切っても切れない
俺は、傷害罪として、罰金を払うことになった。
当然俺にそんな金はないので、お父さんから出た。
怒られることを覚悟していたけど、事情を聞いたお父さんは、複雑そうな顔をして、俺を怒ることはなかった。
俺のしたことが、良いことなのか悪いことなのか、判断に困ったからだろう。
申し訳ないという気持ちで心が埋まる。
いや、その表現は失礼ながら間違いだろう。
だって、今の俺の心は、怒雷のことでいっぱいなのだから。
「どうして、怒雷は死んだんだ?」
【魂の集会所】にて、俺はその質問を2人へ問う。
「僕達は、軽音の感情から生まれた存在なんだ」
「俺の感情から?」
「そう。そして、現実世界、表の世界と言ってもいい。僕達は二道の感情からできてる。だから、僕達を形成した感情以上に感情を出すと、僕達は姿形を保てなくなり、軽音に統合される」
「統合…」
心辺りがあった。
怒雷が消えた瞬間。
俺の中に、怒雷の記憶と思われるものが一斉に流れ込んできた。
怒りだ。
今までの人生で、俺が怒りを感じた瞬間の記憶だった。
つまり、嬉楽には楽しい記憶や嬉しい記憶が、哀憂には寂しい記憶や悲しい記憶があるということだろう。
「嬉楽も、哀憂も、表の世界にずっと居れば消える…ということか?」
自分が発したその問いに、恐怖する。
怒雷だけではなく、嬉楽と哀憂を失ってしまうかもしれないと思ったからだ。
「大丈夫だよ、軽音。死ぬことなんかそうそうない。怒雷はあの場で怒りを吐き出しすぎたから消えちゃったけど。僕達にその心配はない。そうでしょ?嬉楽」
「その通り。僕達はあんなに感情爆発させない。死ぬことなんかないよ」
「…信じて良いのか?」
「「もちろん」」
「おはよー軽音」
あくびをしながら、茜はそう言ってきた。
「おはよう。眠そうだね、なんかあったの?」
その問いをしたのは嬉楽だ。
「1歳の妹が夜泣き出してね。お母さんと一緒の部屋で寝てたから巻き添えで…」
「それは大変だったね」
「うん。まあかわいいからいいんだけど」
「女の子らしい感想だね」
「私が?」
「うん」
「…ふーん」
授業も終わり、放課後となった。
どうやら、俺が傷害事件を起こしたのは、生徒にはバレてないらしい。
ありがたい限りだ。
そう思いながら、引き戸を開けると…
「…こんにちは」
目の前には、結さんがいた。
あんなことがあった翌日だ。
気まずくてしかたない。
しかも、怒雷が殴った左頬がアザになっている。
最悪殴り返されても文句は言えない。
「ありがとう」
「え?」
突拍子もないその言葉に、俺は困惑した。
「あの時、俺はハリボテだった。そこにいたところで、状況はなにひとつ変わらない、まさしくモブだ。そんな俺を、君は諭してくれた。正しくあろうとするがあまりに、複雑に考え、なにが正義でなにが悪かわからなくなった俺を、感情のままに拳を振るえと。あの時、俺の中の正義がガラッと変わったんだ。君の全てが正しいとは思わないけど、それでも、俺が変われたのは君のおかげだ。だから、ありがとう」
そういうと、結さんは帰った。
「なになに〜?男の友情ってやつ〜?」
後ろから盗み聞きしてたであろう茜がそう言ってきた。
嬉楽と変わっている余裕はない。
俺が話そう。
「結くんが大げさなんだよ。俺は大したことしてないし」
「でもかなり感謝してたよ?内容は物騒だったけど、結くんを救ってあげられたってことじゃない?」
茜と同意見だった。
やり方が正しいなんて言うつもりはない。
あれは、人に迷惑をかけるやり方だ。
父さんは、その代表だ。
その点で言えば悪だ。
でも、間違いなく結さんは救われた。
その点で言えば正義だ。
怒雷の行動は、正義とも悪とも呼べるだろう。
俺の心の中もそんな感じだ。
正義と呼んでやりたいとも思うし、手を出すのはいけないことだとも思う。
その時、哀憂に声をかけられた。
「怒雷はどう思われようと気にしないと思う」
「…ハハッ、そうだな」
「ん?なにが?」
「なんでもない。真理に触れて笑っちまっただけだ」
「えー、急に厨二じゃん。口調まで変わってるし」
急に超恥ずかしくなった。
誤魔化すにしてももっと当たり障りのない言い方あっただろ。
「でも、そんな恥ずかしいところも軽音らしいよ」
「褒めてる風で褒めてないでしょ」
少し微笑んで、茜はこう言った。
「大正解」
途中まで一緒に帰ることになった。
「ねえ知ってる?クラゲって海に月って書いて「海月」って言うんだよ。きれいだよね〜」
「へえー。確かにきれいだな。納得もできる」
「あ、あと湿度は空気の中にどれくらい水蒸気があるかってことだから、空気のない水の中には湿度って概念がないんだって。だから、水の中は湿度100%っていう認識は間違いなんだって」
「初めて知った。茜ってそんなに頭良かったっけ?」
全く茜の学力を知らないが、あだ名が「太陽」ということから偏見で頭が悪いと断定していた。
「ちょっと勉強したんだ。この高校入るために」
「この高校に?」
確かに、平均と比べればこの学校は偏差値は高い。
しかし、わざわざ勉強してまで来たいほど魅力的な場所だろうか?
