ストーリーテーラー
ただ広い石室で阿部透は眼を覚ました。
むくりと起き上がると上下前後左右をしっかりと確認する。
初めて見る景色。
三方は隙間なく石壁に囲まれて、一方のちょうど中心に出入口のようなものが見える。光源はそれぞれの壁に各二個――合計八つの蝋燭がゆらゆらと火を灯しているだけで、薄暗くはないものの時間帯すらわからない。
何よりも異常なのは、床・天井・壁、ありとあらゆる場所に刻み込まれた紋様だ。幾何学的なその図形の羅列には得もいえない整合性も見てとれたが、文系脳である透の目には不気味にしか映らないだろう。
透は日本の常雨市に家族と住む高校二年生。部活と同好会にも所属し、一年生の時には委員会にも所属していた。
そんな彼にとってこの出来事・この場所はどんな風に映るのだろう。恐怖の対象かはたまた困惑するばかりか……。
しかし、透のとった行動はそのどちらでもなかった。
「……またですか」
そう云って、ため息を漏らした。
状況を理解していないわけではない。夢オチだなんだと考えているわけでもない。この状況をしっかりと理解し――これが「召喚儀式」であることを認識したうえで、「面倒臭いなー」と嘆息したのである。
こんな事態に陥って、ため息をついたばかりか終いには欠伸までする始末。
もう暇だから帰っちゃおうかなー、と透が思い始めていた矢先に出入り口から5名、人が入ってきた。
一人を除き残りの全員が同じ紺藍色のローブを着ていた。そのローブを着ていない一人は明らかに位の高いことが伺える上等は上着をきた老人だった。
その老人を先頭に透に向かって歩いてくる。老人とはいってもこの人物。歩行に危なっかしい個所は全くなく、中々にきびきびと歩いてくる。
その間も透は床に座ったまま、その様子を見て欠伸をもうひとつした。
透の前までやってきた老人はそんな透の姿を見て、初めて声を出した。
「……ふむ。今度の勇者はかなりキモが座っているようだな」
老人から見下ろされながらそう云われ、透もここで初めて独り言ではない声を上げる。
「どーも」
「……貴様っ! お前の目の前におらせるのはベルナール国王陛下であらせられるぞ!」
「よい、ホラルド」
「っ!? ……はっ」
ぞんざいに頭を下げる透にローブ姿の一人――ホラルドが声を荒げたが、それを老人が制止した。
ホラルドは恭しく頭を下げたが、その後にそれがまるで透のせいだと云わんばかりの表情で睨んできたが、透には気にした様子は欠片もない。
静けさが戻るとまた老人がゆっくりと口を開いた。
「良く来たな勇者よ。信じられんと思うがここはお主がいた世界とは全くの別物で――」
「あぁ、いらないいらない。そういう説明はホント、時間の無駄だから。大体わかってるし」
そう云いながら透は手を振って、老人――ベルナール国王の言葉を遮った。それに対して、ホラルドがまたしても口を開こうとするが、それよりも早く、国王が返答した。
「……ほぅ、既に事態は把握できていると?」
「眼を開いたら異世界で、しかも国王サマが来て勇者呼ばわりってことはアレだろ? この世界にいる魔王とか竜とかそういう“人に危害を加える存在”を倒せばいいんだろう?」
それを聞いた国王以外の間にどよめきが起こる。それはそうだろう。いきなり召喚されたはずの人物がこの世界の情勢を知っていたのだから。
しかし、国王だけは冷静だった。
「話の早い勇者で助かるな」
「でも、ごめん。これ、人違いだよ。僕はこの世界を救う勇者とやらじゃない」
その言葉にまたしてもどよめきが生まれる。今度は王の顔にも困惑が浮かんでいた。
「どういうことかな?」
その問いに透はあぐらをかいたまま、答えた。
「この召喚儀式でこの世界に召喚されるはずの人物は別の人だったんだけど、多分僕に“引っ張られちゃった”んだと思う」
「引っ張られる……とは?」
謎のキーワードに国王が問いを返す。
「多分、召喚されるはずの人よりも僕の方が勇者としての適正があるって判断されたんだと思う。卵が欲しいと思ったらひよこから育てるよりも鶏を飼うでしょ? ……ま、僕らはスーパーで手に入れるけど」
つまらなそうにそう云う透に先ほどから鋭い視線を飛ばしているホラルドが唾を飛ばす。
