34.
忘れてました、全七話です。
「ふあぁぁ〜…」
ニーチカが盛大な欠伸を零すと、横に座っているパーヴェル様が本から顔をあげた。
「寝れないのか?」
「いえ、寝れないというか、夢見が悪いというか…」
「悪夢でも見るのか?」
「…うーん、悪夢、なんでしょうか…?」
「なんなら一緒に寝てやるぞ?」
「ふわっ!?」
咄嗟にパーヴェル様との距離をあける。不意打ちのキス以降、パーヴェル様の顔を見る度にそれを思い出し逃げ出してしまうニーチカ。何とか心を落ち着け普段通りに接せるまで回復したというのに台無しである。
けれど、その逃走を不満に思っていたのだろうパーヴェル様によって、素早く引き寄せられ空いた隙間は瞬時にゼロになる。むしろマイナス(?)かも。
久しぶりに見た気がする至近距離からパーヴェル様のご尊顔。
うん、まつ毛長い、肌綺麗、鼻高い、唇の形良…――で、また余計なことを思い出しニーチカは視線をうろつかす。
「離れるな。別に何もしやしないし、俺と一緒なら悪夢なんて見ない」
「え…、それは魔法的な、何かで?」
「精神干渉の一種だ。逆に見させることも出来る」
「ええぇ…」
ドン引くニーチカだが体は拘束されてるので引くに引けない。
「…ちなみにそれって…、一緒に寝る必要あります…?」
最大限身を引きながら恐る恐る尋ねると、パーヴェル様は一度目を瞬かせたあとニッコリと笑う。
「あるな」
「……」
絶対嘘だ。大体『魔王』であったとカミングアウトしたパーヴェル様が、人を眠らす魔法を使うのに一緒に寝る必要があるとは到底思えない。そしてそれを置いといたとしても、一緒にだなんて落ち着かなくて寝れるわけない。
………いや、寝ちゃってたけどね、寝ちゃってたけどっ! 前に抱き込まれたまま寝てしまってたことを思い出すが、だけどあれは恋人になる前だからノーカンだ。
「あの、そういうのでなくてポプリとか薬草茶の方がいいかと」
「…は、そんな眉唾なもの」
「眉唾って…」
「でもそれならアンタの方が得意だろう」
「え?」
ニーチカが小首を傾げると、付け足される声。
「そうですね、ルーシェンカは花やハーブを育ててましたし、野草にも精通してましたから」
そう言ってテーブル上にコトリと爽やかな香りのするお茶を置くスヴェートさん。
「これが安眠効能のある薬草茶です」
「へえ」
精霊王であり美貌の主に入れてもらったお茶だなんて物凄く効きそうだ。「ありがとうございます」とお礼を言うとスヴェートさんは軽く首を振る。
「これは貴方が考えたレシピを再現したんです」
「えーっと、私ということはルーシェンカ様が?」
「ええ、そうです」
「ふーん…」
一口飲むと香りの通り爽やかな味がしてほっと息が漏れる。確かに効きそうな気はする、が知らぬ味だ。
何とも言えない顔をしてたからだろう、スヴェートさんが心配そうに尋ねる。
「もしかして不味かったですか?」
「えっ! や、違います違います! じゃなくて、…やっぱり知らない味だなぁって」
「ああ…」
スヴェートさんと二人して眉尻を下げると、私の腰に手を回したまま黙っていたパーヴェル様が口を開く。
「別に無理にルーシェンカに合わす必要はないんだぞ。アンタが言ってくれたように、ニーチカはニーチカだ。ルーシェンカだったとしても今のアンタはニーチカだろ?」
「――えっ! いやっ、そうですけど…」
パーヴェル様が割りとまともなことを言ったのでちょっと驚いてしまう。
そんな私の心情を読んだのかパーヴェル様の眉が寄りそうになり慌てる。
「ルーシェンカ様にっていうか…、うーん、でもやっぱり、ルーシェンカ様みたいな凄い魔法が使えたらなって」
「それは無理だ」
え、即答?
パーヴェル様は小さく息を吐く。
「前にも無理だって言ったろ?」
「いや、でも」
「アンタは確かにルーシェンカの魂を持っているし魔力も同じだ。だけど根本的なものが違う」
「根本的な?」
ニーチカの疑問に「そうだな…」と零したパーヴェル様は、少し体を離すと片手を解放し自らの胸元をトントンと突いた。
「率直にいえば、アンタの体を構成しているものがルーシェンカとは微妙に違う」
「ええっ!?」
と、驚くが、えーっと…どういうこと?
