3.
流されてる感はある、確かに。
でもあの後どうにかこうにか、本当に、本っ当にどうにかこうにかして、ランドリーメイドに戻った。
そりゃあもう凄い渋い顔をされたけど、私の幸せについてこんこんと語らせてもらったら、取りあえずは何とか諦めてくれた。ただし。
「ただしその保護防御反撃石を肌見放さず持つことが条件だ」
「………え?」
「だからその保――、……御守りだ」
パーヴェル様は私の手のひらにある自分と同じ瞳の色の石を指さす。
「…御守り…」
「ああ、御守りだ」
「……」
さっき何か物騒な名前が聞こえましたが… ?
だけどそれ以上突っ込むことは藪蛇になりそうな気がして、ニーチカはそっとポッケに緑琥珀な石をしまった。一応言われたように身に着けれる袋でも作ろう。
それで流されてる的な話の続きだけど。
ランドリーメイドに戻ったはずの私だったけど、優先順位はあくまでも『勇者』様が一番だそうで。
あの偉い人(仮)は、国務大臣っていう本当に偉い人だったらしく、ニーチカの職場にやって来た大臣様自らがそう決定した。とても不服かつ忌々しげに。
そんな態度ながらもニーチカを推挙しなければならなかったのは、たぶんパーヴェル様が言ったからだろう。
そして今――、陽の光の下ではシルバーに輝く髪を風になびかせて、端正な容貌を持つ勇者様が軽く腕を振る。すると籠に入っていた白いシーツが一斉に青空にはためいた。
壮観である。壮観ではあるが。
「パーヴェル様、それは私の仕事なんですけど…」
「俺がした方が早いし、早く終わればアンタの時間が空くだろ」
「それもそうですけど…」
魔法の無駄遣いではないですか? と心の中で呟く。
まあ、時間が空くのならば違う仕事をしたらいいか。と、考えたニーチカの思考は間髪置かずに牽制をされる。
「それで、今日の仕事はこれだけだったよな」
「えっ、…あー、そうでしたっけ?」
「そうだ。 ついでに言っとくと、シーツには復元復帰の言葉も乗せてるから乾いたら勝手に畳まれてリネン室に行く」
「ええっ!? ……すごい、魔法の無駄遣い…」
「こんなの使ったうちにも入らない」
「……( ええぇ… )」
当然のように言われて、ランドリーメイドとしての私の存在意義が揺らいでちょっとだけ悔しい。
それにしても、こんなに自由自在に魔法が使えたら凄いと思う。けどパーヴェル様は規格外なのだとあの偉い人大臣様も言っていた。
だから絶対に機嫌を損ねさすなと釘を刺されたわけだけど。
王城を歩くパーヴェル様は大概無表情か、何なら少し不機嫌そうにしている。だから好奇や憧憬の目を向けはしても誰も話し掛けようとはしない。
でもそれは、上の者が発した『勇者の取扱説明』がきちんと浸透している者たちの間だけで。噂話くらいしか届かない下の者にとっては、パーヴェル様は見目の良い勇者であり、手の届くところにある伝説なのだ。
要するにいつかの同僚が言っていたように、パーヴェル様は何をもってしてもお近づきになりたい人物、ということ。
「勇者様!」
「パーヴェル様!」
シーツがはためく波の間に幾人もの黄色い声が響く。途端パーヴェル様の眉間にクッキリとしたシワが浮かんだ。そしてその周りを取り囲むように現れた、ニーチカと同じような簡素なメイド服の女性たち。
「パーヴェル様、今あちらで皆んなと休憩してるんですっ、一緒に来られませんか?」
「勇者様!これを! 想いを込めて縫った剣帯です、是非受け取って下さいっ」
「ちょっと邪魔よ、どいて!」
「あのっ勇者様――」
「パーヴェル様、私も――」
我先にと群がる女性たちに弾き飛ばされて、ニーチカは輪の外からパーヴェル様の眉間のシワが深くなってゆくのを『あー…』という顔で眺める。
ただこの状況の一端はニーチカにある――と、言っても私のせいでは全くないけれど。下級使用人ごときが勇者の側に侍っているという状況が、「これなら私にもチャンスが」と、そんな考えを彼女らに浮かばせてしまうのだ。
( ええっと…、決っして私でせいではないけど、やっぱり私のせいになるのか、これ… )
こうなればと、意を決して輪の中に突入しようとしたら、初夏だというのに前方から冷たい風がひゅうと吹いた。