「自分がその鶏だとでも言いたいのか?」
「まぁ、ひよこではないかなー?」
「……その根拠は?」
静かに国王はそう問いかけた。その眼は鋭く光り、重要なことは何も見逃さず、何も聞き漏らさずといった気合いを感じられた。
それを察知した透も国王をしっかりと両目で見据えて、自分が金の卵を産む鶏である理由を述べた。
「過去にも別の世界に召喚されて勇者をやったこともある」
「「「「なっ!?」」」」
「……ほぅ」
ローブ姿は皆驚きの声をあげる。
それもそうだろう。この世界には過去に何人か異世界から勇者として呼びだされた者はいたが既に世界に召喚された経験のある者などいなかった。ほとんどが魔物や魔法とは無縁の世界で生きていた者だったし、魔法や魔物のいる世界から来た者も元の世界ではただの村人だった。
これには国王も静かに息を吐いた。
「これは心強いな。既に世界を救った勇者が召喚されるとは」
「陛下っ!? この男のいうことをそのまま鵜呑みにするのですかっ!?」
「しかし、こちらの事情をある程度知っていたことといい、話に矛盾はないと思うが……。それに彼にはそんな嘘をつく理由がないだろう」
「そ、それは確かに……」
国王の言葉にそれ以上の追随が出来ず、ホラルドは引き下がった。
それを横目で見やり、視線を透に戻す国王。
「それで、勇者よ」
「透。僕の名前は阿部透、勇者じゃない」
まるでそう呼ばれるのは嫌いだとでもいうように透は強く否定した。そこに彼の強い意志のようなものを感じた国王もすぐさま訂正する。
「――失礼した。ではトオルよ。そなたに魔王討伐を期待しても良いのかな?」
「面倒臭いからやなこった――といいたいところだけど、生憎僕にも僕なりの理由があってね。貴方が魔王を退治しろというのなら僕にそれを拒む権利はないのさ」
肩をすくめて透はいった。じょじょに生来のふてぶてしさを垣間見せ始めている透だが、それを注意するものはいない。というか国王と対等に渡り合っている時点で他のものは声をかけるのも躊躇うだろう。
ホラルドも「国王への無礼は容赦しない」という表情はしているが滅多なことでは口出ししないと口を一文字に結んでいる。
「では、旅だってもらうにあたってこの世界の基礎知識とこの国えりすぐりの精鋭をお供につけようと思うのだが――」
「そういうのいらないから。邪魔なだけだし」
「そうか……しかし、旅路の路銀くらいは必要ではないかね?」
「旅なんかしないから、地図だけありゃいいよ」
「?」
そのあまりに不可解な一言に一同、首を傾げるばかりだった。
場所はそのまま石室。しかし、先ほどまでは蝋燭の光と壁の紋様以外何一つなかった部屋には地図とそれを置くための台が設置されていた。
ホラルドが持ってきた地図を台の上に広げた。
歪な楕円形とでも評すべきカタチの地形だった。
「これがこの世界の地図だ。ここがいまお前のいるベルナール」
そういって、ホラルドが指し示したのは楕円の右下――方位で表すところの東南東だ。
「そして、この辺り一帯が魔王領。その最西端にあるのが魔王軍の本拠地ヴァイノヒレヴィテン城だ」
大陸の左半分を丸く囲い、最後にその一番右端を、憎しみを込めるかのように力強く二回叩いた。
「ヴァイノヒレヴィテン城へのルートは大きく三つ、北の『レヴィン連山』を抜けていくルート、『記憶狂いの森』を通るルート、そして海路にて『魔のミル・コープ海峡』を通るルート、それぞれにメリット・デメリットがある。
レヴィン連山は高所で食料となるようなものがほとんどないため、魔物の数は少ないがその分、その厳しい環境に適応している魔物たちは全て強力――」
「簡潔に説明して。魔王がいまいる場所は?」
「今もヴァイノヒレヴィテン城にいるはずだ。魔王がそこから出たという話は聞いたことがない」
透の質問に今度は国王が答える。
「りょーかい」
それだけ聞くと透はすたすたと出入口に向かって歩き出した。
「ま、まて! どこに行く気だ!?」
思わずホラルドが声をかける。
その言葉に一度振り返り、首を傾げる透。
「何って……魔王退治?」
「むしろ他に何があるの?」という表情の透。
