5.
『何やってんだ、お前ら?』
そう問いかけられても、地面に押さえつけられたように這いつくばる男たちは呻き声しか上げられない。
その問いかけた側、そして彼らをそんな状況にしただろう本人――パーヴェル様は、冷えに冷えた眼差しでそれを見下ろす。
「…答える気はないと?」
「ぐうぅっ…」
「…なら仕方ないな。 取りあえず死んどくか?」
「うぐっ!?」
「ぐがぁ!?」
「ええっ!?」
男たちと揃ってニーチカも驚きの声を上げる。
いやいや、冗談ですよね?
『取りあえず』で人を殺めるのはどうかと思います。
「――あ、あのパーヴェル様?」
私を背後から抱きとめる形のパーヴェル様。よく考えると完全にゼロ距離だった。
その状態を解除するつもりと、今の発言の真意を尋ねるつもりでパーヴェル様を見上げる。――と、男たちに向けていたパーヴェル様の冷え切った緑琥珀の目がニーチカへと方向を変えて、途端に日差しを受けた新緑のように綻んだ。
( ――は? )
ニーチカは唖然とする。え、何それ、と。
パーヴェル様が向けた目にあるのは、今まで見せたことのない柔らかな色。
「ニーチカ?」
「…は…、…え?」
「何?」と問いかける声まで柔らかで。むしろどこか甘い。
「え…? は…、えっ? ――あ、あのっ…?」
自分が何を言おうとしてたのかも忘れてあわあわとしていると、パーヴェル様の眉間がきゅっと寄った。
あ、通常運転に戻った? と、思ったのだけど。
パーヴェル様の片手がスッと上がり、ニーチカの頬に軽く触れた。思わず顔が歪む。
そういえば忘れてた。ぶたれてたんだった。
「痛むか?」
「あ、いえ、…忘れてました」
そりゃもうすっかり。パーヴェル様の言動のせいで。
今も、パーヴェル様の指先は冷たくて気持ち良いが、何この触れ合い? と思ってます。
「俺自身が怪我なんてしないから治癒は得意ではないんだ、…すまない」
「え、や、え…?」
「でも痛みを取るだけなら」
「え…、――ひぇっ!」
そう言ってパーヴェル様が頬を撫でるから変な声が出た。いや確かに、頬にあったドクドクと脈打つような熱はなくなったけど、むしろ本来一番脈打つ心臓はドンドコいってるし、頬だけでなく顔全体が熱い。ある意味悪化した。
「…当たり前だけど傷は消えないな…」
パーヴェル様が瞳を伏せ小さく零す。
そこには後悔だとか自らへの諦念的なものが窺い見えてニーチカは慌てた。痛みがなくなっただけでも充分なのだから。
だからそう伝えようとしたのだけど。
「……で、どう落とし前をつける?」
「…え…?」
パーヴェル様の問いかけは私にではなく。
再び戻った凍えるような視線に晒されたのは地面に這いつくばったままの男二人。
こちらもすっかり忘れてた。
「ニーチカを殴ったその腕をもぐか、そんな考えに至った頭をもぐか、どっちを選ぶ?」
「う…っ、うぐぅ…」
取りあえずの死、から選択制になったとは言え物騒でしかない提案を、それが当然のようにパーヴェル様は告げる。いや、おかしいですって!
押し付けによる圧迫で声が出せないのか、それとも声自体を塞がれてるのか。苦悶の表情で呻くだけの彼らに代わりニーチカは慌てて声を上げた。
「――ちょ…っ、パーヴェル様!?」
私の呼びかけに「ん?」と向けられるものはやはり柔らかく穏やかで。
さっきまでの言動の落差よ。本当に一体何があったのか。思わず遠い目をしてしまいそうになるがそうじゃない。
「お、落とし前って、もし私の為とか言うなら止めて下さいっ」
「何故?」
「何故…? …いえ、だって、私は全くそんなこと望んでませんからっ」
「……まあそうだろうな、俺が知っているアンタならそう言う」
フッと小さく笑みを刻んでパーヴェル様は言う。なんだか微妙に違和感を覚えるニュアンスであったが、まあいい。ニーチカはたたみかける。
「だったら、そんな物騒なことなんてせずに警備兵に引き渡して下さい」
「嫌だ」
「へ?」
「ニーチカがそれでいいとしても、俺の気がすまない」
「は?」
「そりゃそうだろう。一番大事で一番大切な人間が傷つけられたのだから、何かしらの報復は受けてもらわないと」
「――ふあっ!?」
今なんて?
