6.
急に肩を落とし意気消沈した私に気づいたパーヴェル様が、直ぐにその理由も察して濡れた洗濯物を全部やり直してくれた。もちろんその場から動くこともなく、魔法であっさりと。
とても有難いことだけど、何となく理不尽な思いに駆られてしまうのは否めない。
気絶が先か、骨折が先か、倒れた男たちは「ほっとけばもう直ぐ兵士が来る」と言うパーヴェル様の言葉を受けて、取りあえず放置でその場を離れた。
移動した先はパーヴェル様の部屋。座っててと言われて、ニーチカはいつもの定位置に座る。もう慣れたもんだ。
移動に伴い一緒について来た小さな金の光はいつの間にか数を増やしていて、私の周りをふわふわと飛び回っている。
指先を上げると一番大きな光がそこに止まった。ジッと見つめていると、まるで話しかけてるかのように瞬く。
「煩わしかったら消そうか?」
一旦席を外していたパーヴェル様が戻って来て言う。その発言に、金の光は今度はチカチカと忙しなく瞬いた。たぶん抗議だろう。
「えっ、でもこれって、精霊さんですよね?」
「だとしても邪魔なら別に。虫見たいなもんだし」
「虫って…」
「ああ、昔からルーシェンカの周りをブンブン飛び回ってたから」
眉を寄せたパーヴェル様は周りを飛ぶ光たちを手で追っ払うと隣に座り、今度は指先に止まっていた光を指で弾き飛ばした。
( ―― ん? )
ここは、ぞんざいに扱われた精霊さんたちを心配するべきところだ、だけどそれよりも。
( ち…、近くないですかっ!? )
パーヴェル様の定位置は向かいのはずである。だというのに、真横に座った?
ニーチカはビクンと背を伸ばし距離を取ろうとする。そんなニーチカの手をパーヴェル様が素早く掴んで手のひらに何かを乗せた。
見覚えのある手作り感満載のそれ。
「…御守り…」
「落ちてた」
「…あ、はい、千切れてしまって」
せっかくパーヴェル様がくれたものを一番必要な時に使えずに、その上で助けられてしまうとは。パーヴェル様の手を煩わせたことにニーチカは頭を下げる。
「すみません、せっかくいただいたのに活用出来ないで…。 ――あ、それと、助けていただいてありがとうございます」
そういえば言っていなかったと感謝の言葉を付け足し、そしてパーヴェル様が隣に座ったのもこれを渡す為かと納得した。
じゃあ用事も終わったことだし、パーヴェル様も離れるだろうと思った――のだけど。
待てどもなかなか距離は開かない。
その間も頭を下げたままのニーチカの、その伏せた視界の中にスッと手が映り込んだ。
「目線の合わない会話は好きじゃないって何度も言ったと思うんだけど?」
そう声が聞こえて、「――あっ」と声を上げる間もなくパーヴェル様の手がニーチカの顎を捕らえて顔が持ち上げられる。
目が合ったパーヴェル様は物凄く笑顔だった。
その笑顔に見惚れている間に、顎から離された手ともう一方の手が私の両耳に触れる。――途端ピリッとした痛みが走った。
「――!?」
「これなら大丈夫だろう」
「いやっ、え、あの…、パーヴェル様っ、今…、何かしました?」
「ああ、新しい御守りを、付けた」
「御守り? …付けた?」
「アンタは指輪とかブレスレットだったら邪魔だと外してしまいそうだし、ネックレスならまた千切れるかもしれない。でもそれなら大丈夫だろうと」
「……それ、とは…?」
恐る恐る尋ねるニーチカに、パーヴェル様は目の前の空間に指で丸く円を描いた。その円が鏡へと変わる。
「どうぞ」と促され、咄嗟に手で覆って隠した両耳を鏡で確認する、――と。
両耳にはキラリと光る小さな石があった。色はもちろんパーヴェル様の目の色と同じ、緑琥珀。それがニーチカの両耳を飾る。
既に痛みもないし、違和感も覚えないが。
「……………あの」
「保護と防御と反撃はもちろん、攻撃も出来るようにしといた」
「……………御守り、ですよね?」
「ああ、御守りだ」
何か物騒な効用が増えてしまった。が、そこはもう触れないでおこう。もらった御守り(一号)を落としてしまった私も悪い。というか、確実にそのことに対してのゴリ押しだと、あの笑顔が物語っている。
なので「ありがとうございます」とだけ、微妙に頬を引き攣らせながらも伝えた。
「――それで、ニーチカはどうしたい?」
パーヴェル様が改めて言う。