「待て! 一人で行くにしても装備くらいは整えていけ! 魔王は強力なモンスターを各地に放っていて、近づくことすら困難だ。しかも魔王の下には四天魔将という腹心が四名、更にその下には八十八の軍団があり、それぞれの軍団長も一騎当千の猛者共だぞ!」
「おーお、御大層に強そうな名前の奴らが多いな。……ま、そいつらに関しては後々考えることにしてよ」
寝ぼけ眼で一同を見据える。
「じゃあ、行ってくる」
「……本当に我々は何もせずによいのか?」
ここまでいうのならば一度任せえ見ることに異議はない。すでに世界を救った経験があるというのだから手段も方法も一任する。しかし、ここから魔王城まで何の支援もなしに行けるのだろうか……。そんな不安を感じ、国王は今一度透に聞いた。
それに鷹揚に頷く透。
「魔王討伐に関してはね。その後のことは任せる。というか俺は知らないし」
「その後の統治や混乱の対処は任せるということか? それならば勿論こちらでやるが……」
「んじゃ、まぁ、そういうことで」
そういって、フレンドリーに片手を挙げて透は姿を消した。
「ただいま」
と思ったらすぐ帰ってきた。
「どうかしたのか?」
ふむ、やはり路銀や情報が必要になったのだろうか?
そう思い問いかけたが帰ってきた答えは全くの予想外の答えだった。
「いや、魔王倒してきたからその報告」
「…………なんの冗談だ?」
「こんなつまらない冗談言わないよ。ほら、証拠」
そういうと透は空間上に黒い歪を作りだし、そこに手を突っ込んだ。
「……な、なんの魔法だ?」
「あれ? この世界は空間系の魔法ないの? 位相空間に独自のスペースを創りだす“レセプト”って魔法なんだけど……あぁ、この世界は見る限り陣系魔法っぽいもんな。それか呪文と魔方陣のミックスか……。どちらにせよシステム系は無理か」
「シス……? 何かよくわからないが、それが依然救った世界で得た能力か?」
「これ? んー、どうだったかな? あんまり覚えてないや。“どの世界”に行った時のかなんて」
「どの世界とはどういう――」「あぁ、あったあった。これこれ」
言葉を遮り、透は空間に開いた穴から何かをとりだした。
「なんだ、それは……」
「ほい」
それをホラルドにむかって放り投げた。
「? ……これはっ!?」
その正体に思わず目を疑った。
「魔王の首」
「なっ!?」
これには国王も眼を剥き、ホラルドが持ったソレを覗きこんだ。
確かにそれにはこの世界で唯一魔王のだけが有している四本の角を有していた。
しかし、綺麗に切断されているのにその切断面からは人間のような紅い血も魔物特有の紫の体液の滴りもなかったので、それもまた悪い冗談だと受け取った。
「……本物だな」
“本物の魔王”かどうかは国王にはわからなかった。
けれど、それはどう見ても造り物ではなかった。明らかにいままで生きていたモノから首を切断している。
「当然だろ。嘘だと思うなら確認してみなよ。まぁ、魔王が死んだなんて情報は向こうも隠すかもしんないけどさ。魔王も軍隊持ってるわけでしょ? ソコで明らかに不自然な動きがでてくるはずだから」
「……前線の指揮官にそう伝えろ」
「はっ!」
頷いて駆けだす家臣。
しばらくして、連絡をとりにいっていた家臣が戻ってきた。
「前線から、確かに魔王軍に不可解な動きがみられるとの報告あり!」
それでこの首が本物であることはほぼ確定した。
だとすれば、
「一体、どうやって……」
「『空間転移』して『掌握空間内運動停止』を使って、『接触即死の紡ぎ車』でトドメを刺した。……あ、あと首を切るのに『覇王ノ脇差』も使ったかな? あれ、『戒刀・誉』だっけ? どっちかわかんないや」
「?」
謎の言葉の連呼に一同は何も答えられない。
なので、今度はもう少しわかりやすく解説した。
「え~と、テレポートはわかる……みたいだね。じゃあそれはそのままで。
で、地図で場所を確認したからテレポートで魔王城に潜入。
あまり兵士とかに出てこられても困るから魔王城内の時間を止めた――まぁ、正確には城内の生物の運動と思考を停止させただけなんだけど――、その後に邪魔されることなく魔王を発見。
