9、新たな選択肢
結婚から3年も過ぎたころ、養子縁組を取り上げているドキュメンタリーを見た。
育てられない産みの母から子どもがいない夫婦の元へ赤ちゃんがやってくる。
笑顔と涙がいっぱいの番組だったが、俺たちにも影響を与えた。
知識はあったがよく知らない制度。
俺たちは子どもを授かる可能性がほとんどないと言われている夫婦だ。
でも実子にこだわらなければ子どもを育てることは出来るのだ。
「発想の転換だね」
莉桜が笑う。
慌てて結論を出す問題ではない。子どもは天からの授かりもの。
でも親になることは出来るのだという思いは二人の中に根を下ろし、時々二人で考えた。
そんな時、順調にみえていた莉桜の仕事が躓いた。
いや、莉桜が何か失敗した訳ではない。
連載をしていた雑誌が休刊することになったのだ。
インターネットが発達して、情報発信系の雑誌はますます窮地に追い込まれたようだ。
時間を取られる仕事だったので、他の単発な仕事を減らしていたから
「暇になっちゃった」と、莉桜は落ち込んでいる。
まどかは別の部署に異動になった。
編集とは違い内勤業務らしく勝手が違うと愚痴っていたと思ったら新たな仕事の誘いがあったらしい。
いつものように我が家のリビングでまどかが興奮して話してくれた。
アメリカで出版されるものから翻訳して日本に売り出すものを探すと言うことらしい。
英語力と編集者としての経験を買われたようだ。
「面接に受かるとは思わなかったから嬉しくて」
アメリカと日本を行き来する生活になるようだ。
拠点はアメリカになりそうで、来月の渡米で部屋を探すと言っている。
ほんの少し前は仕事の行き詰まりで、荒れた生活をしていて心配をしていたから本当に良かった。
莉桜は「スゴイ!スゴイ!」と興奮状態だ。
まるで自分のことのように喜んでいる。
「まどかさんのところに遊びに行くから泊めてください」
興奮状態が治まると今度はそうお願いしている。
ニューヨークには莉桜の父が暮らしている。
それなのにお義父さんのところに泊まらず友人の家に行くと知ったら義父が落ち込むだろうと案じるが、今は女の友情が優先なのだろう。
本当に渡米する時の騒動を思うと少し憂鬱だ。
いつだったか義父と男親の哀愁って話をしたことがあった。
早くに母親を亡くした莉桜とどう接したら良いのか分からない時期が随分あったそうだ。
思春期の女の子の気持ちなんて男親には難題だろうと俺も思う。
母親がいたなら上手く仲を取り持ってくれたりするのだろうが。
子どもを育てることを意識しだしているので、予定もない子どもとの関係に思いを馳せた。
視線を感じて顔をあげると莉桜とまどか笑っている。
「何、哀愁漂わせているのよ」と、まどかにからかわれる。
莉桜も隣でクスクス笑っている。
もう27歳になったのに義父が過保護で嫌になると言う話で盛り上がっているようだ。
ついでにまどかからは「旦那も過保護よね」と言われて莉桜が頷いている。
過保護のつもりはないが心配なんだ。
どうしても守りたい愛しい存在なのだ。
身体が弱い莉桜は体調を直ぐに崩す。
自分でコントロールしようと努力しているのは十分わかっていても心配になる。
出会った時に肺炎を起こしていたことも原因だと思う。
夕飯を一緒に食べようとの誘いを断り、まどかは約束があると帰って行った。
職場を変わるからお世話になった人に御礼やお詫びをしなければならないので忙しいそうだ。
前向きで一生懸命で、少々強引なところもあるけれど、良い友人だ。
再会したころの鎧を着た雰囲気は離婚による傷心からだと今ならわかる。
莉桜の存在に苛立ち傷つけたと謝られたこともあるが、今では俺よりも二人の仲が良い。
一緒の仕事も2年近く続き、毎月のように泊りがけで取材に出掛けていたから莉桜は寂しそうだ。
コトンと音がして目の前にコーヒーが置かれた。
莉桜は俺の横に座ると肩に頭を預けてきた。
「どうした、疲れたか?」
「……寂しい」
女の友情に少し嫉妬しながら莉桜の頭をガシガシと撫でる。
「俺がいるだろ?」
「うん、そうだね」と頷くけれど莉桜は今にも泣きそうだ。
まどかの希望に満ちた選択に異議があるわけではなく、応援したい気持ちでいっぱいだが、寂寥感は抑えられないと訴える。
静かな家の中、外はもう日が暮れて真っ暗だ。
季節も冬を迎え余計に寂しく感じられるのかもしれない。
広いリビングに二人なのもいけない。
子どもを育てることを本気で考えてみるか。
「子どもがここにいたら良いのにね」と莉桜が言う。
俺が思っていたことと同じことを莉桜も感じていたよう。
「そうだな。そうしたいな」
俺の言葉に莉桜が微笑む。
子どもを育てることは決して簡単なことではないだろう。
でも、もし俺たちに与えられる子どもがいるのなら出来る限りの愛を注いで育てたい。
まどかが新たな道に進み始めたように、俺たちも新たな方に変化する時なのだ。
俺も39歳。0歳のこどもが成人する頃には60歳。自由業だから定年はないけれど、子育ての期間を考えると今が良い頃だと思えてくる。
庭にある電灯のオレンジ色の光が暖かい。
希望の灯りだ。
その夜は二人で未来を話した。
それは子どもと一緒に三人での未来。