茜にデートのお誘い
その言葉を聞いた瞬間、場はハテナと困惑で埋め尽くされた。
「本当にいいの?」
その疑問を投げかけたのは嬉楽。
「うん。いいよ」
そう回答をしたのは哀憂だった。
たった一日。いや、十数時間程度でどんな心変わりがあったというのだろうか。
哀憂は今、茜とのデートを許可したのだ。
「どういうことだ?昨日はあんなに言ってたじゃないか」
「僕だって嬉楽に消えてほしいわけじゃない。だから、対策は立てた」
「対策?」
「デート中定期的に電気を自分の意思で流してもらう。そうすれば、楽しいや嬉しいといった感情が和らぐはず。他にも、デートに行くまでに対策を講じるつもり」
「どんなに対策しようと、消えてしまう可能性は十二分にある。そんなことは哀憂だってわかってるはずだ。それなのにデートをすることを許可した。どういう理由があるんだ?」
顔が今までに見たことがないようなことになっている。
受け入れようとしているのに、でもどこか悲しいような顔だ。
「嬉楽の気持ちは、なんとなくわかるから。だから、それを我慢することはすごく苦しいことだって思った。だから、たった一度だけと約束してくれるなら、一日くらい最高の1日にしてほしいって、そう思ったの」
その言葉に嘘はないように見える。
ただ、純粋な言葉とは思えなかった。
「安心して。消えない。そんな優しい言葉は言えないけど…」
深呼吸して、言葉を紡ぐ。
「みんなとずっと、一緒にいたい」
嬉楽の顔は、まっすぐだった。
「だめ。約束して。消えないって言って」
「消えないように努力はする」
「消えないって言って」
「消えたくない」
「消えない…」
「まあまあ。嬉楽だって消えたいわけじゃないって言ってるし。許してあげたら?」
「…わかった。絶対消えないでね」
「善処する」
「まずはデートに行く約束を取り付けるところからだ」
いつも茜さんからこっちに来てくれていたが、今回は嬉楽から行くことにした。
「どうせ待ってたら来てくれるんだから僕が行く必要ないじゃん」
「こういうのは勢いで行くのがいいんだよ。会う前からスタートダッシュしておかないと」
「わかったよ。頑張る」
茜さんの教室が見え始めた頃、茜さんがその教室から出てきた。
「お!軽音!そっちから来てくれたんだ!」
先手を取られたのは痛い。
ここまでの流れがかなり削がれた。
しかし、言わなければなにも始まらない。
がんばれ、嬉楽。
「あ…あの…」
「そういえば最近結さんとはどうなの?仲良くやってる?」
「あれから進展はないよ」
「そっかあ。まあ一日しか経ってないしね。結さんのことは好きなの?」
「好きだよ。悪い人じゃないから」
「まさかの引き算方式。加点の部分はないの?」
「ずっとなにが正義なのか悩んでるところとか」
「向上心がある人っていいよね。少しづつ自分がなりたいものになってるって感じ?あ、そうだ、聞いて聞いて!」
だめだ。
完全に茜のペースだ。
「知ってる?靴下って靴の中に履く物なのになんで「靴下」っていうのか。そもそも「下」って「上下」って意味意外に「表に現れていない」って意味もあるんだって。下着とかも中に着てるけど「下」って言うでしょ?だから靴下も「見えない場所にある」から「下」って言うんだって」
「へえー…」
右に並んで立っている茜の話に聞き入ってしまう。
なんでこんなに豆知識豊富なんだ。
「それから…」
言葉はそこで途切れた。
茜は後方に転んだのだ。
なにに躓いたかなんて、考えている余裕すらない。
そんな時、俺の体は動いていた。
動かしたのは嬉楽だ。
右手で茜の体重を支え、左手は紳士にも茜のどこに触れるでもなく、お腹の寸前で止まっていた。
「あ…」
茜から発せられたその一音から、感情を読み取るというのは至難の業だ。
ゆえに俺は、その感情に名前をつけることすらできない。
しかし、1つわかることがある。
「大丈夫?」
「…うん」
茜は嬉楽の誘いを断らないだろう。




