2.
( 案内って、後ろを歩くものだっけ…? )
と、ニーチカはそんなことを思いながらパーヴェル様の均整の取れた後ろ姿を追う。
初めて入ったといっても過言ではない本館の廊下を、完全に場違いな自分が歩いてることに戦々恐々とするが、すれ違う人間は全員パーヴェル様に釘付けになっていて私の存在感はゼロに等しい。そこだけが唯一の救いだ。
にしても、どうしてこうなったのか… 。
項垂れるニーチカの横、廊下の窓から見える青空が快晴過ぎて恨めしい。今日は洗濯日和だと思っていたのに。
案内など必要とせずスタスタと歩くパーヴェル様。このままとんずらしてやろうかと思うが、そう思う度に確認するようにこちらに視線をやるので行動に移せない。勇者の第六感とかそんなの?
でもこれは絶対に目的の場所があって、しかもちゃんとわかった上で進んでるんだと思う。
( …本当に、何で…? )
流石に私を巻き込む意味がわからなさ過ぎていい加減声を掛けようとしたら、前方からバタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「勇者様!」
数人の供を引き連れ慌てて駆けつけて来たのは、転がった方が速いのでは? と思わせるような体型の男性。服装や雰囲気からたぶん偉い人なのだろうと判断して、目に入らぬようニーチカは廊下の端に寄り息をひそめた。
そんな偉い人、だと思われる男性は壁に張り付くニーチカに全く意識を向けることなく、パーヴェル様の目の前で止まると額の汗を拭きつつさも大儀そうに言う。
「探しましたよ、勇者様。 何も言わずに居なくなられては困りますな」
「は? 何で俺がすることにいちいち他人の許可がいる?」
「いちいちと言われましても、貴方様は我が国に召喚された御身ですよ」
「された? …勝手にしたの間違いだろ」
呆れたようなパーヴェル様の声色に、相手は気色ばむ。
「なんてことをっ! 召喚は神聖なる儀式であって――、」
「神聖? 儀式? 随分と都合の良い話だよな。無理やり喚んでおいて、それでこの国の為に働け? こっちの意思も関係なく?」
「それは――、」
「馬鹿馬鹿し過ぎて全く笑えないな。それに俺は従う気はないと言ったはずだ」
被せるように、そして取り付く島もなく遮るパーヴェル様の声は、また色を変えて今度は氷点下なもよう。
私がいる位置からはその顔は見えなくても、青く変わってゆく彼らの顔色をうかがえばわかる。声同様に表情だって絶対零度だろう。なんなら本当に気温も下がった気がする。
ニーチカがふるりと身を震わせれば、直ぐにフッと空気が和らいだ。パーヴェル様が小さく息を吐く。
「…まあそうだな、多少思うこともあったから、お前らの話を聞いてやらないこともないが」
「ゆ、勇者様…!」
「ただし、そのタイミングは俺が決める。今はやる事があって忙しい」
「やる事、ですか…?」
「ああ、まあ…」
頷いたパーヴェル様がチラリとこちらを見る。
え、何故、今!?
