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おかえり、ニーチカ  作者: 乃東生
〜さよなら、勇者〜
26/40

26.


 

 「――逃げて!」



 微かに届いた幼馴染のそんな声に、振り返ったミハイルは地面に飲み込まれるニーチカを見て一瞬瞠目し、直ぐに走り出す。


 もう一方、大切な愛し子に厳しい表情で人助けを請われた精霊王は、建物から救出した男を安全な場所へと避難させる途中に酷い焦燥感に駆られて。たぶん安全だろう場所に男を放置すると、素早く身を翻した。



 そのニーチカは――、


 剣が突き立てられたと同時に足元の地面が跳ねて、次に沈んだ。たとえ瘴気に耐性があったとしても物理的に沈められてしまえば元も子もない。

 そして共にいた男たちは、一人は地面にズブズブと沈んゆく体にパニックを起こし、もう一人の――元凶であるフードの男はいつの間にか消えた。


 これはマズいと、何とかしようとするが、自分では冷静だと思っていてもやはり冷静ではないのだろう。これまで学んできた役に立ちそうな魔法のひとつも思い浮かばずにニーチカは焦る。せっかくパーヴェル様に教えてもらったっていうのに…。


 ほれ見たことかと眉を寄せる、端正な顔が脳裏をよぎる。

 だから、というわけではないが、思わずその名が口から零れ落ちた。



「…パーヴェル様…」


「――呼ぶのが遅い!」


「………は?」



 突然返事が返されて。背後から腰に回された腕でニーチカの体はあっさりと引き揚げられる。

 誰? と問う必要はなく、だけど急に現れれば誰でも驚くのは当然で。



「はっ!? パーヴェル様!? え、何でここにっ!?」



 目を見張るニーチカの視界の隅には不機嫌に眉を寄せたパーヴェル様の、それでも整った顔。

 …うん、さっき思い浮かべたものと同じだ。

 そして同様に不機嫌な声が降る。



「それはこっちのセリフだ。アンタこそこんなとこで何してる? スヴェートは?」


「ニーチカ!」

「ニーチカ様!」


 

 タイミングがいいと言うべきか悪いというべきか。

 慌てて駆け付けてきたミハイルとスヴェートさんにパーヴェル様の氷点下の眼差しが向く。



「…おい、お前たちがいて何でニーチカがこんなことになってる?」

「それは…、」



 声を詰まらせる二人。だけど今はそんな話をしてる場合ではない。

 どうやってるかはわからないけど、私を抱えたパーヴェル様は沈むことなく大地に立っているが、周りは現在進行形で沈みゆく。

 


「パーヴェル! それよりもこれをどうにか出来ませんか!?」

「は?」

「これ以上沈まないようにとかっ」

「……」

「話なら、その後でも出来ますから!」

「………、――はあ…」



 腕はお腹に回されたままなので体を捻るように振り仰ぎ訴える私に、深く息を吐いたパーヴェル様は片手を軽く振った。

 とても雑な動作だったがそこからいくつもの魔法陣が展開し地面へと吸い込まれてゆく。すると沈む建物がピタリと止まった。



「……え…、…本当に止まった?」

「おぉ…、そんなあっさり…、しかも全く瘴気を感じないとか」



 頼んだのは自分だというのに驚くニーチカと若干複雑そうなミハイルをよそに、獅子の姿のスヴェートさんはヒゲと耳を下げてしおしおとこちらにやって来て、パーヴェル様からの無言の一瞥を受けて更にヒゲを下げた。



「じゃあ部屋に戻るぞ」



 と、パーヴェル様が言うのにニーチカは目を瞬く。



「え、確かに沈むのは止まりましたけど、…あの、このままですか?」



 建物は沈んだままだとしても仕方ないが、二度目の地揺れでは物音によって出て来た人たちまで巻き込まれているのだ。つまりは地面に刺さった状態で。

 私の視線だけの訴えをわかってかわからずか、…いや、たぶんわかった上でだろう。パーヴェル様はそんなの当然という顔をする。



「後は掘り出せばいいだけだ。誰でも出来るだろ」

「や…、それはそうですが――でも、」

「ほら、じゃあもう行くぞ」



 言うが先か、ニーチカの視界がぐらりと揺れる。今度のものは地揺れではなく、これはアレだ。

 ニーチカは焦って言う。



「あのっ、転移はい――、」



 ――嫌なんですけどぉ!?



 そう言い切る前には既にその場から姿を消していて。その際傾いた倉庫の屋根の上にパーヴェル様が鋭い視線を送ったなんてことは、もちろんニーチカは気づかなかった。




**




 完全に気配を絶っていたというのに、冷たい輝きを放つ緑の目は確実にこちらを捉えていた。しかもだ、消える一瞬に致命傷になり得る一撃を残してだ。

 聖剣が無ければ命はなかっただろう。それでも全部を防ぎきれることは出来なくてフードの男はガクリとその場に膝をつく。


 止めを刺すことなく、確認することもなく去ったのは、その必要性を感じないとでも思ったのか。その価値を見いだせないとでも。



「……っ、は…、はは」



 屈辱に喉の奥から震えた笑いが漏れた。

 こちらの存在は腕の中に大事に囲っていた少女よりも遥かに低い。たぶん比べようも無いほどに。

 どこまでもどこまでも、あの男は、あの簒奪者はこちらを貶める。


 だけど、だけどだ。

 あの男の弱みは一目瞭然であり、その性格がもたらすだろう弊害も容易く読める。

 だから別に真っ向からぶつかる必要はない。少しづつ削ぎ落としていけばいい。


 くぐもった笑いを零しながら立ち上がる男。その手に握った『()()』の聖剣がぶるりと震えたが気には止めない。

 たぶん抗議なのだろう。正義でないこの行いを。でも()()()()()()()()、己の主を選んだのは聖剣自身。二心を抱いたゆえの結果。抗議など今さらだ。

 それに、聖剣はこれからの大事な鍵となる。


 男は倉庫の屋根から騒然としている地上を眺める。

 目撃者は多数いる。そしてネタも提供した。



「…さて、ここからどう広がるか」

 


 クッと頬を歪めるように男は笑い、長居は無用とその場を後にした。




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