「愛する」とはなんでっしゃろ
どーも。研修旅行から帰ってきたにっしーです。ほんとはそっちも話したいんですけど、帰りの新幹線でクラスメイトと話していたことですごい重い話があったので、個人的にも話したいと思います。
さてさて、この話をしていたのは新白河から東京までやまびこで帰ってきて、東京から博多行きの新幹線のぞみに揺られていた時のことでした。僕は三人席の真ん中だったのを通路側の友達と交代し、隣の女子数名(内一人は想い人)と別席の男子と話すことにしました。
将来の話をしていた中、話はどんどん結婚できるか〜みたいな方向に。女子は二人席を回転させて四人席にしていたけど、通路側の二人以外の女子は寝ていたため、話していたのは男子2女子2の状態。話しやすい状況っちゃ状況で。女子二人は謎に自分らは結婚できないみたいな感じにことを言ってました。恋愛対象かどうかは関係なく二人ともビジュいいし、できると思ってたけど。そんな話が捩れに捩れ、そもそも愛とはなんなのか的な話になりました。
僕個人の考えとしては「好きな相手のために命をかけられるか」。転じて「その相手のためならなんだってできるのか」。これをちょっと話したりはしましたが、「重い」とバッサリ切られてしまいました。実際重いとは自分でも思ったりします。ですけれども、一年時の僕から比べると結構変わってますし、その変わった原因は好きな人ですし。いい方方向に変えてくれた人なんだからそれくらいはする。
さて、本題ですが、「愛する」ってのはなんでしょうか。他にも名詞+するの言葉は結構ある。食するとか運動するとか。そう言うのって、食するは「食べる+する」もしくは「食事+する」かな。運動するは「運動+する」。結構わかりやすいですよね。食事とか運動とかって意味が確定していますし。でも、愛にするが付くってなんなんでしょう。愛っていう漠然なものにするがついちゃあいけないでしょう。人によって意味が変わってしまうものなんだから定義ができない。
だからその愛するがすれ違って別れたり浮気・不倫があったりするんでしょうけども。それを頑張って擦り合わせていくのが愛かもしれんですね。
テスト期間だったので先週の投稿文は来週に2本投稿して合わせます。




