28.
気を取り直して。
リディア様とオルロフ様には対面のソファーに座ってもらい、私はスヴェートさんの横に移動しようとしたらパーヴェル様に阻まれ叶わなかった。だけど何とか膝の間からは移動し横に座る。
そんなこんなでオルロフ様が早速口を開いた。
「勇者様、聖剣を失くされたとは本当ですか?」
「失くしたでなく、どこかに行った」
「は…、どこか、に…?」
「ああ、でもどこかでもないな、持ってるやつがいるんだから」
「いやいやいや、勇者様?」
絶句からの呆れ。まあその気持ちはわかる。
それでも大臣ともなれば立ち直るのも早い。
「では、やはりあの聖剣は本物なのですね?」
「ああ、でなきゃチェムノータは現れない」
「チェムノータ?」
「神が穿った、あらゆる負を集めた穴、…ですわね」
オルロフ様から言葉を引き継いだのはリディア様。リディア様は神様、スヴィスタール神に仕える聖女様だ。この中の誰よりもそういったことに詳しいだろう。――けど。
「ただ現れるとは?」
そんなリディア様でもパーヴェル様の言う意味はわからなかったようだ。
問われたパーヴェル様はグッと背もたれに身を預け、そんなこともわからないのか?と言うような顔を向ける。
それがパーヴェル様の通常運転だとはいえ、とっても不敬である。幸いなことにリディア様は気にしてなさそうではあるが。
「神が穿った穴がどれくらいの広さだと思う?」
「…さあ。只人でしかない私では想像も出来ませんわ」
「この街と同じくらいかそれよりも大きい」
「それはまた随分と…」
「そしてそれはそのままここにある」
「えっ、ここにって…」
思わず声を挟んでしまった。
パーヴェル様の視線がこちらを向く。
「前に悪意が一番顕著なのは首都だと言ったろ? チェムノータがここにあるのだからそうともなる」
「いや、でも」
「しかもこれだけの悪意を溜め込めるのはチェムノータだからこそだ」
パーヴェル様の声は皮肉げだ。しかし、どう考えてもチェムノータを『チェムノータ』として使っている。でも前にパーヴェル様は神様にケンカを売ったと言っていたし、本当にスヴィスタールが掘った穴があるのかもしれない。
「それと聖剣の関係は? 現れるとはどういうことです?」
私が脱線させてしまった話をリディア様が元へと戻し、パーヴェル様の視線も戻る。
「要するに両方ともに神が創り出したもので、聖剣は神がそれなりの思いを込めて創ったものだが、穴にあるものはいらないと捨てられたものだ」
「…ああ、なるほど。嫉妬ですか」
「街の至る所で煽りまくってるんだ、そりゃあ、ああもなる。それじゃなくても人間が多い首都は悪意も多いからな。それと――、」
パーヴェル様は一度言葉を切った――あとに続ける。
「水瓶には底がないわけじゃない。満タンになればいずれ溢れ出る」
パーヴェル様が言うそれは、神様が掘った穴だと言えども、その神様の予測を超えるほどの悪意が溜まれば決壊もする――と言うことだ。
「…何とも耳の痛いお話ですね」
答えたリディア様だけじゃなくオルロフ様も苦い顔をしている。オルロフ様に至ってはそれこそ本当に耳に痛い話だろう。なんたって、それによって一度痛い目に会ってるわけだから。
再びの不自然な咳払いをしたオルロフ様が言う。
「しかし、男は聖剣をきちんと扱えていたと聞きましたが、あれは本来勇者様しか使えないはずなのですが」
「それはあの男にも勇者の素質があったってことだろ」
「勇者の? …男が誰かご存知で?」
「いいや」
「でも素質というからには、」
「――大臣」
その話はもういいわ。とリディア様が止めて。続いて、少し困ったように首を傾げた。
「問題はそこではないのですよ。今回は目撃した者も多かったもので」
リディア様の言葉にニーチカは眉をひそめる。
それは、懸念したようにもう既に何かしらの噂がたっているってことだろうか。
「一応聖剣の偽物を作らせてますわ。貴方にはそれを持ってしばらくは首都の巡邏をして頂きたいと思ってます」
「は? 何故? 言いたいやつには勝手に言わせとけばいいだろう」
「何事にも根回しは必要ですから」
「必要ない」
「貴方はそうでしょうが気にする人がいますよね?」
チラッとリディア様の視線がニーチカへと流れ、同時に横から盛大な舌打ちが鳴る。もちろんパーヴェル様だ。でも流石に不敬すぎる。
「ちょっ…パーヴェル様」
「ああそう、ニーチカさんも一緒に回れば良いのでは? 」
「え、あの、え?」
急に振られて戸惑うが、たぶん巡邏のことだろう。
「あ、はい、私は別に構わ――」
「必要ない」
「……」
私が答える前に却下の声が入った。
リディア様は若干呆れ顔で、声の主は眉間に深いシワを刻んで口を開く。
「……それで男の生死は?」
「出来れば生け捕りで。無理でしたら、…まあ仕方ありませんね」
物凄く不機嫌顔のパーヴェル様にリディア様は少しも気にせず答えるが、話が急に変わったよね?