動揺した為にどうやったのか覚えてないが、パーヴェル様の腕から抜け出た私は跳ねるように距離を取り、その様子を瞬きを持って眺める秀麗な顔を見やる。
「な…、なな、なんか、不思議な言葉を聞いたんですけどぉ!」
「不思議?」
「一番大事とか、大切とかぁ!」
「ああ…。でも、別に不思議でもなんでもないが?」
「はいっ!? …や、でもそれはルーシェンカ様に対してでしたよね!?」
「だから間違ってないだろ」
「はあ!?」
大変だ、パーヴェル様が乱心だ。ルーシェンカ恋しさに血迷ってしまった。私はただ細く血の繋がりが残るだけの子孫なのに。
( ………いや…、待って、そうか… )
ここでニーチカははたと気づく。この遠征先で何かしらがあったのではないかと。
予定よりも随分と早い帰還だったし、ルーシェンカ様絡みで、パーヴェル様の情緒を乱す何かを見つけたか起こったか。
「パーヴェル様、取りあえず落ち着きましょう。お話は聞きますので」
「いや、俺はこの上なく落ち着いてるし、話は…、……ああそうだな、ちゃんと言ってなかったな」
状況が状況だっただけに先走り過ぎた。と、小さく零したパーヴェル様はせっかく離した距離をあっという間に詰め、今度は正面からニーチカと向き合う。
「ニーチカ」
緑琥珀の瞳を緩く細め、同じく緩やかに持ち上がった口から零れる声で甘く私の名を呼ばれて、ニーチカはビクリと身を揺らした。もちろん動揺からだ。
だって端正で美貌の主にそんな声で呼ばれればそうもなる。けど。
( おかしいです! おかしいですからっ! )
確かに、私に対してはそれほどキツい態度も冷たい態度も取ることはなかったけど、こんな甘やかな雰囲気だってなかったはずだ。
( どうして!? なんで!? )
こんな、まるで、…そう、まるで愛しいと言ってるような眼差しなんて…。
( ……いや…、いやいやいや、 )
そんなわけない。馬鹿げたことを考えてしまった自分に大慌てで首を振る。そして顔を上げるけど目の前のパーヴェル様の眼差しに変化はない。むしろ至近距離で視線が合ったせいか、余計にその目の色が良く見えた。
「アンタは確かに俺にとって一番大事で一番大切な人であることに間違いない」
「…や、でもそれは…」
「一応、神は神であったわけだ」
「……神?」
なんで急に神様が? ニーチカは首を傾げる。
いつの間にか雨は止んでいて太陽の光がパーヴェル様の緑琥珀を煌めかせる。
「ニーチカ、アンタがルーシェンカなんだ」
キラキラと光るパーヴェル様の目を綺麗だなと眺めていたので、言葉が一瞬耳を通り過ぎた。
「……………え?」
呆けた顔で問い返すとパーヴェル様は柔らかな笑顔(!?)を浮かべて、もう一度はっきりと繰り返す。
「ニーチカが、ルーシェンカなんだよ」
今度こそちゃんと聞き取れた。
でも、聞き取れたとしてもそれが理解できるかどうかは別である。
「………私が…、ルーシェンカ、…様…?」
「ああ」
直ぐに返された肯定の返事。
私がルーシェンカ様で、ルーシェンカ様が私…?
