29.
「ねえねえ、聞いた?」
「聞いたって?」
「ほら、最近よく瘴気が発生してるって」
「ああ…。でもあれって勇者様が犯人らしいじゃない」
「そうそう。本当なのかしらね」
「本当みたいだぞ、俺の知り合いが現場を見てたって言ってた」
「そうなのっ!?」
「ああ。あんな光る剣なんて聖剣しかないって。それでその剣を地面に突き刺した瞬間に地面が揺れて瘴気が噴き出したらしい」
「へえ」
「知り合いは結局病院送りだし、わざわざそんな嘘をつくとは思えないし。だとしたら犯人は勇者様で間違いないだろ」
「でも上の人たちは勇者様は遠征に出てたって言ってたわよ」
「あ、ほらっ、勇者様は凄い魔法が使えるんでしょ。なら遠くからでも魔法で直ぐとか?」
「なるほど」
「そうだよ、聖剣は『勇者』しか扱えないんだから本人で決まりだって」
「うーん、でもさぁ何でそんなことを?」
「さあ?」
「あれじゃない、英雄願望とか」
「英雄願望?」
「自分で事件を起こして自分で解決するってやつ。要するに目立ちたがり屋?」
「ええー、なにそれ」
「確かに遠征じゃあ何やってるか見えないしな。実際やってるかどうかもわかんないし」
「うんうん、言えてる」
「でもさー、あの勇者様ならわざわざそんなことしなくても立ってるだけで目立つわよ」
「まあそれは確かに、顔は良いからね」
「顔だけはな」
「性格はちょっとねぇ、遠慮したいっていうか…、――あっ!」
「えっ、何よ? ――…っ!」
「わっ、ちょっ…、まずっ!」
急に慌てふためく人たちを尻目にニーチカは廊下を行く。
横から獅子姿のスヴェートさんの気遣うような視線を感じるが、取りあえずはその場をさっさっと去る。じゃないと食ってかかりそうだから。何も知らないくせに勝手な話をするなって。
良いことの噂よりも悪いことの噂の方が広がるのが早いのは何でだろう。
でもパーヴェル様に言わせれば、人間なんてそんなもんだから放っておけ、と答えられそうだ。自分自身が噂の対象であったとしても。
「…大丈夫ですから」
ムカつく気持ちをおさえながらニーチカは短く呟く。獅子からの視線に答えるのと自分自身に向けて言い聞かせるように。
私が突っかかって行ってもきっといい印象にはならないって知っているから。
今噂話に花を咲かせていた人たちは下級使用人で、私が元いた場所。そこからびっくりするような理由で離れてしまった私はどうしたって良くは思われていない。
流石に上級使用人以上の人たちは表立って噂を口にすることはないが、下の者の間ではやはりこういった噂が広がってしまった。現場である街の方ではきっともっと広がってるはずだ。
そんな街中を今パーヴェル様は巡邏してる。……正装で。
リディア様が聖剣と共に用意していたのはパーヴェル様の正装。パーヴェル様の髪色に合わせたブルーグレーを基調に茶と金が色を添え、それは明らかに私を意識した色で、ちょっと、…なんて言っていいか、むず痒いような、そわそわしてしまうような。
でも似合ってるしパーヴェル様も満更でもなさそうなので良しだ。
パーヴェル様の正装、これはリディア様の作戦で、この姿を見せれば悪い噂も霞むとのこと。主に女性陣に。
単純な作戦だがこういうのが一番効果的だ。
今朝見たパーヴェル様の正装姿を思い出し、ムカつく気持ちから面映ゆい感情へと切り替わり、ニーチカは意味もなく進めていた足を緩める。
そして赴くままにいつの間にかたどり着いた場所はシーツがはためく広場。結局足はいつもここに向かってしまうようだ。
( 私ってやっぱりこの光景が好きなんだなぁ… )
と、眺めていれば先客がいるのに気づいた。
「――アントンさん!」
呼びかけた声に振り向いたアントンさんは私の姿を認めると眼鏡の奥の青い目を緩く細める。
「やあ、ニーチカ、久しぶり」
「ほんと久しぶりですよね」
