16、うちのあり方
命に限りがあることはわかっている。
まどかさんが逝ってしまったのは、あすかが1歳になる前だった。
手術を受けて一時は回復に向かっているように思えたけれど、再発し、それからはあっという間に病状が悪化していった。
あすかの成長を楽しみにしてくれていた。
病室で写真や動画をずっと見ていたそうだ。
病気になっていなかったら、自分で育てると言っていたかもしれない。
まどかさんの気持ちを思うと苦しいほどつらい。
私に託すと、その決心は間違ってなかったと何度も何度も言ってくれた。
すでに私達とあすかは戸籍上も親子になっている。
でも、まどかさんが産んでくれたことには違いない。
あすかにとっても、私達にとっても掛け替えのない人。
葬儀にはそっと参列した。
まどかさんのお母さんの希望だから。
世襲議員の妹と世間に顔のしれている作家の家族。
マスコミは煙のないところに煙を立てるから
世間の好奇な目から娘と孫を守りたいからと。
後日、実家にうかがった。
あすかのことを抱きしめてくれた。
小さな手であすかは実の祖母の顔を触る。
その頬を涙が幾筋も落ちていた。
「大きくなって、いっぱい幸せになるのよ」
そうあすかに言ってくれた。
小さな赤ちゃんだったのに
いつの間にか歩き出し、ママ、パパと言葉を話す。
砂場で何度も何度もバケツに砂を入れ、バサッとひっくり返して笑ったり、
階段を一人で登れるようになったと思ったら、飛び降り遊びにはまってヒヤヒヤし、
幼稚園に通い出し、ママ行ってきますと出かけるようになった。
幼稚園の制服姿があまりにも可愛くて裕也さんの仕事関係の人からは子供モデルにしないかと何度も誘われるほど。
あすかの笑顔に時々まどかさんの顔が見える。
胸がギューッと締め付けられ、あすかを抱きしめる。
「ママ、苦しいよ」
あすかがいつも可愛く抗議してくる。でもちょっとだけ我慢してね。
ママの心の中にいるまどかさんにあすかを感じさせてあげたいの。
そんな幸せの日々の中、ある日、あすかから言われた。
「あすかはよその子なの?よその子って何?」
あまりの衝撃に私は声が出なかった。
別に隠していたわけではない。
まどかさんのお墓参りにも連れて行って、もう一人の母の存在を話していた。
でも、まだ4歳。よく理解できていないと思っていた。
小学校の入学前にきちんと話そうと裕也さんと決めていたけれど、
その日は思っているより早く訪れた。
「よその子なんかじゃないよ。大事なうちの子だよ」
私があすかを抱きしめて言うとワーッと泣き出した。
「どうして急にそんなこと思ったの?誰かに何か言われたの?」
大泣きして、ようやく涙が止まったあすかに聞いた。
「一輝君が、あすかが怒られないのはよその子だからだって」
「一輝君?一輝君が怒られることとあすかが怒られることと何にも関係ないじゃない?」
「だって、昨日、お砂場でお水出してお池作って一輝君とあすか転んで泥だらけになっちゃったでしょ」
知ってる。泥だらけの服と顛末が書かれた連絡帳を持ち帰ってきたから。
泥だらけの服は正直洗うの大変だけど、一生懸命遊んでいる様子が嬉しくて怒るなんて考えられない。
だから、あすかと一緒にお洗濯した。お風呂場で二人でゴシゴシ洗って「泥だらけ大変だねー」って笑ったんだ。
「ママと大変だねーってお洗濯したよって話したら、一輝君怒り出して、、、」
思い出したのか、また涙が浮かぶ
「あすかが怒られないのは、あすかがよその子だからだって。一輝君のママは本当のママだから怒るんだって」
「ママはあすかの本当のママだよ。一輝君はきっと何か勘違いしてるんだよ。今度、ママが話しておくから、大丈夫よ」
あすかは納得したようで、その後はいつも通りに過ごしてくれた。
夜、あすかが寝た後に裕也さんと話した。
あすかが養子だということは幼稚園でも話している。隠すことでもないと思っているから。
でも保護者の中には特殊な状況だと思って私たち親子と距離を取ろうとする人もいるみたい。一輝君のママの大澤さんもその一人。
あすかがもっと小さい頃は私もいっぱいいっぱいで、些細なことを言われただけで自分は母親失格だと落ち込んだこともあった。
そんな私に自信をくれたのは他ならぬあすか。あすかが「ママ」と呼んでくれるたびに私は強くなれる気がしていた。
「その一輝って子が怒られた時にあすかのことが話題に出たんだろうな。あすかはとんだとばっちりを受けたわけだ」
「よその子だから怒られないってことは、私たちがよその子だから叱ってないって思われてってことなのかな」
「一輝君の親はそう思っているのかもしれないね。でも、そもそも泥遊びをしたことを叱るかどうかは別問題だと思うよ。気にするな」
「私、一緒に遊びたいくらいなのに」