「喧しい、離れろ」
冷たい風の発生源が冷たい声で言うと、女性たちの声がピタリと止んだ。そう言われたからではなく言われた言葉の意味を理解出来なくて。
「……あ、あの、勇者様…?」
「勇者と呼ぶな」
「え、では、パーヴェル様――」
「名を呼ぶ許可を出した覚えはない」
「えぇ…」
いや、それは無茶ってもんだ。
パーヴェル様を呼ぶ手段全部を奪われた女性たちは戸惑った顔を見合わせるが、パーヴェル様自身はそんなこと知ったこっちゃなく。無言のまま彼女らを押し退けるとニーチカの目の前まで来て、「行くぞ」と手を取った。
瞬間――、返事を返す間もなく景色が変わった。
未だに慣れぬ、だけど見慣れてきたパーヴェル様の部屋が目に入って、頭の中がぐらりと揺れ床が目の前に近づく。だけどそのまま倒れるかと思った体はパーヴェル様によって支えられた。
「――あっ、すみません!」
「いや、今のは俺が悪い。急に移動したから酔ったんだろう」
「移動……ああっ! 今のが瞬間移動の魔法ですか!」
「瞬間移動て…、まあ間違ってはないけどな」
ちょっとだけ呆れ顔のパーヴェル様と自分の位置が思ったより近くて「んぐっ」と変な声が出た。
魔法体験のせいで意識がそれていたけど、ほぼゼロ距離な上に、パーヴェル様の腕が私の腰に回ってる……いや、食い込んで…。
「――あっ、あの…、ありがとう、ございますっ」
めんどくさくてもコルセットを付けるべきだったと考えるのは時すでに遅し。失礼にならない程度に素早く身を起こす。
いやー、それにしても至近距離で見ても全く綻びのない整った顔だった。眼福ではあるが、出来れば遠くから眺める方が心臓にも良い。
ドギマギとしたテレと、お腹の肉の存在を認識した切なさで、何となく距離を取りパーヴェル様を見れば、何故か少し首を捻って自分の手を見ていた。
「パーヴェル様?」
「…あ、ああ、」
パーヴェル様はパチリと目を瞬かせると「…は」と息を吐いて緩く首を振る。
…何だろう? 何かコレジャナイ感。出来ればそれが私のお腹の肉のせいだとは思いたくないが。
それはさておき。
部屋の定位置であるソファーへと座ったパーヴェル様が宙から紙とペンを取り出し、机の上でさらさらと手を動かしながらニーチカを手招く。なので私も向かいに座った。
パーヴェル様が視線だけをチラリと上げる。
「そういえば俺が渡した御守り、ちゃんと身に着けてるか?」
「え? あ、はい、ここに」
ニーチカが首から下げて服の中にしまっている手作りの御守り袋を引き出すと、パーヴェル様は軽く頷く。それから動かしていた手を止めると「じゃあ今日はコレだ」と今書いていた紙をクルッと回転させてこちらへとやった。
書かれていたのは所謂魔法陣ってやつだ。
そこに魔力を流すと描かれていた魔法が発動する仕組みで。要するに魔力がなければただの紙でしかなく、これはニーチカの為の訓練用であるのだ。
曰く、せっかく魔力があるのだから自分の身を守る為の魔法くらいは使えるようになった方がいいと。
金色の魔力の特性上強い攻撃だとかそういうのは難しいからと、パーヴェル様が出来るものを厳選してくれているのだが。
「あの、これは何の魔法が?」
「悪意を弾く魔法だ」
「あくい…」
「ああ。相手がアンタに対して悪意を向けてきたら反撃する」
「反撃…、弾くのでなく」
「まあ結界を張るから弾くわけだが、電撃を持って弾くんだよ」
「電撃!?」
「いや…、アンタの魔力では静電気くらいだな」
「ああ…」
いや、むしろそれくらいで十分だ。静電気でもバチッとくれば結構痛い。でもしかし、これまでパーヴェル様によって練習課題として出されてきたものが『己への認識阻害』『追跡者の足止め』で、そして今回が『悪意を弾く』だ。
私だって魔法を使えるようになるのはやぶさかではないし、パーヴェル様が仕事を手伝ってくれるおかげで空いた時間、それをこの練習に充ててくれるのはいいんだけど。
なんだか内容がちょっと偏ってる気がして。
「でも、あの、私って、…誰かに狙われたりするんですか…?」
と、そう言いたくなる内容であるのだ。いや、もう口にしちゃってるけど。