ニーチカはゆっくりとそれを噛み砕き、
「―――はあぁぁあ!? 何言ってるんですかぁ! そんなことあるはずないじゃないですかっ!?」
大きく声を上げながら目を剥く。全くもって笑えないトンデモ発言だ。
パーヴェル様はシスコンを拗らせてしまい変な病気を発症してしまったんじゃないだろうか。
驚愕するニーチカとは対照的にパーヴェル様は淡々と会話を続ける。
「あったわけだから俺がここにいる」
「いやっ、でも、だってっ…、私は天涯孤独な孤児で、」
「そりゃあ天涯孤独にもなるだろ。この世界の人間ではないんだから」
「そ――っ、…それは、」
いやでも、よしんば私がルーシェンカ様だったとして、彼女は三百年も前の人物だ。
( それがどうやって私になる? )
ニーチカが頭を捻ったとしてもわかるはずない。その疑問はパーヴェル様の応えを待たねば。
「アンタはあちらの世界では『金の愛し子』と呼ばれていた。それは光の精霊に愛されていたからで。こちらの世界に喚び出された時も精霊はついて行ったんだよ。だからこそこの世界を包むほどの結界を張るなんてことが出来た」
「……」
あくまでも私がルーシェンカであるとして話すようだ。
「だけど、出来てしまったからこそルーシェンカは倒れた」
「え、倒れた…? …いえ、でも、ルーシェンカ様は聖騎士様と幸せになったって…」
「それは物語での話だろ」
「え、でもだって…、それじゃあ私はルーシェンカ様の末裔にはならないんじゃ…」
「そう、だから末裔なんて始めからいやしないんだよ。アンタがルーシェンカ本人なんだから」
「……???」
頭の中にはてなが飛ぶ。確かにパーヴェル様の話は辻褄が合う。たけど倒れたって?
「ああそうか、倒れたっていったからか。 まあ要するに、ニーチカ、アンタは魔力を失い過ぎて精霊たちの手で強制的に眠りに就いたんだ。そして十数年前にもう大丈夫だということで目覚めた。 ここまではついてこれてるな?」
「えっ、いや…、はあ…」
「でも魔力はこれっぽっちも戻ってはなくて、俺との訓練の中で少しずつ戻ったものが――、……ソレだな」
ほんのちょっとだけ眉を寄せたパーヴェル様の視線の先にはふわふわと飛ぶ金色の光。
ニーチカの周りをさっきからずっとウロウロしていたのだが、パーヴェル様と視線(?)が合ったのかビュンとそちらに飛んで行き、指で弾き返された。
「――あっ!」
「ろくな力もないくせに向かってくるからだ」
「ろくな、力…」
「それは光の精霊の、…残り滓だな」
「残り滓…」
パーヴェル様の発言に不満があるのか再び飛んでゆくがやっぱり弾き返される。勝負になんてなるはずない。
取りあえず話を進めたいので戻ってきた小さな光を両手でそっと包んでパーヴェル様を見上げた。
「パーヴェル様はこれが光の精霊で、私の側にいるから私がルーシェンカ様だと?」
「まあそれだけじゃないけどな」
「でも私、金髪でも金眼でもないですが」
「魔力が抜け落ちたから色も抜けただけだ。だから魔力が完全に戻れば元の色に戻るだろうな。けどそんな目に見える色なんて関係なくアンタが持つ魔力はルーシェンカと同じだ」
「目に見える…?」
その言葉に、ニーチカは引っかかりを覚えた。
「……あの…、パーヴェル様、ちょっと尋ねたいんですけど。前に、色々と似ているって言いましたよね?」
「ん? ああ、だな」
「それは魔力以外も、ってことですか?」
「――あ…、ああ、…まあ…」
ニーチカの言いたいことをパーヴェル様も何となく察したのか、歯切れの悪い返事を零したあと小さなため息をつく。
「…言いたいことはわかる。ニーチカを見てわからなかったのかと、言いたいんだよな」
「ええまあ、ハイ…」
パーヴェル様と初めて会った時の様子を思い出せば、たぶん魔力だけでなく、私の容姿もルーシェンカ様と似ていたのだろうなと今は思う。
パーヴェル様は少し苦い顔で言う。
「言い訳にしかならないけど、俺の知ってるルーシェンカは今のアンタよりもっとずっと年上だったんだよ」
「だから確信がもてなかったんですか?」
「……」
沈黙は肯定だ。シスコンなのに? なんてことは言わない。パーヴェル様もバツが悪そうなのでこれ以上は。
「でもなんで急に?」
「ああ…、今回行った先がルーシェンカが眠りに就いた場所だったんだ。で、そこにいた光の精霊どもが教えてくれた」
「――え、しゃべれるんですか? この子」
閉じ込めていた手のひらを開くと、飛び出してきた光はニーチカの周りをまたくるくると飛び回る。
魔力が戻れば私でも声も聞こえるようになるようだ。
「魔力がほぼ空になってしまったルーシェンカの生命を守る為に、必要最低限の維持で済む乳児に戻す必要があったらしい」
「はあ…、えーっと、だから私にはそういった記憶はないんですね?」
「まあ、そういうことだな」
「…なるほど」
頷いてみたけど、怒涛の展開で実際は余りついていけてない。
要するに、まとめてしまえば。
私は末裔でも子孫でもなくルーシェンカ様本人で、パーヴェル様の姉であり。
勇者――パーヴェル様はちょっと行き過ぎた姉思いで、その姉は私……………え?
