3つの魂
名前は相咲軽音。
俺は少し特殊だ。
小さい頃に母を亡くした翌日から、俺の中には3つの人格が生まれた。
そして、その人格と会話をすることも可能だ。
特殊とは言ったものの、幼い頃からいたから、あまり特殊という実感はない。
それに、3つの人格があるからといって日常生活ががらっと変わっているわけでもない。
御託はこのぐらいにしておこう。
「軽音ー。どうした?ずっと黙って」
「帰宅途中にぶつぶつ独り言をしている方がおかしいだろ」
今おかしなことを言ったのは嬉楽。
「なあ。帰ったら俺とバトろうぜ」
「暴力反対。頭を使うバトルなら受けて立つ」
今のは怒雷。
「軽音。後で漢字の読み方教えて」
「わかった。ついでに辞書も持っていくよ」
この中で唯一静かで小説が好きな哀憂。
いつも頭の中は嬉楽と怒雷の生活音に苛まれている。
クラスの騒がしい人の声がずっと聞こえていると言えば、この辛さは伝わってくれるだろうか。
「帰ったらそっちで勉強するから、少し遊ぼう」
最近はテストが近いこともあって勉強三昧の日々が続いている。
たまには息抜きをしても罰は当たらないはずだ。
「ただいまー」
いつもの家だ。
お父さんは夜まで帰らないから、それまでは俺一人。
一人というのは悲しいものだ。
自分の存在意義を見失う。
そんな感覚になる。
だけど、俺は一人じゃない。
俺の中には3つの人格がある。
うるさいなんて普段は思うけど、家にいる時だけは、こいつらに感謝の念を、癪ながら抱いている。
「おかえりー」
瞬間、背筋が凍った。
深い意味もなく発したただいまという言葉に、何者かが返事をしたのだ。
お父さんの声ではない。
仮に泥棒だとしてこんな悠長な態度を取るだろうか?
足音が近づく。
まさか、俺を殺す気なのか?
どうせ死ぬからなにを知られようが関係ないと、そういうことなのか?
「軽音。俺に体貸せ」
怒雷が言った。
俺の中にいる人格は、俺が許可を下せば体を貸すことができる。
怒雷は俺より戦闘技術がある。
俺が出るよりはマシだ。
「わかった。危険と判断したら逃げてくれよ」
「さぁな。早くしろ」
声からにやけているのが伝わる。
不安だが仕方がない。
俺は体を貸した。
「かかってこいよ泥棒」
怒雷が小さくそう呟いた。
「どうしたー?おおー。大きくなったなぁ軽音」
玄関の先から覗かせたその姿に、俺は見覚えがあった。
しかし、正確に誰なのかは思い出せない。
少なくとも、赤の他人ではないようだ。
「一度俺に体を渡してくれ。多分知り合いだ」
「ち、面白くなりそうだったのに」
小声でそういったものの、素直に返してくれた。
それより。
「どこかで会ったことありましたっけ?」
さっきこの人は俺を見て「大きくなった」と言った。
間違いなく、この人は俺を知っている。
「ひどいなあ。まあそりゃそうか。会うの6年振りだもんな」
6年前。
確証はなかった。
しかし、今まで会ってきた人間の中で、強いて当てはまる人物を上げるとしたら。
「現人兄?」
「正解。ギリギリ思い出してくれて嬉しいよ」
相咲現人。俺と9歳離れてるから、今は24歳の兄だ。
今まで職場まで少し遠いという理由でおばあちゃんの家に住んでいた。
「どうして今帰ってきたの?長期休みとかに帰ってくればいいのに」
「大人に長期休みはないんだよ。会社をクビになったからこっちの近場で探すことにしたんだ」
この兄はなにをやらかしたんだろうと、久しぶりに会う兄に思うことになるとは思わなかった。
「哀憂…?」
「文学的な悪口だな」
違和感。
頭の中が異様に静かだ。
「どうした?」
心の中で、怒雷たちに問う。
しばらく沈黙が続いたが、哀憂が答えた。
「ごめん。僕が本を投げて驚かせちゃった」
「どうしてそんなことをしたんだ?」
「読んでた小説に嫌なキャラがいて、ムカついちゃって」
本当にそうだろうか。
今までの6年間で初めてのことだ。
今までだって嫌なキャラが出てくる小説はあっただろう。
それなのに、今さらそんなことで怒りを現すだろうか。
「もう大丈夫?」
「うん。ごめん」
ここで問いただしたところでなにも解決はしない。