急に何の話だろう? とニーチカは目を瞬く。ちなみに現状もパーヴェル様は横に座っている。そこは…、まあ、もういい。
「え…、どうしたいとは…?」
「この城の奴らを全部殺ってしまう?」
「やって…?」
「別に国ごと潰してもいいけど?」
「え…――えっ、国を潰す!? ど、どうしてそんな話にっ!?」
驚くニーチカに、パーヴェル様も目を瞬かせる。
「そんなの、やられたらやり返す、当然だろ? 自業自得の結果だ」
「いえっ!全然当然じゃないですからっ! それに、もうパーヴェル様がしてくれたじゃないですか」
警備兵に突き出すだけだと思っていたのが、骨折なんていうオプション付きになってしまった。こちらの傷など数日も経てば治るものなのに。
自業自得というにはあまりにも不憫過ぎるとニーチカは眉尻を下げる。……が、実際には骨折は骨折でもバラバラの粉砕骨折であるので、下手すれば二度と元には戻らないだろうことをニーチカは知らない。
そんなニーチカにパーヴェル様は緩く目を細めて言う。「アンタは本当に変わらないな」と。
そして続ける。
「だけどあれはただの実行班であって首謀者は別にいる。それをどうにかしない限りは終わらない」
「首謀者、ですか…」
ニーチカはぎゅっと眉を寄せる。
確かに、きちんと話をしないと終わらないのかも知れない。でも出来れば穏便に済ませたいと思う。首謀者たる同僚の誰かは、ただ私が邪魔だっただけなのだ。それが行き過ぎてしまった。
「……あの、でも、大袈裟にするのはどうかと思うんです。首謀者の人もそこまでのことは考えてないだろうし、だから私がきちんと話しをつけます」
「話を? アンタが? 首謀者と…?」
「はい、同僚ですし話せば何とかなると思います!」
はっきりとそう言い切ったニーチカ。途中怪訝な顔をしていたパーヴェル様だったが、最後には感心してくれたのか、ゆっくりと深い笑みを浮かべて頷いた。
「………わかった。 じゃあまずはニーチカに任せるよう。でももしそれで決裂した場合は俺が代わるから、その際は俺の好きなようにさせてもらう」
「え? …あの、えっと…?」
この件は私に関することなのに、何故パーヴェル様がそこまで拘るのだろう? けれども助けてもらってる以上あまり拒否するのもあれだ。
「あの、穏便な方向でしたら…」
「………ああ、 穏便にね?」
「……はい」
見惚れるほどの笑顔なのに、何となく不穏を覚えるのは気のせいか。
しかし、ここまでお膳立てをしておいて、その肝心な首謀者が誰であるかをニーチカはわかっていない。
なのでまずは心当たりをあたってみると言うと、パーヴェル様は「それは必要ない」と答える。
「誰かはわかってるから」
「え?」
「なんなら今から呼び出す」
「ええっ!?」
驚く私を尻目にパーヴェル様はソファーから立ち上がると部屋の中に適当に置かれていたピカピカの剣を掴む。……たぶん聖剣だ。
それを手に取ったパーヴェル様は部屋の中の何もない場所に立つと、聖剣の先で床をトンと突いた。
床に、パァーっと光る魔法陣が浮かぶ。術者の髪色と同じ青銀色だ。パーヴェル様が先に言ったように、人を呼び寄せる為の、所謂召喚魔法――なのだろう。
その光が消えて魔法陣の中に現れた男は食事中だったのだろうか、手にフォークとナイフを持っていて。椅子に座っていたはずの体勢から椅子が消えたのだ、当然に男の丸い身体は床に転んだ。
「――はっ!? な…っ、 勇者様!? どうしてここ…、…いや、何故私がこんなとこにっ?」
「ああ、ちょっと用があってね」
「そ、それならば普通に呼んでいただければ良いではないですかっ!」
「へえ…普通にか。 てっきり召喚魔法で呼び出されるのが好きなのかと。 お得意のようだしな」
「そ――、そんな、ことは…」
苦い顔でモゴモゴと口を濁しながらも男は立ち上がり、サッと居住まいを整える。立ち直りの早さは為政者ならではか。
「それで勇者様、私に用とはな――、」
男はパーヴェル様と向き合い言葉を続けようとして。
唖然とした顔で男をみているニーチカに気づいた。
「………なんでお前がここにいる?」
前にも聞いたセリフを口にした男は驚いたように目を大きく開き、直ぐにぐっと顰められて、ニーチカは急いで立ち上がると頭を下げた。
偉い人とは目線を合わせてはいけない。それは下級使用人の鉄則だ。
