8.
次、始めます。
六話です。
何事もなければ毎日更新します。
「はーい、精霊さんたちこちらに集合〜」
ニーチカの掛け声に、ふわふわ飛んでる金の光たちが広げた手のひらに集まり。次にそこで光ってもらえるよう頼むと、柔らかい光が辺りを照らして、簡易ランタンの出来上がりだ。
でも辺りを包む闇はなお暗く。
( さて、どうしよう? )
眉を寄せたニーチカは暗闇の中で思案する。
状況がわからない場合はむやみに動き回るのはよくない。パーヴェル様が探してるかもしれない……いや確実に探してるだろう。目の前で私が消えちゃったんだから。
しかもだ。
パーヴェル様の制止の声を振り切った上での現状。たぶん、絶対に、怒られる。どうしようか。
今度は違う意味の悩みが持ち上がりニーチカは更に眉を寄せた。
でも結局それについても今はどうにも出来ない、ここから出ない限りは。
そして動くに動けないジレンマで最初に戻る。
だだ幸いなことに、こんな暗闇な場所だというのに何故だか最初から光の精霊さんたちがいて。不思議と『怖い』という感情が湧いてこないのだ。
それで比較的悠長に構えてるわけだけど。
まずは、そもそも何でこんなことになっているか、からを話そう。
それは数日前に遡る。
**
勇者召喚から二ヶ月ほど過ぎた、洗濯物も直ぐに乾く盛夏。仕事は捗るが量も増えるので大変さは大して変わらないそんな時期。
ニーチカは大量の洗濯物を捌き終え、休憩でもしようと、慌ただしい本館を抜け部屋に戻る。
当然、一旦パーヴェル様の部屋を経由しなくては自分の部屋に戻れないので、扉を開けば部屋の主がいる。――と思ったけども、パーヴェル様の姿は見えない。
ニーチカはホッと安堵のため息を吐いた。
というのも、ここのところのパーヴェル様の態度がとてもいただけない。別に冷たいとか無視されるとかではなく寧ろ逆で。
口調は相変わらず割りと辛辣なのに、その態度が、眼差しが、緩くて甘い。
そう、甘すぎて辛い。
だって、私にはパーヴェル様と姉弟であった頃の記憶がないのだ。それなのにあんな見目の良い弟が急に出来た上に、そんな態度を取られたらいけない方向に揺らいでしまうじゃないか。
本当に、過度なシスコン振りを発揮するのは止めてほしい。
いないなら幸いだと自分の部屋に続く扉に向かう途中、バルコニーからパーヴェル様が姿を見せた。ニーチカの背がビクンと伸びてしまうのも、そういったことで仕方ない。
パーヴェル様は何の説明もなくニーチカの手を取ると再びバルコニーへと出る。
「何だか騒がしいが何の準備だ?」
そう尋ねるパーヴェル様の部屋は三階で、連れて来られた先からは中庭が見下ろせた。そこでは大勢の人間が慌ただしく動き回っている。
「ああ、あれは蒼天祭の準備ですよ」
「そうてんさい?」
「蒼い天の祭り、です。青空を取り戻してくれたルーシェンカ様に感謝する祭り、…なんですけど…」
パーヴェル様に説明していたニーチカは途中から何とも言えない顔になってしまう。
だって、ルーシェンカ様を讃える祭りとなれば、それは自分を讃える祭りだということになる。まあ記憶のない私にとっては未だ別人であると、割り切った気持ちであるのだけど、パーヴェル様はそうはならない。
「…ふうん」と零すパーヴェル様を見上げれば、中庭に向いていた視線は私を見ていて、何となく生暖かい眼差しが居心地悪い。
「あの、えーっと、前夜祭と二日間あって。城で催される祭典はあんまり面白くないんですけど、街の方では今日から一週間ほど屋台とか露天が並んで賑やかで楽しいですよ。パーヴェル様も覗いて来てはいかがですか?」
ニーチカは取られたままだった手をさり気なく放し、街の方を指差し言う。よし、自然だ。
その指につられるように街の方角を見たパーヴェルは、「祭りねぇ…」と零す。その横顔を見るにあまり興味はなさそうだ。
( …あれ? でも? )
と、ニーチカは思う。
「パーヴェル様に誰か話しに来ませんでした?」
「話? …とは?」
「蒼天祭はルーシェンカ様の祭りですが、当然勇者様も引っくるめなので。それに当の勇者様が現在はいらっしゃるんですから祭典には出席が当たり前かと」
「ああ…、…何かそんなことを言ってたな」
物凄くどうでも良さそうだ。
でもそれならばニーチカとしてはパーヴェル様には絶対に出席して欲しい。
「じゃあ是非とも! パーヴェル様が出席すれば皆んな喜ぶと思います!」
「俺にこの国の奴らを喜ばせる理由はないが?」
「私も喜びます!」
「……、…アンタが言うなら出るくらい別に構わないが、…偉く食い気味だな?」
「あ、いえ、あの…」
「理由は?」と笑顔のパーヴェル様。動機はとっても不純だったりするので思わず言い淀むが、ここは公正であるべきだ。
「あの、祭典では正装するんです。もちろんパーヴェル様がですが」
「ふうん?」
パーヴェル様は『だから?』という様子。流石にこれだけでは伝わらない。
要するに勇者であるパーヴェル様は、正に!という感じの、騎士の礼服を纏うのだ。それが見たい!
