38.
ルーシェンカ様がそう言うのだから聞きたいことは聞いておこうと口を開こうとすると、「ちょっと待って」と遮られた。ええぇ…。
「立ち話もなんでしょ?」
ルーシェンカ様のそんな声と共に薄い灰色一色だった空間に応接セットが現れて、「ついでに」と言うと紅茶の注がれたカップまで現れた。何でもあれだ。
「あの、ここって一応私の夢の中ってことですよね…?」
「ええそうね、だから私も割りと自由に出来るわ」
さあ、座ってと促され、ニーチカはソファーに座る。確かに、そう言われればそうなのだろうけど。
「えーっと…、私の存在って、結局ルーシェンカ様にとってはどうあたるんですかね?」
「どうとは?」
「生まれ変わりだとか、そういう感じなんですか」
「あー、なるほど」
頷いたルーシェンカ様も向かいのソファーに座り、片手を顎に添え考えるように少し上を向いた。
「生まれ変わりと言えばそうだけど、ちょっと違うとも言えるかしら? だって基本は同じであるから。…うんまあだから、言い方が悪いかもだけれど、近いと言えば『やり直し』かしらね」
「やり直し…」
「そう。貴方は私の理想だから」
「……」
いや、理想って…。
ニーチカは小さく首を傾げる。
「今は魔法もろくに使えないのにですか?」
「ええ、それこそ望んだことだもの」
「えっ、何でそんなことを? 魔法が使える方が便利じゃないですか!」
驚くニーチカにルーシェンカ様はグッと目を細めると少しだけ眉尻を下げた。その顔は困ったようなものであり、寂しそうな悲しそうな…、ニーチカには読み取れない表情で。
「便利なのはそうかもしれないけど、それは自分だけじゃなくて、他人に取ってもそうであるから」
「えっと…、それはどういう…?」
テーブルの上のカップへ視線を落としたルーシェンカ様は言葉を選ぶように「…そうだね…」と呟く。
「自分に持ち得ないものを羨むてのはよくあることだと思うけど…。普通なら努力して手に入れようとするとか、それでも無理なら諦めるとか、一般的な人間であればそんな感じだよね」
話の流れからすればそれは『魔法』についてだ。
確かに中には過激なことを考える人はいると思うが、パーヴェル様曰く、魔法を使えるかどうかは体の器官的な問題ということだから、努力したって無理は無理。使えたとしてもせいぜい私程度だろう。なのでコクリと頷くと、視線をあげないままでも空気の動きを捉えたのかルーシェンカ様は話を続けた。
「そう、けどそれは一般的な人間であって、一般的でない人間たちにとってはまた違う話になるの。だってその望むものを持つ人間そのものもを取り込めばいいんだから。その上で逃げられないように枷をつければいい」
「取り込む? 枷…?」
「…過剰な力って、幸せとは相容れないものなの」
答えになっていない答え。淡々とした声は溢れる感情を押し込めてるようにも聞こえる。
そしてルーシェンカ様は視線をあげた。その金の目は微かに揺れる。
「取り込まれたのは私、枷は家族。…いえ、枷と言うより犠牲かしら。 私のせいで家族は全員亡くなったわ」
「――え?」
「ああ…、そうよね、貴方にとっても家族となるのよね。……ごめんなさい、ニーチカ」
「えっ、あ、いえ…」
そうか…、私がルーシェン様のやり直しと言うなら、家族はそのまんま家族であるということか。でも正直、『やり直し』の意味をいまいちまだ掴めてはいない。
驚いた私をどう思ったのか申し訳なさそうに眉を下げたルーシェンカ様。だけども、私にはその記憶がないのだからルーシェンカ様が抱く哀しみは持ちようがない。だた、「私のせいで――」と言った時の絶望に満ちた声に反応しただけだ。そこに僅かに混じった怒りにも。
そしてそんな声を聞いたからには「どういうことですか?」なんて深く尋ねることは躊躇われた。
けれど言葉の端々から何となくは推測出来る。一般的でない人間――というのは、たぶんだけど権力を持つ人たちだ。
それにしたってそこからどうすればそんな家族が犠牲になるなんて悲劇に繋がるというのか。横暴で傲慢な非人道的な行為。パーヴェル様の権力嫌いもそれで頷ける。
沈んでしまったルーシェンカ様。さて、なんて声を掛けるべきか。
「――あ、あのでも、家族全員では、ないですよね?」
パっと閃いた考えが、自分の中で纏まる前に口から零れた。
「パーヴェル様がいたじゃないですか。それにスヴェートさんだって」
ルーシェンカ様が世界を渡る寸前までは二人は共にいたはずだ。それに実際パーヴェル様は正式なものでなくとも弟という立場である。だからそう唱えると、ルーシェンカ様は目をしばたかせたあと小さく口の端をあげた。
「……確かに」
呟いたルーシェンカ様が浮かべた笑み、それはどちらかと言えば苦笑に近く。ニーチカは首を傾ける。あれ、何か間違えてしまっただろうか?