「これで話は戻ったな。 ――で、どっちか決まったか?」
「いやいやいや、ちょっと待って!」
そうだった、まとめてる場合じゃない。
再び凍える声に戻ったパーヴェル様が地面に伏したままだった(完全に忘れてた)二人に視線を向けるから、ニーチカは自らでその視線を遮った。
「パーヴェル様っ、帰ったばかりでお疲れでしょう! もうお部屋に戻りませんか!」
「疲れるようなことは何も」
「そ…それなら、あ、ほらっ、雨に濡れてしまったので着替えないと!」
「ああ、すまない、忘れてた」
――と、指をパチリ。
パーヴェル様の指パッチンひとつで濡れた服は瞬間乾いた。
誘導して意識を逸らすことも出来やしない。……万能魔法め! 仕方ないのでここははっきりと言おう。
「腕をもぐとか頭をもぐとか、冗談でも止めて下さい」
「冗談ではないが」
「だったら尚更止めて下さい! 流血沙汰なんてごめんです!」
私がパーヴェル様の姉だと言うのなら。ここぞとばかりに強気で言ってみると、パーヴェル様は物凄く渋い顔で。
「……………アンタがそういうのなら」
渋渋と、本当に渋渋とそう言ったあと、もう一度パチンと指を弾く。
――途端。
「ぐはっ!」
「があっ!」
同時に二つの呻き声が上がった。そして直ぐに静かになる。
「パーヴェル様!?」
「警備兵に渡すにしても大人しくさせた方がいいだろ? だから意識を奪っただけだ、別に死んでないし流血もしてない。 ………ただ、ついでに利き腕は折っといたが」
「ちょっ、パーヴェ…―――っ!?」
避難の言葉を口にする前に、伸びてきた腕に抱き込まれて。あっという間に、完全にすっぽりと、パーヴェル様の腕の中におさめられてしまった。
体格差ってのは割と大きなハンデキャップになるのだなと、そんなことを思いながらも流石に限界を感じて唯一動かせる手で広い背中をパシパシと叩く。けど解放されることはなく、少しだけ囲いが緩まった。
その空間にぷはっと息を吐き、この羞恥しかない暴挙にニーチカは声を上げようとしたけれど。
パーヴェル様の肩が小さく揺れているのに気づく。
「……あの…、パーヴェル様…?」
「ああ…、暫くこのままで」
「………」
何かをかみしめるようなパーヴェル様の声に、恥ずかしいから放してくれなんて言えない。
だってこちらに記憶はなくても、パーヴェル様にとって私という存在は、世界を跨いでも追いかけてくる程の存在であったのだ。
( ……記憶があれば良かったのに… )
そうすれば、パーヴェル様の心の内に寄り添うこともできただろうし、肩を震わせるほどの思いを抱えて私に縋りつくこの行為にも、恥ずかしいだなんて感情を覚えることはなかったはずだ。
抱きしめ返すことは流石に出来ないけど、パーヴェル様が落ち着くまではせめてこのままで――と。
そんなことを思っていた私は、
「……は…はは、やっとだ、やっと…、しかも記憶がないだなんて」
―――なんて好都合。
パーヴェル様がごく小さく零した言葉や、震えが歓喜によるものだったなんて全く気づくことなく。
火照りきった脳みそに、気を紛らす為に違うことを考えないとと逸らした視線の先、濡れてしまった洗濯物たちを見つけて。
見事に気を紛らわせたニーチカは盛大なため息を、
……パーヴェル様の手前、今はぐっと飲み込んだ。