この話はなかったことにしよう。
「どうした?急に悪口を言ったと思ったら黙りこくって。傷ついたのは俺なんだが」
「ごめん。気にしないで。それより自分の部屋に行っていいかな。テスト近いから勉強したいんだけど」
「おお。向上心があってなによりだ。父さんが19時くらいにお父さんが帰ってくるらしいから、それまでに一段落つけとけよ〜」
「わかった。ありがと」
靴を脱いで、自分の部屋がある二階に登った。
リュックから教科書とノート、筆箱に国語辞典に同時に触れた。
そして、目を瞑る。
怒雷たちのところに行く方法、それはかなり簡単だ。
行きたいと思えば行ける。
その間、俺の体は眠った状態となる。
そして、物を持ち込む手段は、その持ち込みたいことに触れること。
だからノート等に触れたのだ。
「まだこの感じか…」
小さな体育館くらいの空間に、暗い雰囲気が漂っている。
「はい。国語辞典。載ってないことがあったら俺に聞いて」
「うん。ありがとう」
ひとまず、哀憂は落ち着いているようだ。
「嬉楽。一緒にコマで遊ぼう。別に急いでいるわけじゃないし、少しなら遊べるよ」
「ほんとに!やったー!」
子供のように喜んでいる。
扱いが楽でありがたい。
「はいこれ軽音の」
渡されたのは指で回すタイプのコマだった。
俺が好きなタイプだ。
対する嬉楽は紐タイプ。
遊びとはいえ勝ちたいと思うのが人の性。
「手加減はなしだ」
「なんでそんな本気なの?」
「勝ちたいからだ」
「え…そうなんだ…」
なぜ俺は哀れみの目で見られたんだ?
そんなことを考えていると、3秒のカウントダウンが始まった。
刻一刻と運命を決める時が近づく。
そして。
「どっちだ」
互いにコマを回すことに成功した。
手応えとしては上々だ。
約1分ほど経過して、決着がついた。
「どうして…」
俺のコマはすでに止まっている。
なのに、嬉楽のコマはまだ元気に回っている。
「俺の回し方は「糸引き独楽」って言って、軽音がやった「ひねり独楽」よりも長く回ることが多いんだよ。それに、俺、独楽は結構回してるし、軽音に勝ち目って最初からあんまりなかったんだよね」
それであんなに哀れんだ目をしてたのか。
でもあの独楽を渡して来たのは嬉楽だぞ。
ナチュラルに性格が悪い。
「軽音。俺と勝負しようぜ」
怒雷がにやけながらそう言ってきた。
「暴力系はなしな」
「ち、じゃあやめだ」
この会話を6年間繰り返していると思うと恐ろしい。
「それじゃあ。始めますか」
教科書とノートを広げて、勉強を始めた。
「そろそろ戻らなきゃか」
時刻は18半。お父さんも帰ってくる頃合いだ。
「そうかそうか。なら、俺に任せろ」
怒雷は手をボキボキ鳴らし近づいてくる。
説明しよう。
この場所。
仮名として【魂の集会所】と名付けよう。
ここから出る方法は確認できたなかでは一つ。
それはの方法とは、戻りたいと思いながら、強い刺激を与えること。
寝ている人間をぶん殴れば起きるのと一緒だ。
つまり、怒雷は俺を現実に戻すことを口実に俺をぶん殴ろうとしているのだ。
「どうかやめてはいただけないでしょうか」
ここで受けた痛みは現実には持ち越されない。
しかし、戻るまでの刹那の時間俺は激痛に襲われることになる。
それに、そうでなかったとしても人に殴られるというのは恐ろしいことだ。
「でも一人で戻るのも大変だろ?」
ほっぺを強くつねる程度で戻れるのだから大変なわけはない。
「いえ。一人でどうにでもできますので、その拳をお収めいただきたい」
その時。無言で両腕を拘束された。
犯人は。
「嬉楽?遊んでやったよな?」
今どんな顔をしているのかと聞かれれば、恐らく怒りと笑顔が混ざった恐ろしい顔をしていることだろう。
それを気にするほど嬉楽は対人関係を経験したことはなかった。
「軽音。たまには怒雷と遊んであげなよ」
にっこり笑顔で恐ろしいことを言うやつだ。
悪気がなさそうなのがたちが悪い。
嬉楽がゆっくりとカウントダウンを始める。
少しづつ恐怖が増していく。
「これがいじめか…」
「0!」
「はああ!…はあ…はあ…」
「おーい?父さん帰ってきたから早く降りてこーい」
「ああ…わかったー」
