは自然などについての学問的な知識はないが、水がなくてはいけない、ノールがなくてはいけない、葦と胡楊がなくてはいけないことを、それに雨がないともっと困ることを知っている。このことから、私が工業大学へ進学することをやめ、水利関係の学校に行ったきっかけなのだ。

 北京(孫の学校)へ出発するとき、ウブゲは私を駱駝に乗せ、河沿いを走った。出発の前、ウブゲは私をエジナ河の真ん中に連れて行き、枯れた湖の底を見ながら、エジナ河の昔の風景について、「烟波浩淼,碧波万顷,鹅翔天际,鸭游绿波,碧水青天,马嘶鸭鸣」と言った。風光明媚な海でガチョウやアヒルが自由に泳ぎ、すばらしいところだったと教えてくれた。ウブゲはスーティー茶を飲んで、「砂漠王」の白酒を飲んだときのように陶酔し、まるで遠征式でスピーチをする時のように雄弁だったが、心の中では、憂え悲しみ、湖やまわりの風景が昔のようになるよう祈って涙があふれていた。

 私たちは、棋の玉の炒米やチーズやスーティー茶の粉や馬乳酒などを駱駝に載せ、枯渇して砂漠になった河道に沿い、南回りに夜通し中旅をした。途中で、ウブゲは、エジナ地域の盛衰について、私に話を聞かせてくれた。ウブゲによると「伝説では、西王母(中国で古くから信仰された女仙、女神)は天池に行き、水浴びをして帰る途中、大砂漠に出逢った。西王母は、家一軒ない、荒れ果てた黄沙を見て、哀しい気持ちになった。そこで、玉のような唇で、祁連山(エジナ河を水源地)の積雪に向かって「軽く吹け!」と言った。すると、銀河が大砂漠に流れていき、この銀河が祁連山から流れ出るエジナ河だ。私がいるウブゲの家はこのエジナ河に沿ってある。ウブゲの子孫たちは、何世代にも渡ってエジナ河沿岸に住んできた。だから、エジナ河の海から湖、湖から沼沢、そしてしまいには枯れてしまった海を肌で感じた。

 ウブゲは、幼馴染たちと遊び戯れて楽しかったことや、ウムゲ(お婆さん)と河遊びをしたときに知り合って愛し合い、結婚したことを話してくれた。ウブゲは、過ぎ去った悲しい出来事まで話してくれた。ウブゲはこの河川にあふれるほどの愛、そして憎しみ、感嘆、惜しむ気持ちを持っているのだ。怪林に近付くと、ウブゲは手綱を強く引き、駱駝が止まった。ウブゲは私に怪林についての様々なことを教えてくれた。昔、怪林は豊かに茂る胡楊林だった。今は延々と続く胡楊の屍であった。怪林では、木はまっすぐ立っていたり、斜めに立っていたり、横に伸びたり、孤独だ。奇奇怪怪で鬼影のようであり、また万個の屍のような姿であり、見ていられない。風が悲しげな音を出し、無性に恐ろしく感じられ、墓穴か冷凍倉庫に入ったようで身震いがする。また、心の琴線をぎゅっと締めているようにも感じる。

 その夜、私たちは、怪林の隣にテントを張り、ウブゲは彼のウブゲが話してくれたという怪林の物語を話してくれた。それは、ウブゲのウブゲが豊かに茂る胡楊林で遊びながら放牧した情景についてであった。

 私は一人で、怪林に歩いて行った。ウブゲは陰から私を見ている。ウブゲは私が行くのを止めようともせず、かといって勧めてもいなかった。このことは、私がウブゲに対して勇敢さと思いやりに満ちていることを示していたが、それを示すためではなく、その自然を知るために怪林に入って歩いた。悲しくて涙が出た。私は、怪林と、国内で一番広く広がる胡楊に、涙が流れた。

 上流には、河道に作られた数十基程のダムが見えた。エジナ河から流れてきて貯められた水も見えた。大きな塊村落が見えた。田や畑、小麦・トウモロコシ・綿花なども目に入った。私たちはいくつものダムを過ぎ、張掖駅(黒河の中流域)へ向かった。そして、私は北京行きの列車に乗った。ウブゲは私を見送りにきた時に、河を探し、水を探していたのだった。

私は怪石に近づいた。黙ってウブゲの銅製のつぼに、お茶を注いだ。ウブゲは私の顔を見つめたが、表情を変えず、話をせず、ため息だけをついた。天気は依然として蒸し暑い。息がつまり、胸がムカムカする。ウブゲの汗は、泉が湧き出るように噴き出す。シャワーを浴びているように、汗は、ウブゲの顔から首へ、脇から腕へ流れ込み、シャツはウブゲの「全旗労働模範」の文字通り、びしょぬれになっていた。 私は、ウブゲが熱中症になるのではないかと心配で、パオに入って休むように勧めたいと思ったが、口に出せなかった。ただ、目の前で火花が散り、私はパオの隣に倒れていることに気づいた。

 私の意識が戻ったとき、強風が吹きはじめ、口や耳、鼻には砂粒が一杯入り込んだ。近くにミネラル・ウォーターや西洋薬、モンゴル薬の袋が置いてあった。横目で見ると、パオが見えなくなった。パオは風に吹き飛ばされたのだと思い、やおら起き上がると座ると頭が裂けるように痛かった。ウブゲともう一人のウブゲが小四輪(農業に使う)に荷物を乗せている様子が見えた。ウブゲは私を見ると長いため息をついて、小四輪に立ち上がり、「早く荷物をまとめて、ここを去れ!」と大声で私に呼びかけた。強風が吹き始め、ウブゲはすんでのところで小四輪から転げ落ちそうになった。私はウブゲから数メートル離れているので、ウブゲの話は度々断ち切られる。風がウブゲの話をさえぎるのだが、私は、話の意味が分かる。私はありったけの声で「どこへ行くの?」と聞いた。