パーヴェル様はちょっとだけ目を細める。
「狙われてると言えばそうだろ?」
「え?」
疑問に疑問で返されて、ニーチカは首を傾げる。パーヴェル様は呆れた声で続けた。
「『え?』じゃないだろ。自分のではない仕事を押し付けられたり、洗ったはずのものが汚されてたり。それもアンタだけとくれば狙われてるとしか言えない」
違うか? と問われて言葉に詰まる。前者はこの前も言ったように割り切って考えればいいけれど後者は結構くるものがある。嘘でしょうと思う。
でもそういう行為は大概パーヴェル様が見ていないとこで起こるのだけど、本当にどこから見てるんだろう。そして、後者に関してのそれは。
「…まあ、嫌がらせが増えたのは俺のせいでもあるけどな」
パーヴェル様が苦く零し、ニーチカはやはり言葉を詰まらせる。
言葉通りそれはその通りで、その原因は所謂嫉妬だ。私が働く周りの下級使用人は女性が多い。だから『なんであんな子が勇者様に構われるの?』となる。本人であるニーチカ自身もそう思うのだから周りは大概だろう。それに、
『パーヴェル様が私に気を掛けるのは、それは私がルーシェンカ様の末裔だからです』
なんて話すことは、余計に火に油を注ぐことになる。
少しだけ遠い目になっていると、前方から苛立たしいため息が降った。
「それにしても一度痛い目に合わないと理解出来ないのかあいつらは」
「え…、…痛い、目め? ――え、ええっ、何です急にっ?」
「どうせさっきのあいつらの中のどれかだろ、嫌がらせの相手は」
「いえ――、や…、あの…」
ニーチカ自身もそうだと思っているのでキッパリとは否定できない。でもそれが嫉妬からという行動なら、その本人からのキツい仕打ちはあまりにも悲し過ぎる。
だって嫉妬と言ったって相手は私なのだ。
「そこまでしなくても…」と渋い顔をするニーチカにパーヴェル様が少し強い口調で言う。
「嫌がらせなんてほっとけばいいとアンタは思ってそうだけど、嫌がらせだろうが悪意は悪意だからな」
「悪意だなんて」
「今渡した魔法を身につければわかる。弾かれるか弾かれないか」
「でも――」
「知ってるか?」
ニーチカの声を遮り、パーヴェル様は緑琥珀の目をスッと細くする。
「結界に綻びを生じさせるのは人の悪意だ」
「え」
「その悪意が溜まって出来た淀みが瘴気となる。要するに、この世界に度々訪れる危機は常にそこに生きてる人間たちのせいってことだな」
「……」
パーヴェル様の言葉に思わず無言になる。と言っても何て答えればいいかわからなかったのが理由だ。
パーヴェル様は皮肉げに口の端を上げた。
「それともうひとつ。悪意による綻びが一番顕著なのは城があるこの首都だ」
「……え?」
そんなはずは…、と言おうとして、パーヴェル様は皮肉を刻んだ顔を更に深くして先に続けた。
「首都で綻びが見つかったことはないって?」
「――そ…、そうですよっ。勇者様も聖女様もいつも綻びを直すために遠征していたはずです! 首都でそんなことが起こったなんて聞いたこともないです」
「そんなの簡単な話だ。語られるものが地方の綻びばかりだったのはただ単に離れた場所で対応が間に合わなかっただけで、そしてここでの被害がないというのは噂になる前にさっさと片付けていたからこそだ」
「な…、なるほど…」
頷いてしまった。そういうことか、と。
「権威や権力が集中する首都で、瘴気が発生するなんて許せないんだろうよ。だから直ぐに勇者や聖女が必要だと大袈裟に広めて安易に召び出そうとする。 自分たちのやらかしの尻拭いを他人に押し付けようだなんて、『馬鹿か?』としか言えない。 ……まあアンタにこんな話をしても仕方ないんだけどな」
ハイ…、確かに。そう心の中で返す。
権威や権力からは対極にいる人間であるニーチカには、それを知ったからとてどうすることも出来ない。ただ首都にいるということは、それだけで恵まれていたのだなと思った。
「じゃあ…、遠くではもう綻びが起き始めてるんですか…?」
「いや」
「え?」
「それが起こる前に全て補強してきた」
「え…?」
滅するのでもなく補修するのでもなく、補強…?