と、若干熱量のこもった感じで伝えれば、パーヴェル様は緑琥珀の目を軽く瞬いたあとに、緩く微笑む。
「そんなの、毎日でも着てやるのに」
「いえっ! なるべく遠くから、眺めていたいのでっ!」
ニーチカは全力で遠慮する。
普段からそんなことをされた日には私の生命が危うい。
美しいものは三日で飽きると誰かが言ったがそんなのは嘘だ。正装のパーヴェル様が常にいるなんて、三日経つ前にこちらが死んでしまうこと確実だ。
それにもうひとつ是非見たい催しがある。
「あの、それと、選ばれたルーシェンカ様が一緒に出るんです。パーヴェル様の横に並んで。 ほら、美男美女が揃うんですよ? 是非とも拝みたいと思うじゃないですか」
「…は? ルーシェンカ? 選ばれた?」
「はい、勇者様と聖女様が常にいるわけではないので毎年その役を担う人が選ばれるんです。選定基準はもちろん美しさですね。そりゃあ容姿端麗でなければ皆んな納得しないですから!」
でも今回勇者は本物で、その基準を満たし過ぎてるパーヴェル様がいるわけで。
つまり、今回の聖女様選定は熾烈な戦いになっただろうと推測される。誰に決まったかは知らないけど。
そんなニーチカの力説にパーヴェル様はぎゅっと眉をしかめる。
「本人がいるのになんでそんな奴が必要になる。ニーチカが出ればいいだろう」
「いやっ、いやいやいや、無理ですよ!? そんな衆目に晒されるなんて」
あり得ない。あり得なさ過ぎる。しかも隣りにはパーヴェル様とかどんな拷問だ。そう考えれば今回の聖女様役は気の毒に思う。
「衆目か…、…確かに、それは必要ないな」
「でしょう! そうですよ!」
何がどう必要ないかはわからないが、ここは乗っかっておこう。必要ないと言うんだから。
小さく納得の息を漏らしたパーヴェル様は「それじゃあ――」と続ける。
「今から街に行くか」
「でしたら私はもう部屋に戻って休憩しますね」
「は?」
「え?」
ニーチカの言葉にパーヴェル様は怪訝な顔を返し、私も同じ顔を返す。
「…何言ってる? アンタも行くぞ」
「は、え? …でも私午後からも仕事が」
「そこはあの男に言っておく」
「あの男…」
あの男――と、パーヴェル様がいう人物はたぶんあの偉い人だ。
見事な食事制限をやり遂げて今は随分とスリムになった国務大臣様。働きやすくなったとパーヴェル様に感謝してると言うが。
どちらせよパーヴェル様がそう言った時点で午後の仕事はなくなったも同然である。なんたって勇者様第一であるから。
そう遠くないうちに私のランドリーメイドとしての職はなくなってそうだ。今だってほぼ腰掛け状態、居ても居なくても対応出来るようになってしまっているというのに。
これからの先行きにニーチカは思わず遠い目になる。
――が、取りあえず午後からはパーヴェル様と街を散策することが決まった。
街へ出るにあたって、ニーチカはメイド服から簡単なワンピースに着替え、横のパーヴェル様はいつもと変わらない格好。でも素材がいいので何を着ても目立ってしまう。
「ちょっと貴方、いい男だねー、うちでお昼食べてかないかい? 貴方なら無料でもいいよ」
「そこのお兄さん、観光ですか?お仕事ですか? 良ければ一緒にお茶しませんか?」
「あんた!今日だけうちで働かないか! あんたならナンバーワン間違いなしだ!」
いや何が? と思いながら、ニーチカはパーヴェル様に向かって馴れ馴れしく話しかけてくるオジサンに横から「ごめんなさい」と断りをいれ、眉間に深い山を刻んだパーヴェル様を路地の方へと引っ張って行く。
まあ予想していた通りの状況なので別段慌てはしない。
はあ、と大きなため息を吐いたパーヴェル様にニーチカは言う。
「パーヴェル様、フードを被るか認識阻害って魔法をかけた方がいいと思いますよ」
「ああ、そうだな、そうする」
急にゲッソリとした顔になったパーヴェル様は素直に頷いてパチンと指を鳴らす。
たぶんだけど魔法の方。でも見てる限りパーヴェル様に変化はない。
( んん? )