いつの間にか男を捕まえる的な話になってる。
ただオルロフ様も別段怪訝な顔もしていないし、まあ最終的にはそれが目的だから間違ってはいないけど。
「…相変わらず過保護ですわね」
「……」
「それで手っ取り早く本命を叩こうと思われてるようですけど、一、二度はパフォーマンスをして下さいね」
「チッ!」
「あっ、パーヴェル様また! ……て、今度は何です? ちゃんと聞いてなかったんですけど」
「何でもない」と答えたのは苦い顔と声のパーヴェル様。けれどリディア様が満面の笑みなので、まあいい、のかな?
それから軽く話を詰めて三人は部屋を出て行った。
そういえば、始終空気と化していたミハイルにリディア様の件はどうなったかを聞けなかった。
うんでも、余計な首は突っ込まない方がいいか。やぶ蛇になりそうだし。
横でパーヴェル様が重い息を吐く。とても不服そうだ。
「あ、でも巡邏って夜やるんですか? あの偽勇者は夜しか出ないんですよね?」
「…偽勇者ね」
繰り返したパーヴェル様の声には憐れみが込められてたような気がしたが一瞬で、直ぐに緩く首を振る。
「もうそんな必要もなくなったろうからあまり関係ないだろう」
「じゃあ昼も出て来ると?」
「さあ、どうだろうな。次来るとしたらもうあんなまどろっこしいことをせずに直接来ると思うが」
「まどろっこしい?」
パーヴェル様は答えずに私の耳と手首にある自分の色を見て目を眇める。
「アンタはあまり余計な心配しなくていい。 けど、渡したそれは絶対に外さないように」
「それは、…わかってますけど」
ニーチカは不満に口を尖らす。
パーヴェル様は絶対に色々と知っている。知っていてあえて話さないのだ。
それならばとスヴェートさんを見れば眉尻を下げて軽く肩を竦める。パーヴェル様に倣えだ。
パーヴェル様やスヴェートさんは過剰すぎるほど過保護の部分があるとは思う。でも今回のそれは、私を思ってとはきっと違う。
知られたくないこと、隠したいこと、があるんだろう。
「……結局、夜を狙って出ていたのは何でなんですかね」
「そりゃあ日中はうるさい虫が飛び回ってるからな」
「虫?」
『虫?』
『虫って言った?』
答えを聞く前に部屋に漂っていた小さな金の光たちがパーヴェル様の方へと飛んで行きペシンと指で跳ね返される。それで理解した。
それに、前に言ってたなと、夜は活動休止になるって。
全てを隠されてるわけではない。その違いは何だと考えればやはりパーヴェル様なのだ。
パーヴェル様が何かを隠している。
それとも、騙している?
跳ね返されてこちらへと逃げてきた光の精霊を、呆れた顔で眺めていたパーヴェル様の視線が見つめる私に気づき上がる。
普段は冷たい輝きを放つ緑琥珀が、私を認めると緩く柔らかく細められる。
「何だ?」
そう問う声も柔らかい。
…パーヴェル様が、私を騙している?
もしそうだとして、騙されていたとして。
この向けられるものが偽りだったとしたら私は――。
「……何でもないです」
ニーチカは視線を落とし小さく首を振った。




