9.
ニーチカがパンケーキを頬張っていると、流れる人通りを目にしていたパーヴェル様が少しだけ不審そうに言う。
「何だかやたら金髪の人間が多い気がするが…」
「ああ、それは。皆さんルーシェンカ様に扮してるんで」
「ルーシェンカに?」
「祭りの間だけは無礼講というか。祭典のルーシェンカ様役に選ばれなかった人の憂さ晴らしですかね? 毎年のことなので気にしたこともなかったですけど」
確かに言われてみれば変な光景だ。だって明らかに男性もいる。そりゃ無理だろうってムキムキのルーシェンカ様が。
「…悪趣味だな」
パーヴェル様がこれでもかと顔をしかめる。
そのシスコン振りを知ってるだけに『ヤバいか…』と思ったけど、苦言だけで済んだようでホッと息を漏らす。
――が、それだけで済んだのは本物のニーチカがいて、そのニーチカが気にしてなかったから。
もしニーチカが末裔という立場のままであったら、彼女だけを残し国は滅んでいただろう。
本人も含めて、知らぬが仏とはよく言ったものだ。
食べ終わってから再びパーヴェル様と街を歩く。
せっかく降って湧いたお休みなのだ、どうせなら堪能した方がいい。あと、当然のように繋がれた手は…、…あまり考えないことにする。
だけど途中から、そんな考えなどすっかり吹き飛んだ。
「パーヴェル様! あれ見てください!凄くないです!? ……え? でも、どうなってるんだろこれ? 勝手に動いてる?」
「自動人形だ。 動力は、…魔石か」
「じゃあこっちのキラキラ光る鳥が飛ぶ箱は?」
「手を翳してみればわかる、実体がないだろ? 箱の側面に魔法陣が描かれていて、魔力を流すと映像が流れる仕様だ。今はたぶんこっちも魔石を組み込んでるんだろ」
「へえ、ふーん、そうなんだ…」
「やあ嬢ちゃんの彼氏は詳しいな。どうだい? ひとつ買ってもらっちゃあ?」
「え?」
「ん?」
「彼氏…?」
「んん? そんなにしっかり手を繋いでいて彼氏じゃないのかい?」
不思議な言葉を聞いたというように目を瞬かせるニーチカに、久しぶりの街に興味を惹かれて覗いた店の主が、私の斜め下を指差す。
その店主の指先を視線で辿ると、私の手があり。私の手から繋がった先を辿ると、端正な顔が『何だ?』とニーチカを見下ろす。
「………」
ああ…、すっかり忘れてた。
ニーチカは慌てて手を離そうとするけど、放してもらえるはずがなく。
仕方なく今度は店主に説明する。
「違うんです! この人は……そうっ、弟です!」
「弟…? …嬢ちゃんの?」
「はい! 私の!」
「…弟…? …お兄さんではなく?」
「弟です!」
間違ってはない。けどそこまで強く訴える必要はなかったとちょっと思う。
きっぱり言い切ったあと、それでも首を傾げる店主の怪訝な目から逃げるように店から離れた。
「――ふぅ…、危ないとこでしたね」
「危ないことなんてなかったと思うが?」
私のホッとした声に少しだけ冷たさを含んだ返事が返り、ニーチカは顔を上げる。何故かパーヴェル様の眉がぎゅっと寄っている。
「…いえ、危ないっていうのは言葉のあやですけど…、……あの、パーヴェル様、何か怒ってます?」
「…いいや、別に」
「……?」
硬い声のまま否定を口にするパーヴェル様。どう見てもあまり機嫌がよろしくない。
疲れたのだろうか?
パーヴェル様はあまり人が好きな感じではないので、この人混みに酔ったのかもしれない。
そんなふうに結論づけたニーチカは人の出の薄い方へとパーヴェル様をつれて行く。
「パーヴェル様、ちょっとここで休憩しててください」
「は?」
「何かスッキリするもの探して来ますからっ」
「――いや、ちょっと待て…って、あ、おいっ」
どうやったのか、離れなかった手がすんなり放されて。
緑色の目が大きく見開かれるのを横目に見ながら、再び捕まらないようにニーチカは急いでその場を離れる。パーヴェル様が一緒に付いてきては休憩にならない。
そこにちょうど良く、私とすれ違うように長い金髪の人物が横切って、パーヴェル様の視界を遮った。 よし、上手いこと人混み紛れ込めた。
まあしかし、あまり長時間離れると探しにきてしまいそうなので、ちゃっちゃと済ませてしまおう。
スッキリするものなら、通り過ぎる時に見たフルーツ屋がいいだろうと、ニーチカは小走りで人混みの中を抜ける。
それにしても、さっきすれ違った人もそうだけど、よく見れば本当に金髪だらけだ。でもそのルーシェンカだという私がこんな茶色い髪で歩いてるのが、何だか申し訳ないというか。
そして金色で思い出す。そう言えば城を出て街に来てから、金の精霊さんたちの姿を見ていない。
随分と数を増やした精霊さんだが、今のところ私とパーヴェル様以外には見えていないらしく。なので常に周りを飛んでいても気にしてなかったのだけど。
( 精霊さんたちも人混みが苦手なのかな? )
そんなこと考えながら店で果実水を貰い、今度は走るわけにはいかないのでゆっくりと、でもなるべく急いでパーヴェル様の元へと向かう。
惣菜屋の角を曲がって、その先の靴屋の脇を抜けると、パーヴェル様のブルーグレーの頭髪が見えた。
「――ん?」
ニーチカは思わず足を止めた。
( んん? …誰か…、一緒にいる? )
パーヴェル様の横に人が見える。
誰だろう? 金髪の、女性のようだけど…。
何か話している様子だ。もしかして、ルーシェンカ様に扮した女性に絡まれてるのだろうか。
今いる場所からでは二人の表情ははっきりとは見えない。だけどパーヴェル様なら絡まれていたとしても甘んじて受けるとは思えない。じゃあ知り合いとか?