おかげでせっかく空気と化していたのに、たぶん偉い人(仮)な男性の目がニーチカを捉えた。
「おい…、下級使用人が何でこんなとこにいる?」
鋭く咎める視線と声を受け、だから言わんこっちゃないとニーチカは中途半端に伏せていた顔を更に下げる。 上の者に対しては端に避け頭を垂れるのが下級使用人の鉄則だ。本来は目も合わせてはいけない。
「見たところランドリーメイドのようだが、この場でお前の仕事なぞないだろう。さっさと仕事に戻れ」
「はい直ちに戻――、」
「らなくていい。これは俺が連れて来た」
「……( ああー… )」
せっかくの戻れるチャンスであったのだが、残念ながらパーヴェル様によって一瞬で潰えた。
虚しく自分の靴先を見つめるニーチカを残し会話はそのまま流れる。
「…は? 勇者様が? …何故です?」
「俺の身の回りの世話をしてくれる人間が欲しかった」
「……!( そんな話は聞いてない! )」
「それはちゃんと手配した者がいたはずですが?」
「ああ、全員追い払った」
「は? 何か、粗相を…?」
「いや、単に気に入らなかっただけだ」
「は!?」
「!?( はあ!? )」
無茶振りだ。しかも横暴だ。今回の『勇者』様は違う意味でダメかもしれない。
そんなことは口が裂けても言えないが思うだけは自由だ。
俯いたままでいると「ニーチカ」と名が呼ばれた。
この場で私の名前を知っているのは一人しかいないだろうし、この声。
「話は済んだ、行くぞ」
パーヴェル様はいつの間にかニーチカの目の前に来ていて、丈夫そうな靴先が視界に入る。
「…いえ、あの、勇者様」
「パーヴェルだ」
「……( さっきの人も勇者様と呼んでたのに… )…あの、パーヴェル様、あちらの方が仰られたように私は本来の仕事に戻った方が良いと思うのですが?」
そもそも色んなことがイレギュラー過ぎる。いつもの平穏を取り戻したくてそう言うと、深いため息が返った。
「……顔」
「……?( 顔? )」
「見えない会話は嫌いだって言った」
「……( ああ… )」
渋々顔を上げると思ったより近いとこにパーヴェル様はいて、目を合わせれば満足そうに頷いた。
「よし、じゃあ行くか」
何処に、なんて聞かないけど、すごい。私が言ったことなんて完全になかったことにされている。
まあそれもまた自分の立場的に仕方ないと諦めのため息を小さく零し、私たちのやり取りを唖然とした顔で見ている偉い人(仮)御一行と目が合わないように横を通り抜け、さっさと先に行ってしまうパーヴェル様を追う。けれど――、
あれ? でもこのまま付いて行かなければいいんじゃない? と、足を止めようとしたらパーヴェル様はやはりこちらを振り向く。きっとだけど、頭の後ろにも目がある。
そんなパーヴェル様の後を追い、たどり着いたのは普通にただの部屋だった。
とは言っても、ニーチカの部屋が何個も入るような……いや比べるのもアレだ、所謂やんごとなき、この場合はパーヴェル様に与えられた客室だろう。
パーヴェル様はソファーにドサッと腰を下ろすと、入り口で所在なさげに佇むニーチカを手招きし、向かいを指さす。ここに座れと。
おずおずとソファーの一番端にちょこんと座る。と、ビックリするくらい体が沈んで、たぶんそれが顔にも出てたみたいでパーヴェル様はククと笑った。部屋に戻ってきたからか表情が随分と柔らかい。
だったら――と、こちらから話を切り出してみた。
「あの、ゆ…、いえパーヴェル様、私はただのランドリーメイドで、身の回りの世話ならやはりちゃんとした侍従や侍女を頼んだ方が良いと思いますけど」
「言ったろ? 気に入らないって」
「でも…」
「じゃあハッキリ言う。俺はこの世界の人間が好きじゃない。むしろ嫌いだ」
「え、でも、それじゃあ…」
私も含まれると思うんですが?
パーヴェル様はニーチカが飲み込んだ言葉がわかっただろうに何も答えずに、ついと指を軽く振った。
――途端、部屋の中をゴウッと強い風が舞う。
「――はっ!? えっ!!」
慌てるニーチカ。だけどパーヴェル様は全く慌てた様子はない。
部屋の中は舞い上げられた物がぐるぐると渦巻き、途中何かがぶつかる音や壊れる音も聞こえて、驚いたニーチカは両手で頭を抱えた。
すると直ぐにピタリと、風と音が止んだ。
なので恐る恐る顔を上げると、部屋は何事もなかったかのように元のままで、目の前のパーヴェル様は少し気まずけな顔。
「…悪い、やり過ぎた」
そう言うには、今の現象はパーヴェル様が起こしたことなのだろう。
「…今のは、魔法、ですか…?」
「あー、まあ、この世界ではそう呼ぶのか」
「パーヴェル様のいたところでは違うのですか?」
「概念的には同じだ」
「で、何の為に今のを?」
割と驚かされたのだ、ムッとしてしまうのも仕方ない。少々声にトゲを含んでしまったがパーヴェル様はそれを咎めることもなく、やはり気まずげな顔のまま口を開く。
「いや、こうやって力を使えるから世話とかそういうのは必要ないと表現したかっただけで」
「……はあ( 確かに何もかも元通りだけど… )」
私は魔法に関してはさっぱりだが、割れた物や壊れた物も元に戻ってるのだから凄いことだと思う。けどやり方が根本的に間違ってる。
それにニーチカに対してや、さっきの人たちに対しての接し方も割とどうかと思う。 …まあ、この世界の人間が嫌いらしいので仕方ないことなのか。てことは今のも結局は嫌がらせ?