頭を下げたニーチカの先にいるのは、国務大臣だとパーヴェル様から聞いた男。こちらこそなんでこの人がここに? とは思うが、パーヴェル様がこうしてこの人を呼び出したってことはつまりはそういうことだ。
……同僚ではなかったらしい。
疑ってしまったことに申し訳ない気持ちが湧く。
頭を下げながらついでに肩も落とすニーチカを見てか、低い声が男に向かった。
「用があるからだと言ったろ?」
「は、まさかこの娘が私に?」
「………」
馬鹿にしたような男の声にパーヴェル様の無言が落ちる。何だか部屋の気温も落ちた気がする。
――と、男が慌てたように声を上げた。
「わ…、わかった! 話を聞く! ――おいっ、娘!」
「は、はい!」
「さっさと用件を言え」
「えっ、あ、はい、あの…でも」
「いいっ、顔を上げろ!」
許可を得てニーチカは素早く顔を上げる。もたもたしてるとまた何か言われそうだったし、このまま見なかったことにするにはパーヴェル様に言い切ってしまった手前示しがつかない。
だったら潔く腹をくくろう。
「あのっ、大臣様が私を襲わせたのですか?」
「…はあ? 何故私がお前などを襲う必要がある?」
「それは私が邪魔だったから…」
「邪魔? 私がお前を?」
男はハッと鼻で笑う。
「下級使用人ごとき邪魔ならば辞めさせればいいだけだ」
「それは確かに」
思わず頷いてしまった。が、あの二人の男が言ってたではないか、『勇者のお気に入り』『しかもそのせいで』と。
結局はパーヴェル様ありきなのだ。
「…パーヴェル様が私に構うからですか?」
「どうでもいいことだな。勇者様の趣味を疑うが」
「趣味を疑うって…」
「まあそうだろう。何故お前などを気に入るのかと。教養のある者、容姿の優れた者を揃えたというのに、それを追いやってお前とはな!」
「………」
おかしい。なんで私が貶められてるの? 明らかにとばっちりだろう。
大体理由は極めて単純で私がルーシェンカ様だからだ。それだけ。
これはもうルーシェンカが大好きなパーヴェル様が悪い。こんなの誰を充てがおうとも――…、
( ……あ… )
ニーチカはハタと気づく、
「…そうか、邪魔とかでなくて…、私を、人質にでもしようとした、とかですか?」
パーヴェル様のこの国に対する感情はとても冷ややかだ。冷ややか過ぎて『あれ、勇者って?』と首を捻る場面も多い。
そのパーヴェル様が唯一気に掛ける相手が私なのだ。
下級使用人で、どうとでもなる人間。国としては大いに使える――駒。
「何を馬鹿なっ! 先ほどからいい加減不敬ではないか? 大体なんの証拠があってお前は私を糾弾している!」
「それは――」
パーヴェル様が連れてきたから貴方が首謀者ですよね、なんて言えない。
助けを求めるようにパーヴェル様を見る。目が合ったパーヴェル様はそれは素晴らしい笑顔をくれる。
「話にならんなっ! 全く時間の無駄だ!」
「あのっ、でも――っ」
「私は忙しいっ! もう戻らせてもらうぞ」
「あっ!」
男は扉へと向かい、私はもう一度パーヴェル様を見る。これはやはり決裂ってことだろうか?
笑顔を深めたパーヴェル様にもう少しだけ待ってくれと言おうとした、けれども。
先に向こうの口が動く、『時間切れだ』と。
――バチィッ!と、鋭い音がする。
「っ痛…!!」
扉の取っ手に手を掛けた男は、音に弾かれたように元の場所まで転がった。
「――なっ、何だ! 何事だ! 襲撃か!?」
手を押さえ痛みに顔を歪めて動揺を見せる男。その傍らへとパーヴェル様は身を寄せた。
「言うのを忘れてた。この部屋の扉は悪人を弾くように術が掛けてあるんだった。だから魔法で呼んだんだったよ、すまないな」
ちっともすまないと思ってなさそうな顔でパーヴェル様は言う。そして直ぐに身を起こすと冷めた目で男を見下ろした。
「とても馬鹿げていて拙い企みだよな? 」
「な、なんのことです」
「バラバラに指示を出せば自分にはたどり着かないとでも?」
「だからなんのことだと!」
声を荒げる男に、パーヴェル様は一文一句をはっきりと区切るように告げる。
「対象を孤立させる。ある一角から人払いをする。男たちには遠くへ連れさる指示をだし。そこから先は次の指示を受けた者が待つ。…そんな感じか?」
「先ほどから勇者様が何を仰ってるのか私には――」
鞘付きのままの聖剣が、ダンッと男の目の前に落とされる。
「わかってもらう必要は俺には全くないんだけどな。彼女が対話を望むからそうしただけだ」
