25.
「…お前って、もしかしてもってたりする…?」
「…や、私もちょっと驚いてる」
何となくふらりと入った路地裏の倉庫街で、即お目当ての人物を見つけた私たちはそんな言葉を交わす。 偶然だとしても凄すぎない、私。
「――で、次はどうすんだ?」
ミハイルのその声にニーチカは「んー…」と眉を寄せ路地裏の人影を眺める。
長身の、肩幅のあるシルエットを見るに男性と思われる人物。その男の手にある発光しているようにも見える棒状のもの。
「うん、どう見ても部屋に置いてあった聖剣だね」
「だろうな、これだけ離れてても神聖な気配を感じ取れるくらいだから」
「でもそれって大変な事じゃない?」
「……だろうな」
だってこれがパーヴェル様の持っていた聖剣だとすればやっぱり盗まれたってことで。
( でもあのパーヴェル様から? )
考えても答えは出せそうもない疑問に眉を寄せる。そんな私の視線の先で、フードを目深に被った男は鞘からスラリと剣を抜いた。つまりは平々凡々な一般人ではないという証拠。
「で、どうする?」ともう一度ミハイルに尋ねられ、ニーチカは表情を引き締め口を開いた。
「もう少し近づいてみよう。あの人が誰か確認したい」
そう言って率先して近づこうとしたニーチカの足元を、小さな影がサッとすり抜け目の前に躍り出た。
「駄目ですよニーチカ様!」
「――わっ、スヴェートさん!?」
「先ほど言ったでしょう、確認ならその男に任せればいいと」
「でもそこからそこじゃないですかっ」
「でも駄目です!」
「何でですか!」
「それは、」
前足を踏ん張りその場を固持するスヴェートさんと、互いに譲らぬ言い合いをしていると、
「――あっ!」
と、ミハイルの声が飛んだ。
「おい、そんなことしてる場合じゃないぞ!」
「何よ!」
言われて視線を戻したニーチカは見た、フードの男がこちらを向き、聖剣の切っ先を下に腕を大きく振りかぶっているのを。
「……あ、」
しまった…と零す間に、光を跳ねた刀身が男の顔の下半分だけを照らし、口の両端がゆっくりと上がった。
そして代わりに、素早く下げられた剣が地面を抉る。
ドンッ!!
――と、大きな振動が響き大地が揺れた。
揺れに足を取られ転びそうになったニーチカを人型に戻ったスヴェートさんが支える。
「ニーチカ様危険です、離れますよっ!」
「でもそこにっ――」
目の前の、揺れる大地の中心に男はいる。
そのフードの下できっとこちらを見ている。
偶然…などでなく、わざと私たちの前に姿を見せたのだ。
嘲笑ってでもいるのだろうか。そのフードの下の顔を暴いてやりたい。が、この揺れの中、私があそこまでたどり着けるとは思えないし、どうせスヴェートさんに止められる。ならばと、ニーチカはミハイルに視線をやった。
「ね、ミハイル」
「あっ?」
だから代わりにお願いしようと呼び掛ければ、それを受けたミハイルは男から視線を外し、こちらを振り向いた途端ビクッと表情を固めた。
「――え…? …や…、え…誰?」
「ん? ああ、スヴェートさんだよ、でもそれは今はどうでもよくて。ミハイル、あいつに近づけるかな」
「えっ、あ、まあ、近づけるっちゃあ近づけるけど…」
私の雑な振りに、名残惜しむようにスヴェートさんに視線をやりながらも、それでも渋々と揺れる大地の方を向いたミハイルは眉を寄せて言う。
「でも実際これはちょっとマズいかも」
「マズいって?」
「この揺れだよ」
「ただの地揺れじゃないの? どうやったかはわからないけど…」
「いや、そうじゃなくてこれは…、」
「瘴気ですよ、ニーチカ様。だから早くここから離れましょう」
若干焦った声を割り込ませたスヴェートさんに、ニーチカはぱちりと目を瞬き、一拍おいて驚きの声をあげる。
「えっ! 瘴気!?」
「そうだよ。でもここいらが住宅区でなくて良かった。俺でも気を張っていないと持っていかれそうだ」
驚くニーチカに、会話の主導権を戻したミハイルが言う。確かに、ミハイルの同僚の話でも突き刺した剣の先に瘴気があったとは聞いたが。
あまりにも規模が大きすぎない?
