葛藤
シホ様の屋敷に置いていただいてから3ヶ月が経っタ。最近のシホ様は少し様子がおかしイ。やはり人間がいなければならないのカ――
今朝は寒さで目が覚めた。カーテンを開けると日が眩しいのに空気は冷えている。もうすぐ秋も終わりかとしみじみ考えながら、私はまたベッドに潜った。
「9時になりましタ。朝食のご用意ができていまス。」
「テーブルの上に置いといて…」
私はベッドから抜け出したくなかった。
「かしこまりましタ。それでは私は洗濯をして参りまス。」
「待って。行かないで。」
私はノワールを必死で引き止めた。
「わかりましタ。ここにいまス。」
「ねぇ、何かお話してくれないかしら。そうね…感動的な話がいいわ。」
私は毛布にくるまったまま、顔だけ出してノワールに話をねだった。
「わかりましタ。それでは私の昔の話をしましょウ。……それは第三次世界大戦の直後のことでしタ。」
「ちょっと待って。第三次世界大戦が終わったのなんてもう百年近くも前の話じゃない。」
「はい、私もまだ新品同様でしタ。」
話の序盤から驚きだった。私はノワールが相当古いタイプのロボットだと知った。百年なんて、今こうしてノワールが正常に稼働しているのが奇跡なのではないかと疑うほど遠い気がした。私は不安に駆られた。いつかノワールを失う日が来るのではないかと――
「戦争では多くの人が亡くなりましタ。私がいた地域はあまり襲撃を受けずに済んだのですが、空襲の際に私の仕えていた家のお嬢様が行方不明になってしまったのでス。ご主人様は15歳だった一人娘を失って、それは悲しみに打ちひしがれておられましタ。」
「お嬢様は亡くなってしまったのかしら……」
「そこから二十年余りが過ぎたある日のことでス。私は脚が不自由になったご主人様を車椅子に乗せ、街で買い物をしている時でしタ。後ろから声をかけられ振り返ってみると、そこにお嬢様が立っていましタ。」
私は妙だと思った。
「二十年も経ってよくそのお嬢様とわかったわね。」
「いいえ、厳密に言うと行方不明になった当時の容姿のままの、15歳のお嬢様が立っていたのでス。」
「変ね。」
「実はその人は、行方不明になったお嬢様の娘だったのでス。それは良く似ていましタ。」
「そう。お嬢様も生きていて会えたのね。」
「いいエ。」
「えっ」
「お嬢様は二年前に亡くなっておりましタ。空襲で体を病んでいたそうでス。そしてまだお嬢様が生きている時、お嬢様は娘に私の写真を見せておいたそうでス。父は老いて見分けがつかないかもしれないが、ロボットは顔が変わらないから、いつの日か娘が私に会えるようにト。」
何だか切ない気持ちになってしまった。自分で感動的な話を注文しておいてなんだが、ノワールのつらい過去に触れてしまい気が落ちた。
その日から私は少しおかしくなった。ノワールと生活してから3ヶ月。私はノワールがそばにいてくれないと落ち着かなくなってしまった。不安に駆られるのだ。それからいつも私はノワールを欲していた。ノワールの昔話を聞いてから彼を失ってしまうのが物凄く恐ろしくなった。これはきっと愛なのかもしれない。寂しさからくる愛だとしても、私はロボットを好いてしまったのか。
私にはノワールが屋敷に来る少し前まで愛した人がいた。その人はもちろん人間で、この屋敷の持ち主でもあった。彼と出逢い、私も屋敷で暮らすようになり、毎日が二人の愛で満ち溢れた日々だった。出掛ける時はいつも二人一緒だったし、屋敷にいるときはずっと二人で抱き合って愛を確かめあっていた。
しかし、ある日彼は屋敷から姿を消した。財産も何もかも全部ここに置いて。私は彼の全てを包み込んであげられる存在ではなかったのだと悟った。彼の心のどこかに寂しさがあったのだろう。
私は彼を待ち続けた。一日中ずっと屋敷にいることがほとんどだった。彼を失った寂しさが薄れ、一人の生活に慣れた矢先にノワールが来たのだった。きっと私は、私のいつも一緒にいてくれる人に愛を抱いてしまう癖があるだ。だから今ノワールを失いたくない。
「ノワール、愛しているわ。どこにも行かないでね。」
シホ様の屋敷に置いていただいてから3ヶ月が経っタ。最近のシホ様は少し様子がおかしイ。やはり人間がいなければならないのカ。シホ様は寂しかっているのだろウ。私がお側にいない時のシホ様が心配でならなイ。シホ様が私に愛を注がれるのは構わないが、私はその愛に応えることができなイ。そのようにプログラミングされているのだかラ。シホ様は、私などではなく、シホ様に相応しい人間の男性に愛を注がれるべきなのダ。しかし、今そのような男性はいなイ。いない人間に期待できないのも事実ダ。シホ様のために私のプログラムを書き換えるべきなのカ。
これは、人間で言うところの葛藤というものかもしれなイ。いくら演算処理しても解決シ、ナ、イ――
「19時になりましタ。食後のデザートにケーキと紅茶をお持ちイ、タ、シ、マ、シ、タ」
ぎこちなく喋ったと思った途端、ノワールは私の目の前で直立したまま動かなくなった。




