2話 透明な秘密、最初の大失敗
朝、目覚めた瞬間、昨夜の出来事が脳裏によみがえった。
――鏡の前で、自分の指先が音もなく消えていったあの感覚。
夢みたいなことが現実だったんだと気づくと、胸がドキドキしてたまらない。
“もしかして、本当に俺、透明になれるのか?”
そんな期待と不安が入り混じって、目が覚めたばかりなのに頭はすっかり冴えていた。
枕元で右手をじっと見つめる。
指を動かすたびに「今なら消せる」って根拠のない自信が湧いてくる。
思いきってやってみたら、手のひらがふっと消えた。
(……マジで俺、透明人間?ヒーロー枠?)
自然に口元が緩むけど、ふとした拍子に怖さもよぎる。
リビングに降りると、いつも通りの朝。
母さんはトーストを焼きながら「今日、早いじゃん」と軽く声をかけてくる。
妹の未咲はスマホをいじりながら「兄ちゃん、今日なんか変」とニヤニヤ。
父さんは新聞の向こうから「ちゃんと顔洗えよ」とぶっきらぼうに一言。
家族は誰も俺の“秘密”に気づいていない。
それなのに、心臓だけがやけにうるさく跳ねてる。早くこの力を確かめてみたくて、居ても立ってもいられない。
(学校でバレたら絶対やばい。でも、今日は絶対にいろいろ試したい)
「行ってきます!」
勢いよく玄関を飛び出す。
昨日までの“ただの清透”じゃない――そんな高揚感が身体に満ちている。
春の通学路を歩きながら、右手の甲を何度も確かめる。
意識を集中させると、皮膚がじわじわ薄れていく。“消せる”っていう快感に、自然とニヤけてしまう。
制服のポケットに手を突っ込んで、こっそりON/OFFを切り替えてみる。ポケットの中を覗くと、ちゃんと消えてる。
(やばい、絶対バレたらまずい。でも、これって本物の秘密兵器だよな)
「神原~!おはよ!」
成瀬が全力で駆け寄ってくる。
美咲も「今日さ、なんか元気そうだね?」と首をかしげる。
その後ろで真央が「清透くん、今日なんか不思議なオーラ出てるよ?」と、じっとこちらを見ている。
俺はうっすら笑って「え、別に普通……」とごまかす。
でも、友達の中で自分だけが秘密の力を持っている。この優越感、ちょっとクセになる。
けれど、もし見られたら終わり――そんな恐怖が、背中にじわっと張りついて離れなかった。
午前中の数学の時間。
ノートの下で、そっと右手を意識する。(……どうだ)
――驚くほどスムーズに、指先から消えていく。今ではもう、コントロールもほぼ完璧に近い。
ペンを持ったまま透明化と解除を繰り返すと、なんだか魔法使いになった気分だ。
(よし、これなら――。みんな、ちょっと驚かせてみるか)
でも、いきなり“全消し”はさすがにドン引き案件。
しばらく迷ってから、(手品っぽく見せればセーフだろ)と“消し技”を披露してみる決心をした。
昼休み、教室の窓際。
「なあ、今から手品、見せてやるよ」
成瀬が「マジ!?」と身を乗り出し、美咲は「えー、何それ」と期待の目。
真央も「マックのネタ暴くから」と冗談を飛ばす。
俺は3人を机のそばに集めて、成瀬と真央のワクワク顔をチラッと見る。美咲も少し期待している様子。
「いくよ――」
心臓がドキドキして、手が微妙に震える。ペンをつまみ、そっと手の甲を透明にした。
「うわっ、何それ!?」
「え、手が消えた!?」
驚きで声を上げる二人。陸斗は「天才か!?」と大騒ぎ。
真央も「……完璧すぎ」とぽかんと口を開ける。
美咲だけは、ちょっと怖そうな顔でこちらを見ていた。でも、俺はその違和感に気づけてなかった。
みんなの注目を浴びて、どこか誇らしかった。
(これ、クセになりそう――)
だが、何度も調子に乗って見せびらかしているうちに、右手にビリッとした違和感が走った。
(やば、感覚が……)
次の瞬間、右手の“半分”だけがグロテスクに透けてしまう。半透明の皮膚から骨や筋が浮き上がり、見たことのない不気味な形。
美咲が思わず「……気持ち悪っ」と呟く。
美咲の顔が強張り、まっすぐ俺を見たあと、一歩、二歩と後ずさった。「……ちょっと、マジでやめて」
(……やっちまった)
成瀬は少し心配そうな顔で「大丈夫か?」と肩を叩いてくれる。
真央はノートをぎゅっと握りしめたまま、「……マジックじゃ説明できない」と小声で漏らす。
美咲はそのまましゃがみ込んで、俯いてしまった。
(……バカだな俺。美咲にカッコつけようとしたのに、これじゃ逆効果じゃん)
夜、ベッドに横になりながら、じっと天井を見上げていた。
このままみんなが――仲間も家族も、自分から遠ざかってしまうんじゃないか。そんな不安が、胸の奥を締めつける。
それでも俺は、あきらめたくなかった。
(次こそ、絶対にバレない方法を見つけてやる。今度こそ美咲を本気で喜ばせたい)
孤独感に飲み込まれそうになりながらも、心のどこかで新しい決意が芽生えていく。
静かな部屋の中、春の夜風がカーテンをそっと揺らす。
俺は透明になった手を見つめて、「やっぱり、透明って楽しいな」と小さく呟く。
そして、ゆっくりと目を閉じた――。