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おかえり、ニーチカ  作者: 乃東生
〜さよなら、勇者〜
27/40

27.


 転移でクラクラする脳内が通常に戻った時には既に舞台が出来上がっていた。

 キッチンにある小さなダイニングテーブル、ソファーテーブルより随分と近い対面の席には、組んだ手の上に顎を乗せたパーヴェル様。



「――で、話って?」



 と、一見穏やかそうに聞こえる声で言う。

 とはいえ、眉間にシワが寄ってる時点で不機嫌であることに間違いはない。

 まるで尋問のような状況とパーヴェル様の醸し出す雰囲気に、若干戦々恐々としながらニーチカは口を開いた。



「あのー…ですね、聖剣を持った人が夜な夜な現れるって噂を聞いてですね」

「ああ…、それか」



 パーヴェル様のあっさりとした返事に、ニーチカはぱちりと目を瞬く。



「え、知ってたんですか!? じゃあっ、聖剣って、盗まれちゃったんですか!?」

「聖剣? ああ、あれは勝手にどっかにいった」

「ええっ!? どっかにいった!? いや、勝手にって…?」



 え、何、どういうこと?

 ニーチカの混乱をよそに、パーヴェル様はそんなことなどどうでもいいとばかりに会話をさっさと進める。



「それで、その噂を確かめに行ったと?」

「え、…あ、はい、そうです」

「何で?」

「えっ、 何でって…、…聖剣って聞いたので、パーヴェル様じゃないかって思ったからで」

「でも俺がいないことは知ってたよな」

「それは…、そうですけど…」



 そういうことじゃない。けどそれは言葉が足りてないからだってのはわかってる。それでもだ、私の行動の根っこはパーヴェル様が心配であるからで。その本人からこうも問い詰められればムッともくる。



「パーヴェル様が悪いんですよ、聖剣なくしちゃうから」

「は?」

「ミハイルの同僚の人が見たって」

「見たって、何を?」

「聖剣が瘴気を発生させたって…、そう言うから」

「ああ…」

「だからっ、聖剣の持ち主であるパーヴェル様に変な噂が立つ前にそれを止めないと、って思うじゃないですか!」



 言いながら興奮して脈絡のない発言になっているがそれでもパーヴェル様には伝わった、伝わっただろうに。



「…何で笑顔なんですか…」



 さっきまでの不機嫌さはなりを潜め、軽く笑みを浮かべるパーヴェル様。私の説明に納得したからだとは到底思えない。

 ニーチカはぎゅっと眉を寄せる。



「私、真面目に言ってるんですけど」

「ああ、わかってる」

「じゃあ何でっ」

「わかってるけど、でもそれをアンタが気にする必要はないさ」

「そんなこと言ったって気になりますっ」



 パーヴェル様が己への評価をこれっぽっちも気にしていないのは知っている。なんなら無用のものだとでも思ってるだろう。だからこそ私が気にする。



「私は、勝手な噂や憶測でパーヴェル様が悪者扱いを受けるのは嫌です」

「…悪者ね…」

「そうですっ、このままではそうなっちゃいますよ」

「……」



 パーヴェル様は静かに視線を落とし、口元には先ほどとは若干質が変わったように見える薄い笑みを浮かべた。



「…どこに行ってもそれは当然に付き纏うか…、所詮、悪は悪でしかない…」



 そうして呟かれた声は小さくて聞き取りづらく、



「パーヴェル様?」



 尋ね返したニーチカにパーヴェル様は緩く首を振る。



「…いや、なんでもない。 ――でも」

「でも?」

「まあ、何とかする」

「何とかするって…、そもそもパーヴェル様はあの聖剣を持っていた人が誰か知ってるんですか?」

「さあ? 気にもしてなかった」

「ああ…」



 そこも気にならないのかとニーチカは遠い目になる。

 

 パーヴェル様が何とかすると言ったのだから何とかなるとは思うが、全ては私の知らないとこで終わりそうな気がする。それはたぶん思ってるものとは違うカタチで。

 だとしても、何も出来ない私がこれ以上横からやいのやいの言うのも違うだろう。



 ニーチカが話に一段落つけたとわかったのか、今度はパーヴェル様に主導権が移った。

 また少しだけ眉間にシワを寄せたパーヴェル様が口を開く。



「さっきも言ったが、アンタは呼ぶのが遅い」

「呼ぶ?」

「何かあった時は直ぐに俺を呼べ」

「あー…」


 

 それはあの場での発言の続きのようだ。

 けどそういえば、パーヴェル様に助けを求めるとかそういった発想は思い浮かばなかった。

 でもパーヴェル様は遠くにいてたわけだし仕方なくない?と、誤魔化すように曖昧な表情を浮かべる私を見てパーヴェル様の眉間のシワが更に寄る。



「……手を」

「え?」

「手を出せ」

「どちらを?」

「どっちでも」



 言われて、テーブルの上へと恐る恐る右手の甲を上に出すと、くるりとひっくり返されて手首辺りを掴まれた。

 節だつ長い指先が私の手首をぐるりと囲う。こうやって見ると、パーヴェル様の手は私よりも随分と大きく、こちらの手首なんて完全に隠れる。



「……細いな」

「普通ですよ、パーヴェル様の手が大きいんです」

「それこそ普通だろ」

「そんなことないです。……で、何ですかね、これ?」



 恋人なのだし、関係性もハグまで進化したのだ、手を繋ぐ(?)なんてわけない。とは言え、わけのわからないこの状況はやはりドギマギとしてしまう。

 なので尋ねたニーチカに、向いのパーヴェル様は繋がった手と手首を見下ろして「ちょっと待て」と言う。パーヴェル様の伏せた、髪と同色の睫毛は長く、緑琥珀(グリーンアンバー)な双眸に複雑な陰影をつける。

 綺麗だなぁ、と眺めていれば手首に熱を感じて。それは身体を一回りしたあとまた手首へと戻った。


 全く不快ではない熱であった。だけども。



「え、今のなんです!?」



 どうしたって今のはパーヴェル様が何かした。

 不意打ちで大きく目を見開くニーチカに、パーヴェル様はさらりと言う。



生命兆候(バイタル)を確認出来るようにした」

「え…、バイタル…て?」

「…ああ、まあ、それで健康であるかどうかがわかる」

「健康…」



 当然、私のだよね?