痛みはもうない。
しかしかなり怖かった。
次【魂の集会所】に行くときにはしっかり怒ってやろう。
「おかえりお父さん」
「ああ。ただいま。すまないな。現人が帰ってくることを伝え忘れていた」
「いいよ。お父さんも疲れててうっかりしてたんでしょ。いつも働いてくれてありがと」
「どういたしまして」
「2人共。飯が冷める前にちゃっちゃと食おうぜ」
「そうだな。いただこう」
全員が椅子に座り、図らずとも同じタイミングでいただきますの合掌がなされた。
「どう?俺の味噌汁」
「美味しいよ。お兄」
「ああ…そうだな。美味しいよ」
「どしたん父さん。歯切れ悪いじゃん」
「違うんだ。味噌汁を飲むと、つい母さんの味を思い出してしまうんだ」
「は?俺と母さんは関係ないだろ」
「わかってる。すまない」
お兄もそれ以上言葉を出さず、黙々と食べた。
久しぶりの家族での食事は、地獄のような空気のまま終わりを告げることとなった。
また頭の中が静かになった気がした。
「ごちそうさま。お兄。ご飯は作ってもらったから、洗うのくらいは俺がやるよ」
「いや、いいよ。どうせ明日からは惣菜の合わせ物になって、こんなことすることもなくなるだろうしな」
「わかった。ありがと」
「おう。明日も学校なんだから早く寝ろよ〜」
「はーい」
「第1回チキチキデスゲーム!」
物騒ななにかが始まってしまったようだ。
「ルールは簡単。俺とじゃんけんをして勝ったらセーフ。負けたら怒雷の全力パンチ」
「誰がやるかそんなクソゲー」
「えー」
「えーじゃない。損しかないゲームに魅力なんか感じない」
「なるほど。勝ったご褒美があればいいのね」
「怒雷の全力パンチを食らうリスクを許容できるだけの褒美を用意できるならな」
「そうだねー。例えば、平穏…とか?」
「平穏?」
「もし軽音が勝てば、明日1日ずっと静かにしてるよ」
「できるのか?そんなこと」
「コマにあやとり、ヨーヨーとその他諸々。静かに遊べるものは一通りここにはあるからね。1日くらいなら我慢できるよ」
俺にとって平穏とは存在しないものだった。
いつも怒雷と嬉楽が脳内で暴れまわっているからだ。
しかし、ここで勝てば夢物語ではなくなる。
「条件を追加してもらいたい」
「なに?」
「俺が勝った場合。怒雷も1日静かにしてくれ」
「俺に死ねって言ってんのか?」
「そんな狂った要求をした記憶はないぞ」
マグロかこいつは。
「まあまあ怒雷。オセロとか将棋一緒にやるからさ」
「オセロも将棋も楽しくねえ」
「これだから闘牛は嫌なんだよ…」
形成逆転。
さっきまでにっこりしていた嬉楽は頭を抱え始めた。
「じゃあ、この話はなかったことにしよう。哀憂。一緒に小説の話でもしよう」
「待て」
「あ?もう終わっただろ。これ以上なにを話すつもりだよ」
「終わった?違うね。終わってない」
嬉楽は右手の指を3本上げた。
「3日だ。3日静かにする」
「正気か?」
そのセリフは、怒雷が言った。
嬉楽はいつも一日中うるさい。
そんな人間が3日も静かにするなんて、ストレスでどうにかなってもおかしくない。
「…どうして、そこまでして怒雷に俺を殴らせたいんだよ」
嬉楽は一拍を空けて言った。
「ただの、意地だよ」
「こいつ…」
顔はニヤけながらも、覚悟を感じる。
目はギラギラと輝いていた。
ありえない。
嬉楽が少しかっこよく見える。
「…わかった。その条件呑むよ」
「後悔しても遅いからね」
お互いが両手を出した。
「怒雷。合図を頼む」
「ああ」
血に汗に滲む。
そんな表現を使うのは大げさだろうか。
きっと大げさだ。しかし。
嬉楽の顔を見ると、大げさではないように見えてしまう。
最初はグー。じゃんけんポン。
そんなごく普通のじゃんけんで勝敗は決まった。
上がる歓声と悲鳴。
悲鳴を上げたのは俺だった。
「なんでだー!」
おかしい。
完全にあいつが主人公みたいなムーブしてるじゃないか。
この体の所有者は俺だぞ。
俺の中でくらい俺が主人公でいさせてくれよ。
「さあ軽音。約束は約束だよ」
少しづつ近づいてくる怒雷。
条件を呑んだのは俺だ。
最後に一言。
「南無阿弥陀仏…」