揺れてたわむ大地は一区画程もありそうだ。
そこで唐突に『あれ、でも?』と、今さっき放たれたミハイルの言葉に疑問が浮かぶ。
「えっと…、今、瘴気が湧き出てるってことだよね? …あの、私全然平気なんだけど?」
軽い瘴気なら気分が悪くなるとかで済むだろうがこの規模だ、軽いなんてことはない。瘴気が重く、そして濃くもなれば、意識を持っていかれそのまま死に至る。
ハテナを顔に浮かべ尋ねれば、ミハイルはとても呆れた眼差しで私を見た。
「ニーチカ…、お前の耳についてる装飾品は、飾りであって飾りじゃない」
「飾り? …って、――あ」
「誰もが大枚をはたいてでも欲しがるだろうけど、お前にしか扱えないという何とも残念な一品だ」
「いや、言い方…」
ミハイルが言う装飾品とは、私の耳にあるパーヴェル様の瞳の色と同じ緑琥珀な耳飾り。パーヴェル様自身が色々と後付けをしたある意味とても物騒な代物である。
横でスヴェートが深く頷いているのを見る限り、確かにこのお陰であるらしい。きっとまだ私が知らない性能もありそうだ。
そんな悠長なことをしてる場合ではないのに違うことに気を取られたからか。それともただの時間切れか。
たぶん、その両方。
無言で佇んでいた男が暗がりへと姿を滲ませて。ミハイルが慌てて追おうとしたのをスヴェートさんが鋭い声で止めた。
「待て」
「えっ」
「それ以上進むな、もう表層にまで出てしまってる」
「表層にって…っ、」
スヴェートさんの制止の声に足を止めたミハイルだが、その止めた足がズブリと地面に沈んで「うわっ!?」と飛び退った。
「何だこれ、地面が柔らかい…? …え、瘴気の…?」
「ああそうだ、これがチェムノータの一端。溜まりに溜まった負の感情が煮凝ったもの。持っていかれるどころか飲み込まれるぞ」
スヴェートさんの声を受けてニーチカは呟く。
「…チェムノータ…」
それは瘴気溜まりの意味として使ったのかもしれない――けど。
目の前で、倉庫だろう建物たちがズブズブと地面へと沈んでいく。私もミハイルも為す術なくそれを見守る。
ミハイルが言ったようにここが倉庫街で良かった。そして夜で良かった。もし日中ならばここにも人が沢山いただろう。
だとしてもこのままというわけにいかない。
ニーチカが何とか出来そうな唯一、スヴェートさんに視線を向けようとした目の端、沈む建物の窓に慌てふためく人の顔が見えた。
「――は!? ちょ…っ、あそこに人がいる!」
ニーチカの指差す方向を見て、「ええっ!?」とミハイルも眉間にシワを寄せる。
服装から見るに浮浪者だろう男、勝手に入り込んで寝でもしてたんだろう。
良かったでは済ませられなくなりニーチカは今度こそスヴェートさんを見る。
「スヴェートさんっ、あの人助けられますか!?」
「…はあまあ、それは。ですが、あの者は既に瘴気を浴び過ぎているので手遅れかと」
「それでもですっ!」
眉を上げて強く言うと、仕方ないと言うように獅子へと姿を変えたスヴェートさんは沈みゆく建物へと跳躍した。
スヴェートさんの価値観もパーヴェル様と大差ないみたいだ。口だけの私が言うのもなんだけど。
流石にこの物音では聞き付けた人たちが「何だ?」と顔を見せ始め、ミハイルはその対応に追われる。ならば私もと。何せパーヴェル様のおかげで瘴気なんて問題ない人間なのだから。
そう思い立ったニーチカはミハイルに続こうと振り向いた――、その背後に、男がいた。
「――っ!?」
人間、驚くと咄嗟に声が出ないものである。
声を詰まらせたニーチカの眼前には剣の切っ先。これだけ近くにいるというのにやはりフードの奥の顔は見えないまま男は低く呟く。
「瘴気を防げたのはあの男の執念か…」
「――あ、あなたはっ」
「しかも聖剣が止まったということは聖女であることも事実、…か」
「ちょ…っ、さっきから何言って…じゃないっ、――そう、聖剣!」
ニーチカは男の言葉の一部を拾う。この目の前にある切っ先こそが、その聖剣。
止めた、でなく止まったと言われたがそんなことは関係なくニーチカは声をあげる。
「それを返して!」
「返す?」
それに対する男の返事は嘲笑うような雰囲気を滲ませて。
「何故?」
「何故って…っ、だって、その聖剣は勇者のものでしょ!」
「そうだ聖剣は勇者のものだ。勇者のものであるべきだ」
「だったらっ――」
「――勇者? 聖剣? …あんた、勇者様かっ!?」
私たちの会話に突然割り込んできたのは物音を聞き付けてやって来た内の一人。今は切っ先が下げられてた聖剣、それを持ってるフードの男を勇者と勘違いしたようだ。
「勇者様っ、あの倉庫には俺の大事な商売道具が入ってるんだよ!」
「ちょっとこの人は勇者じゃ――」
「ああ…、沈んじまう…、早くっ、早く何とかしてくれよ勇者様!」
「……」
縋り付く男を黙って見下ろしていたフードの男はニヤリと口の端を上げ。そしておもむろに聖剣を頭上へと掲げる。
「…え…、ちょっと、勇者様…?」
自分に振り下ろされると思ったのか、男は戸惑ったような声を漏らし、ニーチカは焦る。
その動作には見覚えがあった。だから周りにも聞こえるように大きな声で叫んだ。
「逃げて!」
――と。