他の高校と比べ突出している点がある訳では無い。
可もなく不可もない学校だ。
「なんでこの学校選んだの?」
「え…いや…なんとなく?家近いし?」
「なんで疑問形?」
「ちなみに軽音は?」
「好きな小説家が通ってた学校だから」
あまり知名度のある人ではないが、好きな小説家を挙げろと言われれば1番目に挙げるほど好きな小説家だ。
好きな人と同じ景色を見たいに決まってる。
「へえー。そんなオタクみたいな理由なんだ」
「オタクで結構」
「小木信介さんだっけ?」
「え?」
「「え?」って、間違ってた?軽音が好きな小説家」
「いや、合ってる」
問題はそこじゃない。
どうしてそんなことを知っているかだ。
当然、俺は言った記憶はない。
となれば、記憶がない小4以前のできごと?
いや、ありえないだろ。
俺は哀憂の読む本を書店に買いに行き、そこでたまたま心惹かれて買っただけだ。
小学生の俺が、わざわざ書店に行って、あまり名も売れてない小木さんの小説を買うなんてことがありうるのか?
それに、100歩譲って小木さんの本を買ったとしても、小木さんは難しい言葉や表現をよく使う人だ。
小学生の俺に読めるわけがない。
なら、一体…
「懐かしいなあ。小3の頃…」
「なに読んでるの?」
「え、あ…小説」
「うわー…漢字ばっかで読む気失せる」
「習ってないのも多いもんね」
「軽音はこれ全部読めるの?」
「ううん。半分くらいしか読めない」
「それ、読んでて面白いの?」
「僕にはこれがあるから」
「なにそのノートの束」
「この小説に出てくる漢字とか難しい表現の解説が載ってるの」
「ん?それどう見ても手作りだよね?」
「うん。お母さんが作ってくれたの。僕が小説が大好きになれるようにって、家にある本全部に解説したノートがあるよ」
「そこまで行くと怖いよ軽音のお母さん…」
「その中の1つに「小木信介」っていう人の小説があるんだけど、すごいんだよ。優しいのにどこか冷たくて、見てると悲しくなってくる。なのに読む手を止められない。それ以来ずっと小木さんの小説が大好きなんだ」
「優しいのに冷たいの?よくわかんないや」
「そう?茜もそういうところあると思うけど」
「私がー?ないない」
「なんてことあったよねー」
「そうだねー、懐かしい」
当然覚えていないが話を合わせておく。
「最初に読んだ小説ってお母さんに選んでもらったんだよね、「分かれ道に咲く後悔」だっけ?」
「え…」
それは、小木さんが一番最初に世に出した小説だった。
書店で見つけて惹かれた本もそれだった。
「ん?どうしたの?」
「ちょっと、体が痺れただけだ」
それは、比喩表現ではなかった。
お母さんはもういない。
だけど、繋がりは消えないんだと、そう思うと、なにかが込み上げてきそうだった。
「ありがとう、久しぶりに思い出せたよ」
「なにが?」
「お母さんの怒った顔」