「…パーヴェル様がこの世界の人間を嫌いだと言うのは、勝手に召喚されたからですか?」
勝手にと、無理やりと、パーヴェル様は言った。
向こうの世界で普通に暮らしていたのに、全然何も知らない世界に喚び出される。家族もいて幸せな生活をしていたかもしれないのに、突然。
言われればそれは確かにその通りで。都合の悪いことは教えられず語られずのよくある手だ。
だけど私自身それを不自然だと思わずに受け入れてたのだからどうしようもない。
申しわけない気持ちで眉を寄せたニーチカに、パーヴェル様は軽く目を瞬かせる。
「いや、俺は望んでこの世界に来たが?」
「は!? ……いえ、だってさっき…」
( あれだけ強い口調で批判してたのに? )
首を傾げるニーチカに、「ああ。 あれは俺の話じゃなくて」とソファーに深く預けていた体を前に起こし、パーヴェル様は少しだけこちらに身を乗り出す。
「アンタは三百年前に召喚された女性のことを知ってるか?」
「はいもちろん。聖女ルーシェンカ様のことですよね」
「聖女な…。…ああ、そうルーシェンカだ」
「私が一番好きな聖女様です。そのルーシェンカ様が何か?」
「俺にとっても、一番大事で、一番大切な女性だったんだよ」
「…え…?」
それって一体どういう意味だと首を傾げる。こちらに来たばかりのパーヴェル様が聖女様のことを知っているのか?
パーヴェル様が少しだけ遠くを見るように話したのは。
ルーシェンカ様がパーヴェル様のお姉様であったということ。
絶句である。
「突然、目の前から消えた。 あの衝撃を俺はずっと…、ずっと忘れることは出来ない」
膝の上で合わされた拳が白くなるほどに強く握りしめられる。
向こうでは『消えた』、こちらでは『召喚された』。言葉の齟齬はそこに伴う感情をも全く別のものにする。
こちら側の人間であるニーチカは何も言えない。それに謝るという行為もたぶん違う。
「だから――」とパーヴェル様は続ける。
「神に殴り込みに行った」
「えっ!? ……神、様に? え、何故…?」
「神がルーシェンカをこの世界に送ったから」
「いえ、でも、神様って会える…んですか?」
「当然だろ」
「……( 当然? )」
急に話が飛んだけど、神様!? 殴り込み!? それに神様に当然で会えるって…、え? やっぱり『勇者』様って特別なの?
思わず遠い目になるニーチカ。
「そしてそこで確約させたんだよ、俺もルーシェンカが行った世界に送れって」
「……はあ( 神様と確約… )」
「なのにあのクソ神がっ!」
「……!」
忌々しそうに吐き捨てるパーヴェル様。とっても不敬であるのだがニーチカもそれに対して目を剥くほど敬虔な信仰心は持ってない。
そういえばパーヴェル様はさっきもそんなことを言っていたなと思い出す。 その意味はきっと今現在が、ルーシェンカ様の召喚から三百年も経った後だということ。
でもこんな執念深いシスコ…、…いや、姉想いのパーヴェル様がそこら辺を失敗するか? と考えていると、
「…まあ、完全に嘘をつかれたというわけではないことが更に腹が立つ」
と低く零し、改めてニーチカへと視線を置く。
そのまつ毛の影になった緑琥珀の目に浮かぶのは何とも形容しがたい色。妥協? 諦め? くすぶる執着?