しばしの沈黙後、少しだけ視線を落としたルーシェンカ様が口を開いた。
「ね、ニーチカ、さっきの、私とパーヴェルの会話の内容がわかった?」
「え…? なんです、急に…」
「いえ、うん、そう…、そこは言ってはいないのね」
明らかに飛んだ話を独りごちるように終結させたルーシェンカ様。その言葉にニーチカは眉を寄せる。どういう意味だろうか。貴方の知らないことを私は知ってるっていうアレか。
パーヴェル様との付き合いはルーシェンカ様の方が長いのだからそれは当然のこと。小さな嫉妬に更に眉を寄せるが、どうやらそういった意味ではないらしい。
ルーシェンカ様は深く息を吐いた。
「確かに、スヴェートは生まれた時からずっと一緒だったし、パーヴェルは立場上私の弟となったけれど、でも…」
一度言葉を切った後に続いた声は、とても苦く。
「そんなパーヴェルに私は酷い仕打ちをしてしまったから」
それで思い出すのはあの夢だ。
「酷い、仕打ち…?」
「詳細は、あの子が言っていないのなら言えない」
「でも――っ」
「たとえどんな仲だとしても、知って欲しくないってことはあるわ」
それこそ先ほどのルーシェンカ様とパーヴェル様の会話に繋がる。
強い口調ではなかったけれどニーチカは思わず口をつぐむ。――が、やはり聞いて置かねばならないことがある。
「――あの、じゃあ、ルーシェンカ様はパーヴェル様を厭んでいたんですか?」
「厭う?」
「ええ。私…、夢を見たんです。あ、今現在のことでなくて。…その、ルーシェンカ様がパーヴェル様に殺されなければならないって、心の中で思っていて…」
「ああ…」
覚えがあるのか、ルーシェンカ様は納得の息を零す。
それが実行されたとは思わない。そんなことが本当に起こっていればパーヴェル様は今のあんな感じではなく、絶対に闇落ちしてたと思うから。
だけどそんなふうに肯定されてしまうと――。
「嫌い…だったんですか? …パーヴェル様を」
そう尋ねた時の私の顔がどんなものであったのかは私自身にはわからないけど、ルーシェンカ様は一度目を瞬かせたあと、今度こそ明らかな苦笑を浮かべた。
「貴方はどうなの?」
「え?」
「貴方はパーヴェルが嫌い?」
大事な質問なのにそれをはぐらかすかのように返されてニーチカはムッと眉を寄せる。が、そんなもの答えに迷うはずもなく。
「あり得ないです。私、パーヴェル様のことが大好きですから」
「うん、じゃあそれが答えだよね」
「え?」
「結局のところ同じものを同じように好きになる。そういうこと」
「は?」
それは、私とルーシェンカ様が同じ人間だからと言いたいのか。やはりはぐらかされた感が強い。
だからさらに言い募ろうとしたところで、私とルーシェンカ様の間にある机がユラユラと揺らいだ。
「えっ! 地震!?」
「いいえ違うわ、たぶん目覚めの時間ね」
「えっ、…あ」
そうか、私のか。なるほどと、変なところで納得してしまった。
そうこうするうちに視界に映る自分の体も揺らぎ始めた。そりゃそうだ、夢の主である本人が目覚めようとしてるのだからそうともなる。でも私はまだちゃんとした答えをルーシェンカ様の口から聞けていない。
焦ったように見つめた先でルーシェンカ様は苦笑混じりの、でも柔らかな笑みを見せた。
「ね、ニーチカ、考えてみて、あの容姿だよ? そんな子が私だけを慕ってくるの。ほだされないわけないじゃない? …でも、それでも、私の心は決まっていたから。だから当初とはやり方を変えたの。まあ、結果は同じなのだけれどね」
「それはどういう…?」
「要するに、私もパーヴェルが大好きだった、…そう、だった。全ては終わったことよ」
「いえ、でも、」
「それに貴方がいる。だから大丈夫でしょ?」
「そ――、それは…」
それは――、の後に続けるべき言葉が浮かんでは消え、けれどどれもしっくりとはこない。
ルーシェンカ様の示した答えは嘘ではないだろうけど全てを語ってるわけでもないと思う。でも、ニーチカがこれ以上追求するのもなにか違う。その先を知るべきは、私ではなく――。
目覚めの時間は刻一刻と迫り、灰色の世界にも微笑むルーシェンカ様の姿にも紗がかかる。
これが最後、これで最後。なら伝えるべき言葉は。
「任せてください。パーヴェル様は絶対に幸せにします」
ニーチカの言葉に、霞んだ世界に佇むルーシェンカ様は金の目を少し見開き、そのあと零れるように笑った。
正解ではないかもしれないけど及第点ではあったみたいだ。
そして急速に灰色に埋もれてゆく世界。
「さよなら、ルーシェンカ様!」
「ええ、さよならニーチカ。貴方は、貴方の思うままに生きて」