( でも、この世界に来てそれほど経ってないパーヴェル様に知り合い? )
と思うけど、私だって別に四六時中パーヴェル様と一緒にいるわけではない。だから私が知らない付き合いだってあるだろう。それがあの女性だとしても不思議じゃない。だけど、
何となくモヤモヤしたものがニーチカの胸に巣くう。
とはいえ、せっかく果実水を持ってきたのだからパーヴェル様に渡さないわけにはいかない。
…うん、絶対に渡すべきだ。
意味もなく気合をいれ、ニーチカは止めていた足を進める。――と、二人が同時にこちらを向いた。
ニーチカを認めたパーヴェル様はぎゅっと眉を寄せ。
金髪の女性の方は、金色の目を瞬かせた。
( うわぁ… )
と、いうのがニーチカ一番初めの感想。驚きを含んだ感嘆。
ルーシェンカ様と同じ金色の目。髪はカツラでどうとでもなるが目の色までは中々難しい。そしてちょっとびっくりするぐらいの美人だ。
気を取られたままふらりと近づくニーチカに、パーヴェル様がバッと手のひらを向けた。
「ニーチカちょっとそこで止まれ」
進めていた足が止まる。私の意思とは関係なく。
たぶんパーヴェル様によってなのだろうけど、言葉と同時なのでつんのめりそうになる。そういうことは事前に言って欲しい。
( …良かった、零れなくて )
手に持った果実水を見てホッと息を吐く。が、なんで急に止められたのか?
視線を戻せば二人は何か言い合ってるっぽい。けれどニーチカの耳にその会話の内容が聞こえてこないのは、これもまたパーヴェル様が何かしてるのだろう。
要するに私に聞かせたくない話ってことだ。再びモヤッとした気持ちが湧き起こる。
ググッと眉を寄せて見ていると、話は直ぐに終わったようでパーヴェル様がこちらに向かってきた。そして金髪の女性はというと。
パーヴェル様の背を追うでなく私を見ていて。その表情は――、
「ニーチカ行くぞ」
「――え? ちょっ、わっ」
ニーチカの視線を遮るように目の前に立ったパーヴェル様がくるりと私を方向転換させると、そのままスタスタと歩き去ろうとする。
「あ、あのパーヴェル様 、いいんですか、さっきの人は」
「さっきの? 誰もいなかっただろ」
「いやいやいや…」
そんなわけあるかい。あんな美人を誰もいなかったなんて。しかもパーヴェル様と並んでも遜色ないくらいの美人だった。そして、何故か私を見てとても艷やかに笑ったのだ。
……なんだろう? 私に対する宣戦布告的なものだったのか? 嫉妬とかそういうの。
だけどそんなの見当違いも甚だしい。パーヴェル様はただ姉大好きっ子なだけだ。
ニーチカはぎゅっと握りしめてしまっていた手の中のものに気づく。
ああ…、せっかく零さないように頑張ったというのに。零れた果実水がニーチカの手を濡らす。
そのことに、…いや、そのことだけでなく色々と意気消沈していると、気づいパーヴェル様が魔法で全く新しいものに交換してくれて手渡される。
思わず無言になる。
そもそもなんで私果実水を持って来たんだっけ?
