「ゆーか?」
風呂上がり。すぐに自室へ入り、携帯を手にして『武下千尋』の文字を電話帳から呼び出す。『千尋』なんて女の子みたいな名前だけれど、実際会ってみれば茶髪のチャラ男だ。軽薄そうに見えて、実はいろんなことを冷静に見ている彼の顔を思い出しながら、通話ボタンを押す。
何回目かのコールで、
「ゆーか?」
という、眠そうな千尋の声が聞こえた。
「あ、うん。えーと、」
もしもし、なんて言ってもな…。でも、いきなり用件だけ言うのもな…。なんて思いつつ、口ごもっていると
「どした?なんかあったの?」
千尋にしては優しさ100%の声だ。これは多分、寝起きだな。
「えっとね、明日、会社に来て欲しくて。窓の修理」
自分でも思ったよりすんなりと言葉にできた。もともと電話が得意じゃないあたしとしては、珍しいことである。
「窓?美優さんが割ったのか」
笑いながら言う千尋の声がくすぐったくて、つられてちょっと笑ってしまう。
「違うよ。襲撃にあって」
軽くそういって笑えば、
「は!?」
と、予想外の反応が返ってきた。
「え、ちょっと待て。怪我は? 被害は? お前が怪我してたらただじゃおかねーぞ」
「ただじゃおかないって、誰を」
「誰かを」
これだから、美優さんたちに『バカップル』なんてからかわれるのだ。
時々驚くほど心配性になる千尋は、大丈夫か? なんて労わりの言葉を言いつつ暴言を吐く。そんな千尋を可愛いと思ってしまうあたり、あたしも相当ヤバいのだろうけど。
「大丈夫、大丈夫。怪我は誰もしてないし、被害も窓が割れたくらい」
「嘘じゃないな?」
笑いながら言ったからだろうか。疑われてしまった。
「嘘なんかつかないし」
ちょっとふてくされてみせると、
「だってお前、肝心なこと何も言わないしー」
と、逆に拗ねられた。
「…ちゃんと言ってるよ」
以前、曲のミュージックビデオの撮影でキスシーンを撮った時、ものすごく妬かれて怒られたうえで、『今後、そーゆーことはちゃんと俺に言え。ぜってー許可しねーから』と、結局、撮影を許してもらえないという結果が分かり切っている命令をされたことを思い出した。
このときのキスシーン、寸止めだし相手は麗さんだったんだけど。
…あれ、このことは襲撃とは関係ない? そんなことを考えていると、自然と口が止まる。
「ゆーか」
「え?」
急に呼ばれてびっくりした。思わず、変な声が出る。
「しゃべらなくなったから、何かあったのかと思った」
そう言われて、思わず笑う。千尋は心配性だ。
なんとなく甘い雰囲気に浸る。幸せだなー、なんて呑気に思った。