7話 消えた小指と、友情のリスタート
春の朝。
カーテン越しの光が差し込む部屋で、机の上には「透明化トレーニングメニュー」と大きく殴り書きしたノートが転がっている。
ベッドの中、神原清透はひそかにテンションを上げながら、(昨日のプリクラ、普通に写ってたし……今日はもっと制御できるはず!)と目をギラつかせていた。
指を一本ずつ透明化してみる。親指、人差し指、中指、薬指――「消す、戻す、消す、戻す」テンポよく進む。
「ラスト、小指。これも余裕だろ」と勝ち誇ったそのとき――
――まさかの異変。
小指だけ消した瞬間、いくらイメージしても戻らない。
(……え? マジかよ、なんで!? 戻れ、頼むっ、戻れ!)
頭の中で叫びながら、鏡の前でも、手を握っても、小指だけは“この世から消えたまま”。
背中に冷や汗が一気に吹き出し、思わず変な声が漏れる。
(やばい、これはガチでやばい……もし一生このままだったらどうすんだ!? 絶対学校でバレるじゃん!!)
なんとかパニックを抑え込んで、パーカーを羽織り、右手をポケットに突っ込んだまま階下へ。
ダイニングに座った瞬間、妹の未咲が「兄ちゃん、今日手つき変すぎ」と鋭いツッコミ。
「な、なんでもないよ!」と必死でごまかし、「今日は友達と朝、待ち合わせだから!」と半ば逃げるように席を立つ。
そのまま玄関へ向かい、靴を履いていると、母が「朝ごはんちゃんと食べなさいよ!」と背中越しに声をかけてくる。
(ムリムリ、小指がないのバレるって……)
気まずいまま家を出て、美咲、陸斗、真央と合流。
陸斗が「今日は男らしく握手しろよ!」と右手を出してくる。
「ご、ごめん、左手で!」と、とっさにごまかす。
(おいおい、なんで今日に限ってそんなこと言うんだよ。普段絶対言わないくせに……タイミング悪すぎだろ)と、内心で焦って体がこわばる。
美咲が「なんか元気ないね?」とじっと覗き込む。いい香りがして、少しだけリラックスできる。
真央は清透の挙動不審な動きを見て、「清透、何か隠してる」と超マジ顔で言う。
(やめて、真央、それ以上は!)と内心で叫ぶ。
授業中はノートを取る手をペンや袖で隠し、心臓バクバクで(指されるな、気づかれるな)と全神経を右手小指に集中。
階段の踊り場やトイレの個室、どこに逃げても、“右手の小指が戻らない”現実だけが、じわじわと心を締め付けてくる。
(誰にも言えない……。俺、いずれ“透明”どころか“存在ごと消える”んじゃないか)
(でも……このまま、ずっと隠し続けるのか? この先も、孤独に震えて消えていくのか?)
握りしめた拳が小さく震える。怖い。
夕焼けの屋上の片隅で、清透は膝を抱えて座っている。
消えそうな小指を必死で握りしめていた。
「……はぁ」
心の中で叫ぶ。(助けて――俺だけ、どんどん“消えていく”)
そのとき、仲間たちが駆けよってくる。
「清透、どこ行ってたんだよ! マジで探しまくったんだからな!」
陸斗が不器用に怒鳴りつつ、どこかホッとした声を響かせる。
美咲は涙目で清透にしがみつき、「心配させないで……」と震える声をもらす。
真央はじっと清透を見つめて、「嘘は心を傷つける。孤独は死を呼ぶ」と心配そうに言う。
清透は顔を背け、「もうほっといてくれよ!」と少しだけ声を張り上げる。
自分で心の壁をつくる音が、胸の奥に響いた。
……重苦しい沈黙。四人のあいだに、今までにない距離が横たわる。
沈黙を破ったのは、美咲のかすかな涙声だった。
「私たちに話せないの? 私にも話してくれないの? どうして……」と清透の肩を揺さぶってくる。
陸斗は拳を握りしめ、「どんな悩みでも一緒に乗り越えるのが仲間だろ!」と熱血主人公みたいに言う。
真央はクールに微笑み、「あきらめろ、真実を言いなさい」と、いつもの調子で続ける。
清透は、しばらく黙っていたが、ついに口を開く。
「……みんな驚かないで。右手の小指が消えたまま戻らなくなった」と正直に打ち明けた。
全員が絶句して、清透の右手に一斉に目をやる。
「嘘だろ……」「痛くないの?」「これ何……新種の人間?」と、次々に驚きの声が上がる。
清透は隠すことなく、「……そうなんだ、体が透明になるんだ。僕の体、変だろ」と涙混じりにこぼした。
美咲が清透の顔を覗き込んで、心配そうに「それ、痛くないの? 変な病気じゃない?」と聞く。
「うん、痛くないし、病気ではなさそう。突然変異かな」と正直に答えた。
陸斗は目を輝かせて「清透、かっこいい、突然変異俺もなりたい」とワクワクしている。
真央は、ドラえもんみたいにポケットから水晶玉と魔よけの札を取り出し、「意志の力が弱まっている。念じれば戻る」と実験モード。
真央は、清透の顔にお札を貼ると、水晶玉をぐるぐる振り、意味不明の呪文を唱えだした。
陸斗は「焼き肉パワーだ! 男は力が正義だろ!」と叫ぶ。
美咲は清透の手にそっと自分の手を重ね、「清透は一人じゃないよ」と微笑む。
みんなの声と温もりが、胸にしっかり染みてくる。
(みんな、心配してくれてる。なんで俺は……ずっと一人で怖がってたんだろ)
清透は目を閉じて、心の中で必死に願う。
(神さま、ごめんなさい。透明化して妹のお菓子をこっそり食べちゃいました。妹が驚くのが楽しかっただけです。もうしません。ちゃんと買って返します!)
その瞬間、みんなの友情の力か、あるいは神さまへの謝罪が届いたのか――消えていた小指に、じんわりと温かい感覚が戻り始めた。
その瞬間――消えていた小指が、ほんのり光を帯びて現れはじめる。
「マジで戻った!」「よかった、心配した」「嘘は、心を歪める!?」
清透は震える声で、「ありがとう……本当に、みんなのおかげだ」と涙を浮かべて言った。
けれど、心の奥底には、不安が残る。
(天罰ルール厳しすぎ。時間差判定もあるの?。みんなに隠していた負い目?……勘弁して、普通の体に戻してちょうだい~)
その不安を胸の奥にしまいながらも、今日のこの一歩は、確かに前より進めた気がした――。
帰り道、四人の絆は今までになく強く結ばれていた。
「全身消えてもお前なら戻れる。男はパワーだ!」「清透君は清透君だから、心配しなくていいと私は思う」「この現象の謎は真央が解き明かす」
だが、その背後には、路地の夕闇からじっと見つめる謎の視線――新たな“異変”の気配が、静かに忍び寄っていた。