「……は、」
「だから必要ないというならそうしよう。欲しいものは手に入ったし、この国がどうなろうともしったこっちゃない」
「そ…、それは…」
パーヴェル様の身体からゆらりと立ち上った圧倒的な何かに、男は息を飲む。ついでに私も。
それはたぶん本能が感じる恐怖。絶対に敵わないし、触れてはいけないものだと。
怖いと、感情は伝えてくるのだけど、それと同じくらいこの圧倒的なものに従いたいとも思う不思議。パーヴェル様に目を奪われる。
「お前たちは俺に手綱をつけるつもりでいただろうが、やり方を間違えた」
いくつもの魔法陣がパーヴェル様にの頭上に展開する。天井はいつの間にかなくなっていてそれは空まで続く。
「お前たちが手綱だとしたものは、俺の唯一で逆鱗だ」
と、もう一度パーヴェル様が聖剣を床に打ち付ける。
すると頭上に展開していた魔法陣は青銀の光を放ちながら回転しだした。
まるで光のイリュージョンのようである。
その光景に見惚れてしまっていたニーチカはハッと我に返った。
( ――いや、穏便とは!? )
これが見たままの綺麗な光景であるだけならいいが、どう考えたってそうじゃない。
パーヴェル様が施したのか、光の精霊が施したのか、自分の周りにいつの間にか出来ていた金色の幕をグイと押しやりパーヴェル様と男の間に割り込んだ。
そして声を上げる。
「パーヴェル様っ、お昼ご飯しましょう!」
「……………………は?」
流石のパーヴェル様も唖然とした顔をするが、私も何言ってんだ?と思っている。
だけどこの状況を打破出来るような良い言葉が今の一瞬でそう簡単に見つかるはずがない。
咄嗟に出た苦肉の策、いや、言葉だ。
人間お腹が減っていてはまともな思考回路を維持できない。幸せ回路だって満腹によって満たされるものだ、たぶん。
折しも男が現れた時に持っていたフォークとナイフをみるに丁度お昼時間なのだろう。
パーヴェル様は私を見下ろし数度目を瞬かせたあと、「……は」と息を零した。
「…はは、ふっ…、あはははははっ」
聖剣を杖のように使いパーヴェル様はしゃがみ込んだ。大笑、そして時折むせる。
代わりに私の感情はとても複雑だ。何か大事なものを失った気もするし、けれどさっきまであった魔法陣がきれいさっぱりなくなっていることに安堵もする。
もやもやを吐き出すように深く呼吸をすると、やっと笑いをおさめたパーヴェル様が立ち上がった。
「…じゃあ、ジジ鳥のグリルにクリームパスタなんてどうだ?」
まだ少し笑いを滲ませたままのパーヴェル様が提案するメニューは、見事にニーチカの好物である。
伝えたことなどないので、もしかしてたらルーシェンカ様から引き継いだものなのかもしれない。まあ一応本人らしいけど。
少し和んだ空気に、何となくこのまま終わればいいなぁと思っていたのだけれど、パーヴェル様は忘れてはいなかった。
腰を抜かして唖然と座り込む男に向き直ったパーヴェル様は、少し考える素振りで男を見下ろして。
「そうだな、ニーチカのおかげでいいことを思いついた」
「…私の…?」
「ああ、穏便にだろ?」
「…はい、そう、ですが…」
不安しかない。
眉を寄せて見守るニーチカの前で、パーヴェル様はとても小さな魔法陣を描くと、それをさらに小さく圧縮して、男の呆けて開けっ放しの口の中にノーモーションで放り込んだ。
「――!?」
「えっ!?」
驚いたのか、男の喉がゴクリと動きそれを飲み干す。
ニーチカは目を剥く。え、まさか、毒!?
焦った男は青い顔でハクハクと口を開き、声にならない声でパーヴェル様に助けを求める。
「毒じゃないし、死にもしない」
パーヴェル様はそう答えるがどこか楽しげで、男と共に何故か私も張り詰めた面持ちで暫く待つが、確かに何も起きない。
とはいえパーヴェル様の言動からすれば全く何もないはずはない。「わ、私に何をっ」と喚く男にパーヴェルは面倒くさそうに答える。
「お前が仕事をしやすいようにしてやっただけだ」
「は…?」
「直ぐにわかる。それから――、」
一度言葉を切ったパーヴェル様は、凍えるような気配をその端正な顔に浮かべて。国務大臣であり、この国でも上部の人間である男はヒッと息を飲む。
「二度はない。 忘れるな」
冷たく言い放ち軽く払うように手を振ると、男の姿はパッと一瞬で部屋から消えた。