と思いながら、喉の奥に詰まったものを感じて、それを遠慮なく一気に飲み干した。
**
随分と小さくなりはすれども消えることないモヤモヤを抱えたまま、祭典の日を迎えて城内は夜明け前から大変に慌ただしい。
といってもニーチカ自身はその慌ただしさの中には巻き込まれてはいない。
だって私はランドリーメイド……のはずだけど、前日に大臣様が直々にやって来てパーヴェル様が逃げないように見張っておくようにとの御達しを受けた。
だから私はランドリーメイドなんですけど…。
まずはパーヴェル様を起こそうと自分の部屋から出る。
いつも私が部屋を出る時間にはパーヴェル様も起きてくるのだけど今日は大分時間が早いのでまだ寝ているようだ。
そしてパーヴェル様は朝が苦手である。寝起きは大体少しボーッとしている。
取りあえず寝室の扉を軽くノックするが返事はない。ニーチカはちょっとだけ躊躇ったあと扉を開けた。
続きの間よりは少し狭い薄暗い部屋、掃除のために何度も入ってるので部屋の間取りは把握している。ニーチカは迷うことなく窓に近づきカーテンをさっと引く。――と、太陽はまだでも、日中とは違う澄んだ青い光が部屋に差し込んだ。 この感じでは今日も快晴だろう。
部屋が明るくなったことで、窓の外へと向けていた視線を部屋へと戻す。パーヴェル様のベッドの天蓋はまだ閉じたままだ。
さて、どうしよう? 流石に開けるのを躊躇う。
いやだって、花も恥じらう乙女だもの…と天蓋の横でモジモジしていると、閉じられた向こうから苦痛を訴えるような声が聞こえた。
「……ぅ、ぐ……」
「――え、パーヴェル様…?」
「く…、…っ…」
「ちょっ、パーヴェル様、開けますね!」
一応断りをいれてから天蓋を開けると、ベッドの上、目を閉じたパーヴェル様は苦悶の表情を浮かべていて、掠れた声が零れる。
「ル……シェン…、ど…こ…いる…」
『ルーシェンカ、どこにいる』
彷徨うように伸ばされた手を、ニーチカは咄嗟にぎゅっと握る。
パーヴェル様が今見ているのはルーシェンカ様の夢。本来なら幸せな夢になるだろうものが、こんなに苦しそうになるのは、それがきっとルーシェンカ様を失ってしまったあとのものだから。
ずっと忘れることは出来ないとパーヴェル様は言った。
私だというのに私にない記憶。
パーヴェル様の苦痛に寄り添えないということに申し訳ない気持ちになる。だけど、私の中の何処を探しても、分かち合えるものが全く見つからないのだ。何となくな、曖昧なものでさえ。
パーヴェル様は間違えるはずがないと言うけれど、ニーチカは思ってしまう。
『私は本当にルーシェンカ様なんだろうか?』と。
「………ニーチカ…?」
掠れた声がニーチカの名を呼び、重ねていた手が緩く握り返された。
「――あ…、おはよう…ございます、パーヴェル様」
「………朝…?」
「あの、今日は祭典なので、…少し早く」
「ああ…」
パーヴェル様は繋がってない方の腕を目の上に置き、返事の代わりに短い息を漏らす。パーヴェル様が朝に弱いのは、いつもうなされてきちんと寝れてないからだろうか。
そのまま静かになってしまったパーヴェル様。穏やかな呼吸が聞こえるのでまた寝てしまったのかもと覗き込むと――、
グイッと繋いだ手を引かれた。
( ――は!? )
気づいたらパーヴェル様に抱き込まれて布団の中。
「うわっ!! な…っ、何!? あああのっ、パーヴェル様!?」
「…ん」
「『ん』じゃないですよ!」
「まだ早い…、もう少し後で大丈夫だろ…」
「いやっ、準備があるんですよ!」
「…そんなの直ぐ終わる…、だからアンタも寝ろ…」
「――はあ!? いえ、あのっ!? ………え?」
頭の上から聞こえる規則正しい寝息。嘘…と思う。腕はガッチリと固められていて解けそうな気配はない。
「嘘ぉ…」
今度は小さく口にする。もちろん起こさないようにの小声だ。
本当は起こすべきなんだろうけど、チラと見上げたパーヴェル様の寝顔がとても穏やかだったから、忍びなくなって。
……仕方ない…、今の私は安眠抱き枕だ。それ以外ない、それ以外は考えない。
たとえ――、とても見目が良くて、何故か上半身が裸で、ダイレクトにその体温を感じてしまって、その温もりに物凄い羞恥をおぼえながらも、ギュッしがみつきたくなるソワソワとした衝動が起こっても、パーヴェル様は弟だ。
さっきルーシェンカ様じゃないと思ったことは一旦置いとこう。心頭を滅却するには『弟』というキーワードは大事。
( 心頭滅却…、心の安寧…、 )
………出来るわけない。
( よし、寝よう! )
パーヴェル様の提案に乗るわけではないが、それが最善で最後の手段。
そうだ、眠ってしまえば何も感じない。
そうと決まればあとは早い。ニーチカは自分とパーヴェル様の隙間にぎゅぎゅっと布団を差し込むと、寝床を整える。
そこに頬を当てたニーチカは割りとあっさりと意識を手放した。