「えーっと、…必要です?」

「必要だな」

「…それは、パーヴェル様的に?」

「それもある」



( それもあるんだぁ… )



 むしろそれだけでしかないような気がする。

 パーヴェル様が手を離すと、現れた私の手首には緑の輪がぐるりと囲む。幅はそれほど広くない細身のブレスレット。近くで見てみると金属製でなく緑琥珀を削り出したもののようで、腕にピッタリと嵌っている。

 これが私が健康?であるかを確認するのだろう。


 …うん…、物凄くあれだ。物凄くあれだけど。



( まあ、いっかぁ… )



 と、思ってしまう。それがパーヴェル様の心の安寧に繋がるなら。

 実際、今も私の腕に嵌る自分の色を見てとても満足そうだし、本当にパーヴェル様の拗らせ具合はどうなんだと思う。

 一体何をしたんだルーシェンカ様………いや、私だけど。


 

 納得したかどうかはわからないけど、機嫌は確実に向上したパーヴェル様はしばらくは遠方には行かないと話し、そしてその日はもう真夜中であったこともあり早々と就寝した、――次の日。




「……あの…パーヴェル様、私出掛けたいと、」



 ――思うんですが?

 ニーチカが言い切る前に多少食い気味の返事が返る。



「どこに?」

「え?」

「俺も行く、どこへ行く?」

「…え、あ、いえ…、…やっぱり、いいです…」



 歯切れ悪く答えたニーチカは浮かした腰を元へと戻した。その場所――、隣で隙間なく寄り添うようにソファーに座るパーヴェル様は怪訝な顔を向けるが、ニーチカはヘラリと笑って誤魔化す。

 別にどうしても行きたい場所があったわけでない。ただ朝起きてから常時横を陣取るパーヴェル様からちょっとばかし離れようかなーと思っただけだ。


 もちろん、嫌だからということはない。

 嫌ではないけど、こうもずっと近くにいると、何だか落ち着かないというか。

 所在なさげにモジモジするニーチカを見て、パーヴェル様はフッと軽く息を漏らすと読んでいた本をテーブルへと投げ出し、その空いた手がニーチカの体をさらう。

 


「わっ、ちょっ、パーヴェル様!?」



 強制的に移動させられた場所はパーヴェル様の前、開かれたその両足の間に座ったニーチカを背後から緩くパーヴェル様が囲う。

 さっきでも近いと思っていたのにこれは流石に近すぎる。慌てるニーチカ。



「――な、なな、なんですっ!?」

「ん、スキンシップ」

「ススス、スキンシップって…」

「いや、自覚はしてきたみたいだが今度はそろそろ慣れてもらわないと」

「な…っ、…慣れ?」

「ああ、言っただろ? じゃないと()()()()に進めないって」

「ふわっ!」



 耳朶を直接くすぐる甘い宣言に、咄嗟に立ち上がろうとしたニーチカの体を絡まる腕が阻む。



「顔真っ赤だな」

「誰のせいですかっ!」



 別にかまととぶってるわけではないのでパーヴェル様が言う()()()()()()次の段階がどうなってゆくのかはわかる。わかっているけども!

 

 

「人には心構えっていうのが必要なんです!」

「心構えねぇ…」

「そうです!」

「だけど構えすぎて勝機を逃がすってこともある。時には不意をつくことも必要だろ」

「時には、って――っ」



 パーヴェル様の場合は不意打ちばかりじゃないですか!と抗議を上げようと振り向くと、私の目元の横で軽いリップ音がなった。



「…………は?」

「急にこっちを向くからつい」

「……え、は…?」

「こめかみでは不満か? だったら口でも、」

「ふああぁぁ!? いいい言ってませんよっ!? 不満なんて!?」



( い、今…、チュッって、チュッて…っ! しかも口にって…? …それはもう、キスじゃ―― )



「あー…、『コホンコホン』」



 突然割り込んだもの凄く不自然な咳払い。

 それは脳内が忙しいニーチカにも聞こえてビクッと身を揺らし、その声の方へと顔を向けると。


 最近筋肉が肥大して来た偉い人――オルロフ様がわざとらしい咳をつきながら気まずげに視線を泳がせ。横では王女であり未だ聖女であるリディア様が紫の目を軽く見開き、「あらあらあら…」とどこか楽しそうに零す。そしてその最後方、幼馴染ミハイルが何とも言えない顔で『お前、タイミング…』と声に出さずに口を動かした。…そう、タイミングだ。


 え、何で、いつの間に?



「すみませんニーチカ様、一応事前に声は掛けたのですけど…」

 


 眉尻を下げた美貌のスヴェートさんがそう言い、何となく濁すように流された視線を追った先にはしれっとした顔のパーヴェル様。



「……え、いつから…?」

「アンタが心構えを説いてた頃だな」

「…それは…」

 


 割りと前からですよね?

 その後のやり取りはバッチリ見られてたってことですよね?


 今直ぐに叫んで転げ回りたいところだが、私はまだパーヴェル様の腕の中で。まさに、穴があったら入りたいとはこのこと。


 神様! チェムノータなんて穴じゃなく、私を隠す穴をください!




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