 「通場」

 「通場?通場とはどんな場所ですか」。「行かないとわからない」とウブゲは深くため息をついた。その息は風の向くほうへ飛ばされていった。

  幼い時はもちろんだが数年前まで、ノールには水が一杯貯まっていた。水があれば、草はよく育つし、水があれば魚が生きられる。ノール沿いには、木陰や爽やかな気候があり、羊や駱駝、鳥や人間などがいる。私の頭の中には、「通場」でウブゲたちが楽しそうに羊の群れを追い立てたり、駱駝を引っ張ったり、米と小麦粉やパオを載せたりして、私の家に来る姿が浮かぶ。ひっそりと静まり返っていたノールは急ににぎやかになる。蓮華状のパオが蓮華状に並び、数十匹の種々の牧羊犬が遊び戯れている。

 各各の家の羊の群れは腹一杯食べ、メーメーと小さい声で鳴き、のんびりと湖畔に横になっていた。大人たちは馬乳酒(モンゴルの酒)とスーティー茶を飲み、チャガンイデゲン(乳の種類の食品)と手把肉(骨付き肉)を食べ、ラクダを競ったり、競馬をしたりしながら、互いに自分たちの丸々と肥えた羊のことを話し、自由奔放な生活を送る。子供たちは、歌を歌ったり、楽しい遊戯をしたり、相撲をしたり、水遊びをしたりする。アシは風に揺れて、胡楊とギョリュウの中で隠れん坊をし、子供たちは嫁をもらう遊びをする。子供のころから、多くの小さいパートナに「通場」で知り合った。四論ではなく、ウブゲたちは勒勒車(モンゴルの車)や駱駝や馬に乗り、賑やかな雰囲気や「通場」生活のすばらしさや喜びを感じる。しかし、帰るときには寂しくて、ふさぎ込み、がらんとした場内にいるような、エジナ河のような名残惜しさを感じるのだ。

 こうしたことは、いつのことであったろうか。今では、すべてが変わってしまった。

 二人のウブゲの厳粛な表情は私をびっくりさせた。私は理由を尋ねることができない。頭痛を我慢し、荷物を片づけ車に積み込む手伝いをする。西北風が大きくほえる。

 孤独な黄黄(犬)ちゃんは知らないウブゲの後姿を見て、狂ったように吠える。黄黄は、きっと知らないウブゲが、飼い主のウブゲの荷物を奪い去るのではないかと心配なのかもしれない。駱駝の毛はまだきれいに脱けておらず、風に当たってゆらゆら揺れている。水載せ桶がチリンチリンと音を出す。羊の群れは水もない、草もないノールを振り向いて鳴く。まるで、遠征前のいとまごいのようだ。

 四論は動きだした。どきんどきんという馬の蹄の音は狂風の中に埋もれた。私が四論の荷台にウブゲの簡単な荷物を持って乗るとき、ウブゲは怪石に座り、おごそかな最後の清茶を飲み、よろめきながら風の方を向いてノールにひざまずき、地面に九回額をついた。ウブゲのまばらな白髪は狂風にあおられ、ぐちゃぐちゃになり、白髪の中に砂粒が入っていた。私がウブゲを助け起こしに行こうとすると、車に乗っているウブゲに「今はつらく苦しんだ、ここは一生の生活をしてきた場所だから」と押しとどめられた。

ウブゲはしばらくひざまずいた後、風の方を向いて立ち上がった。この最後の茶碗を両手で頭のてっぺんまで挙げ、力いっぱい怪石へ投げ、こなごなに砕いた。この茶碗はウブゲと何十年一緒であったのか、分からない。茶碗は、今日、悲しいことにウブゲと永遠の別れをし、ノールに残った。ウブゲは激しい獅子のように体の向きを変え、四論に大急ぎで駆け寄ってきた。涙が溢れ、四論がノールに残した跡のようだ。

 ウブゲは、ここを通り過ぎてどこに向かうのか、全く言い出ださなかった。一言も話さなかった。

 私たちは、狂風を受け、四論の音に隠れてはっきりとは聞こえない馬の蹄の音を聞きながら進んだ。馬の蹄の音はおかしくなり、詐欺師の甘い言葉のように、「どこへ連れて行くの?新しい牧場はどこ?!」とささやいた。


「遥かな牧場」小説では、作家は自分の目で見た事実を小説にし、当時のエジナ地域の牧民の苦しさを目の前現れるほど描写した。また、小説の中のエブゲは、自分の牧場に感情が深く、なかなか離れたくない情景を詳しく書かれた。孫のイヘウソに、昔の牧場のことがはっきり分からせて、自分の生活できなくなった牧場に関する悲しいことを、言葉じゃなく、怪石に含めた感情で教えた。

 最後に、毎日強風が吹き、ノール(湖)が枯渇した現状により、この牧場から移動しなければならないことになった。しかし、昔の通場と異なり、「新しい牧場はどこ?」と思いながら移動させられた。そのため、遥かな牧場を探しに行ったことになった。

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