首を傾げたニーチカを見てパーヴェル様がさらりと言う。
「結果を施したのがルーシェンカならば補強も簡単だ」
「補強…、簡単…?」
「ああ。ルーシェンカの力は直ぐ側で見てきたからな、馴染ませ同調することも可能だ。大体結界だって三百年も経てばそりゃあ劣化もするだろう? だから補強しといた」
「えっと…、よくわからないですが、じゃあもう何も起きないと?」
「余程のことがない限りは百年か二百年は大丈夫だろ。元々地方の大規模な瘴気の発生は中央の対応の遅さの不満が募り募って起こったわけだから」
「でも、パーヴェル様は遠征なんて行ってませんよね? 一体、いつの前に…?」
パーヴェル様がこの世界に召喚されてからまだ十日程しか経ってない。それにほぼ毎日顔を合わせているので不在であったことなどなかったはずだ。それに対してパーヴェル様は『何を今更』という顔をする。
「今さっきアンタも体験したろ?」
「え? 何を?」
「アンタの言い方でいけば『瞬間移動』ってやつ」
「ああっ!」
ポンと手を打ち「…なるほど」と零す。
…にしても、それって凄くないか?
( え?今まで物語で書かれていた紆余曲折もなくもう全部終わったってこと? )
パーヴェル様のことを性格と言動から勇者としてはちょっとどうかと思っていたけど、考えを改めねばならない。やはり『勇者』様であると。
そう思いパーヴェル様に向けていた眼差しに気持ち尊敬の念を込めると、私の視線を受けてかどうか、パーヴェル様はフッと目元を緩めた。
( ――うっ…!)
何度見ても見慣れることのないパーヴェル様の柔らかな表情に激しい動悸を覚えるも、口の端に小さく浮かべられた笑みに何となく違和感を覚えて直ぐに正気に戻る。
「……あ、あの…?」
不審で尋ねるニーチカにパーヴェル様は今度は目を皿のように細くする。
「いや、安堵するのは時期早々じゃないかって」
「え、でも補強したと…」
「そうだな、地方にはな」
「え?」
「中央には、まだ何もしていない」
「え……それは、必要ない、から?」
「さあ?」
答えたパーヴェル様はそれはそれは綺麗に笑う。質問の答えに全くなっていないけど、その様子が既に答えなのだろう。
絶句するニーチカ。それに構うことなく膝に片肘を付き、顎を乗せたパーヴェル様は笑顔のままに続けた。
「悪意は消えずにどんどん増えてく。たとえそれが小さなものだったとしても積もり積もれば結構な量になるだろうな。なんせここは暮らす人間の数も多い。だからこそ、そういう身を守る術を身に着けておいた方がいいってことだ」
と、パーヴェル様がピシッと指さす先は私が持っている魔法陣が書かれた紙。ここで話が最初に戻ったわけだ。間に色々あったけど。
ニーチカは了承のため息を吐き、それを受けたパーヴェル様は「そうそう、別に損をするわけじゃないんだから」と気安く言う。
「俺が近くにいればいいが、四六時中一緒にいるわけでもないからな」
「…はあ、…まあ」
意識を紙に集中させた為に散漫な返事になるがパーヴェル様は気にしない。
「それに、もし誰かがアンタが悪意を浴びせるとしたら確実に俺がいない時を狙うだろうしな」
「………」
それはそうだ。 夢物語に出てくるような『瞬間移動』なんて魔法が使える上に結界の補強なんてことも出来る。そして尋ねたことはないが、きっと色々な魔法が使えるのだろう。
そんな『勇者』様に、誰が対抗しようと思うか。
おざなりになってしまった意識に魔法陣をなぞっていた指先を一旦止めると、今度は普通の嘆息を漏らす。
( …でもパーヴェル様、今口にしたのは所謂フラグってやつですからね… )
なるべくそんなことにはならないようにと願いながら、再び指先に、パーヴェル様曰く――乏しいけど魔力らしきものを込めて、ニーチカは改めて複雑な陣をなぞった。