「……?」
「天涯孤独ってやつだよな」
「……? …私、ですか?」
「ああ」
「……ええ、まあ、たぶん…」
急に何?と思うが頷く。実際には家族や親族がいるのかもしれないが、ニーチカに調べる手立てはない。
「じゃあ取りあえずはアンタだけだな」とパーヴェル様は続けたが、やはり何が?という思いしか浮かばない。
「あの…、えっと…、何のことです?」
そのままを口にすればパーヴェル様は表情を変えずにさらりと言う。
「端的に言えば、アンタはルーシェンカの末裔だ」
「えっ!?」
「だから俺はアンタが幸せになるよう見届ける義務がある」
「ええっ!?」
突っ込みどころが満載過ぎて、もはや突っ込むことも出来ない。パーヴェル様は別に冗談を言ってるようでもなく、何なら『どうだ』とばかりに満足そうで。目をまん丸く見開いたニーチカは口を開けては閉じを繰り返し、
「え……、ええぇ……」と零す。
さっきから『え』しか言えてない。
そんな言葉を失っているニーチカを気にすることもなくパーヴェル様は話を続けた。
「こんな世界どうなろうとも何とも思わないがルーシェンカに繋がるアンタがいる限りはそうもいかないだろ。 それにここがルーシェンカの護った世界なら俺がそれを壊すことなんて出来ない」
「………あの、でも、その…、私がルーシェンカ様の末裔っていうのは、どうかと…?」
やっと立ち直ったニーチカがそう切り出せばパーヴェル様の眉が寄る。
「俺がルーシェンカの気配を間違うとでも?」
「気配って…?」
「気配で通じなければ、…そうだなこちらで言う魔力でもいい。アンタが纏う魔力はルーシェンカと同じだ。まあだいぶん薄いし他の奴が気づかないのも不思議じゃない」
「えっ、や、ま、待ってください。私、魔力なんてないですけどっ」
「だから薄いだけだって言ってるだろ」
「でも…」
――でも。
もし魔力があるというのなら魔法だって使えるということだ。
ニーチカとしてはルーシェンカ様の末裔だと言われたことより、申しわけないが今はそちらのことの方が気になる。
「……私、魔法とか、使えるんですか?」
「そりゃあ。まあ大層なものは無理だろうけどな」
「え、じゃあ、空を飛んだりとか、瞬間で移動したりとか」
「無理だな」
一刀両断だ。持ち上げて落とすとか。恨めしそうにパーヴェル様を睨めばフッと鼻で笑われた。
「大体ルーシェンカは金髪金眼だったろ? だったら金の魔力しか持たない」
「金の魔力?」
「聖女と呼ばれる所以の魔力だ」
「それじゃあ病を癒したりとか怪我を治したりとか」
「肌荒れとか小さな切り傷くらいなら治せるんじゃないか」
「……」
そんなの薬でも簡単に治せるものだ。やはり落とされる。というか貶めてる?
「まあ何にせよ、これをアンタに渡しておくから」
と、パーヴェル様は片手で拳を作り、小さく何か呟くとその手を開いた。
開いた手のひら、そこにあったのはコロンとしたパーヴェル様の瞳と同じ色の緑琥珀の石。それを私の手に握らす。
宝石のようにキラキラとした緑琥珀を指に摘むと中がゆらりと揺れる。
「何です、これ?」
「ただの御守りだ。毎日ちゃんと身につけとけ」
「えっ」
「それと今からアンタは『勇者』付きだから」
「ええっ!?」
本気だったのか、ソレ。
パーヴェル様の片眉が上がった。
「何で驚く? さっきもそう言ったろ」
「でも、身の回りの世話はいらないって…」
「ああ世話はいらない。ただ目の届くとこにはいろ」
「ええぇ…」
ニーチカは深い深いため息を吐く。
幸せを見届けるというのなら、それは私の幸せを願ってるってことじゃないのか?
ニーチカの幸せ、平穏な日常、それはどうしたってパーヴェル様の横にいて得られるものではない。むしろ遠くなる気がする。
情けなく眉を垂れるニーチカに、何故そんな顔をするのかと、パーヴェル様は怪訝に眉を寄せる。私とは違いどんな仕草も様になる。たぶん情けない表情だって。
( 顔が良いってズルい )
そんなことを思いながら、さて、どうやってこの包囲を突破し元の職場に戻ろうか? と、ニーチカは頭を悩ますのであった。