「…や、体を構成って…。…私、何か人と違うんですか?」
「逆だな、アンタは限りなく普通だ」
「ん?」
「この前その腕輪を付けた時に確認出来たんだが、アンタはルーシェンカが持っていたような魔力を溜め込むための器官がない。だからルーシェンカの時と同じような力は使えない」
「…んん?」
パーヴェル様曰く、日々造られる血液の中には元々魔力の欠片のようなものが含まれていて、それは体内を巡り排出されるのだと言う。
パーヴェル様が先ほどトントンと示したのは心臓。
「大抵の人がそうやって魔力を排出させるだけだが、一部の人間は違う。心臓の一カ所にその器官はあって魔力を溜め込める。アンタは確かに造り出す魔力は多いが、それがないために結果大きな力を使えない」
ニーチカはパーヴェル様を見つめたままぱちりと目を瞬く。
「……えっと…あの、それでも、私ってルーシェンカ様なんですかね…?」
だって体の何かしら…というか、一番大事な心臓が違えば、それはもう別人なのでは…?
だというのに。
「いや、アンタはルーシェンカだ」
と、パーヴェル様は断言する。
それに同意するようにウンウンとスヴェートさんも頷くので『いや、でも…』と思いながらもニーチカは口を閉じた。ついでに、そんなふうに断言した割には一番最初気付かなかったですよね? ってのも言わないでおこう。
つまりは――、
私はルーシェンカ様の魔力が完全に戻るわけではないし、金髪にも金目にもならず、大層な魔法は使えないってことだ。
しょんぼりと眉を下げたニーチカに同情したのか、スヴェートさんが話を振ってくる。
「あの、ニーチカ様、気分転換に城にある薬草園でも行きませんか?」
「え?」
「もし興味があればですが。私で良ければ説明させていただきますよ?」
どこか窺うようなのは、先ほどの私の様子を気にしていたのかもしれない。
「……うん、そうですね、…いいかも」
しばし考えたあとにニーチカは頷く。
なんせ今は暇である。瘴気の発生は元凶を絶ったことで収まっていて、なのでパーヴェル様も現在は忙しくない。そしてやはりというか結局というか。パーヴェル様は引き続き『勇者』続行中だ。
しかし、元『魔王』であり現『勇者』だなんて、たとえ聖剣がなかろうとも最強過ぎやしませんか?
片腕はまだ私に回し、その反対の手は自分の口元辺りに添え、少し考え込む様子をみせるパーヴェル様をニーチカは見上げた。
「パーヴェル様」
「……」
「あの、パーヴェル様?」
「…ん、ああ?」
やはりどこか心あらずのパーヴェル様。
たぶん興味はないと思うがニーチカは尋ねる。
「パーヴェル様は一緒に行かれますか?」
「行く? …ああ…、薬草園か…」
一応は聞いていたらしい。けど、思った通りに「いや、いい」とパーヴェル様は首を振り。行って来いとばかりに、残っていた手もあっさりと離した。
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「さっきの話の中に、考え込むことなんてありましたっけ?」
薬草園をぼんやりと眺めながらニーチカは声を零す。
「パーヴェルのことですか?」
「ええ、はい…」
「どうでしょう? ちょっとわかりかねますが、元々心うちを漏らさないヤツですから。あまり気にすることはないかと」
「元々ですか…」
そのスヴェートさんが言う元々とはニーチカの知らない世界の話。ルーシェンカ様の頃。
ニーチカはピタリと足を止めた。その場に生えていたのはトゲを持った藪とそこにつく赤い実たち。足を止めたのは別にそれに興味があったわけじゃなくてたまたまだ。
一応スヴェートさんがローズヒップだと教えてくれたが、やはりニーチカの視線はそこに留まることはなく。
「…ルーシェンカ様って、どんな人だったんですかね?」
最近の夢見の悪さもあってして。
私としてはそろそろルーシェンカ様と向き合わなければならないと思い。それを語れるだろう二人のうちのまずは一人――スヴェートさんに向かって、ニーチカはそう口にした。