「君のアトリエにいっぱい増えてるじゃない。泥じゃないけど、絵具遊び」
そう、このところ私の創作意欲は増していて、家事の合間どころか、家事を手抜きしまくり創作している。
指に直接色をつけ紙に乗せていく。これが楽しい。
時々、あすかも一緒に楽しんでいる。いろんな色があふれ出す。
線が動き出す瞬間が面白くて仕方がない。
あまり自分の作品のことは話してないのに、良く気が付く夫だと感心してしまう。
イラストの縁で知り合った画廊の人から個展の誘いも受けている。
昔、単色で描いていたのがウソのような私の作品たち。先月、ある展覧会に出品したから、その結果次第では私にも自信が出来るかも。
「知ってたの?」
「あすかと一緒にやっていたのは見てたでしょ。お風呂も用意してあげたじゃない」
「ああ、そうか。今、ちょっとはまっている。描きたくて仕方がない時があるの」
裕也さんは私を抱き寄せ、頭をクッシャッと撫でる。
「家事も手抜きでごめんなさい」
「気にするな。莉桜は家政婦ではなく芸術家なんだから」
「でも、仕事じゃないもの」
こんなに気ままな暮らしが出来るのは裕也さんが売れっ子小説家だから。
お金に困ることはない。
最新の家電を揃えてくれて、お風呂の用意やごはんだって作ってくれる。
なんて出来た夫なんだろう。
「莉桜が莉桜らしくいてくれるのが一番だ」
そう甘いキスをしてくれる。
あすかが寝ている間のちょっとだけ二人の甘い大人の時間。
次の日、あすかは元気に幼稚園に行けた。
ママ、行ってきますと下駄箱に靴を入れると教室に走りこんで行く。仲良しの茉莉花ちゃんを見つけたみたい。昨日のことがあり、ちょっと心配していたからホッとした。
でも園庭で立ち話をしていた一輝君のママの大澤さんに会うと、挨拶のせずスッと目をそらされた。
何か小声で話している。嫌な感じ。
「莉桜ちゃん、おはよう」
後ろから茉莉花ちゃんママの泉美さんが声を掛けてくれる。
「おはよう。あすか、茉莉花ちゃん見つけてバイバイも言わずに教室入って行っちゃったよ」
「本当に仲良いよね」
園庭を出たところで泉美さんがため息をついた。
「どうしたの?ため息なんて吐いて」
「大澤さん達のこと」
彼女は振り返らず後ろの人たちのことを示す。
「ああ」
私達親子のことを言っていたのか。前から時々感じてたから不思議ではないけど。
「あれね、嫉妬だと思うよ」
「えーっ嫉妬?」
意外な言葉。泉美さんによると、大澤さんのところは同居の姑さんが厳しいらしく、何かにつけて一輝君の育児にダメ出しをされるらしい。
「なんで嫉妬されるの?」
「ほら、この間の保護者会で、たっぷりのろけたじゃない、莉桜ちゃん」
「の、のろけてなんてないよ」
「いやー、あれはのろけよ。あすかちゃんと一緒にお絵かきしていて体中絵具だらけになってたら、お風呂の用意をして夕食まで作ってくれる夫の話。私だって羨ましいと思ったよ」
恥ずかしい。失敗談を話したつもりが、そんな様に受け取られるんだ。
「最初の保護者会の時に特別養子の話していたでしょう。あの後、彼女、大変だよねってこと言ってたんだ。彼女にとっては莉桜ちゃんが『大変』であって欲しいのよ。なのに、あんなほんわかしたエピソードなんだもん。大澤さんには堪えたんじゃない。お受験させるつもりでピリピリしているからのびのびした育児が羨ましいって」
良くわからないけれど、一生懸命、厳しく躾して育てているのに、特別養子縁組って特殊な環境の筈なのに楽しそうなのがウ・ザ・イってことらしい。
「頭痛くなってきた」
「だよね」
でも昨日のあすかの話が腑に落ちた。服を汚したことに腹をたて、怒るついでに私たちへのいら立ちを込めた言葉を吐いたのだ。「よその子だから怒らない」って。
これからもこういう無理解なことに出会うのだろう。でも負けないもん。
私達は親子であり、家族であるから。誰が何と言おうと、それは変わらない。
その週末、私達はまどかさんのお墓に来ている。
毎年、命日にはお参りしているけれど、今日は特別。
私の気持ちのもやもやを察した裕也さんが提案してくれた。
「まどかさん、今日も3人で仲良く来たよ」
お墓の前で私はいつもそう言う。
「あすかを産んでくれてありがとう。あすかは立派なうちの子だよ」
隣であすかが言う。
いつの間にそんな難しいことを言うようになったのだろう。
私から生まれたのではないことはちゃんと理解している。産んでくれた人はすでに鬼籍に入っていて会うことはできないことも理解している。
子どもってすごいな。
立派なうちの子ってと微笑んでしまう。「よその子」に含まれて悪意に傷ついてもこの子は負けないんだと嬉しく思う。
「あすかも俺も莉桜も、そしてまどかもうちの人だな」
裕也さんがそう言う。
他の家族とは違うけれど、これがうちのあり方。