「そうだね、ちょっとしばらく伏せっていて。実際、城に来るのは久しぶりなんだ」
「ええっ、大丈夫なんですか…?」
久しぶりに顔を合わせたアントンさん、その雰囲気が少し変わって見えたのはそのせいだろうか。痩せたような、ちょっと鋭くなったような。
「大丈夫だよ、そこまで深刻ないものでもないし。だだの心労だね」
「心労…」
「使節団の式典の後からだから割りと長く伏せってたかも」
「色々ありましたもんね…」
確かに、そうなる気持ちはわかります。
しみじみと呟く私に「でも、」とアントンさん。
「今は君の方が大変じゃない?」
「あー…」
「噂、色々と出回ってるみたいだね」
「まぁ君のではないけど」とアントンさんは小さく肩を竦める。
それに対してニーチカはちょっとだけ苦笑いを零し、へにゃりと眉を下げた。
「いえ、私のであった方が気は楽ですよ」
私の噂であれば大した害にはならないが勇者であるパーヴェル様ともなればその影響は多大だ。だからこそリディア様やオルロフ様も動くわけで。
「確かに、勇者様が犯人とか洒落にならないよね」
「え?」
「ん?」
「パーヴェル様は犯人ではないですよ?」
「ああ。うん…、そうだろうね」
「だろうじゃなくて違うんですっ」
アントンさんの微妙な返答にニーチカは強く言葉を返す。まさかオルロフ様付きの文官であるアントンさんまで噂を信じているとでもいうのか。
眉を寄せるニーチカにアントンさんは困ったように小さく笑った。
「君は勇者様の恋人だからそう信じたい気持ちもわかるけど…、聖剣は動かぬ証拠だよね? あれは勇者しか扱えない」
「それでも違うんです!」
ニーチカは更に眉を寄せて訴え、そんなニーチカをアントンさんは青い目を眇めて見下ろす。
「…っ」
おかしい。彼はこんな冷たい目をする人だったろうか?
何だかよくわからない不安に駆られて、ニーチカは一歩下がる。その背を支えるようにスヴェートさんがトンと体を寄せ、グルルと唸った。
「ああ…精霊様、威嚇は止めてくれませんか? 僕は何もしてませんよ?」
おどける口調でそう言ったアントンさんは薄く笑う。
本当に、誰だ、この人は?
こんなの私の知ってるアントンさんじゃない。尚も後退ったニーチカを庇いスヴェートさんが前に出て、私の心情を代弁してくれた。
「何者だお前は?」
「…嫌だな、何度か顔を合わせてるじゃないですか、僕はただの文官ですよ」
「ほう、文官な。その割には妙な気配があるが」
「気のせいでしょう」
「気のせいか…。 なら、もう一つ尋ねよう」
「どうぞ」とアントンさん。
「お前は式典以降は城にいなかったそうだが、よく私が精霊であることがわかったな?」
「え? …いや、それは噂で」
「ほう。今流れている噂は大概が勇者のことについてだと思ったが」
「噂は色々ありますよ、それに黄金の獅子なんて直ぐにわかるじゃないですか」
「でもお前とこの姿で顔を合わせるのは初めてだぞ。なのにひとつも驚くことがなかったな。大抵の人間は何らかのリアクションを見せるものだ」
「そんなの…、精霊様が猫の姿の時からニーチカの側にいるのを見てますから、今さらですよ」
その言葉にニーチカはピクリと肩を揺らし、獅子の体の横から身を乗り出し口を挟む。
「それはおかしいです。スヴェートさん…精霊様が猫の姿であったことは限られた人にしか言ってません。だから噂になるはずがない」
光の精霊の愛し子、その聖獣として認識されているのは黄金の獅子だ。猫の時はあくまでも猫として過ごして来たし、そのことを知っているのはリディア様とミハイル、それにオルロフ様。後はオルロフ様が必要と判断した上の人たちだけだ。失礼だが文官でしかないアントンさんをオルロフ様が必要と考えるとは思えない。
スッと表情を消したアントンさんに、ニーチカは恐る恐る尋ねる。
「…貴方は、誰です…?」