でも能力の条件で停止している生物に触れることは出来ないから能力を解放、その瞬間に100%即死効果のある能力を異空間内にストックしておいたコレクションの中から蘇生不能や転生禁止効果のある刀に付与してとりあえず一刺し。その後に首ちょん切って帰ってきたってわけ。どう、理解できた?」
一呼吸にそういうと透は皆の反応を待った。
それと同時に透に対する恐怖というものが国王達の間で伝播する。
「それほど強力なチカラをいくつも持っているというのか……」
「まぁ、同じような能力でもっと使い勝手がいいのもあるかもしれないけどね。流石に全ては把握してないかなぁ……。けど少なくても1京2858兆0519億6763万3865個はあるはず」
「冗談を言っていい場面ではなかろう」
云われて透は「……冗談のつもりはなかったけどね」と肩をすくめる。
それすら悪い冗談だと、国王は初めて顔を歪ませた。
「たとえ一度異世界に召喚されて勇者になった者だとしても、そこまでのチカラを有しているあるがわけない」
この世界でのちに勇者と云われた者達もそれは非常に強力な魔法や術を使ったが、そんなに異常なチカラを持っている者はいなかったはずだ。
テレポートも数人の術師が準備から数日かけてやっと出来るというものだ。
それを今日ここに召喚された人物がただ一人で実行するなど……。
それに即死能力などというのはどう見ても勇者の持ち得るチカラではない。
そんな能力を持っているとすれば、それは勇者よりもむしろ――
「そこが認識の違いだよ」
「なに?」
国王の思考はそこで一時中断された。
一国の王が顔をしかめても、透はあくまでリラックスした状態を崩す様子はない。
まるで僕に疾しい所はひとつもないとでもいうように両手を広げて、声音を変えることも変化を伺うこともなく、淡々と指摘した。
「僕は異世界に行ったことがある回数が一度だとは言っていないし、何も演じた役割が勇者だけとも言ってない」
それは自分の手札をオープンしたギャンブラーのようでもあった。
その言葉に。
たったそれだけの言葉に、ごくり、と一同息を飲む。
そんなオーディエンスの様子に伺いをたてることもなく、透は語る。
「僕は数えきれないくらいの世界の光と闇を見てきた。もうどの世界がどうだったのかなんてことを考えるのが面倒くさいほどにね。その中で勇者のように人々を希望によって救ったこともあれば、魔王として絶望で世界を統一したこともある」
「お前は……一体、何者だ」
ホラルドが全員を代表して絞り出した声で問いかける。
興味と恐怖と矜持を持って、ホラルドは質問した。
そんな問いはこれまで何度も受けてきたのか。
全く顔色を変えることもなく、感情の読めない眼で、透は言う。
「千以上の世界を救い、千じゃ下らない数の世界を滅ぼした勇者も魔王も経験済みの只の高校生だよ」
「世界を救い……滅ぼした?」
うわ言のようにそう発したホラルドに透の目が焦点を合わせた。
「魔王を倒したからといって世界が必ず救われるわけじゃない。他のヤツが魔王になったり、人間同士で争ったりもする。
またそれを解決したとしても必ず次の問題が起きる。しかも数年から数十年、数百年というスパンで起きるものだから、その都度人々は過ちを忘れ去る――過去にする。
そんなことが続けばいつかは破滅するのは道理ってものだ。
それが小説や漫画にすらならないほどつまらなく退廃的だから誰も目にしないだけで終わりは必ずそこにある。
そういう終わりをいくつも見てきたってハナシだよ」
つまらなそうに、つまらないことだと自分に言い聞かせるように、透は嘯いた。
「…………」
無音というサウンドが部屋の中で反響する。
しん、と静まり返る一同。
頭の中で考えをめぐらす者。
数多の中から答えを探る者。
各々が其々、自分の“世界”への思いを募らせる。
「……じゃあ、僕はそろそろお暇しますか」
彼らを無言で見とめていた透はそんな様子に満足したのか、そう言って己の手をかざし、闇色のゲートを創りだした。
「僕は救国の名声や富を貰わない。
けれど破滅の責任や罰も背負わない。
――この世界がどちらの道を辿るのかはあんたら次第だよ」
そういって透は姿を掻き消した。
その世界がどうなるか、それを決めるのは勇者でも魔王でもなく、何者かの意志かもしれない。