私もパーヴェル様に教わって自分自身にはかけれるようになった。けれど使ったことなどなかったのでそれは初めて見るわけだけど。
「あの、パーヴェル様? 何も変わってないように見えますけど?」
「そりゃあそうだ。アンタにまで効果が及ぶ必要はないだろ?」
「なるほど、確かに…」
でも、別に私にもかけてくれて良かったと思う。その方が私自身も気楽な気持ちで街を見て回れるのに。
――と、繋がれた手を見て思う。
言うように、魔法はきちんと作用してるようで、街を歩いても絡まれることはなくなった。
ただ私の目に映るのは、変わらずそのまんまのパーヴェル様で。
ブルーグレーの髪をさらりと風に揺らし、涼やかな美貌の人物が私の手を取って柔らかな表情で横を歩くのだ。そんなの、こっちの情緒が乱れないはずがない。
( 私だけ挙動不審とか… )
何とか平穏を保ちながら街を歩くが、これは早々に意識を違うことに逸らす必要がある。
「そういえば、パーヴェル様は何か見たいものとかないんですか?」
「見たいもの? ……まあ、別にないな」
「でも、パーヴェル様が街に行くって言ったんですよ?」
「それはニーチカと街を歩きたかっただけだから」
「――んぐっ」
ニーチカの喉が変な音を立てる。逸らそうとした意識が凄い勢いで戻ってきた。なんて見事なブーメラン。
( いやいやいや、パーヴェル様は弟だ、ちょっと…、…いや、かなり姉想いなだけの弟だ、そう、弟… )
心の中で呪文のように呟く。平常心平常心と。
そんなニーチカの動揺をよそにパーヴェル様は私の手を引いて、店の軒先に並べられた席のひとつに座らせると店員から飲み物を受け取る。
「ほら、ニーチカ」
渡されたのは冷たいアイスティー。ここは素直に受け取り喉を潤す。少しだけ心が落ち着く。
あれ? もしかして、私が喉を詰まらせたとでも思ったのだろうか?
目の前に座るパーヴェル様を見ると、「何だ?」と言うように緩く目を細めるから、ニーチカは直ぐにまた視線を伏せてしまう。
こんなの、本当に無理過ぎる。
傾いてゆく心を止める魔法があるなら是非とも教えて欲しい。
でも教えてもらえそうな相手がパーヴェル様な時点で詰んだ。どうにもならない。そんな話出来るわけない。
姉が弟に恋情的なものを抱いてるなんて。
あとは物理的に私が離れればいいことなのだろうけど、それもきっと簡単にはいかない。パーヴェル様の力を持ってすれば逃走したところで直ぐに見つけられるし、逃走の前の段階で計画自体を潰されそうだ。
何とも厄介で迷惑なシスコンだ。同じ慕うという気持ちでも決定的に違う。その言葉の振り幅の広さに泣きたくなる。
いつか、…そういつか。パーヴェル様のルーシェンカ様を思う気持ちを上回る相手が現れば、私の気持ちにもケリがつく。
だからそれまでは、パーヴェル様の一番を享受していてもいいだろうか? どうせ叶わぬものなのだから。
ゆるゆると窺うように顔を上げると、パーヴェル様は机の上に頬杖をついてこちらを見ていた。私の葛藤による百面相がしっかりと観察されてたもよう。
目が合うとパーヴェル様は小さく笑う。何のてらいもないごく自然な笑み。
それが今はニーチカだけに向けられている。
前には関心なんていらないと思っていたのに、自覚した心は、それを嬉しいと思ってしまう。なんとも現金なやつだ。
パーヴェル様の手がスッと伸びて、机の上にあったお皿が私の方へと押しやられる。
乗っているのはクリームがたっぷり盛られたパンケーキ。…いつの間に。
心の方は抵抗を諦めてはいないけど、食の欲求に関しては割りとあっさりと陥落している。
皿の上のパンケーキは完全に好みのもの。店のメニューにはない、たぶんパーヴェル様が作ったものだ。
料理さえも完璧なのだからそりゃあお付の人間なんていらない。もちろん私という人間も。
「…美味しいです」
口の中で広がる優しい甘さにニーチカが頬を緩めながらそう伝えると、見守るパーヴェル様は同じくらいに甘い顔でふわりと笑った。